第15話 綺羅
「――ら、くじら!」
「わっ、なに!?」
くじらが驚いて顔を上げると、そこには栗色の髪を外はねにした少女が仁王立ちしていた。
ここは非生物に預言などの非現実的な夢を見せる神、パンタソスの名を冠する寮。
約五時間ぶっ続けで勉強し続けるくじらを休憩させようと、ルームメイトである
「も、もうちょっとだけ⋯⋯」
「それ一時間前も聞いたわよ。いい、勉強は量をこなせばいいってわけじゃないの」
そう言えば彼女も同じことを言っていたな、なんてぼんやり考える。
「ちゃんと質の良い学習をしてます」
「なんでもいいけど、ごはんはちゃんと食べなさい。先輩が『はやく食堂にいってらっしゃ〜い』って」
月海はお粗末なものまねを披露し、部屋の外を指さす。
その姿はまるで母親――コホン、やめておこう。
「テストまであと三日しかないので⋯⋯」
一年生全員が恐れている、定期テスト。
くじらは、夢を問われる科目では赤点を覚悟しているので、筆記問題の練習に必死に取り掛かっていた。
月海はテストに自信があるのだろうか。
「『腹が減っては戦ができぬ』⋯⋯ほら行くよ。せんぱい、食堂いってきまーす!」
「あらあら、くじらちゃんを勉強机と離婚させることに成功したのね。いってらっしゃ〜い」
月海に引きずられて寮を出る。
階段を降りてしばらく歩けば、広い渡り廊下に出る。
くじらはうっそりと、その向こうにある中庭を見つめた。
優香里ちゃん達はテスト勉強どのくらい進んでいるのだろうか。
(今度こそ、置いていかれるわけにはいかない)
「くじらってさ」
「はっ、はいなんでしょう」
ぼんやりしていた中突然話しかけられ、驚いて声が裏返る。
しかし月海は気にすることなく続けた。
「頑張り屋だし⋯パッと見要領も良さそうなのに、なんでそんな感じなの?」
それは結果が伴っていないと言いたいのだろうかと考え、僅かに眉を顰める。
そんなにストレートな物言いをされたのは初めてだったのだ。
「そんなのわたしが聞きたいですよ。⋯⋯でも」
「でも、なに?」
「……昔からこうなんだよね」
視線を中庭の方に逸らし、目を伏せる。
長く艶のあるまつ毛が特徴的な瞳に影を落とした。
その奥にある暗い感情に気付いてか気づかないでか、月海はこれ以上踏み込むことはしない。
中庭に繋がるガラスドアから流れる初夏の隙間風が、ふわりとくじらの髪をなびかせた。
* * *
「ね、あそこにいるのってくじらと仲いい子じゃない?」
右斜め前の前の前の席にぼんやりと見える、藍色の頭。そして特徴的なネコミミ。
あれは間違いなく柊雨だろう。
「そうですね」
「一緒に食べなくていいの?」
なぜか少し怒っているような、しかし寂しそうな表情をして言う。
くじらは心底困惑した。
(何その顔!!)
「仲良いからっていつも一緒って訳じゃ⋯⋯いや、あるな」
「あるのね」
それに今日は彼以外の二人の姿が見当たらない。
三人揃っているならば声をかけたかもしれないが、と考える。
「⋯⋯あたしじゃダメ?」
きゅるるん、なんて効果音がつきそうな程潤んだ瞳で見上げられる。
「何言ってるの」
くじらは「濃厚!贅沢肉うどん」を啜りながら、真顔でバッサリ切り捨てた。
「チッ、つれないわね」
先程のしおらしさとは打って変わって、鋭い目付きをする。
しかしすぐに、何事も無かったかのようにサラダを口に含んだ。
くじらはそんな彼女を見つめ、少し考えてから言った。
「はぁ⋯条件次第で聞いてあげてもいいですけど」
「ほんとに!? じゃあさっそくなんだけどね」
その一言にマッハで飛びつく月海を、考えるとしか言ってないから、と軽くあしらう。
「テストの時、あんたにモデルをしてほしいのよ」
「え?……ああ、月海ちゃんってメイクアップアーティスト目指してるんだっけ」
「あら、知ってたのね。でも今回はメイクだけじゃないわ。ドレスも用意するしヘアセットも
「月海ちゃんがぜんぶやるんですか?」
くじらの質問に、待ってましたというように意気揚々と答える。
彼女の瞳は煌めいており、なんだかとても楽しそうだ。
「ふふん。この学園のテストだもの、変化球も許されるはずよ。ファッションデザイナーを目指してる子や美容師を目指してる子――あたしたちはチームを組んだの」
「なるほど。それでモデルが必要、と。でもわたしなんかじゃなく、もっと適任な人がいますよ、ほら、柊雨くんとか」
シュッとした輪郭にまっすぐな鼻筋。ぱっちりと開いた潤う瞳、どこかあどけなさが残る愛らしい口元。
誰が見ても端正な顔立ちだと言うだろう。
テストで着飾った彼がただ片目を一瞬閉じれば、きっとそれだけで泡を吹く者が現れる。
「確かに、顔はくじらの倍はいいわよね」
「ちょっと」
はっきり言われ不服そうにするが、月海は遮るように続けた。
「でもね、くじらにはくじらにしかない魅力があるのよ。今回ばっかりは、絶対にあんたの魅力が欲しいの」
矢の如くまっすぐな視線は、くじらの揺蕩う感情を貫く。
彼女の言葉には嘘なんてなくて、その上とんでもない熱を秘めていた。
(わたしにしか、ない……唯一無二の――)
初めてもらった言葉に、くじらは若干困惑した様子を見せる。
しばらく視線を泳がせ真剣に考えてから、口を開いた。
「わたしじゃなきゃダメって言ってくれるなら……」
戸惑いがちなその言葉には、少しの恥じらいも含まれている。
なにせ初めてなのだから仕方がない。
「はぁ、さっきからそう言ってるじゃない。くじらじゃなきゃダメなの」
くじらと反対に、迷うことなく発せられるそれに、大きく目を見開いた。
かつて、一番求めていた言葉。
「うん、いいよ――」
「もう専用の衣装作っちゃってるからね。断られたら困るわ」
「……は、最初から拒否権用意されてないじゃないですか!!」
* * *
「――――で、結局流されちゃったんだ?」
「そんなんじゃないです。こう見えてわたし、意志しっかりしてる方だよ」
柊雨にいじられるのでぷくーっとむくれてやる。
そして瑠奈が真顔で頬をつついていて、くじらは自分フグみたいだな、なんて思った。
「くじらちゃんドレス着るんだ?! きっと似合うよ、見るの楽しみだなーっ」
両手をあげて踊ったり、飛んだり跳ねたり。
当人よりも優香里の方が楽しそうにしている。
「僕もそう思う~! くじらちゃんってスレンダーできれいな体してるよね~」
くじらの隣に座って小さな花のようにふわりと微笑む。
かく言う彼女も華奢で可愛らしい体型をしていると思うのだが。
「そっ…か、どれす」
ドレス。
それはうみにも存在しているものだ。しかし陸の物とはデザインが大きく異なる。
鰭を飾るレースや、泳いだ時に美しくはためくシースルーの袖、顔を不明瞭にすることでミステリアスな雰囲気を作り出すヴェール。
それらを身にまとった高貴な女性はとても美しく、尊い。
うみにおいてドレスとは、自身を飾るだけではなくより強く見せるものでもあった。
「わたしもいつか、あんなおひめさまになりたい!」
幼き日を思い出す。無知で無鉄砲で弱くて、そしてお人好し。
かの姫君を夢見るいじらしい少女は、きっともういない。
――――くじらが彼女を殺めてしまった。
しかしそれは今の自分を生かすためだったこともよく覚えていて、到底彼女を――自分を責めることなどできやしない。
かつて憧れていた姫君に否定的な考えを持つ自分が、もう存在しない想い出をこんな形で叶えてしまってよいのだろうか?
恋をしていない癖に魔女と契約をした、きたないわたしが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます