第3話 擬態
「そして、これから皆さんは忍耐力を養い――」
少女改めくじらの隣に座る少年はなんとか瞼を開けようとしているが、首がこっくりこっくりしている。睡魔に敗北するのも時間の問題だろう。
それを横目に見ながら、校長の話が長いのは陸も変わらないんだな、なんてぼんやり思っていた。
かくいうくじらも、眠気こそないが一言一句逃さぬようになんて真面目に聞くことはしていない。
率直に言って校長の話は、同じことを言い回しを変えて繰り返しているだけで薄いものだった。
要は「夢をかなえるまでの道のりは険しいが、諦めずに挑戦し続けてほしい」ということらしい。
「――これらをゆめゆめ忘れないでください。…夢だけに。なんちゃって!」
こうして校長先生のお話は、体育館の気温を数度下げたことで締めくくられた。
中年男性が駄洒落を好むのはうみも陸も変わらないらしい。良い発見だ。
* * *
生徒たちは入学式が終わるとそれぞれのクラスへ移動し、一年生は学園生活もろもろの説明を受けていた。
まだ席替えをしていないため席順は出席番号。
そのためくじらは廊下側の少し後ろに座った。
「はい、今日から私がこのクラスの担任の
黒板にバンッっと効果音が付きそうなほどにでかでかと名前を書く。
わたしを迎えに来てくれたのって担任だったのか、とくじらは憂わしく感じた。
担任というのは実は追いかけている時にも言っていたが、少女の耳には届いていなかったようだ。あんな状況だったのだから仕方ないが。
「今この時より君たちはクラスメイト――大げさな言い方をすると戦友だ。貴重な友との絆を深める第一歩として、まずは自己紹介をしてもらう」
校長先生の話は兎も角、生徒会長のスピーチは心打たれるものがあった。
内容は省くが彼の話を考慮すると、「戦友」という言葉も大げさだと思えないのが恐ろしい。
くじらは「もしかしたらわたしはとんでもない所に来てしまったのかもしれない」と身震いした。
早送りしているのかと錯覚するほどのスピードで黒板に書かれていくのは、自己紹介で何を言うのか。
名前、好きな教科、趣味、ひとこと。
眠目らしく簡潔なものだが、人魚の少女にとっては難題だった。
(どうしよう、最初から人魚って
「はじめまして、柊雨って呼んでください。得意科目は音楽、趣味もそっち系です。みんな、気軽に話しかけてね!」
彼のウインクにどきりとした生徒も少なくなかったが、くじらにそんな余裕はなかった。あれこれ思索しているうちにもうさ行まで来てしまった、“く”の番が訪れるのもすぐだ! と焦っているのである。
正体を明かすことはなるべく避けたいが、かと言って完璧に人間を演じる自信はない。人間に近い種ならば可能だったかもしれないが、彼女には限りなく「怪物」に近い血が流れているのだ。
それに嘘をつくことは自ら弱みを作ることと同義。
人間という危険があるのに湖という檻に囲われていた彼らは、言わば袋の鼠。
くじらもそんな環境で生き残るための術を心得ているため、過酷な状況下での生活や心理戦などには自信があった。
だからこそ、最善の選択をするために熟考している。
「次~」
前の席の人が座ったことで視界が開け、眠目と視線が合う。
「あっ、はい!」
くじらは驚き、跳ねるようにガタリと音を立てて起立した。
周りからの視線が矢のように突き刺さる。教室にいる全員が、くじらのことを見ている。
「えっと…」
少女はごくりと唾を飲み込んだ。
そして、口角を上げ、目を弧にして、なるべく柔らかい雰囲気を作り出す。
ゆっくりと優しい声色で――――
「くじらって言います! 好きな教科は特にありません。趣味…趣味は歌、ですかね…? よ、よろしくお願いします!」
だけど少しぎこちなく完璧じゃない、“人間”。
陸のことをよく知らないので好きな教科は言えなかった。不自然だっただろうか?
内心びくびくしながら顔を上げると、みんなニコニコと拍手をしてくれた。
少女が選んだのは、「自ら正体を明かす真似はしないが嘘もつかない」こと。
バレたら仕方ないので肯定し、何故黙っていたと問われれば「だって聞かれてない」と白を切ればよい。
人間は意外と他人の事を見ていない、と人間に恋した彼女に聞いた。なのでひょっとしたら上手くいくかもしれないと思ったのだ。
少々愛想をふりま――否、会釈をしてから席につく。
くじらは胸をなでおろし、今度は偽りのない笑みを僅かに浮かべた。
やっぱり。人間はこういうのが好きなんでしょ。
くじらは後ろの人物がじっと見ていたことに気が付いていない。
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