20.晴れていない日

 燦然と輝くお母様の威光。未来にまで轟くお兄様の名声。

 子供の頃からルティルス家に生まれた事を誇りに思うのは当たり前だった。

 いつか自分もお母様のように。いつか私もお兄様みたいに。

 私は自然にお二人のような立派な貴族になって、誰かを守れる竜になるんだって疑っていなかった。

 お兄様は七歳の時に『竜の息吹ブレス』を使えるようになった。


「おいでリュミエ。私の『竜の息吹ブレス』を見せてやる」


 今でも覚えている。お兄様は私の部屋に来て、一番に見せてやると言って私を庭に連れ出してくれた。

 氷属性のお兄様が吐いた『竜の息吹ブレス』は庭にある木を見事に凍らせた。

 その木はお母様が気に入っていた木だったから、二人でお母様に怒られたのも今にとっては微笑ましい思い出だと思う。


 竜族が『竜の息吹ブレス』を使えるのは十歳くらいが目安。

 お兄様はそんな常識すら吹っ飛ばして、それからどんどんと有名になっていった。

 お母様が『竜の息吹ブレス』を使えたのは八歳の頃で、お母様を超える逸材が生まれた事に家全体が喜んだ。二年も経った頃には周りからルティルスの神童なんて呼ばれ始めて、お母様も誇らしげだった。

 ――私も負けないように頑張らなきゃ。

 お母様やお兄様には敵わなくても私もルティルス家の竜。お二人に恥じないようにと私はシェオル王立魔法学院の門を潜った。

 本当はお兄様と一緒に学院で学べたらよかったけれど、お兄様はその時にはもう王都に呼ばれていて、少し心細くて残念がったのを覚えている。


 小等部に入って二年……八歳になった。お母様が『竜の息吹ブレス』を使えるようになった歳だ。

 『竜の息吹ブレス』が使える兆候は無かった。私は天才じゃなかった。仕方ない。

 流石お二人。私は普通の竜族なのだろう。

 ならなおさら頑張らないと。お二人ほどではなくともルティルス家に恥じないように。


 十歳になった。大抵の竜族は『竜の息吹ブレス』を使える歳。

 私は未だに『竜の息吹ブレス』を使えない。魔力を生み出す魔力核が鼓動して、けれどそれが"神秘"に変わる事はなくて……お兄様は気にするなと言ってくださった。

 周りの子からも慰められて、一部の子からお兄様と比較されるようになった。

 落ちこぼれなんじゃないのか。そう囁かれるようになった。

 そんな事ない。私もルティルス家の竜なんだから!


 ……この時は、まだそう思えていた。


 どれだけ時間が経っても発現しない"神秘"。

 相も変わらず魔力だけが湧き出て、それが竜族の象徴に変わる事はない。

 自分が普通の竜族だと思った時もあった。それすらも勘違いだった。

 私は……普通にも満たない落ちこぼれだったのだ。

 周りに落ちこぼれと囁かれて、もう慰める子はいなかった。

 わざと聞こえるような声量でくすくすと笑う周りの子。私はただそれを聞くしかなかった。


「ルティルス家にも汚点があるんだな!」


 そう言われた。唇を噛んで耐えるしかなかった。


 ずっとずっと。毎日毎日。笑われて笑われて。


 ただ笑われて、ただけなされて、ただ軽んじられて、ただ陰口だけが聞こえてくるようになって。


 ただそれだけ。ただ落ちこぼれと言われ続けるだけ。


 受け入れなきゃ。そう、何かされてるわけじゃない。

 私はお母様やお兄様とは違う、落ちこぼれだって事を言われているだけだから。



 私が悪い。私に才能が無いのが悪い。ルティルス家に生まれたのが悪い。

 私が何もできないが悪い。私が弱いのが悪い。私が全部悪いから。

 わかっている。わかっているから。


 …………でも、ずっと一人は恐い。一人は寂しい。一人で泣き続けるのは辛い。

 だから高等部に入ったら、私の事を知らなそうな人に話しかけてみよう。

 私の事を知ったら自然に離れていくかもしれない。すぐに拒絶されてまた笑いものになるかもしれない。

 それでも、ほんの少し……ほんの少しだけ。

 せっかく高等部になって新しい環境になったんだから、最初から膝を抱えて隅で震えるのはやめてみよう。一度だけ頑張ってみてから諦めよう。

 無駄でも、無意味でも、落ちこぼれにだって決意する権利くらいあるはずだから。


「あ、あの……。もしよかったら、私と一緒の班にならない?」


 そうして私はなんだか一人で難しい顔をしていた男の子に声を掛けた。

 楽しい事なんて無かったはずの学院生活だったけど、なけなしの勇気を振り絞って……ほんの少し何かを変えられたらと思って。






 ◇







 この日は朝から雨が降っていた。無論、雨だからといって学院が休みになるはずはない。

 リュミエ・カミール・ルティルスはいつものように起床して身支度を済ませてロビーに降りる。

 ロビーに待つ友人フローレンスを見つけて、つい頬が緩む。高等部に上がる前では有り得ない光景であり、彼女にとっては毎日夢が覚めないようにと願うくらいだ。


「おはようフロー」

「おはようリュミエ。自慢の髪もこの雨で少し癖ついているわね」

「え!?」


 リュミエはフローレンスに髪を梳いて貰ってから学院に向かうと、学院の入り口には同じく友人のリオンが立っていた。フローレンスを待っているのは彼にとっての日常だ。

 雨を鬱陶しがるようにリオンの長い耳がぴくんと動く。


「おはようリオンくん」

「おはよう二人共」

「待っていてくれなくても大丈夫だって言ってるじゃない」

「日課だから」


 リオンと合流して教室へと。

 三人が教室に入ると朝の挨拶もそこそこにリュミエは教室を見渡した。

 一番最初にできた友人はまだ来ていないみたいだった。

 少しがっかりしながら空いている席に座る。生徒はどこに座るのも自由だが、このクラスになってから時間も経っていて大体定位置は決まっている。

 リュミエは横の空席をちらっと見る。いつもはセーマが座る場所だ。


「セーマ遅いわね」

「昨日もいなかったね……」


 セーマは昨日から学院に来ていない。

 風邪でもひいたのかとリュミエは少し心配になるも、男子寮は女子禁制。同じように女子寮は男子禁制。様子を見に行けるのはリオンしかいない。


「リオン、帰りにセーマの部屋に行って話聞いてきてくれる?」

「二日いないくらいで大袈裟じゃない……? 僕の祖母なんて二年家に帰ってこなかった時もあるよ」

森人族エルフ基準やめなさいよ」

「わかった。わかったから耳を引っ張らないでくれよ……」


 リュミエは二人のやり取りを見てくすくすと笑った。

 幼馴染だからだろうかフローレンスはリオンに容赦が無く、リオンもまたそれを楽しんでいる節があって微笑ましい。

 セーマがいなくて少し沈んでいた気分も明るくなってきた。


「授業を始めるぞ」


 いつものように鐘と同時に入ってきたレイリーナの号令で授業に入る。

 結局、授業が全て終わってもセーマが来る事は無かった。

 リュミエは授業の間それがずっと気になって、朝フローレンスとリオンのやり取りで明るくなった気分も雨と一緒に落ち込んでいた。

 何故か、リュミエの肌を不快感が撫でる。その不快感を自覚しつつも、雨だからかな、と自分を誤魔化す事しかできなかった。


「ふむふむ、高等部になってから目に見えて元気になったのうリュミエくん」

「はい、毎日楽しいです」


 授業が終わるとリュミエはいつも通りカウンセリングへと向かった。

 今日の担当は校長のガイゼル。校長とはいえ魔術師……カウンセリングというには専門的な手法などは取れないがリュミエは子供の頃から話し相手になって貰っている。

 ガイゼルはリュミエの様子を見てにっこりと笑う。


「君が小さい頃は少し危うい雰囲気じゃったからな。儂も嬉しい。どうやら、儂ら以外にもいい話し相手が出来たようじゃな」

「そうなんです……今まで学院生活を楽しいって思った事は無かったんですけど、毎日楽しい事ばかりで……あ、校長先生にこんな事言ったら駄目ですよね。ごめんなさい!」

「かっかっか! よいよい! それだけ今が充実しているという事じゃろうて! 学院生活が楽しくなったのなら儂も嬉しいよ」


 ガイゼルが豪快に笑っていると鐘が鳴る。

 夕暮れにはまだ時間があるが、相談室から見える日は徐々に落ち始めていた。


「それではまた来週にしようか。明日はミヤ先生だったかな?」

「はい」

「体の調子もしっかり見てもらうといい。君ももう立派な淑女だ。些細な変化が精神にも影響する難しい歳でもある……っと、こういうアドバイスはレイリーナ先生からもう貰っているかな? 老けると少々お節介になっていかんな」

「いいえ、ありがとうございます」

「それではまたの」


 二人が相談室から出るとガイゼルは手を振って廊下の向こうへと歩いていく。

 そんな後ろ姿にリュミエは頭を下げて、窓から中庭のほうを見た。


「セーマくん大丈夫かなあ……」


 ぽつん、と廊下で一人呟く。

 レイリーナにもガイゼルにも明るくなったと言われて、そのきっかけが誰なのかと言われると当然一人の男の子が思い浮かぶ。


「あ、れ……?」


 突如、廊下から中庭を眺めていたリュミエに異変が起きる。

 気付けばどこからか妙な香りが漂っていて……体から徐々に力が抜けていく。

 中庭の花壇の香りが風に乗ってきたのかと思っていたが、目の前がぐにゃりと歪んだ瞬間、ただの香りでない事に気付く。


(目の前が……。もしかして、魔花まかの香り……? でも、なんで……それに……竜族に、そんなの……)


 魔花まかの"神秘"一つで足元がおぼつかなくなるほど竜族は脆くない。

 だが現実、リュミエの体はぐらついていてもうまともに立っていられなかった。


「だ……れか……」


 視界が歪み、妙な幻だけが瞼の中に浮かぶ。

 まるで全身が空中に浮いているかのような浮遊感の後、そのままリュミエの意識は遠のいていく。

 学院の廊下に一人……何事もなく一日を終えるはずだった少女の体は崩れ落ちた。

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