24.仮面の下のステラ

「リュミエ」


 何がどうなったのかわからないリュミエの下にセーマは駆け寄る。

 突然現れた何かがガイゼルを倒したという認識で、その間セーマがどこにいたのかはリュミエにはわからない。

 セーマがガイゼルを倒したなんて痕跡は何処にも無かった。

 それでも――


「セーマくん……!」


 セーマが縄を解いた瞬間、リュミエはセーマの胸へと飛び込んだ。

 ガイゼルの敗北によってリュミエを縛っていた拘束魔術も破壊されている。

 あまりの勢いにセーマは少しぐらつくが、しっかりとリュミエの体を支える。


「こわかった……! こわがった……!」

「ああ、遅くなってごめんな」

「ううん……。違う……そんなことないよ……! わたし……私……! ありがとう……!」


 周囲で円を作っていた人々も糸が切れたかのように倒れていく。

 ガイゼルの敗北によって長年続いていた魔法の悪夢が終わりを告げて……木に変えられていた人達は全員が解放された。木に変えられたまま死に、いいように利用されてきた屈辱からも。


「流石に全員運ぶのは無理だな、まだ生きてる二人だけで回収して離れないと。アニーとドシュレ? だっけか……リュミエ、歩けるか?」

「うん、大丈夫だよ……恐かったけど、セーマくんが助けてくれたから……」

「無理しなくていいぞ?」

「無理してないよ。本当に……本当にもう大丈夫なの。不思議なくらいに」


 リュミエはその安心を伝えるようにセーマの胸に頭を預ける。

 背中に回した腕は竜のように力強くセーマを抱きしめていてい、その手は温もりを感じるように優しく触れていた。


「なら二人を運ばないと…………本当に大丈夫か?」

「あ、ご、ごめんなさい! 歩ける! 歩けるよ!」

「一息つきたいのはわかるんだだけど、すぐに離れないと面倒だから……後でな」


 そう言ってリュミエの手を安心させるように握って、セーマはまだ生きている二人を回収しに行く。念のため他の人の脈も計っているようだが、やはり時間が経ちすぎているらしい。

 身体強化によって底上げされた力でアニーは背中に縛り付け、ドシュレという男子生徒は腕に抱えて、リュミエと共にその場を離れようとする。

 

「ば、かな……。儂が、こんな……こんな……」


 苦痛を咳き込むような声が漏れる。

 セーマが振り返ると、血塗れで倒れるガイゼルがこちらを恨みがましい目で睨んでいた。

 死に体でも睨めるのはセーマの魔法が解除されたからだろうが、魔術による不意打ちは飛んでこない。

 セーマの魔法が解除された後も、セーマの魔法がどんなものだったのかガイゼルは認識できていない。それでも体は覚えている……一分の間に蹂躙され味わったあの恐怖を。

 琥珀色の目にあったどす黒い意思はもう、その芯を失っていた。


「何故じゃ……。魔術師ならば、夢見るだろう……魔術師ならば高みを目指すだろう……。その方法が、たとえ……霧を掴むような方法であっても……。"魔法使い"へ、尋常ならぬ道を歩まねば、ならんと……」

「……ああ、そうかもな」

「貴様とて、そうだろう……。儂に何もさせぬよう、な……力……まともな、手段ではない……。地獄を見た者なら、許されるのか……?」


 善悪ではなく、魔術師として。

 ガイゼルはセーマを睨みながら問う。

 セーマの魔法の正体はわからずとも、普通の方法で自身が負けるわけがないと理解しているから。

 自分は魔法もどきまでしか辿り着けなかった魔術師、そして相手は"魔法使い"。それを認めたからこその問いだった。

 心を折られ、瀕死にまで追い詰められてもなお魔術師として残った最後の探究心がそうさせる。


「俺の見た"魔法使い"は泣いていた」

「……?」

「俺はあんたの言うような、高みとやらに憧れたんじゃない。俺を救ってくれた"魔法使い"の中に見た心に夢を見た」


 彼は理不尽に奪われた。悪意によって失った。

 それでも、彼は人の善性を信じている。

 あの日、救われたから。あの日、自分のために涙を流してくれたから。

 少年は魔法という超常ではなく、"魔法使い"の見せた善性に希望を見た。

 ――君は誰かにとって"特別な人間"になれる。

 そう言って幸せを願ってくれた師の涙に。


「"魔法使い"になりたいのは結構。けど、なりたいだけで止まってるあんたが俺に勝てるわけがない。たとえ無謀でも、あんたは吠えるべきだったんだ。

俺はあの瞬間を知れた幸福のためにこう在ると決めた。あのごみ溜めみたいな過去を呑み込んだ。俺が味わった苦痛は無意味じゃなかったんだと。

俺のように理不尽に奪われる人々がその最後まで希望を失わないように……味方はいるのだと、俺の人生を使って伝えよう」


 空が晴れる。月明かりはお生い茂る葉の間からセーマを照らす。

 その黒い瞳に落ちる影は無く、正しく進むべき信念がそこにある。


「魔術師が高みを目指すべきだと言うのなら……そう、なってやろう。その高みそのものに」

「なん、じゃと……?」


 その声に嘘はなく、少年の声に過去に対する恨みはない。

 見ているのはいつか訪れるであろう未来。そしてこれから生まれる者達への福音。

 自分と同じ普通であれなかった誰かを救うための在り方そのもの。



「俺がなろう。全ての魔術師達が目指すべき星のような存在に」



 隣に立つリュミエを抱き寄せながらセーマは声にする。

 それは全てを隠す仮面まほうの下に灯る遠大な夢。

 リュミエの見上げるその横顔は凛々しく、たとえ誰かに笑われようとも損なわれないセーマ自身の輝き。

 リュミエは涙を零しながらセーマの服の袖をぎゅっと握る。

 少なくともここに、そんな輝きに見惚れた少女がいた。


「かっか、っか……にしては甘いな……。儂を殺さず、去ろうとするとは……」

「ああ、その必要は無いからな」

「儂が、治癒魔術を使えぬとでも……? 専門、の、奴等には劣るが……。今残っている……魔力を、使えば……死なぬ程度には、かいふく……」

「ああ、そうだろうな」


 ガイゼルの言葉ははったりではないのだろう。

 小声で何かの魔術を唱えたかと思うと、少しの光がガイゼルの手に灯る。

 恐怖で未だに本調子ではないのか、治癒の速度は遅い。

 もしかすれば本当に死なない程度までならば回復できるかもしれない。


「どう、した? 殺さぬか? その勇気が、無いか? 儂が回復した暁には……権力を、もって……貴様を潰してやろう……! 儂はガイゼル・セントバーグ……みなが儂の言葉を信じるじゃろう、なぁ……!」

「ああ、それは無理だ。あんたも知っているだろう? 魔物の一部からどうやって倒されたかわかる魔術があるそうだからな。もしかしたら元になった記憶を読む魔術とやらのほうを使うのかもしれないが」

「……?」


 突然話に脈絡が無くなったようなセーマにガイゼルは呆然とする。

 しかしその意味はすぐに遠くから聞こえてきた。


「こ、れは……」


 徐々に近付いてくる野犬のような唸り声。

 ここはメルズ森林区域。低級の魔物が多く棲む場所。

 ゆっくりとその息遣いが近付いてくる。

 現れた血塗れの・・・・ご馳走・・の匂いを嗅ぎつけて。


「あんたの事だから、その状態でも魔物を一匹に倒さずにやられるって事はないだろう。後はここに来た他の魔術師が何が起きたかを魔物の遺体から調べればそれで終わりだ」

「ま、待て……ま、さか……」

「ガイゼル・セントバーグは何故かメルズ森林区域に訪れて、低級の魔物に負けて食い殺された。それ以上調べるようなら違法実験をやろうとした犯罪者で、実験中に不注意から食い殺された。

俺としては世論がどう受け取ろうがどっちでもいい」

「貴様……! 貴様貴様貴様……! そのために、とどめを刺さなかったのか……? そんな、そん、な屈辱……このガイゼル・セントバーグがメルズ森林区域にいる……ゴミのような魔物ごときに殺される……!? そんな不名誉な死があっていいわけが……!」


 セーマはそんな恨み言を聞きながら森を出る方向へと振り返る。


「精々頑張るといい。ガイゼル・セントバーグ最後の晴れ舞台だ」

「ま、待て! 殺せ! 殺してくれええ!! せめて、せめて……貴様のような若造でも、魔法使いの手で……! せめて魔法使いの手で儂を!!」

「行こうリュミエ」

「え……ぁ……」


 初めて見せる下手に出た懇願をセーマは無視して歩く。

 リュミエは一瞬ガイゼルのほうを見て、少し悲しそうに一礼するとセーマの背中についていった。


「待て……頼む……! 魔術師として、殺してくれ……!」

「知ったことじゃない」

「この儂が魔物の餌のような……そんな結末になっていいはずが――!!」

「選んだのはあんただ」

「たの、む……助けてくれ……!」


 最後の聞こえたなりふり構わない言葉にセーマは肩越しにガイゼルを見る。

 セーマが視線だけでもこちらを向いた事にガイゼルの表情が一瞬明るくなるが、セーマはただもう一度自分の意思を伝えるためにガイゼルのほうを見ただけだった。


「忘れているだろうからもう一度言おう……俺はお前を救わない」

「待――! がふっ、ごふっ……! まっで……まっでぐれええええ!!」


 もう振り返る事もせずに去っていくセーマに向けて、傷に響かせながらもガイゼルは絶叫する。

 血の匂いに惹かれて近付いてくる唸り声と足音。万全ならば何十と来ても問題無い低級の魔物が今はこんなにも恐ろしい。

 動けぬ動物は、動ける動物にその身を捧げるのが古来からの自然のルール。

 名誉も誇りも、魔術世界に轟くその名すらも集まる魔物達には関係無い。


 セーマ達の後ろで何度か魔術が放つ声がして……その声はセーマ達が森から出る頃にはただの悲鳴に変わる。

 森の奥から届く魔物の上機嫌な遠吠えを聞きながら、二人は学院への帰路についた。

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