23.一分だけの仮面舞踏会
驚愕は間違いなくあった。
だが次の瞬間、ガイゼルは勝利を確信する。
魔法を唱えたセーマの姿が闇に溶けていくのを見て。
「かっかっか! その名称からして文明型……それも効果がたかが隠形とはな」
ガイゼルの魔法の本質は呪詛……人を木に変質させる呪い。それは真実。
人間を一時的に別のものに変える魔術はありふれているため魔術化が容易だとセーマは指摘した。それも事実。
だがその事実は自分の魔法もそうだから言えた事なのだとガイゼルはセーマを嘲る。
呪詛と同じかそれ以上に隠形の魔術はありふれている。
ありふれているがゆえに対策の魔道具も数多くあるくらいだ。
驚愕はした……だがそこまで。ガイゼルの魔術師として歩んできた経験が敵は恐るるに足らないと理性に告げる。
拍子抜けだ、とガイゼルは杖を構えた。
「『
空間から炎の鞭が現れセーマへと向かう。
ガイゼルが唱えたのは中級の拘束魔術。相手が使ったのはたかが隠形。
しかも姿は見えている。なら対処は容易。捕まえてその後はなぶり殺しにすればいい。
「じゃあなガイゼル校長……会えるんならまた会おう」
炎の光で周囲が明るくなるが、セーマの姿だけは照らされない。
炎の鞭が叩きつけられる前に――狂気を纏った闇が駆ける。
「むっ……!」
周囲を照らしていた魔道具が一つ、また一つと破壊されて森に闇が戻り始める。
ガイゼルはその気配を頼りに杖を掲げる。
「かっかっか! 子供騙し――」
ガイゼルの余裕を含んだ笑い声が止む。
手に持っていた杖が何かによって弾かれた。
投擲? 魔術?
事の起こりを理解できなかった事に余裕が表情から消える。
「ぐ……ごぉ!?」
瞬間、背中に衝撃が走った。無論、ここに来るまでに身体強化は唱えている。
だがその身体強化を貫く衝撃。骨が軋む音にガイゼルは苦悶の表情へと変わる。
しかしガイゼルとて魔術師。この程度では怯まない。
杖を拾う間もなく振り返り、敵の姿をその目に捉える。
「ぐ、ぶっ……おごお!」
振り返った瞬間、顔に叩きつけられる硬い何か。
痛みが鼻の奥を突き刺し、視界に自分の血が飛び散る。
何が起こった? わからない。
何故自分がここまで無抵抗に攻撃されているのかガイゼルにはわからない。
「ふ、『
地面から岩が隆起し、ガイゼルを囲む。
態勢を立て直すべく防御魔法で時間を稼ぐ。
そう、冷静にさえなれば自分があんな……あんな……?
「ま、待て……? これは、どういう……事じゃ?」
嘘のような自分の認識に震えるガイゼル。
自分は長年待ち続けた実験を実行するためにここにいる。
あそこに縛るリュミエの心臓を自分のものにして魔術師として高みに。
……ここまではわかっている。当たり前だ。
しかしその先、今この状況。今戦っている敵に対しての認識を自覚して……ガイゼルは自分が幻の中にいるのかと疑った。
――儂は今、何と戦っているんだ?
わからない。わからないわからないわからない。
思い出せない。姿がわからない。誰の声かもわからない。会った事があるかどうかも。
敵は人間?
魔術を使われているのか"神秘"を使われているのかさえ。
「どう、なって――」
自身の認識に動揺している中、自分を守っていた防御魔法が何かに貫かれる。
拳なのか武器なのか。それとも魔術なのか。
岩を破壊して伸びる何かがガイゼルのローブを掴み、防御魔法の外へと引っ張り出した。
「おご……!? ま、待で! きさま、一体――!? があああ!?」
問う間もなくガイゼルの腕は何かに刺される。
それは先程懐にしまったガイゼルの短剣。引っ張り出された時に短剣を懐から盗られたのだろう。
敵の手には短剣が握られていて、自分は刺された事をガイゼルは理解する。だが次に瞬きをする頃にはもう……
「う、ぐ……!? なんじゃ……? 何を、された……!? この、この……!」
その短剣の存在すらガイゼルにはわからなくなる。
次に足を刺され、太ももを斬られ、顎を撃ち抜く衝撃は容赦の無い膝蹴り。
ガイゼルは後ろに吹っ飛び、口内から赤黒い血をボタボタと流しながらよろよろと立ち上がる。
「はっ……! はっ……! はっ……!」
その表情にはもう笑みも余裕も無い。
あるのは自分が誰に何をされているのかわからないという問答無用の恐怖だけだった。
――人は未知に最も恐怖する。
未知の現象、未知の土地、未知の思考、未知の存在。
人はその歴史の中で未知を踏破し、既知に変えて自分達の世界を開拓してきた。
だがガイゼルの敵は覗き込めない深淵そのもの。魔術で照らせぬ
……これがセーマの持つ魔法。
たった一分、昼夜に一度ずつしか行使できない奇跡。
知り合いも家族も友人も、どんな生き物も、太陽や月でさえ彼の存在を認識することは出来ない。
今この時、セーマという少年の存在を認識できるのは本人のみ。
どんな痕跡からもその存在に辿り着けない完全なる断絶。
世界を歪ませる紛れもない超常がここにある。
「おのれ……何者かはわからぬが……! 我が魔法を――」
追い詰められ、ガイゼルは自分にとっての絶対の力に手を伸ばす。
魔術化が容易とはいえ彼が手にしているのもまた圧倒的な力。
敵の正体はわからないが、生命を木に変える事の出来るその呪詛ならばと――。
「待……て……」
こちらに向かってくる敵を見てガイゼルは気付く。
呪う? 誰を?
変える? 何を?
呪詛とは相手を認識できているからこそ使えるもの……ならば、相手が何かわからない場合は?
(い、イメージ……できぬ……! 残存術式から使い手の属性すらわからない……なんだ……なんなのだこれは……!?)
どれだけ強力な魔術も、超常たる魔法も使い手がイメージできなければ成り立たない。
卓越した技巧を持つ魔術師ほど、セーマの魔法は恐怖を生む。
見えない、聞こえない。向かってくる黒い塊が何なのか理解ができない。
目の前の未知に名前すら付けられない恐怖に震え、ガイゼルはようやく自分の死が背中にまで迫っている事を自覚した。
「そろそろ格の違いを思い知ったか?」
「ぐ……お!? 見えぬ刃……風属性か……!?」
先程短剣を奪われた事はガイゼルの認識から消えている。
ただの武器が魔術に見え、未知なる敵の姿は勝手に頭の中で膨れ上がって恐怖を更に加速させる。
セーマは奪った短剣で容赦なくガイゼルを斬りつけていく。
腕を、足を、指を、その心が折れるまで――!
「『
「魔法とは心の発露……使い手の本質の具現。あんたみたいに誰かの未来を理不尽に奪おうとする奴には一生辿り着けない」
その声はガイゼルの耳に届くそばから消えていく。
足下に転がる杖を掴もうとした手を踏み潰し、その顔を蹴り上げて顎を割る。
何が起こっているのかわからない。何をされて傷ついているのかも理解できない。
次に何をされるのかわからない恐怖でガイゼルの心が沈んでいく。
「生まれ変わっても覚えておけ。誰かの未来を理不尽に奪うあんたらを許さない男がいることを」
「うぎ……ぎゃああああああああ!?」
ついには身体強化すら維持できなくなって、ガイゼルは悲鳴を上げる。
目の前には未知の黒い塊。最後の守りでもある身体強化が無くなった状態で見下ろされて……砕けた顎が意思とは関係なく震え始めた。
目の前の敵は竜より恐ろしく、"魔法使い"よりも巨大な障害。
悪夢そのものを目の当たりにしているような時間はまさに永劫のよう。
割れた眼鏡が地面に落ちて、その琥珀色の瞳に残るは恐怖だけ。
こちらを見上げながら声も出せなくなっているガイゼルに向けて、セーマは冷酷に言い放つ。
「――これが"本物"だ三流魔術師。俺はお前を救わない」
血染めの短剣をガイゼルの足に突き刺すと同時に魔法の時間が終わりを告げた。
世界は元に戻り、セーマの纏った魔法という仮面も消えていく。
……ここに勝敗は決した。
それはたった一分の魔法の宴。星すら騙す短き一幕。
学院に君臨する魔術師ガイゼル・セントバーグ……名高きその名はこの場で示される事はなく。
為す術無く突き付けられた敗北をもって――この超常に幕を下ろした。
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