11.過去と今は地続き

『どうしたんだいセーマ? もう私が恋しくなったか?』


 午前で学院が終わり昼の時間……食事をする間も惜しんでセーマは寮にある自分の部屋に帰ってすぐに蝋燭を取り出した。机とベッド、そしてクローゼットだけの簡素な部屋に蝋燭の火が灯る。

 ただの蝋燭ではない。遠くの人間の会話ができる念話の蝋燭その最後の一本だった。

 本来ならば生徒失踪についての調査に目途が立った時に使おうとセーマはとっておいたのだが、緊急事態のため使わざるを得ない。


「俺が監獄に入ったのがばれた。俺が生まれた村にいた子が学院にいたみたいで……俺の事を思い出したらしい」


 蝋燭の向こう側にいる師匠が息を呑むのがわかる。

 セーマを手玉にとろうとするような上機嫌な声は一気に低く変わった。


『確かに同年代ではあるだろうが……よくわかったな? 君の髪は、その……実験のストレスで変わっているのに……』

「師匠に助けられた時は白髪だったからな。今は所々黒く戻ってきたけど……それでもわかるとは思わなかった。話によると幼馴染らしくて、見かけた時から疑っていたみたいだ」

『……すまないセーマ』

「いいよ、いくら師匠でもそんなのわかるわけない。それよりも俺がいた監獄について師匠が世間的にどう処理したのかだけ教えてほしい。今まで俺に気遣って話してなかったんだろうけど、今は話を聞かないと話を合わせる事もできない……お願いします」

『あ、ああ、わかった』


 念話越しでもわかるくらいセーマの師は狼狽していた。

 珍しい、とセーマですら思ったがそうなるのも仕方ない。まさかこんな事態になるなど誰も思っていなかった。


『君がいたのはドロル監獄。違法実験の事を表立って記録するわけにもいかないから、表向きには領主の不正発覚と監獄での魔術事故をきっかけに解体されたという事になっている。

とはいっても、あの一件はあまりに悲惨だったのもあって調べた貴族も多いと聞くからどこまでばれてしまっているか……私達の痕跡を隠すので精一杯だったからね』

「……それなら釈放されたで通じるか…………?」


 セーマは監獄ではなく何故ここにいるのかという問いに何とか答えを用意しようとそう呟くが、すぐに駄目だと師匠に止められる。


『それだと君は自分で犯罪者だと認める事になる。君は冤罪で連れていかれたんだ。君だけじゃない。あそこにいたほとんどの者がそうだったんだから』

「もうすでに半分盗人扱いだよ。この蝋燭も緊急用に残していたけど……こんな高価なものが万が一見つかったら疑惑がさらに深まるから消費せざるを得なくなった」


 セーマは苦々しい表情で溶けていく蝋燭を見つめる事しかできない。


『いやそれはいい判断だ。見つかれば君の学院生活も難しくなるだろうからね』

「緊急時の連絡手段が無くなったから調査の報告も少し難しくなるな……」

『……? 調査?』

「ん……? 生徒失踪についての調査だろ……?」

『あー……そうそう、そうか、そんな感じの名目だったもんね……ごほん……』


 セーマに聞こえないくらいの声量で師匠がぼそぼそと何かを言ったかと思えばわざとらしく咳払いをする。

 調査という名目でセーマを学院に送り出した事を何とか思い出せたようだ。


『とにかく、認めては駄目だ。君の状況が悪くなるだけだからね』

「……わかった」

『私にとって一番優先すべきは君の無事だ、無理はしないように……それと、あまりに辛くなったら戻ってきていい……。君にとってあの監獄の事を話題にされるのは……きついだろう……』

「いや、ちゃんと調査を続けるよ。生徒失踪が事件の可能性がある限りは何を噂されても残る。なに、あの実験でやられた事に比べたら陰口やら嫌がらせなんて軽い軽い」

『……っ! 違う、違うんだセーマ……私は君に――』


 師の言葉が全て届く前に蝋燭は溶け切ってしまった。

 前回とは逆だな、とセーマは小さく笑う。

 念話の蝋燭は高価かつ貴重なものであり、当然セーマに再び購入する余裕などない。


「これで万が一が起きても師匠には頼れなくなった……か」


 目の前には完全に役目を終えた蝋燭。

 念話の蝋燭はセーマが持つ二つの切り札の内の一つ……セーマもこんな形で消費するとは思っていなかった。


「……こっちは生まれた村の事なんてろくに思い出せないっていうのにな」


 まるで過去が追いかけてきたかのようで、セーマはおざなりに笑った。













(セーマくん……やっぱり今日は出てこないかな……)


 一方、リュミエは学院の門の前でセーマを待っていた。

 アニーの言葉によって教室が騒然とした後、セーマは無言で教室から出て行ってしまったので一緒に町を回る約束があやふやになってしまったが……それでもいいから待っていようと思った。

 もし逆の立場だとして、セーマがいなかったら寂しいと思ったからだ。

 お昼から数えて二回目の鐘が鳴ってもセーマは来なかった。リュミエは男子寮の方角をちらっと見るが、やはりセーマの姿は見えない。


「監獄って……どういう事なんだろ……?」


 戦い慣れていると言っていたのと関係があるのだろうか。

 リュミエはセーマが実習の時に見せた姿を思い出す。普通、自分達の年代なら戦い慣れてるといっても魔物に遭遇した事がある程度なのが大半だというのに……セーマの慣れ方はそんな程度のものではなかった。

 セーマがどんな人生を歩んでいたかをリュミエは知らない。そして聞き出す術もわからない。


「あら、そこにいらっしゃるのはリュミエ様」

「はい……?」


 リュミエがセーマの事を考えながら待ちぼうけしていると、校門から出てきた女子生徒に声を掛けられた。

 その女子生徒は何という名前だったか。何度かパーティで見た事のある顔ではあったものの思い出せない。上位クラスで見た顔でもないが、同級生だというのは覚えている。

 その女子生徒の後ろにいる取り巻きはこちらを見てくすくすと嫌な笑みを浮かべていた。

 あまりいい気分ではないが表情には出さない。落ちこぼれと揶揄されているリュミエとて貴族……貴族らしい振る舞いは心得ている。


「何をしてらっしゃるの?」

「友人を待っているんです。一緒に町を回る約束をしていたのですが……体調が優れないのか遅くって」

「ぷっ……友人?」


 聞こえてきた笑いにリュミエは冷ややかな笑みで返す。

 確かに中等部までのリュミエを見ている者にとっては何の冗談かと思ってしまう。利用しようと近付く者はいても、友人と呼べる相手はいなかった。


「どなたですか?」

「セーマという方です」

「セーマとは……噂になっていたあの?」


 噂と聞いてリュミエはぴくっと眉をひそめる。

 もう上位クラス以外にも広まっているのか。貴族の噂話は相変わらず早い。


「リュミエ様、いくらなんでも……付き合う御方は選んだほうがいいのでは?」

「といいますと?」

「先程聞きましたがそのセーマという方……盗みを働いて監獄にいたとか。悪い事は言いません、そんな方は放っておいて私共と町に行きません事?」


 その女子生徒はまるで親切であるかのような物言いで手を差し伸べてくる。

 だがそれは友人としてではなく、体のいい玩具としての誘いにしか思えなかった。

 リュミエをだしにして噂となっているセーマについてを、そしてセーマに騙された人としてリュミエの愚かしさを肴に優雅なティータイムを過ごしたいのだろう。


「お断りします」

「……はい? あんな男を待つ、と? 彼は確か平民……それにこんな噂まで流れるような男ですよ? ろくでもない男なのでしょう……ああ、リュミエ様ったら騙されて可哀想に」


 この人と今日を過ごすくらいなら、ここでセーマに待ちぼうけを食らうほうがましだとリュミエは本気で思った。

 次第にリュミエの冷ややかな視線に気付いたのか、女子生徒の口数が減る。

 それは高等部までおどおどしているだけだったリュミエが見せた事の無いもので。


「私の事はいくら言って頂いて結構……事実、私は竜族の中では落ちこぼれです。ですが、友人を愚弄するのは許しません」

「で、ですが……」

「それとも、ルティルス公爵家の人間として正式に抗議したほうが?」

「……っ! そ、それには及びませんわ。私共は失礼させて頂きます……」

 

 家名を出すとそそくさと女子生徒達は町のほうへと逃げていく。

 家名を出した所で九割ははったり。リュミエの家は竜族の中でも位の高い公爵家だが……落ちこぼれであるリュミエに家の名を使って何かを動かすような力はない。竜族は力ある者しか認めない一族が多いのだ。

 ……それでも、面と向かってセーマの悪口を言われるのに腹が立った。

 自分の時は俯くばかりだったのに、友人のためなら怒れた自分がほんの少し誇らしい。権力とは自分のためでなく誰かのために使うのだと母に教えられたのを思い出した。


「……やっぱり来ないよね」


 明日にはセーマの噂はもっと広まっているだろう。どこまでかはわからないが少し真実も混じっているだろうから尾ヒレも付けたい放題……セーマには少し風当たりの強い学院生活が待っているかもしれない。

 それでも、リュミエは自分と接してくれたセーマの姿を信じる事にした。

 付き合いは短いけれど、少なくとも彼は悪人じゃないと自分の中の何かが訴えているのだから。

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