21.二度目の森
「ぇ……?」
身震いしたくなるほどの肌寒さと湿った土と葉の匂いがリュミエの鼻腔に届く。
目を開けるとそこは
学院の近くに森は無い。近辺で大きい森といえば実習にも使われたメルズ森林区域くらいなものだ。
「こ、こは……?」
体全体が重い。首を動かすと周りには大勢の人がいた。数十人はいるだろうか。
いや、本当に人なのかどうか確証が持てなかった。まるで人形のように微動だにせず、リュミエの周りに大きな円を作るようにただ立っているだけ。
その全員が制服を着ているもリュミエが知らない顔ばかりで……しかしその中には知っている顔もあった。
「アニー……さん……?」
他の人と同じように立っているだけのアニーの名前を呼ぶが反応はない。
数日前に失踪したアニーがこんな所にいるという事は自分も何らかの事件に巻き込まれたのだろう……リュミエは恐怖を押し殺しながら周囲を見渡す。
どうやら自分は木に縛られている。物理的な縄と拘束魔法。
何らかの方法で弱らされているとはいえリュミエは竜族。犯人はどうやら縄だけでは拘束しきれない事をしっかり把握している。
ここにアニーがいるという事は生徒失踪の犯人と同じ犯人なのだろうか。
そんな事を考えている内にゆっくりと足音が聞こえてきた。
「だ……れ……?」
夜に紛れるようなローブを被った人物は何か大きな袋を持ってリュミエのほうに歩いてくる。顔はフードに隠れていて、森の暗さも相まって全く見えない。
円を作っている数十の人々はそのローブの人物が歩いてきても微動だにしなかった。
リュミエはその間も逃げようと身を捩るが体も魔力もうまく動かない。ただの縄くらいならと魔力核を鼓動させるが、微量の魔力しか引き出せず魔術も"神秘"も構築する事ができていなかった。
いくら竜族といえど魔力を使わなければその圧倒的な力は使えない。人型ならばなおさらだ。
("形態変化"もできない……なん、で……?)
リュミエが抵抗を試みている間もローブの人物は淡々と何かの準備を進めている。
袋から何かを一つ取り出して、リュミエの足下へと投げてきた。
「ひっ……!」
それは魔力核……つまりは何かの生き物の心臓だった。
一つ、二つ、三つ四つと円の中で血や保存用の薬剤と一緒にばら撒かれていく。
魔物の魔力核は加工されて魔道具の燃料にしたりと利用するのは珍しくないが、心臓をそのまま使っていたのはリュミエが生まれる遥か前、二百年ほど昔のこと。
しかも、その量が尋常ではない。いくつ……一体いくつ入っているのか。
まるで円の中を埋め尽くすかのように心臓が次々とばら撒かれていく。
「ぁ……。あ……」
暗い森の中。自分を取り囲む異様な人々。そしてばら撒かれる心臓。
あまりにおどろおどろしい光景に幻覚混じりのリュミエの意識は完全に目覚め、同時に恐怖が足元から蟻のように這い上がる。
自分が今から何をされるのか全く想像もつかない。この人達のように意識の無い状態にさせられるのか、それともこの心臓の持ち主のようになるのか。
ローブの人物がリュミエのほうを見るでもなくひたすら作業を続けていた。
「なに、が……何が目的、ですか……?」
目尻に涙を溜めながら声を上げる。
何らかの魔術か"神秘"のせいか魔力が引き出せず体も重い。自分が何をされるかわからないがこのまま見ているだけではリュミエの精神が耐えられなかった。
せめてもの抵抗として選んだのが質問……いや、それしか出来る事がなかった。
ローブの人物はぴくりと少し手を止めるが、すぐに続ける。
「お金……ですか? すい、ません……お金は、私じゃ、どうにも……」
リュミエの声を意に介さず、ローブの人物はただ続ける。
「私、落ちこぼれで……人質にするにはちょっと、向いてなくて……」
袋の中の心臓が無くなったのか、ローブの人物は袋をどこかへ捨てる。
話しかけながらも必死に魔力を引き出そうとするが、リュミエの魔力は一向に動かない。
「あの……周りの人達、どうしちゃったんですか……? 私も、あの円の中に……入るんですか……?」
魔力核から漏れ出る僅かな魔力で下級魔術を構築しようとするが、恐怖のせいか頭の中でイメージにもならなかった。
次の瞬間にはばら撒かれる心臓のようになるかもしれない。円を作っている人達のように意識がなくなったままにされるかもしれない。
リュミエの頭の中はこれから自分がどうなるのかという恐怖と不安で支配されてしまっている。
感情は昂らせても精神は平静に。魔術師は魔術のイメージを常に一定に描ける精神力が無くてはならない……頭ではわかってはいても、実際にやるとなると話は違う。
「え……?」
リュミエの疑問に答えるようにローブの人物が自分の胸を指差す。次にリュミエのほうを指差した。
そしてまた自分の胸へと。自分とリュミエの胸を交互に指差す。
その意味が分かってしまって……そんなはずないと淡い期待を抱きながら、わかってしまった自分の未来を口にした。
「こう……かん……?」
リュミエが言うと、ローブの人物は小さく拍手した。
するとリュミエの周りを囲んでいる数十人も拍手をし始める。その拍手はあまりにまばらで静かな森を狂い乱す不協和音。
心臓を交換する。そんな有り得ない予測が当たってしまった事実とまばらな拍手の音が重なって、今まで恐怖に耐えていたリュミエの精神が崩れていった。
「やだ……やだよぉ……!」
恐怖をせき止めていたように目に溜まっていた涙がボロボロと零れ出す。
冷静に努めようとしていたさっきの姿は見る影もない。
暴れるように体を動かすが、うまく力は出せないまま。拘束魔法のせいで大して動く事も出来ないもどかしさが恐怖を加速させる。
「やっと……やっと、楽しいって……! やっと……学校、行くの……嬉しく、なったのに……こんなの……こんなのってない……! こんなのってないよ……!」
悲痛な叫びは暗闇に溶けていく。
どこかで遠吠えが聞こえた。どこかで虫の音が聞こえた。
それと同じ。夜の森で立つ音はそのことごとくが命の証でしかない。
声に籠った悲しみの意味は獣に届かず、声に込められた絶望は誰にも拾われない。
「誰か……」
――助けて。
そう言いかけてリュミエは口を閉じた。
相手は竜族の自分を拘束して数十人の人間を人形のように操る人物……かなり高位な魔術師だろう。
万が一誰かが来たら巻き込んでしまう。その一心でリュミエは喉元で声を押し殺す。
どれだけ身を捩ってもやはり拘束は解けず、魔力は静まったまま。
涙が頬を濡らし、閉じた口では歯が鳴っている。
寒さではなく恐怖に苛まれて体の震えは止まらない。
ローブの人物が懐から短剣を取り出す。恐怖に耐え切れず、リュミエの口が開く。
「ここに、いられて……楽しかった……のに……」
遺言のような声が暗闇の中に溶け切るその瞬間――
「奇遇だな。俺もだよ」
もう一つの声が暗闇の中から届く。
ローブの人物は即座にリュミエから声のするほうへと振り返る。
隠す気も無い足音。そして声。
涙と絶望でぐちゃぐちゃになった表情に一瞬だけ希望が灯る。
「この学院に来てから俺も楽しかった。噂の時だって誰かが一緒にいてくれて、色々な人が庇ってくれた。人の善意は温かくて……こんなにも心地いい」
ローブの人物が手を掲げると何も無い場所から背丈ほどある杖が現れる。
ローブの人物が現れたその杖を振ると辺りに魔力が広がり、周囲に設置されていたであろう魔道具が光を灯し始めた。
闇夜に包まれた森の中、この辺りだけが照らされて……声の主はその明かりの中に歩を進める。
「けど、そんな善意に酔えるほど優しい人生を送ってもいない。俺は誰よりも人の悪意を知っている。理解を示してくれた全員が必ずしも善人とは限らない」
「セーマ……くん……!?」
黒と白の混じった特徴的な髪。リュミエにとって初めての友人。
ここ二日ほど学院を欠席していたセーマがその姿を現した。
何でここに、そう問う前にリュミエは枯れかけた声で叫ぶ。
「逃げて……! 逃げてセーマくん!! 駄目!!」
セーマは戦い慣れているというのは知っている。だが周囲に広がる光景がそれだけではどうにもできない事を物語っている。
これは高位の魔術師による大規模な儀式型魔術。
数十人を操り、竜族であるリュミエを難なく拘束している事からその腕前は明らか。
戦い慣れてはいても、五年より前の魔術を使えないセーマではそんな魔術師の魔術からは逃れられない。
状況からして自分を助けてに来てくれたのは間違いない。セーマの姿を見て安心したからこそこうして叫べている自分がいるのも認める。
だからこそ、リュミエは自分のためにセーマが犠牲になるのが耐え切れなかった。
「違うだろ。お前が言うべきは
「セーマ……くん……?」
リュミエの忠告を無視してセーマは歩を進める。リュミエにはセーマが言った言葉の意味はわからない。
円を作っている人をどけて円の中へ。
ローブの人物はゆっくりと短刀を懐に戻して杖を構えた。
「こんばんは……また会ったな」
「……」
「え……?」
セーマが親し気に声を掛ける。ローブの人物は応えない。
知り合いなのかとリュミエは困惑を零す。
「一応、リュミエと一緒に行動し始めた俺を最初は警戒してたりもしたんだろ? だからここで実習があった時も人を操って確認しにきた……
「……」
「けど一方で舐めてもいた。善悪は置いておいてあんたは生粋の魔術師だから。あんたからすれば俺なんか話にならない存在だろうよ」
ローブの人物はなおも黙ったまま。
セーマは呆れたようにため息をつく。
「絶対にあんただと確信していたわけじゃない。俺は探偵じゃないからな」
まだ正体を隠せる気でいるローブの人物。
そんな悪あがきを笑うように、セーマはそのローブの下を名指しした。
「だけどあんただろうなとは思っていたよ――ガイゼル・セントバーグ校長」
「え……?」
そんなはずない、と言いたげなリュミエの口から漏れる声。
だが小さな声に含まれた信頼を裏切るように、ローブの人物は真っ黒なフードを脱いだ。
「う……そ……」
「かっかっか……! いやはやどうして……年甲斐もなく
そこにはリュミエを何年も見守り続けていたはずの恩師――ガイゼル・セントバーグが笑っていた。
琥珀色の瞳の中に魔術師としての探究心とどす黒く染め上がった意思を宿して。
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