13.呼び出し

「ガイゼル校長、お連れしました」


 レイリーナに連れられた校長室に入ると薫風のような清涼な空気を肌に感じた。

 厳かな執務室の雰囲気には似つかわしくない空気だが、校長室に入ってその理由はすぐにわかる事となる。

 執務室が一見厳かな雰囲気であり、置かれている机や椅子もその雰囲気に相応しい一品ではあるが床は歴史を感じさせる古めかしい石畳のまま。そして何より目を惹くのは壁だったであろう場所が木に飲み込まれている事だった。その幹を掘って作られた本棚には古い本が並んでおり、少し上を見ればその木から伸びた枝に葉が生えていて天井絵を隠している。


 恐らくは最初からこのような部屋だったわけでないのは違いない。

 そんな歴史ある建物と自然を混ぜ合わせたような校長室の長はどっしりと椅子に座っていてにっこりと柔らかい微笑みを浮かべいた。

 年齢は七十近いだろうか。灰色の髪に立派に蓄えた髭、丸眼鏡の奥にある琥珀色の瞳は年齢らしい温和さと魔術師らしい鋭さを共存させたような強さが残っている。


「ありがとうレイリーナ先生……手間を取らせたの」

「いえそんな事はありません」

「わざわざ来て貰って悪いの。ようこそセーマ、儂の名はガイゼル・セントバーグ……遠慮せずに座ってくれたまえ」

「……はい」


 シェオル王立魔法学院その頂点――校長ガイゼル・セントバーグ。

 この学院に在籍しなくとも魔術師を目指す者ならその大半は彼の名前を知っていておかしくない。

 生命を生み出せない魔術の領域を飛び越え、"樹木魔法"を生み出した魔法使い候補。三人しか現存していない魔法使いの四人目になるかもしれない魔術師。

 正式に魔法認定されればその名はさらに高名なものになるのは間違いないが、魔術師の卵を多く抱える学院のため校長としての業務を優先している人格者としても知られている。

 

「茶は好きかね?」

「お構いなく……」

「確かに、ゆっくりというわけにはいかんな」


 セーマは少し硬くなりながらソファに座る。

 わざわざ校長室に呼ばれたという事は今流れている噂の件に他無い。一日でここまで広まるくらいの噂だ。退学だけは勘弁してくれと心の中で願う。


「安心しろ。校長は君を処分するために呼んだわけではない」


 そんなセーマの様子を察してかソファの傍らに立つレイリーナが声を掛ける。

 セーマが勢いよく振り返るとレイリーナが微笑んでおり、いつの間にか正面のソファに座っていたガイゼルも小さく頷いた。


「君がいたのはドロル監獄……多くの上位貴族は君がいた監獄が違法実験を行っていた実験場だという事を知っている」

「!!」

「荒唐無稽な魔術実験に陶酔した領主が冤罪で実験台を集めた最悪の監獄……実験の失敗によって監獄での事故が起き、監獄の生き残りは救助隊によって救助されたというのがドロル監獄の認識だ。君は当時実験台されていた生き残り……そうだろう?」


 前日に聞いた通り、師匠とその弟子達が乗り込んだという事実は完全に隠蔽されているらしく話には出てこない。

 細部は違えど大体はその通りであり、セーマは小さく頷く。調査した貴族が多くいたという話はどうやら本当のようだった。

 セーマが頷いたのを見てレイリーナは続ける。


「昨日から事実の確認を求める苦情が生徒達から多く届いているが。この学院に犯罪者が混じっているとあればそれは仕方ない。この学院は寮制でもあるからな。

事態を収めるには君を退学にしてしまうのが一見手っ取り早く見えるが……それは学院にとって完全な悪手だ」

「何故ですか?」

「さっきも言ったが、ドロル監獄について事実調査を行った上位貴族は多い。つまり……今回の噂の件で君は完全な被害者だという事を知っている」

「つまりじゃ。君を退学にすれば一時事態は収まるじゃろうが、ドロル監獄の件を知っている上位貴族……伯爵以上の家にこの話が耳に入ればこの学院は事実確認を怠り、我が身可愛さに無実の生徒を切り捨てた無能な教育機関という烙印を押されてもおかしくない状況となるのじゃよ。そうなればそれを口実に学院に群がろうとする貴族共によってややこしくなるのは目に見えておる」


 レイリーナから説明を引き継いだガイゼルが諭すようにセーマの目を見る。


「事実この学院には上位貴族の令息令嬢が大勢いるが、今回の件についてはほとんどが静観していて苦情も少なくての。すでに貴族としてどう立ち回るべきかを理解して実行しておるんじゃろうな……事態が落ち着いた後、何も知らずに君や学院を糾弾した家を名指しで批判し、その名を貶めて権威を一気に削ぐためじゃろう。特に事業の同業者を狙ってな」

「貴族こわ……」

「かっかっか! そのくらいのしたたかさが無ければ貴族と魔術師どちらの道も両立するなどできんからの!」


 セーマは学院側が自分を処分する気が無いのがわかって安堵する。

 生徒間のトラブルはともかく、学院側の決定はセーマがどう立ち回ろうが覆せないのもあって打つ手が無かったので一先ず安心と言える。


「じゃが、学院側から表立って君を庇うわけにもいかぬ。今君を庇っても火に油となるのは目に見えとるからの。今回わざわざ呼び出したのは君を処分する気は無いというのを伝えたかったのと、君を呼び出した事で学院側が事実調査をしたという事実をわかりやすくアピールするためじゃ。いずれ噂が落ち着いた頃に学院の権威を保つためのな」

「いえ退学にならないとわかっただけありがたいです」

「そうか……君にとっては苦い記憶であろう監獄での事を言われるのは辛いじゃろうが……」

「……あの日々以上に辛い事なんてあるはずがない」


 セーマがそう断言すると、校長室の清涼な空気が一気に張り詰める。

 正面に座るガイゼルも傍らに立つレイリーナも一瞬固まるくらい、セーマの言葉にはそう思わせるだけの実感があった。

 つい黒と白の髪が混じったセーマの頭が二人の目に入る。精神的負荷で一時は真っ白だった髪だ。


「わざわざ説明して頂いてありがとうございました。退学になるかもと不安だったので……少し楽になりました。レイリーナ先生もありがとうございます」

「あ、ああ……君は先日の実習でも優秀だったからな。事件の被害者でかつそんな生徒を追い出しては学院としても損失だ。気にする事はない」

「森に慣れてただけですよ……それじゃあ失礼します」

「ああ、ガイゼル校長……退出させても?」

「ああ、話す事は話したからの。構わんよ」


 セーマが一礼して立ち上がるとガイゼルも立ち上がる。


「あの堅物のレイリーナ先生に優秀と言わせるとは……あの実験は悲惨なものだったと聞くが、一応効果もあったのかね?」

「いえ、むしろ逆というか……自分は実験の年より前に生まれている魔術が一切使えないんです」

「なに?」

「なんと……」


 セーマの事情に言葉を失う二人。

 先人が開発した魔術が使えないというのがどれだけ致命的か、魔術師として名を馳せる二人だからこそ重い現実だというのがわかる。


「まぁ、実験の前には魔術の才がそもそもなかった可能性もあるので……正直わからないですね。今は何とか自分で術式を組んで頑張ってます」

「そうか……困った事があればレイリーナ先生に相談するといい。彼女は元宮廷魔術師だったからの、この学院の中でも飛び切り優秀な教師じゃ」

「恐縮です」

「お気遣いありがとうございます。それでは失礼します」


 校長室に出る前もガイゼルに一礼するセーマ。

 手を振るガイゼルに見送られながらセーマは校長室を後にした。

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