第18話 睡眠薬

 近づいてきたセシリアをヒューホは歓迎する。


「セシリア様、お会いしたかったです。あの後、待っていたのですが、再度お会いすることが叶わ――」


「ヒューホ様。私を馬鹿にするのはそこまでにしてください。貴方がダンスの後にご友人と何を話していたか知っていますよ」


 セシリアは睨み付けながら、ヒューホの話を遮る。

 この時、努めて平静にしているセシリアからにじみ出る怒りに気付き、笑顔だったヒューホの顔が固まった。そして、慌てたように首を振る。


「あ、あれは周りが勝手に言っていただけで、私の本心ではなく、その、貴女のことが本当に――」


「私はすでにテオフィリュス様の妻です。それ以上言うのであれば正式に国へ抗議いたします」


 再び話を遮るセシリア。

 それを聞いて、ヒューホはぐっと口をつぐんだ。しかし、周囲の者の目があるため、再度慌てたように口を開いた。


「そ、それよりも、テオフィリュス・ヴォルテルス・バハムル王子殿下が呼んで……」


 今度は、会場のどよめきによって遮られる。セシリアが競技場を見ると、軽々と輪をくぐり抜けていく選手の姿が見えた。

 特にカーブでもほとんど減速せずに飛ぶ姿は観客をハラハラとさせるくらいだ。箒と一体になったかのような巧みな箒使いは今までにない。


(すごい! こんなに巧みに箒を操作……あれっ? もしかしてテオフィリュス様!?)


 ぐんぐん進み、上へと登ってくる姿はテオフィリュスに間違いなかった。

 テオフィリュスが呼んでいるはずなのに、何事もなく競技に出ている。


(どうして?)

 

 疑問に思いヒューホに目を向けた。

 ヒューホは薄い緑色の液体が入ったビンを取り出して、それをセシリアの方へ向けているところだ。

 そのビンには液体を噴霧する理術道具がついており、セシリアも見覚えがあるものだった。


(まさかっ!?)

 

 周囲にいた兵士たちが瞬時にセシリアを引いて下がらせたことで、直接かかることはなかったが、蒸気となって霧の様に漂う。

 すると、ヒューホを捕まえようとした兵士たちが、ぐらりと力が抜けるように膝をつき倒れた。

 それを見てセシリアはすぐに気づく。薄い緑の薬品はいくつもあるが、こんな効果を示すものは強力な睡眠薬しかない。


「セシリア様下がってください!」


「蒸気を吸い込まないように気をつけて!」


 注意はしたが、セシリアを守ろうと前に出た兵士はすでに遅く、次々に倒れていく。ヒューホの周りやリルムガルド側の兵士を止めていた者たちも倒れた。一気に騒然とする周囲。

  第一王子の近くにいた兵士は武器を構えて、警護を固める。最も守るべきものは第一王子。セシリアへの警護の意識は遅れた。

 セシリアの回りに守る者はいない。

 息を止めつつ逃げようとしたセシリアも、ふらっときて椅子に右手を付く。


(ほとんど吸ってないはずのにこれって、まさか妹の――!)


 すると、ヒューホがセシリアの左手を掴んだ。

 そのゾワリとする感覚に身を引くが掴んだ手は離れず、むしろ引っ張られた。

 その後ろからは、ヒューホ側の兵士が倒れた護衛たちを乗り越えてくる。


(この!)


 セシリアはぐっと踏み込んで掴まれた腕を振り上げる。左手には箒があり、ヒューホは手を離して「うわっ!」と避けた。


(最後まで耐えてやる……!)


 セシリアは息をするごとに急激に強まる眠気をこらえながら、箒を武器のように構える。

 戦い方も知らないセシリアがただの箒を構えたところで屈強な兵士に勝てるわけがない。飛べない魔女のセシリアが箒で出きることなど、ほとんどないのだ。

 そもそも眠気でもう立つのがやっとのような状態である。呆気なく掴まるだろう。

 それでも、箒を構えて鬼気迫る表情で睨み付けることで、再び手を伸ばすヒューホを一瞬怯ませた。


 そのわずかにできた一瞬。


 そこに割り込む影。

 テオフィリュスだと気づいた時にはすでにテオフィリュスの足がヒューホの肩に突き刺さっていた。ゴキッと嫌な音を響かせつつ、ヒューホは衝撃で観客席に激突する。

 テオフィリュスは箒を降りて今にも倒れそうなセシリアのそばに立った。


(テオフィリュス様……!)


「この者が眠気を覚ます薬を持っているはずです」 


 セシリアはテオフィリュスに力を振り絞って伝える。

 睡眠薬を噴霧していたヒューホも少しは吸ってしまうはずだ。それなのに平然とセシリアを掴んだということは気付け薬を使っていたのだろうと考えた。


「わかった。アルヤン! そいつを捕らえ、持ち物を調べろ!」


 テオフィリュスが動いたことで、バハムルの兵士が続々と続き、ヒューホを守る兵士と対峙する。

 そこで、騒ぎを聞きつけたリルムガルド王国の兵士が飛んできた。他の兵士も登ってくる。

 トップであるヒューホは気絶して、包囲された状態に観念したのか、兵士たちは投降し始めた。

 

「遅くなってすまない、セシリア」


 その間、ずっとセシリアの隣にいたテオフィリュスは、まだ周囲を警戒しながら言った。


「いえ、ありがと……」


 気が抜けたからか、セシリアは最後まで言いきることができず、ふらりと体が揺れる。

 箒で支えようとしたが、その箒を持つ手に力が入らない。


(あ、倒れる……!)


 そう思った時、ぐっと体が止まった。

 テオフィリュスの腕に支えられている。

 ヒューホに触れられた時はあれほど嫌悪感があったのに、今はより密着しているのに全くない。むしろ安心感があった。

 ダンスの時とはまた異なる感覚に戸惑う。


(どうして?)

 

 そんな少し場違いな疑問が浮かぶのを最後に、セシリアの意識は途切れるのであった。

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