第6話 使用人
「ふぅ、思ったより入らないものね」
セシリアの引っ越しの準備はすぐに終わった。いつでも出られるように片付けて準備していたからだ。
本当に逃げ出したら追われる身になり、おそらくすぐに捕まってしまう。でも、いつでも逃げ出せるように準備するだけで心が落ち着いた。
これは、もう家を出ていきたいという気持ちを落ち着けたい時に使うセシリアおすすめの行動である。
でも、セシリアにそんなことを伝える相手はいなかったし、そもそもそんな状況におちいっている人なんてなかなかいないだろう。
(本当は鞄一つで行けると思ったんだけどな)
持ち物は少ないのですぐに済むだろうと思っていたが、当面の服だけで鞄一つがいっぱいになり、研究ノートや小物などを入れる鞄が必要になった。
旅行などもしないので荷物がどれくらいになるのかも検討がつかなかったのだ。
(さて、ここともお別れか)
自室の隣にある研究室を見ながら、セシリアは少し寂しい気持ちになる。
そこは長年生活し研究を続けてきた場所だ。自室では食事と睡眠くらいしかしないので、研究室が自分の部屋と言っても過言ではない。
(よし! 行こう!)
ガチャリとドアを開けると執事が待っており、その両脇には二人の女性騎士が控えていた。
「お荷物はこちらですか?」
「えぇ、そうですわ」
(びっくりしたぁ)
執事が待っていることをすっかり忘れており、部屋の前で誰かが待っているという経験も少なかったのだ。
「お運びいたしますが、あとはどちらに?」
「その二つで全てですわ」
執事は「はっ?」と声を漏らして、すぐに頭を下げる。
「失礼いたしました。この二つで全て、で間違いありませんか?」
「あとは箒くらいでしょうか。これは私が持ちます。自分の持ち物はこれくらいで、あとはルクエット家の物です」
「……そうでしたか。では参りましょう。本日はテオフィリュス殿下より、宿へお連れするようにと伝えられております」
「そう。それでは案内していただけるかしら」
「かしこまりました」
(なんだか落ち着かないわね。上手く振る舞えているかしら)
この家で使用人はセシリアに対して必要最低限のことしかしていなかった。
使用人によっては言葉使いさえ雑になっていたくらいで、ここまで畏まられると落ち着かない気分になる。
ルクエット家なのにバハムル家の執事に案内されて外に停まっていた馬車に乗り込む。
(でも第三王子殿下の妻になるのだから当然よね。早く慣れないといけないわ。お飾りでも妻は妻だもの)
セシリアはテオフィルスのことをビジネスパートナーのように考えていた。
自分を家から出して、より自由に暮らせるようにしてもらう。代わりに妻として演じ、魔術研究の仕事をする。
(正直なところ魔術研究は苦じゃないからいいし、問題は王子殿下の妻が務まるかってことよね)
セシリアがルクエット家で魔術薬の原料作りの合間に魔術研究を行っていたのは求められたものではない。息抜きも兼ねて自分からしていたことだった。
魔術研究は上手くいかないことばかりだけれど、その分上手くいった時は喜んだ。それに、セシリアの中には少しでも自分が魔術を使えるようになりたいという思いもあった。
なので、心配することと言えば王子殿下の妻としての振る舞いだけである。
(まぁ務まらなかったら追い出されるだけだろうし。それならそれで自由だわ。でも、その時のために準備はしておかなきゃね。給金の交渉をしないと。お金なしで追い出されたら大変だもの。でも、住まわせてもらっておいて贅沢すぎるかしら。その分働けば許されるかな)
馬車は、新たな生活に期待と不安を入り交じらせたセシリアを乗せて宿に着く。
(さすがに高級宿ね。詳しくはないけど、こんなところ初めて泊まるわ)
セシリアはそんなことを考えながら導かれるままに部屋に連れられ、侍女が二人つく。
「入浴はなさいますか?」
「えっ? ……はい! します!」
(ここってお風呂までついてるんだ。さすがね)
リルムガルト王国には入浴の習慣がない。水がそこまで豊富ではないからだ。
貴族なら頻繁に入浴する者もいるが、セシリアは体を拭くだけのことが多い。
でも、セシリアはお風呂が好きだった。
「それではこちらへどうぞ」
「湯浴み着に替えさせていただきます」
服を脱がされそうになったところでハッと気づき、ぎゅっと服を掴んで止める。
貴族であればお風呂にいれてもらうのが普通だが、セシリアは慣れておらず、恥ずかしさが先にくる。
「あ、あのっ、自分でやるので大丈夫です」
セシリアの少し赤くなった顔を見て、侍女二人はアイコンタクトをかわす。
「かしこまりました」
「何かご不便がございましたらお申し付けください」
「うん、ありがとう」
そっとドアが閉まり一人きりになったセシリアは「ふぅ」と一息つくのであった。
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