第7話 浴室
(慣れるには時間がかかりそうね……でも、お風呂よ! しかも浴槽まである!)
タイル貼りの浴室は湯気が立ち込め、浴槽に湯が張られており、石鹸も完備されている。
(この石鹸、いい香りがする!)
いい香りがすると気分が上がってくる。歌い出したいくらいの気分になったけれど、外で控えている侍女に聞かれてはいけない。小さな鼻歌を奏でる。
そして、全身を洗い流して浴槽に入ると極楽だ。じんわりと温もりに包まれる感じが好きだった。
(ほんとにいいリフレッシュになるわ。これで交渉が駄目だったとしてもまだ頑張れそう)
セシリアはパチャパチャと湯を手でまぜながら考える。
(それにしても結婚かぁ。まさか今になってするとはね。昔は憧れた時期もあったけれど。今となってはね)
結婚を考えるのは学園を卒業して数年後が多い。二十歳までの間は自分を見初めてくれる人を夢見ることはあった。
そこから二十五歳までの間は、諦めたと思いつつも、もしかしたら自分のことを助け出してくれる人がいるかもしれないと心の隅に思っていた。
そして、二十五歳を超えてからは一人で自立して生きることを目標にした。なんとかして外との接点を持ち、国外に逃げる。まるで夢物語のようなものではあったが、今回結婚を申し込めたのだから、その妄想も無駄ではなかった。
(想定外だったのは相手が王族だったってことよね。付き添いって言うから近衛騎士、その中でもふらふらとしていられて魔術具にも詳しそうだったから、騎士団所属の調薬術士かなにかだと思ったのに)
プロポーズをしたのは勢いもあったけれど、全く考えなしにしたことでもなかった。
これまでの生活の中で結婚することで家を出る計画を考えたことがある。
ただ、国内の貴族に当てはなく、国外の人とは会う機会もない。一応魔女であるため、国内の平民と結婚することもできない。
そもそも引きこもりで相手がいないのでどうしようもなかった。
近衛騎士であれば貴族出身の可能性が高く、いざとなれば逃げることも可能かと考えていた。
それが王子となると難しい。
どうにかして無難に生活するか円満に離婚するしかない。
(バハムル王国の、しかも王族の生活ってどんな感じなんだろう。馴染めたらいいんだけど、王族でしょ? 馴染める気がしないわ)
セシリアも高位貴族ではあるけれど、生活水準は末端貴族よりも低い。
セシリアが子供の頃は貴族としての教育を受けていたが、当時のルクエット家は中位貴族だった。
王族として生きていける気がしなかった。
(あれっ? これもしかしてお湯を出す魔術具? へぇーこんなタイプは初めて見た。どうやって使うのかな?)
口を開けた猫の置物がバスタブに置かれており、セシリアは好奇心で触ってみる。
すると、猫の右手がカチッと動き、口から勢いよく湯が出てきた。
それが思いっきり顔に直撃し「ブファッ」と言いながら背ける。
「セシリア様! いかがいたしましたか!?」
バシャバシャと浴室で音を立てているため、心配した侍女が声をかけた。
セシリアは「大丈夫よ!」と声を返す。
(びっくりしたぁ。右手を下げたらお湯が出るのね。あっ、早く止めなきゃ)
セシリアはもう一度右手を押してみるが止まらない。
(えっ? じゃあ左手、は動かない? あれ?)
浴槽のお湯はもともとたっぷりと入っていたので、このままだとすぐに溢れてしまうだろう。
(じゃあ頭? あれっ? 右手を上、も無理? 左手は? えっ、ちょっと、どうやったら止まるの!?)
「ごめんなさい! ちょっと、これを!」
「どうなさいましたか!?」
侍女が入って見たのはあわてふためくセシリアの姿だった。
「あのっ! お湯が止まらなくて! ごめんなさい!」
「……あっ、はい。お止めいたします」
侍女は浴槽に近づいて猫の尻尾をグッと引っ張る。するとピタリとお湯が止まった。
セシリアはそれを見てホッとする。
「ありがとうございます。すみません、慌ててしまって」
「いえ、事前に説明すべきところを失念しておりました。申し訳ありません」
「いやいやいや私が勝手に触ってしまっただけで急に呼んでしまって……ひゃあ!」
セシリアは自分が裸でいることに気づいてザブンと湯に漬かる。
すると、ザバァと湯が溢れだして、侍女の足元を濡らした。
「あっ! ごめんなさいっ! 濡らしちゃって。なんだかもうほんとにすみません」
素が出て慌てふためくセシリアを見ても侍女は冷静だ。
「いえ、何か他にお手伝いすることはありますか?」
「あっもう出ますので大丈夫です」
「かしこまりました。タオルとローブをお持ちします」
セシリアはタオルも何も持ってなかったことに気づいて、小さく「ありがとうございます」と答えた。
(あぁー本当に情けない。そもそも引きこもっていた私が王族の妻なんて無理なのよ)
「ここに置きますのでお使いください。失礼いたします」
侍女はタオルとローブが入った籠をおいて出ていった。
(というか、侍女の方が私より堂々としてるんじゃ……)
タオルで適当に拭き、ローブを着て出ていくと「こちらにお座りください」と有無を言わせぬように座らされる。
「えっと、何を?」
「髪を手入れいたします」
そういって櫛を通そうとするが、すぐに手が止まる。
「髪を洗う時、石鹸を使われましたか?」
「えっと、使いましたが……」
(もしかして使っちゃいけなかったの?)
「髪には髪用の物がありますので次からはそちらをお使いください」
「はい、すみません……」
(次があるかはわからないけど覚えておこう……)
「謝る必要などありません。貴女様は堂々と過ごしてください。ご説明するべきことをしていなかった私どもに責任があります。誠に申し訳ありませんでした」
(あぁ、申し訳ない。でも堂々と、王子の妻っぽい感じで……)
「わかったわ。ありがとう……貴女の名前は?」
「私はリシェ・レンネス、もう一人はイナ・スヘンデルと申します」
「私はセシリア・ルクエットよ。ありがとう、リシェ」
「セシリア様。使用人にまで名乗る必要はありません」
「うぐっ」
「挨拶は高位貴族様に対してのみとなります。また、我々の仕事にお礼は必要ありません」
(そういえばバハムル王国は上下関係が厳しかったわね。気が重くなるわ)
「わかったわ。外では気をつけるわね」
逆に言うと外でしか気を付けないということだが、リシェはそこを指摘せずに頭を下げた。
「差し出がましいことを言い、申し訳ありません」
「リシェ、もう少し気軽に話すことはできる?」
「気軽に、ですか?」
「そうよ。もし上手くいけば私はバハムル王国に行くことになって、わからないことばかりになると思うの。きっとたくさん指摘を受けなきゃいけない、いえ、たくさん指摘を受けたい。でも、その度に申し訳なさそうにされたら気が滅入るでしょ?」
「ですが、私は専属でもない下級侍女ですので。私から指摘する、ということは失礼にあたります」
「難しいのね。じゃあ私と同じ部屋にいるときはリシェが専属侍女ってことでどう?」
リシェはきょとんとした後、何と答えるべきかを悩んで固まった。
その時、イナが浴室から出てきて一礼をする。
「ご用意ができました。どうぞお入りください」
セシリアはリシェに「それじゃあよろしくね」と言って浴室に入った。
そこには簡易ベッドが置かれており、セシリアはそのまま寝かされる。
「それでは頭のマッサージと髪の手入れをいたします」
(うわっ、これ、気持ちいい! 頭のマッサージってこんなにいいんだ……!)
「いかがでしょうか」
「最高よ。イナ、貴女も専属侍女だわ」
突然の言葉にイナは目を丸くしながらも、マッサージは止めなかった。
(お風呂にマッサージなんて贅沢ができるなら結婚もいいかも……)
セシリアはそんな現金なことを考えながら、徐々に意識が遠ざかるのであった。
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