第14話 翌朝
セシリアが朝起きた時、テオフィリュスの姿はなかった。
朝が弱いわけではないが、セシリアは引きこもりである。前日は結婚式をして、長時間馬車に揺られ、テオフィリュスと二人で緊張し、夜更けまで作業をしていたのだ。
体力的にも精神的にも削られて多少朝寝坊をするくらいは仕方がないだろう。
(あれっ? 昨晩ベッドで寝たっけ? まさか――)
昨晩、先にテオフィリュスにお風呂に入ってもらい、セシリアは椅子で箒の改良を完成させた。そして、一息ついて椅子にもたれたところで記憶が途切れている。
意識を失ったセシリアをテオフィリュスがベッドに寝かせてくれたのだ。
(テオフィリュス様に運ばせた? しかも体を拭くことすらせずに汚れたままの私を? 結婚後初の夜に? さすがにそれは最悪なのでは……?)
リムルガルド王国では風呂に入らなくてもそれほど問題ではないし、セシリアは研究室で寝落ちすることもしばしばあった。しかし、バハムル王国では毎日入浴することが一般的であり、そのことをセシリアは知っている。結婚初夜に風呂にも入らずソファで寝落ちしている姿を見てテオフィリュスはどう思っただろうか。
寝起きの頭でそんなことを想像し、頭を抱えているとノックが鳴った。
「失礼いたします」
入ってきたのは先日専属侍女に任命したリシェである。
「セシリア様。おはようございます」
「ええ、おはよう、リシェ」
(そういえば昨日もこんな感じだったよね? 朝に弱いやつだと思われてる? 昨日よりも酷い状態だし!)
そんな心の声が伝わったかのように「お風呂の準備はできております」とリシェが言った。
(まぁ汚いもんね……お風呂には入りたかったけれど、複雑な気分だわ……)
とはいえ風呂好きのセシリアはしっかりと堪能してから出る。
そして、身支度をしたら朝食だ。
そこにはすでにテオフィリュスが待っていた。
「おはよう、セシリア」
「おはようございます、テオフィリュス様。昨日は申し訳ありませんでした」
早速頭を下げるセシリアにテオフィリュスは首を振る。
「いや、こちらこそすまなかった。箒の改良をさせてしまって。疲れていたのだろう?」
「私から言い出したことですし、自分でも気づいていなかったので」
「昨日のことを思えば疲れるのは当然だ。俺が気にかけるべきだった。と、リシェから注意を受けてしまったよ」
セシリアが「えっ?」とリシェを見ると、深々と頭を下げていた。入浴もせずに寝てしまったことをリシェに伝えた際に、テオフィリュスは苦言を呈されたのである。
「頭を上げてくれ。セシリアのことは大事にしたいと思っている。だが、俺では気づかないことも多いからな。そのような時は注意をもらえると助かる」
(リシェが言ってくれたの? 殿下に?)
下級使用人ということでセシリアにも遠慮していたリシェだ。テオフィリュスに意見するのは勇気がいることだろう。
それがわかったセシリアは片付けのために浴室へ向かうリシェに声をかける。
「ありがとう、リシェ。私も次から気をつけるわ」
(というより、私自身の管理が甘いだけなのに申し訳ない。ちゃんとしないと)
リシェは一礼をして今度こそ部屋を出ていった。
「まずは食事にしようか。そこに座るといい」
「失礼します」
ダイニングテーブルにはすでに料理が用意されている。ハムやスクランブルエッグ、果物などが並び、その中でも一際種類が多いのがパンだ。パンだけで十種類以上あった。
(バハムル王国ではこれが普通なのかしら。うわっ、ふわっふわのパン! 軽い!)
パンの種類などは良くわからないので、テオフィリュスの指示で置いてくれた小さく丸いパンを手に取り、その手触りだけで感動する。
幼少期は柔らかいパンを食べていたが、普段は良く乾燥した硬いパンやずっしりと中のつまったようなパンを食べていた。
それらとは雲泥の差である。
(バターの風味がしっかりとあってほんのりと甘い。ふわふわなのにしっとりで、いくらでも食べられそう)
そのままパンを食べきったセシリアは、テオフィリュスが見ていることに気がつく。
「あの、どうかしましたか?」
「なにもないさ。パンのままでもいいが、こうしてハムなどを挟むのも旨い。試してみるか?」
「あっ、美味しそう。やってみます」
自分でしようとするセシリアを止めて、テオフィリュスが給仕に指示を出して同じものを作らせる。
綺麗に挟んで一口サイズに切ってくれる給仕を見て、伸ばした手を戻す。
(そうだった。そのために給仕の方がついてるんだから頼まないと。うーん、これに慣れるかなぁ)
そうして食事を進めていると、執事が今日の予定を話してくれる。
王国で最も栄えた町なので、一日かけて見て回る予定だ。それに町で行われる競技会の開催日であり、観覧の予定もあった。
「それで、競技会に俺も出ることになったんだ」
その急な話にセシリアは目をぱちくりとさせる。
「テオフィリュス様が、ですか?」
「俺も魔法使いなんだが、そんなに出場するのが不思議か?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「リルムガルド王国の魔法使いのレベルは高いとわかっているぞ。だからこそ、バハムル王国の力がどれほどか試してみないとな。それに、今はこいつがいる」
テオフィリュスがスッと持ち上げたのは昨晩作った箒であった。
「一応は完成しましたけど、まだ調整が必要ですよ」
「そうなのか? 全く問題なく使えたが」
「もう乗ったんですか!?」
「今朝ひとっ飛びしてきた。これはかなり乗りやすいな。理力の流れがすっきりとしている感覚だ」
「それはよかったですが、理力の流れ、ですか? 昨日お話にあったものですよね? 感じることはできないのではなかったですか?」
リルムガルド王国では理力という言葉を聞いたことがなく、昨日の馬車の中でテオフィリュスから教えてもらったことだ。
魔術を用いる時、魔術環という道具が重要になるのだが、そこに魔力を流すことで発生する理力が様々な現象を引き起こしている、とバハムル王国では考えられている。
そして、魔力の流れは感じられても、副次的に流れる理力はわからない。そのはずだった。
「そうなんだが、魔力の流れ方で何となく分かるんだ。理力を意識すると、魔力の流れに揺らぎが感じられる。それが理力の流れに繋がっている、という最新の研究があってな。どうも確からしいのだ」
「それは興味深いですね。魔力の流れの揺らぎを検知する魔術道具、いえ理術道具があれば、理力の流れもわかりますか?」
「ふむ、なるほど。それはいい考えだが、課題はどうやって検知するかだな」
「光の理術道具はいかがですか? あれなら簡単に作れますし」
「光の強さで揺らぎを表せるかどうか。できれば数値でほしいな。魔法抵抗の強い――」
「テオフィリュス王子殿下、セシリア様、まずはお食事をお願いいたします」
テオフィリュスの隣にいた執事が丁寧かつ有無を言わせない強さで言い、セシリアはハッとして慌ててパンをぱくりと食べるのであった。
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