最後の砦たる神からみた結末は


 絹のような白銀の長髪が熱が籠もった風でゆらりと揺れ、虹色の瞳で地に伏せた赤竜を見つめる尊い御方。

 血溜まりの中、足元が汚れるのも気にされない様子で赤竜に近づくと、永久に動かぬその瞼を閉じさせ、そっと頭を撫でる。

 赤竜の手には、琥珀の玉が握られたまま。中を伺うと、琥珀の中にひとりの女性が丸まっている。まるで、眠っているかのように。


「…ごめんな。思い出すのが遅くなってしまって」


 私からすればなぜそのように赤竜に声をかけるのかが分からない。

 だが、かの御方はひどく後悔されているようだった。


 この邪竜となった赤竜の周囲は荒廃した土地となってしまった。

 本来であれば、豊かな森だったのだ。

 視線を遠くに移せば、美しい稜線があった山々は無惨な姿になっており、動物たちの姿も見えない。

 木々すらも息絶えたこの大地に、かの御方と私は立っている。


 …ああ。いや。

 この大地にはもう、生きているものは何ひとつない。

 辛うじて南方にある小さな大陸に生き残っている者たちはいるが、そこからかつての世界のようになるにはどれほどの年月が必要になるだろうか。


 その考えを読まれたのか、私が声に出していたのか。

 かの御方は「もう手遅れだ」と呟いた。


「こちらのモンスターが死に絶えた反動であちらの大陸のモンスターたちの数が数倍以上膨れ上がり、活発化している。我々がどう手を尽くそうが、貸そうが、未来はない。等しく死に絶えるだろう」

「……それでは…」


 かの御方が立ち上がり、空を見上げた。

 悔しいほどに美しく、きれいな青空がそこに広がっている。


 

 半数の同胞は目の前の赤竜に喰われた。残り半数は我々を信仰する者たちが激減したため、消えてしまった。

 私だけが残っている。私もいつ消えるかといったところだ。

 唯一、この御方だけは信仰に関係なく存在できる。つまり、この御方だけがこの荒廃した世界に取り残されるということ。


 かの御方が私に振り返る。

 はらはらと静かに涙を零すかの御方。

 紡がれた願いの言葉は、震えていた。


「―― どうか、力を貸してくれないか。お前に苦労をかけることは分かっている。お前の命を削ることになるのも分かっている。その力を持たせたのは俺だ。愚かだと分かっている、それでも…それでも、どうか」

「……どうぞ私をお使いくださいませ、エレヴェド様お父様。私はきっと、このような事態をどうにかするために生まれてきたのです。あなたのためならば、私はこの命尽きるまで何度でも力を使いましょう」


 時を司る女神である私は、この世界の急激な崩壊を防ぐための最後の砦。

 時を戻し、分岐点からやり直すためのもの。


 両腕を伸ばし、私を抱き締めてくださったエレヴェド様お父様。悠久の時を生きる尊い御方。いつも朗らかで、我々神々を我が子のように慈しんでくださった方。


 ―― ただの、異世界人であったお父様。


 ただの一度も使われてこなかった時を戻す力。

 お父様はどんなに世界が混乱してもこの力を私に使わせることはなかった。

 使われることがないことを強く願うと、創世以来、ただ見守りに徹していたけれど、今はそうも言っていられない。


 この力を使えば、私はお父様以外から存在を忘れられ、ダンジョンに封じ込められる。これは一度力を使うと私の魂の一部が使われてしまうため、それを回復させるためのものだ。

 恐らくお父様でさえ、私の封印場所は分からないだろう。

 悠久の孤独に苛まれるかもしれない。正直怖い。


 それでも、私はお父様のために力を使うと決めた。

 



 お父様、どうか、巻き戻った時間では幸せになってください。

 ここではお父様の憂いを晴らせませんでした。

 それでも、ただの端役ですらない我々すらも愛してくださった。

 この世界を作るときに参考にした物語に引っ張られずに生きてほしいと願われたお父様。


「必ず、迎えに行く」

「…はい。お待ちしております」




 祈ります。あなたのために祈ります。

 どうか、次の時間ではあなたの憂いが晴れて、いつの日か「幸せだ」と笑えますよう。

 待っています。



 ずっと。待っています。












「―― とまあ、一件落着したわけだ。やっぱり富長を呼んで正解だった。あいつ、対人能力は限定的過ぎなんだが意外と行動力があったから絶対いけると思ったんだ」


 声が聞こえる。

 お父様の声。


「ちらほらと地球からの転生者がいるけど、まあそこまで多いもんじゃないから放置してる。やっぱこの世界と相性いいのかね。あまりにも多くなったら対処考えないとなあ」


 今まで動かなかった瞼が動きそうだ。

 ゆっくり、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 最初はぼやけていた視界だったけれど、やがて鮮明になって ―― 驚いたお父様のお顔が見える。


「……いつ、お迎えに?」

「…ついこの前だよ。小説が始まる四年前の時間軸に巻き戻ってすぐ探し始めたんだが、巻き戻った影響かな。いるはずのお前がいないことに皆気づいていなかった。全員で探してもらって、ようやくこの前アスガルドが不自然なダンジョンがあるのを見つけてくれた。そこの最深部にお前がいたんだ」


 ああ、大地を司るアスガルドお兄様が、時を巻き戻す力を使ったら閉じ込められるダンジョンを見つけてくださったのか。

 お姉様方も、お兄様方も、天に地、海に山と駆けずり回って探してくださったらしい。あとでお礼を言わなくては。


 頭を撫でられて、その心地よさに目を閉じる。

 もう一度目を開ければ、お父様はボロボロと涙を零しながら、笑って。



「―― おはよう、俺の可愛い、時の女神クロウディア。おかえり」

「…はい、ただいま、戻りました。お父様」








 Fin.

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