どうか幸せに

 案の定、夜会で事が起きた。

 神が仰っていた「潮目が変わる」とは、このことだろう。


 だが、陛下はおろかカタリナ様までヤージェ様をご存知ないとは、どれだけ甘やかされていたのか。

 側妃であれ、覚えるべきことは山のようにある。そのうちのひとつであることは確かだし、そもそもヤージェ様を知らぬ者はよほどの山奥にいる者か、海の底にいる者など国際情勢を知る機会がない者だけだ。

 陛下はどうして分からなかったのか。王太子時代の勉学など、すでに頭から抜け落ちてしまっているのか。

 それほど、ヤージェ様は裁判官として立派な方だと全世界に知れ渡っているのだから。


 カタリナ様が陛下に詰め寄る。陛下から助けを求めるような視線を受けたが、私は瞳を閉じて拒絶した。


 王家の呪いについては、本来であれば結婚した際に陛下からステファニー様、カタリナ様へ告げられるべき内容だった。

 けれど陛下はそれを忘れたのだろう。ステファニー様との初夜当日、さっさと部屋から出ていったこと、その後私がそれとなくステファニー様やカタリナ様に探りを入れても彼女らは知らないようだったから…私は、黙っていたのだ。


 今思えば、あの王と王妃が離婚できぬと定められた法律は、王家の呪いを知った人間を逃さぬためのものだったのだろう。

 だが海洋貿易の要と自負するこの国で、国際条約の批准国とならないのは利益にならない。

 海洋貿易は隣国のグリジア皇国でもできる。古く、長く発展してきたのが我が国なだけで、同様に海に面しているグリジア皇国でも代替が効くからこそ、苦肉の策としてあのような法律書を作成してしまったのだろう。


 他国でも、国の内情を把握している王妃が離婚する際は慎重になるケースが多い。

 戦乱の世ではないにせよ、他国に知られたくない情報はどこの国でもあるものだから。

 だが神殿に赴き、真名の誓約を使えばそのようなことは些事になる。真名の誓約を違えるとエレヴェド様から神罰が与えられるのだから、守らぬ者などいない。


 過去にエレヴェド様を愚弄した国だからこそ、このような手段を取ったと推測できる。



「皆々様。この度はご迷惑をおかけいたしました」


 口論を始めた陛下とカタリナ様を横目に、ステファニー様がカーテシーを行い、周囲の招待客へ謝辞を述べる。

 動き出したのを見て、私はこっそりステファニー様の声が会場全体に通りやすいよう、拡声の魔法をかけた。ステファニー様の声に言い合いをしていた陛下とカタリナ様もハッとして押し黙る。


「我々は一度下がりますが、どうぞ料理をお召し上がりになり、ご歓談くださいませ。特に料理は我が王宮料理人が腕を振るった自慢の料理です。どうぞご賞味の上、気になることがありましたらお近くの給仕にお声がけください」


 ステファニー様はにこりと微笑んだ。

 ああ、この方が王妃として君臨されていれば、この国は安泰だったろうに。


 歴代随一の愚かな王と、無知な側妃によってこの国の至宝は失われた。


 次々と他国の要人に話しかけられるステファニー様と違い、陛下とカタリナ様はぽつんとその場に立っていた。

 我が国の貴族共は、知った事実に右往左往としている。今まで叩いてきた相手に運命の番がいて、その運命の番がかの高名なエインスボルトのグランパス伯爵だと分かれば、我が身がどのようなことになるか想像がつく。


「レガール宰相閣下」

「…はい。どうされましたか」


 青白い顔をしたこの女性は、ステファニー様叩きを率先して働き、傘下の新聞社にまでステファニー様の偽の悪評をばら撒いたルジア侯爵夫人。

 娘を据えられなかった腹いせか、単純に子爵令嬢だった小娘が王妃などといった嫉妬からか。

 後ろにいる数人の御婦人方も含め、ルジア侯爵夫人は社交界の華だった。

 そんな方から圧力をかければ、他の御婦人やご令嬢方も追従するのは当然のこと。


「後ほどで構いません。どうか、どうか王妃殿下へお取次ぎ願えないでしょうか?」

「なぜ?」

「謝罪を、謝罪をせねばなりません。わたくしが、きちんと情報を精査しないままに始めてしまったから…」

「精査したとしても、変わりませんよ」

「え」

「私も散々申し上げたじゃありませんか。王妃殿下はそのような御方ではないと、事実を添えてお伝えしたじゃありませんか。それを聞き入れなかったのは貴女方でしょう?…まあ、一応話は通してみますが、期待しないことですね」


 零れ落ちてしまったものはもう、元に戻すことはできないのだから。


 ふと視線をずらすと、各国の要人から一切声をかけられない、見向きもされないと気づいた陛下が顔を真っ赤にして踵を返したところだった。

 慌てて陛下を引き止める。どんな恥辱を感じようとも、残っていてもらわねばならない。

 それが王なのだから。


「お待ちください陛下!」

「うるさい!!」

「あ、ちょ、ルーク待って!」


 声をかけども間に合わず、陛下は戻られた…カタリナ様も一緒に。

 それがどんな風に周囲の目に映るかなど、考えていないのだろう。

 恐る恐る賓客を見れば、女性方は扇子で口元を隠しつつパートナーの男性に囁いている。

 そのようなことをしていない方も、呆れたような視線を陛下の背に向けた。


「レガール卿」


 声をかけられて、振り向く。

 挨拶を終えられたステファニー様に、軽く頭を下げた。


「私は戻ります。陛下と話さねばなりません」

「承知いたしました」

「後を任せる者はいますか?」

「私が残りましょう。ウォレット侯爵とカリスト伯爵をお連れください。お力になると思います。本来であれば、元老院議員が同行するのがよろしいのでしょうが…」


 ちら、と議員らが集まっているそちらを見れば「どういうことだ」「我が国の法律だぞ!内政干渉だ!」と騒ぐ者たちが目に入った。

 ため息を吐きたくなる様子に、ステファニー様が苦笑いを浮かべる。

 ステファニー様のお隣に立っていたヤージェ様が肩を竦めた。


「法律に関してはご安心を。現職も呼びますし私がなんとかしましょう」

「お力添え、感謝いたします」


 …この国は、どうなるのだろうか。

 民すら愚かになったこの国の行く末を悲観するしかない。



 《優しいやつよ。放っておけば良いものを。まあ、お前たちはそれが出来ぬからずっと補佐していたのだからな》



 私はこの国を捨てていく。

 後継は現在の宰相補佐官であるウルバン伯爵に任せればいいだろう。彼もそれなりに優秀だった。

 …陛下を制御できるかは、別として。


 ピクリとヤージェ様の耳が動いた。

 それから視線をぐるりと周囲に巡らせて、ふと笑う。


「……なるほど、なるほど。そういうことでしたか」

「ヤージェ先生?」

「ひとり言ですよ、レガール卿」

「…はい」

「もし向かうなら、シェザーベルが良いでしょう。あそこはいずれかの御方の加護を得ている者は歓待いたします。商売をするならグリジア皇国に向かいなさい」



 《おや、おや。我の存在を感知するとは。どこから加護を得ているのやら》



 楽しそうに語る神の声を聞きながら、私は黙って頭を下げた。

 ステファニー様は首を傾げていたが、ヤージェ様に促されて会場から退出していく。

 私はひとつため息を吐くと、顔を上げて会場内を見渡して気合を入れ直した。


 せめてこの立食会パーティーは、無事に終わらせなければ。







 そうして、無事終わらせた即位式典、もとい立食会パーティーの一ヶ月後。

 無事、ステファニー様は元老院の満場一致で陛下と離婚された。

 早速クォンタム伯爵邸に迎えに来たグランパス伯爵から求婚を受け、承諾したらしい。

 さすがに離婚したばかりということもあって、結婚まで半年から一年ほどは空ける予定だと、ステファニー様からのお手紙にはあった。



 …ステファニー様が去った今の話をしよう。


 ステファニー様の専属侍女であるビビアナが、カタリナ様からの指示で毒を微量ずつ、ステファニー様に盛ったという告白があった。

 だがカタリナ様は当然「そんな指示は出していない!そもそもステファニー様の専属侍女にわたくしが指示を出せるわけがないわ!」と認めない。

 状況証拠ばかりで決定的な証拠は出ず、だが状況証拠だけでも十分だから罰を受けさせるべきではと、ステファニー様が離婚されてエインスボルトに移住された後も元老院で議論が交わされた。

 …ちなみに、元老院議員もほぼ刷新されている。危機感を持った若い世代が退職を迫り、勝ち取ったのだ。他の議員と同調せず私やステファニー様にこっそり味方してくれた一部のみが残っている。


 それから、ステファニー様の事実が公表された。

 王命で無理やり正妃となったこと。陛下を含めた王宮内で、特定の貴族以外からの支援はない状態であったこと。


 なお、民には毒の件については詳細を公表していない。調査中であるのと、ステファニー様の件、それに本来であれば遵守すべき法律を欺く形で運用していたこともあって、王家への評判は地に落ちている。



「れ、レガール宰相閣下!」

「宰相の地位についてはすでに貴殿に引き継ぎましたよ、ウルバン宰相閣下」


 宰相の引き継ぎ作業をすべて終え、私物を片付けていたところウルバン伯爵 ―― ウルバン宰相は、真っ青な顔で駆け込んできた。


「それは、そうですが、ああ、お助けください」

「お力になれるかはわかりませんが、聞くだけ聞きましょうか」

「陛下の正妃候補が、もういないんです!!」


 まあそうだろうな。と、思わず口に出そうになった。


 正妃に空きは出たが、状況証拠のみだが疑いのあるカタリナ様を正妃とするわけにはいかない。というか、彼女では知識が足りなすぎる。本来なら側妃ですら務まらないレベルだった。

 王が愚かな以上、賢い正妃を据えなければならないのは喫緊の問題だった。


 だが、ステファニー様が王太子妃となる前にいた候補たちは皆すでに結婚している。

 では新しいご令嬢を、と国内で探してはみたものの、皆婚約者がいる。…まあ、ウルバンの動きを知って慌てて婚約したところもあるようだが。

 では他国から、と各国に打診してみたものの、返事は「我々を欺き、王妃を蔑ろにする国に誰が嫁がせるか」といった内容を柔らかく言い換えた内容ばかり。


 今のヴァット王国は周囲の国からはこう評価されている。


 王妃を蔑ろにする国。

 国際条約の批准国にも関わらず、条約を守らぬ国。

 忠臣ですら正すことのできないほど愚かな王のいる国。


 そんな国に誰が大事な娘を嫁がせようと思うのか。

 しかも、大金を積めるわけでもない。いや、大金を積んでも来ないだろう。


 国内最大のクォール商会の本店は、我が国から撤退した。

 すでに隣国のグリジア皇国に移転しており、我が国に残った支店は従業員のためとは言っていたが、店じまいの準備のために残しているような状況だと聞く。国内の物流も滞り始めたとか。

 …恐らく、ここら一帯の玄関口も我が国ではなく、グリジア皇国となるだろう。


「どうしましょうレガール卿、どうしたら…」

「そのぐらいお考えいただかないと」

「考えても出ないからこうして助言を請うているのではありませんか!」


 それは人にものを頼む態度ではないと思うが。それに私も万能ではない。

 この件は私が宰相のままであっても頭を悩ます難件だっただろう。宰相を辞し、爵位も返上した私にはもはや関係のないことだが。



 《ふふふ。こうすれば一石二鳥とやらではないか?》



 そんなときに聞こえてきた提案に思案する。

 …まあ、そうか。そういう罰もあるのか。


「ならば慣例に従い、カタリナ様を正妃にするしかないでしょう」

「正気ですか、彼女は罪人扱いですよ」

「罪人だからこそでは?彼女も正妃となるのを拒否されたのでしょう?我が国は国ですから」


 ウルバンの目が大きく見開かれる。

 私がこんなことを言うと思っていなかったとでも言わんばかりの表情だ。


「民は毒の件は知らぬとはいえ、此度の即位記念式典でのステファニー様への所業の件は新聞に載ったから皆知っているでしょう。いくら恋人同士で、正妃となれなかったとはいえカタリナ様はやり過ぎたから民からの信頼度も下がっている。また、カタリナ様ご自身、陛下を見限っていて離婚したいと仰っておられるが、元老院から認可が下りない。……それならステファニー様にしたことを、カタリナ様にすればいいだけのこと」


 ウルバンの瞳が揺らぐ。


 どんなに注意をしてもウルバンはステファニー様に仕事を押し付けていたのをやめなかった。そのことを罰しようにも元老院や陛下から許可が下りなかった。

 ステファニー様のときは私がサポートをした。だが、ウルバンはやらないだろう。

 なんせもう、楽な方法を覚えてしまったのだから。


「ステファニー様のときと王命を出し、正妃とさせればいい。国のため働いてもらわねば困ると。国を救うこそが罪を贖う唯一の道だと」

「……元老院へ、提案してみます。失礼いたします」


 退室していったウルバンを見送り、ため息を吐く。

 周囲には誰もいない。


「……ステファニー様のときよりも、かなり厳しいものになるだろうな」


 陛下はいまだカタリナ様を見捨てられないようだが、ちやほやと周りに担ぎ上げられ褒めそやされていたカタリナ様が真逆の環境に置かれるというのはストレスが半端なくかかるだろう。喧嘩も増えるはずだ。

 しかも、ステファニー様のときのように庇ってくれる立場であった宰相は、味方ではない。

 この国はこの後大いに荒れる。


 ……先祖代々、見捨てずに見守ってきた。それを私の代で終わらせた。民をも見捨てた。

 すごく複雑だ。罪悪感もある。だが、これ以上はバックスら子の世代に影響が出る。



 《気に病むな、レガール。時が来たというだけだ。レガールたちは十分に王にも民にも尽くした。それを理解せず、享受することが当然だという者たちが愚かだったというだけだ。あとは我が見届けよう》



「……ありがとうございます。麗しき海洋の女神、セレンディア様」





 


「爵位は従来通りとはいかぬが、問題ないか?」

「ありがたき幸せでございます」


 爵位を返上してシェザーベルに移住してから一ヶ月後、揃って王の前に呼び出された私とウォレット、カリストは深々と頭を下げた。

 老齢の王は慈愛の笑みを浮かべ、王妃も優しい眼差し向けてくださっている。

 本来であればもうすでに爵位を返上した上、移住してきた身なので階級としては平民なのだが、シェザーベル王は寛大にも我々を貴族の末席に連ねてくださるという。


「長年、あの呪いを受けた王を支えた賢臣たちだ。儂にも、儂の子らにもそのように仕えてほしい」

「…ご存知だったのですか」

「なに、我が国も古い上、神々と接する機会も多くてな。噂程度には聞いておったのだよ」


 立派な顎髭を擦りながら、シェザーベル王は笑う。


 シェザーベル王国はこの陸の孤島と称されるヴァット王国を含めた一帯の最古の国のひとつ。

 特に属国等の関係ではないが、何かあった際の代表国として表に立つ役割も持つ。

 この国ではエレヴェド神への信仰に溢れ、エレヴェド神の子らである数多の神々も崇める神聖国家という点も上げられるだろう。遥か昔、ヒースガルド帝国からの脅威に耐えた国が地域の代表国となることが多いから。


「それに、ステファニー様からのお願いもあったのよ」

「王妃殿下…いえ、ステファニー様からですか」

「ええ。恐らく爵位を望まず平民として生きようとする彼らに、どうか寛大な処置をと言われたの」


 思わず、三人で顔を見合わせる。

 我々が彼女の助けとなれたのは、あの六年間の間で極わずかだっただろう。

 それでも我らのために手紙を送ってくださり、本当に感謝の念しかない。


 ……先王のように陛下が王妃ステファニー様を大事にされれば、このようなことにはならなかっただろうに。


 味方となってくださるはずだった王太后はすでに亡くなり、先王もあまり身動きが取れず王太子妃となった一年と、先王が亡くなった後の五年。

 六年というあまりにも長い年月を耐えたステファニー様。

 彼女の恩に報いるため、我々はこの国で心新たに仕えよう。



 ステファニー様、どうか幸せに。

 我々も過去からの縛りから抜け、この地で幸せを見つけて生きてゆきます。


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