侯爵令嬢ジャネット視点
女性に興味がない従兄が怒涛の勢いで婚約までこぎ着けた
男爵令嬢であるリアとは、学生時代はほとんど接点がなかった。
接点ができたのは卒業してから二回目の夜会。
彼女が憂鬱そうに、ぽつんと壁際にいるのを見かけたときだったの。
この夜会は王家主催の夜会で、参加者も多い。ましてや始まったばかり。
学園を卒業し、デビュタントを済ませている者であれば誰かしら知り合いと話しているのに、彼女だけが何もせずぼうっと会場を眺めているだけだった。
わたくしの婚約者であるゲオルグ様も、わたくしの視線の先にいる彼女に気づいたようだ。
「あれ、バーデンベルグ嬢だね。婚約者のエール小辺境伯はどこにいったんだ?」
バーデンベルグ領といえば、高品質なドロップ品が採れることで有名なダンジョンを保有しているところだわ。
でもたしか、自力で対処できる部隊を持っていないから、ドロップ品を謝礼としてあちこちに討伐依頼を出していたはずだから、彼女の知り合いも多いはずなのに…ひとり?
そう思って周囲を見渡せば、すぐに見つかった。
彼は彼で楽しそうに友人と話している。
…たしかに個人の繋がりも大事ではあるけど、婚約者を放ってまでやることかしら?
「あ~…噂は本当なのかも」
「噂?」
「エール家がバーデンベルグ家に渡すはずの取り分も横取りしてるって話だよ。ほら、最近バーデンベルグ家はどこにもダンジョンのモンスター討伐依頼を出していないだろう?全部エール家に依頼してるらしいんだが、あの様子だと依頼じゃなくて搾取だろうな」
呆れたように告げられたゲオルグ様の話の内容に思わず眉根を寄せる。
どちらが婚約を申し出たのかは分からないけれど、もし仮に、上位貴族である辺境伯家から申し出てこの仕打ちなら由々しき事態だ。
法律で上位貴族から圧力をかけて下位貴族に何か要求してはならないという定めがあるのだから。
それに、良質なドロップ品が男爵領内に回らないとなると、そこで製造されている高品質な装備品が作られなくなる可能性がある。
男爵領内の職人たちの腕は、王家も認めるほど。
もしかして辺境伯家は、自分たちの装備品を高品質なものに置き換えるために圧力を掛けているのかしら。
国際情勢が落ち着いて、大きな戦争などは百年以上起こっていない。
けれど、野盗や山賊、各地にあるダンジョンから湧き出るモンスターの対処に過去の戦で力を発揮した辺境伯家は必要だった。
ダンジョンは国境近くにあるものが多く、内陸にはそんな数はない。
なぜなら、王都はダンジョンがないところを選んで作られた街だから。
叔母様が嫁いだ先のスピネル辺境伯領も同じようにダンジョンをいくつか抱えている。
かといって、国境線すべてが辺境伯領ではないから、稀にバーデンベルグ領のようなところもあるのよね。
高品質なドロップ品は我が侯爵家でも欲する物。彼女と縁ができれば、多少は融通してくれるようになるかもしれない。
圧力をかけず、お友達になってそこから取引ができないか探っていければ。
そこでわたくしは、ちょっと下心を持って彼女に接触した。
「ごきげんよう、バーデンベルグ様」
俯きがちだった彼女の顔がぱっと上がる。
柔らかい、緩やかなカールをした茶髪がわずかに揺れて、わたくしの顔を見たそのペリドットの瞳が大きく見開かれた。
可愛らしい顔立ち、と思ったのが第一印象。
そうして、わたくしはリアと縁を持った。最初は下心ありきだったわ。
リアも突然わたくしのような高位貴族から声をかけられるということは何かしらあるとは理解していたようで、「こんな新装備を出す予定なのですが、現場の方にご意見を伺えればと」と稀に発表前の新装備の情報を伝えてくれる。
もちろん、そのお陰で他所よりは早めに新装備を手に入れられた。
…エール辺境伯家からは睨まれているようだけど、我が家に抗議するつもりはないみたい。まあ、第二王子の婿入り先ですものね。下手すれば王家に睨まれるわ。
バーデンベルグ家は平民である領民と結婚することが多いから、市井にも詳しい。
ちょっとした王都のスポットなんかも教えてもらったり、市井の食べ物を実際に食してみたり、いつの間にか彼女はわたくしたちの可愛い妹分。
上位貴族にはない素直さを持っている彼女とお茶をするのは、わたくしにとっては憩いの場なの。
「ジャナ、ジャナ!」
そんなリアを含めたお友達と城下でショッピングしたその日。
叔母様から「少しは女性に慣れなさい」と渋々護衛に扮していた従兄のエディが、興奮気味にサロンにやってきた。
興奮しているせいか頬に赤みがさしている。こんな様子のエディは初めて見た。
一緒にお茶を飲んでいた叔母様も珍しくその驚きを隠せないようで、目を瞬かせている。
「どうしたの、エディ」
「ジャナ、今日一緒に来ていたリア嬢はどこの子だい?」
「……まずはお座りなさい、エディアル」
話が長くなることを察した叔母様が、エディに椅子を進める。
エディは最低限の挨拶をして、それからわたくしにまた向き直った。
「ぜひ教えてほしい」
「…本当にどうしたのエディアル。あなた、今まで女性どころか他人にすら興味を持っていなかったでしょう」
叔母様の言葉にうんうんとわたくしも内心頷いた。
わたくしの従兄であるエディアル・スピネルは、鉄血騎士という異名がある。
どんなに美しい女性でも心を傾けることなく、同僚から様々な誘いがあっても断り、淡々と騎士の勤めを果たす。
婚約者がいないのもそのせい。
二度ほど、婚約前に顔合わせをしたみたいだけれど、気遣いはあれど鉄面皮で感情もなく淡々とした男がご令嬢方には受け入れられなかったようで、整わなかった。
なので今、エディは結婚適齢期にも関わらず婚約者がいない。
それにその整った顔(かんばせ)が動くことなんて家族など親しい者以外では稀だった。
ところが。
その親しい者たちですら見たことのない表情を今、この男はしている。
わたくしからの問いに、エディは顔を赤らめて、ふにゃりと表情を崩したのだ。
その衝撃に思わずわたくしも叔母様も扇子で口元を覆って表情を隠す。
「あの子を妻にしたいと、思ったんだ」
「…そう思った理由を聞いても?」
「理由?そうだな…俺たち護衛が持っていた武具について嬉々として語るその知識の豊富さ、それから語る様子に惚れた」
あっさりとそう告げたエディに、わたくしはリアの様子を思い返す。
…そういえばあの子、わたくしを含めた友人たちに「護衛の皆様が持たれている武具について、拝見したいので話しかけてもよろしいでしょうか?」と確認をとっていたわ。
わたくしや友人たちの前で嬉々として武具について語るその内容は、わたくしたちにはよく分からなかったのだけど…エディには刺さったのね。
それでもリアはちゃんと礼儀を弁えて、過度な接触や不躾な視線を向けていなかったわ。
「叔母様。エディが惚れたのは、フローリア・バーデンベルグ様ですわ。わたくしの妹のような存在なの」
「まあ。バーデンベルグ男爵家の」
「今の婚約者はエール辺境伯のリカルド様だから辺境伯家の嫁としての実情はご存知だと思うわ」
「エール辺境伯家…ああ、あそこね。最近、バーデンベルグ卿から討伐依頼が来ないから変だとは思っていたのだけれど…」
「リア嬢が時折浮かない顔をしていた理由はエール家かもしれませんね」
ぽつり、とエディが呟いた言葉に頷く。
リアはうまく隠しているつもりで実際には他のお友達には露呈していないのだけど、リアは時々表情が暗くなる。
噂のこともあるし、心配だわ。
何より彼女がこのままエール辺境伯家に嫁いでしまったら、バーデンベルグ領の装備が調達できなくなるかもしれない。
我が家の兵長から聞いたのだけれど、バーデンベルグ領の装備が手に入りにくくなってきているとのこと。
お父様もエール家が独占しようとしていることに気づいていて、どうすべきか考えている。
「わたくし、リアに聞いてみますわ」
困ったことがないか。心配だと。
きっとリアは、最初は頑なに喋ろうとはしないだろうけど…わたくし、彼女の好みは熟知していてよ。
◇
後日、リア好みの菓子やデザートを揃え、普通に会話している最中に切り出してみた。
想定通り、リアは最初は「なんでもない」と言っていたけれど、余程心身にダメージが来ていたのか、やがて涙ながらに事情を説明してくれた。
エール辺境伯の脅しもさることながら、仮にも婚約者という立場にも関わらず、あの男!
比べるのも烏滸がましいけど、同じ辺境伯家でもエディの方がよっぽどマシだわ!
まずはほぼ差し押さえられている状態のダンジョンをどうにかしなければならないわね。
リアが帰ったあと早速、バーデンベルグ卿が被っている不利益をどうにかできないかお父様に相談した。
お父様も「それが本当ならば法律違反を犯したエール辺境伯家を許してはならない」と、まずは情報を精査されてから手続きを進めていった。
幸いにも、バーデンベルグ家はダンジョン管理権をエール辺境伯家と共有せず、単独で所持していたのと、バーデンベルグ家もエール家の横暴にはほとほと嫌気がさしていたのか、共同管理の提案にすぐ「是非」と返事を出したみたい。
共同管理することになって、エール領の討伐隊の寡占状態が解消された。
そのことにエール家は反発したそうだけど「管理権を持っているのは我々だ」と突っぱねたらしい。
装備品も徐々にだが、元のように流通し始めている。
あとは、リアの婚約者ね。
こうなると絶対に婚約を解消したがらないでしょう。
けれど是が非でも、婚約解消に持ち込まねば。
そんなことを、ゲオルグ様とのお茶会で零したところ。
「ジャナ、それは僕に任せてくれないか」
「ゲール様?」
「アテがあるんだ」
ふふ、と微笑んだゲオルグ様の瞳は面白そうだという色がありありと浮かんでいる。
「…やり過ぎないでくださいませ」
「もちろん」
―― ゲオルグ様の方法が分かったのは、例の婚約破棄が行われる数日前。
「女性を充てがったのですね」
「古典的な方法ではあるが、効果的だからね」
ゲオルグ様は、お知り合いのフェリック女伯爵に依頼したらしい。
エール小辺境伯を、誑かしてほしいと。
フェリック伯爵家は一般的な貴族――というのは表向きで、裏では王国の諜報員を担う一族。
他国との戦争はなくなって久しいけれど、政争というのはなくならないもの。
当主は二十代の可愛らしい女性。
婚約者も恋人も「今は忙しいから考えられないけど、近いうちに」と言っていたと聞く。
そんな彼女が、エール小辺境伯に近づいた。
もちろん彼女にとっても旨味がある依頼なのだろう。
「最近は特にお熱いようだから、たぶん近々向こうから言い出すと思うよ」
「それならいいのですけど…念のため、リアにも伝えますわ」
「よろしく頼むよ。ところでジャナ」
するり、と手をとられて、手の甲に口付けられる。
「…ご褒美は?」
手の甲に口づけたまま向けられる、期待で潤んだ眼差し。
ゲオルグ様は甘いマスクをお持ちでどんな女性からも「素敵な方」と言われているけれど…わたくしから言わせれば、策士、詐欺師だわ。
まあ、そんなところも素敵と思ってしまうあたり、わたくしもだいぶ絆されているのでしょうけれど。
恐らくわたくしの顔は赤いでしょう。
ゲオルグ様から視線を外して、小さく答えた。
「…次のお茶会で、差し上げますわ」
「楽しみにしている」
◇
そうして、リアはエール小辺境伯とは無事に婚約を解消。
わたくしは協力したお礼としてエディとデートして来なさいと送り出した。
目の前のリアを見る限り、成果は上々のようね。
エディのことだからもっと奥手かとも思ったけど…次の約束どころか告白までしちゃって。
まあ、あのエール小辺境伯がちょっかいをかけてきたのだから仕方ないでしょう。
「…あの、お姉さま。これが本当に対価になるんですか?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、お姉さまやグェンジャー侯爵家には何もお返しできておりません」
そうね。わたくしや我が家自体には何も返されていない。
でも、エース辺境伯家との騒動をうまく納めた件で我が家の評価は上がっているし、ゲオルグ様もとても楽しそうだったからいいのだと思う。
むしろ、リアがエディに嫁がないと大変なことになりそうな確信がある。
「十分対価に値するのよ。エディの嫁になってくれることは」
「え?嫁?」
「本人から聞くといいわ。盛大な惚気と共に、あなたに愛を告げるだろうから」
「ええ??」
混乱しつつも満更でもないその様子に、わたくしは微笑んで紅茶を一口飲んだ。
今日は無糖でちょうどいいぐらいね。
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