愚かな人たち

 エインスボルトから帰国して、三ヶ月後。


「あらぁ、ステファニー様。まだお仕事されていたの?」


 執務室からの帰り、廊下を歩いていると声がかかったので振り返る。

 そこにはこの場にはふさわしくない、ナイトドレスを身に纏ったカタリナ様がいた。その装いに眉根を寄せつつも、私も言葉を返す。


「ええ。明日には、即位記念式典ですからその準備を」

「ルークが王様になってもう五年ですものね!わたくしも参加したかったわぁ」


 記念式典には側妃は参加しない。公式行事であり、各国を招く式典だから。

 でも、と私は笑みを浮かべる。


「あら。陛下を祝う席ですもの。椅子を用意することは叶いませんが、一緒に参加いただくことは可能ですわ」

「…え?」

「私が忙しくしていたのは、あなたにもご参加いただけるように法整備を進めていたからです…明日の式典から、側妃の立場であろうとも公式行事や式典に参加できるようになりますわ」

「……何を企んでいるの?」


 訝しんだ様子のカタリナ様に、ふ、と私は笑った。


「何も?強いて言うなれば、側妃が正妃の代理として動けるようにしたかっただけです」

「ふぅん…そう」


 手持ちの扇子で隠しているから表情は伺えないけれど…その目は、嬉しさを隠しきれていない。


 …従来は、法律上各国の使者がいる場では必ず正妃をエスコートし、側妃は出席しない決まりだった。

 でも正妃も体調を崩すことがある。正妃の代わりとなる側妃をエスコートし、客を出迎えることができるように法律を改正した。

 その勉学のため、側妃も式典に出席できるようにも。

 国民が関わらない部分の法律だったからこそ、すぐに改正できたもの。


 この法律改正に何の意味があるのかって?

 明日の式典後にある夜会で真価を発揮するのよ。


「カタリナ様は本日も陛下の元へ…?」

「ええ、そうよ。陛下ったら朝まで離してくださらなくって…」

「…明日は陛下の即位記念式典ですから、お控えめに」

「ええ、そうね」


 カタリナ様はそのまま、陛下の主寝室へと向かわれた。

 私はひとつ、静かに深呼吸してから自室へと戻る。


 ビビアナに就寝の支度をしてもらい、下がらせる。

 今日は早めに寝て、明日の英気を養わなければ。


 窓辺に寄り、空を見上げる。


 …そう、明日。明日、私の運命が変わる。

 もう私はこの国に囚われる鳥じゃない。


 シェル様。ツェツィーリア様、エヴァン様。

 見ていてください。明日、立派にやり遂げてみせます。





 王位を継いで五年となる今日、国内外の賓客を招いた記念式典が行われる。

 我が国を含めた近隣国は、即位一年、五年、十年、二十年…と最初の十年間を除いて十年単位で記念式典を行う習慣がある。

 近隣国の賓客を招き、互いに国交を保ち、協力し合っていきましょうという意味合いがあるのだ。

 特に即位して十年経たない王は知識も経験も浅い。各国の王が交流し、知識を吸収する場でもある。


 午前中は国内外にアピールするため、パレードを行ったりしつつ、裏では到着する賓客をご案内しつつ夜会まで恙無く過ごされるように尽力する。

 この場合、当然正妃はパレードに参加し、側妃がいる場合、側妃は裏方に周り賓客を迎える役割分担のはず、だった。


 まず、到着された隣国のシェザーベル国王夫妻。

 出迎えに私がいることに大きく目を丸くされていた。


 ええ、そう、そうでしょうとも。

 だって今はパレードの真っ最中で、本来ならば私は陛下の隣にいなければならないのだから。


『…パレードには、ルーク王おひとりで?』

『いいえ』


 端的にそう答えれば、察してくださったのだろう。

 頷かれたのを見て私はおふたりを城内へとご案内するよう指示を出す。


 次々と時間通りにやってくる賓客たちはやはり一度は目を丸くし、同じようなやりとりを繰り返して侍女や騎士たちに案内されて中に入っていく。

 一緒に出迎えていた宰相のレガール卿はすでに察してくださっているから何も言わない。


 妃がふたりいるときは、分担することになっている。

 カタリナ様が表に出られている以上、私は裏にいなければ。


 馬車から降りたのは、三ヶ月前にお会いしたエヴァン様とツェツィーリア様。

 それから、従者としてシェル様ともうお一方の男性。


『ようこそ、エインスボルト王国第一王子エヴァン殿下、第一王女ツェツィーリア殿下。まあ、シェル…グランパス卿にヤージェ先生ではありませんか』

『お招きありがたく、王妃殿下。従者二名までは許可いただいていたので、学生時代共に王妃殿下と仲良くさせていただいたおふたりをお連れしました』

『……ステフ…いや、ステファニー王妃殿下。お久しぶりです』

『お久しぶりです、ステファニー王妃殿下。国元に帰られて以来ですかな』


 エインスボルト語でやり取りする。

 当然、レガール卿はエインスボルト語を習得している。だから私とシェル様の違和感に気づいただろう。案の定、レガール卿は顔を引きつらせていた。


 シェル様が私のことを「ステフ」と呼んだこと。私がシェル様のことを「シェル」と呼んだこと。

 それでいい。疑念をひとつ、植え付けるだけ。


 御一行を城内へご案内させる。

 その場に私とレガール卿、数名だけ残り、あといらっしゃるのはと考えていると声がかかった。


「…王妃殿下、不躾ながらひとつ、質問よろしいでしょうか?」

「次の招待客が来るから、手短に」

「はい。エインスボルトから来た従者のうち一名…グランパス卿とは、学生時代仲がよろしかったのですか?」


 ―― 私はその質問に目を丸くし、それから瞳を伏せて顔を反らした。


「…殿下?」

「……恋仲だったの」

「え」

「将来の約束を、していたの。私、セントラル・ヴェリテ学園に留学していたでしょう?あそこで出会って…最終学年に上がったら、お互い婚約する予定だったのよ。でもあとはご存知のとおり」


 レガール卿へと向き直る。

 ああ、本当に ―― 後悔ばかりだわ。それは本当。だから、憂いの表情を浮かべるのは間違っていない。


「安心して。…彼の元に行きたくても、できないわ」

「…はい」


 レガール卿は同情するような表情を一瞬浮かべて、次にやってきた来客のために表情を切り替えた。

 私もいつも通りの微笑みを浮かべて出迎える。



 陛下に誘われたとはいえ、側妃が王妃を差し置いてさも正妃であるかのように振る舞う。その穴埋めとして王妃が裏方に回る。

 招待されてきた相手に恋仲であった男性が現れる。王命で引き裂かれたことを僅かな人数でもいい、周囲に分かるように話す。


 下地は完了した。あとは、賓客たちを招いた夜会が本番。


 この後のことは私は知らない。知らない方が皆を誘導しやすい、とエヴァン様は仰った。

 だから私は、時が来たら私が思う通りに行動すればいいと言われている。


 私に出来ることはここまで。

 あとはエヴァン様方にお任せし、私はそれに合わせるだけ。





 夜になり、夜会の準備が整った。

 夜会用のドレスを身にまとい、ドレスに合わせた装飾品を身に着け、頭上にティアラをつける。

 腰付近を膨らませ、流すこのスタイルは艶やかなレースの重なりが自分から見えないのが惜しい。


 鏡越しに、ティアラをつけた髪の手直しが終わったビビアナの表情が見える。


「どうしたの、ビビアナ」

「…いえ」


 何かに苦しんでいるような、苦いものを食べたかのような珍しい表情。

 普段であれば感情を表に出さず淡々と業務をこなす侍女の鑑なのに。

 よく見ればこれまた珍しく、周囲の侍女たちも表情が固い。


 ……まあ、そうよね。本来であれば処罰されるべきことをあなた方はやってるのだから。


 時計を見て時刻を確認し、立ち上がってドアに向かう。

 ビビアナが急いで侍女たちに指示を出して、自身は付き添いのためにドアを開けた。

 そのまま、私は黙々と夜会の王族出入り用の待機場まで向かう。すれ違う使用人やメイド、執事、侍女たちが何事かと通り過ぎる私を見ていく。


「…お、お待ちください王妃殿下」

「なに?」

「陛下のお越しをお待ちにならないと!」


 足を止めて、ビビアナに振り返る。


「なぜ?」

「えっ」

「時間までにお迎えに来られなかった時点で、私をエスコートする気はないのだから待つ必要はないわ。それよりもいらっしゃった皆様をお待たせする方が問題よ。外交問題になりかねない」


 私はちゃんとギリギリまで待ったわ。

 でも陛下は来なかった。それが事実。


 止めた歩みを進める。

 ビビアナに改めて時間を確認させたところ、もう余裕がない。

 …陛下が待機場にいることを願うしかない。いまの私はヴァット王国の王妃なのだから、陛下が何か失態をすれば私が尻拭いするしかないのだ。



 案の定というか。

 待機場には誰もおらず、ドアの開閉を任されている近衛兵が不安そうに佇んでいた。

 私の登場にホッとした様子だったけれど、私の装いに気づいて表情を強張らせた。


 あと五分。


 ホストである王族が登場する時間は大体決まっており、周知されている。

 遅れれば各国の招待客と交流する時間が減るし、大まかな時間を知らされている各国の賓客も「何があった」と訝しむことになるだろう。


 ビビアナが身なりの最終チェックをする。

 あと二、三分…といったところでやや急ぎ足の足音が聞こえた。

 そちらを見れば、急いで来たからかやや乱れた服装の陛下と、少し息が上がったカタリナ様。

 追従してきた執事や使用人、侍女たちが急いでふたりの身なりを正している。


「すまない、ステファニー」

「それはどういった謝罪ですか?」

「…君の、エスコートに遅れた」

「理由は後ほどお聞かせ願います」


 ふぅ、と一息ついた陛下だったが、私を見て目を丸くする。

 それから表情を強張らせて「その、ドレスとティアラは…」と声を震わせた。


 ルーク陛下の容姿は、金髪に深い、青い瞳。

 対して私のドレスの色合いはイエローグリーンをベースとした色合いに、装飾品はプラチナのチェーン、宝石はアメジスト。

 そしてティアラは ―― 王妃のティアラではない。

 陛下の色を一切身にまとっていない上、正妃のティアラに似た、明らかに宝石の数が少ないのティアラを被っている。


 意外だわ。陛下は気づかないと思ったのだけれど。

 私は扇子を取り出して口元を隠し、瞳を細める。


「先日、カタリナ様にこちらが身につけるドレスや装飾品の情報をお話したのですが、陛下からそのドレスや装飾品のご指名があったからこちらが優先だ、とお聞き入れいただけけなかったようで。私の侍女たちもカタリナ様が優先だと準備することがなかったので使われていなかった方を身に着けたのです」


 陛下が勢いよくカタリナ様に振り返る。

 ファウンテンをベースに金糸が入り、更には首元にゴールドのチェーンにサファイア。

 そして彼女の頭上に輝くのはのティアラ。

 ついさっきまで一緒にいたくせに今更陛下は気づいたようで、顔色を悪くした。


「なぜ侍女おまえたちが止めなかった!」

「ひ、そ、そのっ」

「ルーク、どうして?選んでくれたこれで出ればいいって仰ったじゃない」

「それは似合っているという意味で、それをつけてくれということじゃない!やり過ぎだ!これでは」

「お、お話中申し訳ありません…お時間です」


 近衛兵の言葉に陛下はぐ、と言葉を詰まらせた。


 本来なら側妃は陛下の色を身につけるにしても、一部のみにすべき。そして正妃のドレスが最優先であり、正妃が側妃に遠慮するだなんて本来はあり得ない。

 さらにティアラまで正妃のものを身につけるとは ―― カタリナ様には常識がないのかしら?少し考えれば周囲からどう見られるのか、分かるでしょうに。


 きっと、陛下との逢瀬で贈られたドレスを身に纏い、正妃のティアラも勝手に持ち出してつけて披露したのでしょうね。陛下に褒められてこのコーディネートで出ることにしたのでしょう。

 …ふふ、予定にはないことだけれど、墓穴をほってくれるのだから咎めはしないわ。

 

 陛下も、私も多少異なりはすれど陛下の色をまとうと思われていた。だから、カタリナ様にあのドレスを着るように仰った。

 正妃のティアラまで使うとは思ってもみなかったみたい。


 結果、彼女は全身陛下の色だらけな上に正妃のティアラを身に着けている。対して私は陛下の色は一切ない上、側妃。

 けれど夜会の出席者は誰が正妃なのか知っている。カタリナ様は分からなかったようだけど、それを見た夜会の出席者がどう思うのかだなんて ―― 陛下は分かったのね。顔色が悪いわ。


 扇子を閉じて、陛下から差し出された手に手を乗せる。

 エスコートの拒否はしない。



「ルーク国王陛下、ステファニー王妃殿下、並びにカタリナ妃殿下ご入場!!」



 会場に繋がる大きなドアが開く。

 私は口元に笑みを浮かべて、陛下と共に前に進んだ。



 私たちの登場にざわ、とほんの一瞬どよめいた。

 けれど一瞬だからこそ、陛下には効くだろう。様子を伺えば、表面上はにこやかに笑みを浮かべられているがよくよく見れば引きつっている。

 後ろを歩くカタリナ様の様子が見れないのは残念だけれど、彼女は抜けている部分がある。

 先程の私たちのやり取りも、大したことないと思っているでしょうね。


 壇上に上がり、グラスを手にとる。


「お集まりの皆様、今宵は私の即位五年を記念する宴に参加いただき、誠にありがとうございます。若輩者ではありますが、国を守り、良くしていく所存です。どうぞ王妃、側妃共々ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 乾杯、と陛下が音頭を取るとあちこちから乾杯と声が上がる。

 その声の中に様々な外国語が交じるのを聞くと、気を引き締めねばと思う。


 これから、私は騒動に巻き込まれることになっているのだから。


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