愚かな王と無知な側妃

 陛下と共に各国の賓客へ挨拶回りをしていたときのこと。

 カタリナ様はこういうときは留守番だ。だから、彼女は彼女で懇意の国内貴族のところへ行っていた。


 案の定、挨拶回りのときに怪訝そうな表情で私を見る方々がほとんど。

 それはそうよね。側妃が身につけているティアラよりも私のティアラの方が明らかに見劣りするものの上、陛下の色を身につけていない ―― 本来であれば、側妃の立場の装いなのだから。


 冷や汗をかく陛下と表面上はにこやかな私の前に、エヴァン様方が現れる。


「ルーク国王陛下、ステファニー王妃殿下。即位五年、おめでとうございます」

「ありがとう、エヴァン第一王子殿下。ツェツィーリア第一王女殿下のお話は、我が王妃からも聞いていた。学生時代、彼女と仲良くしていただけて感謝している」

「とんでもございません。わたくしの方こそ仲良くしていただいて…先日は陛下とお会い出来なくて残念でしたわ。そんなにお忙しいとは思わず…」

「ああ…いや…はは、申し訳ない。ご指定いただいた期間は忙しく…フィーネ女王陛下、ユーリ王配殿下にもよろしくお伝えください」

「ええ、おふたりにもお伝えいたします」


 笑みを浮かべたままツェツィ様がパチンと大げさに扇子を閉じる。


 ―― 次の瞬間だった。



「ステフ」



 シェル様の声。思わず振り向くと、同時に手をとられて、跪かれた状態で手の甲に口づけを落とされる。

 事前に聞いていないから心底驚いて、声が出ない。

 周囲が大きくざわめいたのだけは分かった。


「シェ、シェル様…?」

「学園ですぐ、君に婚約を申し込んでいればとずっと悔やんでいた。俺の運命。どうか、今が幸せでないのであれば俺の元に来てくれないか」


 泣きそうな表情で嘆くシェル様は、本気だわ。

 演技じゃない。これが演技だったらすごいけれど…一度私はエインスボルトで、シェル様の本音を聞いている。

 私も泣きそうになった。ここで泣いてはダメだ、と堪える。


 「貴様!」と背後から声がかかると同時に、私は立ち上がったシェル様の背後に隠された。

 シェル様と対峙しているのは陛下だ。後方から、慌ててカタリナ様が向かってきているのが見える。


「貴様、無礼だぞ!我が王妃になにをする!!」

「…エインスボルト王国竜騎士団副団長、女王陛下より伯爵位を賜っておりますシェルジオ・グランパスと申します。国王陛下こそ、我が番に何をされました」


 地を這う、聞いたことのない低い声。思わず体が震えた。

 陛下も圧されたのか、わずかにたじろいでいる。


「番が幸せだったら申し出ることを堪えたでしょう。彼女は王妃となってしまったのだから。しかし現状、どう見ても彼女が蔑ろにされ、彼女が幸せとは言い難いこの状況には我慢なりませんでした」

「な、蔑ろになど」

「パレードにそちらの寵姫を連れられ、さも正妃のように民に示し、さらに民も迎合。ティアラも寵姫に正妃のものを使わせ、正妃である彼女には一見して分かる側妃のティアラ。このような仕打ちをして尚、蔑ろにされていないと仰るか」

「それはステファニー様が側妃のわたくしでもパレードに参加できるようになったと仰ったから陛下がわたくしを誘って出ただけですわ。ステファニー様もいらっしゃれば良い、とお伝えしたのに来られなくて…。ティアラの件はステファニー様が勝手にこちらに配慮したことです」


 さらりとカタリナ様が陛下をフォローする。

 本当、面白いぐらいに都合のいいことしか聞いていないのね。 

 慌てて来たレガール卿の顔は事態を理解しているのか、青ざめているわ。


 ざわざわと周囲がざわめく。

 そんな中「まあ」とツェツィ様が驚いたように声を上げた。


「だからステフ様がお出迎えになられたのね…わたくし、側妃様とお話できるのを楽しみにしていたのに、ステフ様がお出迎えになられたから驚いたのよ」

「なるほど…ヴァット王国は、正妃を蔑ろにされる国だったとは…我が女王陛下にもお伝えいたします」

「誤解です!!」

「誤解ではないでしょう」


 薄っすらと笑みを浮かべたエヴァン様。目が笑っていない。

 陛下やカタリナ様に向けられた瞳はまさに絶対零度と言わんばかりの侮蔑を含んだ眼差し。


「我が国にも側妃・側配制度はあります。だがそれは、前提として正妃・正配を立て、彼らのために動く存在です。パレードなどの公式の場で参加するとき、側妃が王の隣に立っても良いのは、正妃が何かしら体調不良などの問題を抱えていた場合だけ…この国の法律は、正妃を差し置いて側妃を優先しても良いと制定されているのか」

「そうですわ。だからこそわたくしがパレードやこの場にいられるのではありませんか!」

「……顔色が悪いですよ。ヴァット王」


 そうよね。あなたが知らないはずがない。

 だってあの法律を改正する王印を押したのは、あなたなのだから。

 今更「正妃が体調を崩すなどの問題があった場合のみ」という注釈を見逃していた、なんてないわよね?


 あの法律は周辺国の側妃に関する法律を参考に改正したもの。

 あなたも参考資料として他国の法律を見たでしょう?どの国も明記はされていないけれど「正妃を優先する」前提であることを。


 陛下の様子がおかしいことに気づいたのでしょう。

 不安げにカタリナ様が「陛下…?」と声をかけられている。


 やがて何かに気づいたのか、笑みを浮かべて陛下は胸を張った。


「申し訳ない。法律に関しては改正したばかりで、周知されていなかったようです」

「なるほど?」

「グランパス卿と我が王妃が運命の番であった、と。竜人族であるグランパス卿の番が見つかったことは祝福すべきことですが、我が国の法律では王と王妃はよほどの理由がない限り離婚できぬことになっております。…ステファニー、こちらに来なさい」


 差し出された手。

 耐えに耐え、ツェツィ様方に相談しに行かなかったら私は迷いなくその手を取っていたでしょう。


「それはおかしいですね」


 次にどう動こうか、と迷っているうちにヤージェ先生が声を上げる。

 メガネのブリッジを押し上げてから、真っ直ぐ陛下を見つめた。


「運命の番であるにも関わらずそれがよほどの理由とはならぬ、というのはおかしい」

「は?エインスボルト王国からのご客人といえど、我が国の法律を軽んじる発言は謹んで頂きたい!」

「おや、ヴァット王はご存知ない?自分で言うのもなんですが、私は結構有名だと思ったのですが」


 は、と鼻で笑うヤージェ先生。

 カタリナ様は「誰よあなた!」と叫んでいる。ああ、恥ずかしい。


 彼のことは王族に連なるものなら知っていなければならない、最低限の情報なのに。彼女は側妃教育もあまり真面目に受けられていなかったのかしら。

 まさか陛下まで怪訝な表情を浮かべられるなんて。事前に招待客のリストをお渡ししていたから把握しているべきであるのに、我が国の恥だわ。


 さすがにレガール卿は知っていたらしく、飛び込んできて頭を深く下げた。


「申し訳ありません、ヤージェ様!!」

「レガール!?」

「陛下、あなたは何を…何をなさっているのです!この方は、元国際裁判長官のヤージェ様ですよ!!」



 ―― 国際裁判所と呼ばれる機関がある。


 国家間の大規模な戦争が無くなって久しいけれど、内乱があったり国家間のいざこざがあったりというのは残っている。

 遥か昔は大国が第三国として間を取り持ったりしたが、なかなか国として中立を維持するのは難しい。


 そこで、完全中立機関が作られた。それが国際裁判所。

 国際条約を制定・公布したのもこの機関だと聞いている。


 国際裁判所は国家間の調停だけじゃない。

 国際条約に違反していないか、違反している場合どのように国を裁くかといった権限を持つ。

 そのため、国際裁判所に務める者は公平を保つため誰であれ国を捨てることになっているそう。ヤージェ先生に名字がないのはそのため。彼には親から与えられた名と、エレヴェド様から与えられた真名しかない。


 国際裁判所で任期を終えれば、国に戻ってもいいし好きな国に居住を構えてもいいからここに来たのだと、セントラル・ヴェリテ学園で法律に関する講師を務められていたヤージェ先生は笑った。


 そしてこのヤージェ先生。

 とても公平に数多の係争を解決してきたと書物が出来るほどの有名人なのよね。姿絵はもちろん、写真でそのお姿を見るだけで庶民だって知っているわ。

 彼は人族ではなく、獣の顔つきに近い白虎の獣人族だからよりわかりやすいというのに。


「まあ、まあ。まずは記録を取りましょうぞ」


 ゆらゆらと尻尾を揺らしながら、ヤージェ先生は魔道具を取り出し、展開する。

 あれは…記録装置ね。昔は一度だけ記録するとても高価なものだったけど、今は複数の映像を残せたり上書きできる形に改良された上、裕福な商人であれば手の届く価格になっていた。

 記録された内容を別の魔道具に保存することもできるらしいわ。それはまだ、高級品なのだけれど。


「私がおかしいと感じたのは、ヴァット王とその王妃はよほどの理由がない限り離婚を認めぬ、というものです。なぜなら運命の番は【よほどの理由】に該当します。該当せぬというのであれば国際条約に違反してしまう。…国際条約が公布された年には修正していなければならぬものでして」

「申し訳ありません、ヤージェ様。どの条約に違反しているのでしょうか」

「うん、うん。どんな年になっても、貪欲に学ぶ姿勢は良いことですレガール卿。それは国際婚姻法第三条。竜人、獣人方の運命の番についての条約です」


 陛下とカタリナ様が目を丸くした。


 魔法でヤージェ様の手元に分厚く、大きな本が召喚される。

 それはあの日の夜、エインスボルトでエヴァン様が持ってきた本と同じもの。

 本はヤージェ様の手の上に浮かんだまま、バラバラとページがめくられていく。


「いやあ、国際条約と各国の法律がまとめられたこの本。二十年ほど前までは各国で発行された法律書を参考にしていたため、どうしても翻訳の揺らぎが出ましたが…トゥイナーガ様のおかげでとても分かりやすくなりましたなぁ。当時の私も現役の裁判官たちもどれだけこれに救われたか…と、ああ、ここですな」


 魔法によって、ヤージェ様の頭上にこの会場にいる皆が見えるほどの大きさのスクリーンが現れた。

 スクリーンに表示された言語はヴァット語だ。ということは、あの本はヴァット語で書かれた本なのね。


 ふと、不安になってシェル様の腰付近の服の裾を掴む。

 するとシェル様の手が伸びてきて、そっと私の手の上に重ねられた。

 ああ…安心する。この方がいれば大丈夫だと、強く思う。


「【国際婚姻条約第三条。竜人および獣人の運命の番が現れた場合、次の項目すべてに当てはまる場合において、いかなる婚約・婚姻を白紙とすることができる】…と、条件が併記されていますが今は置いておきましょう。この主文に書かれているとおり条件さえ合致すればいかなる婚約・婚姻をのですよ。ですので本来であれば、こちらにある【ヴァット王国婚姻法第四条、国王、王妃の離婚は特別な事由以外は認めない】と書かれているうちの【特別な事由】に該当します。該当せぬと仰るのであれば、ヴァット王国は国際条約の批准国である以上、改正する義務があります」


 ところが、とヤージェ先生は続けた。

 魔法でまたバラバラと本が一冊、宙に浮かぶ。


「こちらのヴァット王国が公開している法律書ですが、ご覧なさい。【特別な事由以外は】と書かれている文節はこちらですが、ここに妙なスペースがあるでしょう?トゥイナーガ様に解析していただいたところ、本来であればここに黙字が入るスペースであるということ…黙字が入ると真逆の意味である【特別な事由があれど】と変化してしまうのです。他の文面には妙なスペースはない。つまり、原文では黙字が記載されているにも関わらず、公開した際に黙字が消えてしまったのを直していない…批准していると見せかけてる。これがどういう事態か、お分かりですかな?」


 陛下と、夜会に参加していた元老院議員の方々の顔は真っ青。

 それはそうでしょうね。国際条約の批准国であるにも関わらず、これは明らかに各国を欺いているのだから。

 レガール卿は「違反状態だ」と認識して、訴えて退けられた立場だったからか。落ち着いているように見える。


 …あら。エヴァン様、意地の悪い顔をなされているわ。

 それに気づいたツェツィ様が扇子で顔を隠しながら肘でつついて、エヴァン様の表情がアルカイックスマイルに戻った。


 ふふ。エヴァン様って、意外と表情が出やすい方なのね。


「け、消したわけではない。気づかなかったのだから、仕方がないではないか。早急に原文を確認し、直そう」

「国王ともあろう御方が仕方ない、と仰るとは…そのようなお心づもりで政務を行われていたのか。それはそれは、優秀なステファニー王妃殿下を手放したくなかっただろう……恋仲だったグランパス卿と王命を使って無理やり引き離してまで」


 呆れたように告げたエヴァン様と盛大にため息を吐いたヤージェ先生に、カタリナ様がびくりと体を震わせる。

 ざわざわと周囲がざわめく。社交界では私が財力を使って横恋慕したのだと思われていたけど、事実は違う。

 そのことに、参加していた国内貴族は戸惑っているようだった。


「……どういうことなの?」

「か、カタリナ」

「どういうことなのルーク!!あの女が、あの女が割り込んできたんだって言ったじゃない!!クォンタム家の財力を盾に脅されて王太子妃にせざるを得なくなったって!!」


 カタリナ様が凄まじい形相で陛下に掴みかかる。

 陛下はオロオロとするばかりで、助けを求めるようにレガール卿に視線を向けたけれど…レガール卿は、瞳を閉ざした。現状をとてもよく理解されている。


 海洋貿易の要所がある港を保有してあるとはいえ、他国に代替港がないわけじゃない。

 国際的な信用を失いかけているのだ…この場には、周辺国の要人が大勢招待されているのだから。


 言い合いに発展した陛下とカタリナ様は周囲の様子に気づかない。

 私はひとつため息を吐いて、体の向きを変えた。



 そろそろこんなはおしまいにしましょう?



「皆々様。この度はご迷惑をおかけいたしました」


 カーテシーを行い、周囲の招待客へ謝辞を述べる。

 私の声は思った以上に通ったようで、言い合いをしていた陛下とカタリナ様もハッとして押し黙った。


「我々は一度下がりますが、どうぞ料理をお召し上がりになり、ご歓談くださいませ。特に料理は我が王宮料理人が腕を振るった自慢の料理です。どうぞご賞味の上、気になることがありましたらお近くの給仕にお声がけください」

『ステファニー様。あなたとお話するのをとても楽しみにしていたのだけれど、お時間がなさそうで残念ですわ。もし落ち着かれましたらわたくし宛にお手紙をくださる?、お返しいたしますわ』

『まあ、レオナ様。こちらこそ、お約束しておりましたのに反故となってしまうこと、お許しくださいませ。必ずお手紙をお送りいたします』


 早速声をかけてくださったのは、シェザーベル王妃のレオナ様だった。

 私が国に戻され早々に王太子妃になったとき、初めて外交に赴いたのがシェザーベル王国。取り繕っていてもずいぶんと酷い顔をしていたらしい私に親身になってくださった御方。

 すでにお孫様もいらっしゃるため、孫のように可愛がっていただいたのを覚えているし、何度も手紙を交わしている。


 そこから皮切りに、一言、二言、私に声をかけてくださる要人方。

 陛下やカタリナ様の方にはなにもない。その事実に気づいたであろう陛下は、怒りで顔を赤くしてカタリナ様と共に早々にこの場から立ち去っていた。

 …公務をほぼ私に丸投げしているからよ。

 だってこの方々はあなたと文を交わしたりしたことはないし、会話したことなんてほんの少ししかないのだから。

 それでも残るべきであったのに、尻尾を巻いて逃げ出すだなんて。


 最後に、エヴァン様とツェツィ様。


「ステファニー王妃殿下。ヤージェ卿をお側にいかがですか?」

「まあ。よろしいのですか?」

「あのようなことがありましたからなあ。それに王妃殿下は私の教え子のひとり。お望みとあらば力になりましょう」

「それでは、ありがたくヤージェ先生のお力をお借りします」

「ステフ様、お待ちしておりますわ」


 何を、とは直接口にされていないけど分かる方には分かるでしょう。

 ええ、吉報をお待ちになっていて、ツェツィ様。


 シェル様が私をじっと見つめている。

 私はそれに微笑みを返した。


「…お返事は、すべて終わった後でもよろしいでしょうか?」

「…はい。お待ちしています」


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