泡沫の華々たち《異説》〜 異世界転移した僕が関わった、三つの物語
かぐら
第一章 わたくしこの方と結婚しますわ!
第一王子オルフェウス視点
妹が突然結婚すると言い出した
―― それは唐突だった。
「お兄様、わたくしこの方と結婚しますわ!」
聡明で私よりも賢く、的確な判断を下す自慢の妹。
王侯貴族であれば二ヶ国語以上は話せる外国語が壊滅的な、可愛い妹。
そんな彼女が興奮で頬を赤らめ、王宮の庭園にある四阿に引き連れてきた男は真っ青な顔色だった。
「……そちらの男性の顔色が悪いが、大丈夫か?」
「え?まあユーリ!どうしたの?」
「あ、うあ…」
涙目じゃないか。
私はそんな彼の様子を見て、ため息を吐いた。
「―― 事前に本人の了承もなく連れてきてはダメだろう」
「まあ!そんなことはしてませんわ!」
どうだか。
頬を膨らませて否定する妹に、またため息を吐いた。
◇
私はオルフェウス。エインスボルト王国の第一王子だ。
私には第一王女である妹のフィーネと、年の離れた弟である第二王子のゲオルグがいる。
なお、エインスボルトには現在王太子はいない。
理由は単純、フィーネか私かでまだ決まらないからだ。
この国では長子相続や男子相続といったことはなく、血縁者の中から優秀な者を当主とすることになっている。
総合的に見れば、私ではなく妹のフィーネが王太子に相応しい。
彼女は人望も人脈もあり、容姿に優れ、知略も素晴らしい。対して私は全体的に平凡でしかなく、私が王となれば可も不可もなくといった治世となるだろうが、フィーネが王となれば素晴らしき治世になるだろうと確信している。
…悔しくないのかって?悔しいさ。
だが、実力を目の当たりにしては、諦めるしか無いだろう。
完璧と称しても良いフィーネではあるが、唯一の欠点がある。
「―― もう嫌!!」
バンッと机を叩いて立ち上がる彼女に、教育係は本日何度目か分からないため息を吐いた。
「フィーネ殿下」
「だって、だってわたくしには理解できないわ!!どうしてこの文法になるの?どうしてこの綴りでこういう発音になるの!?」
フィーネは外国語が致命的と言っていいほどに理解できなかった。
聞き取りも書き取りもダメ。なぜこういう文字になるのか、なぜこの文法でこちらの言語ではこうなるのかが理解できない。
私としては他国の言語だからそういうものだと思っているのだが、フィーネの中では落とし込めない違和感としてずっと残るらしい。
その他の学問はすんなりと受け入れて、素晴らしい成績を残せているのに。
どう頑張っても、フィーネは比較的こちらと系統が似ている隣国のヴァット王国の言語しか習得できなかった。しかもそれすらも合格スレスレで、交渉となるとフィーネは話せないレベル。
王として立つには、外交は必須。
外国語が一切できない王など前例がない、と教育係はぼやいていた。
だからフィーネは外国語が堪能な伴侶を見つけない限り王太子にはなれないとされた。
堪能、と一言で表されたが、通常は王が話せない言語を伴侶となる者がカバーすることになっている。王と伴侶合わせて最低でも四、可能であれば五~六ヶ国語が望ましい。
つまり、フィーネが一切喋れないとなると、膨大な外国語を話せる人材が必要だ。現状ではフィーネの婚約者がなんとか四ヵ国語を話せるため最低条件をクリアしているところではあるが、まだまだ不安なところがあり王太子とはされていなかった。
そのため私は、どうしてもフィーネの婚約者がこれ以上習得できなかった場合のスペアとして王家に残されたのである。
そして現在、通っている学園で私とフィーネは嫌な騒動に巻き込まれている。
「……あいつ!」
はしたないと思われても仕方がないが、思わずそう叫んでしまった。
共に歩いていた婚約者のアリアドネも眉根を寄せて嫌悪感を顕にしている。
廊下から望める裏庭の景観はとても良い。
だからこそ、思わずそちらに目を向けてしまったのだが視界に入ったのは優美な光景ではない。
「シャーロット嬢、こちらを。とても瑞々しくて美味しいですよ」
「うふふ、ありがとうございますモーリス様」
「シャーロット嬢、君がこの前食べたいと言っていた菓子が偶然手に入ったんだ。午後のティータイムにどうだ?」
「まあ!嬉しいわエリック様!」
「グリフェルドたちは可哀想に。こんな愛らしいシャーロット嬢と一緒に過ごせないだなんて」
「仕方ないさ、補習になってしまったのだからね」
ひとりの女子生徒を囲って、数人の男子生徒が世話を焼いている。その女子生徒は同性からも「愛らしい容姿をしている」と評価されていた。
柔らかなブロンドの髪に青空を思わせるようなスカイブルーの瞳。顔のパーツも私から見ても整っている方ではあると思う。くりくりとした大きな瞳にすっとした鼻筋、ややぽってりとしたピンク色の唇。
シャーロット・デンバー子爵令嬢。
そして周囲を囲っているのは伯爵位以上の親を持つ令息だ。
この光景に憤った理由は唯一つ。彼女に侍っている令息のひとりに妹のフィーネの婚約者エリック・アンダーソン侯爵令息がいた。
「…私の記憶が正しければ、オルフェ様直々に忠告されたのは昨日だったかと思うのですが」
「ああ、そうだよ。昨日だよ。あの男、舌の根も乾かぬうちに…!」
「っ、オルフェ様」
アリアドネが袖を引っ張ったので、彼女の視線を辿る。その先を見て息が詰まった。
廊下の向こうにフィーネが立っていた。
友人であるハッフェンベルト侯爵令嬢は顔色を真っ青を通り越して白い。驚愕の表情で裏庭の光景を見ており、フィーネは無表情で、ただじっと裏庭の光景を見つめている。
そんなときだ。
「シャーロット嬢、汚れているよ」
「やだぁ、エリック様ったら」
―― 彼女がフルーツを食べていて、口の端から垂れたその果汁を、エリックが舐め取った。
その光景を見た瞬間、足を踏み出したが強く腕を引かれる。振り返ればアリアドネがふるふると首を振っていた。
ばきりと音が聞こえてそちらへと視線をやれば、フィーネが無表情のまま手に持っていた扇子を折った音だった。
ふ、とフィーネの視線が私たちに向けられる。
「…お兄様、申し訳ありませんがわたくし、当面学園を休みとうございます」
「…ああ、その方がいい。父上には私からも伝えよう」
「ありがとうございます。…マリン様、行きましょう」
「フィーネ、様…」
目の前の光景にショックを受けてふらつくハッフェンベルト嬢をフィーネが支えながら去っていくその背を見送り、重たい息を吐く。
あの侍っている令息のうちのひとりであるモーリス・クライツ公爵令息はハッフェンベルト嬢の婚約者だ。私の友人でもあり、理知的で話の分かる男だったんだが…。
そっとアリアドネが寄り添ってくれたので微笑む。冷静になった今考えてみれば、彼女が止めてくれなければフィーネに迷惑をかけたかもしれないな。
「ありがとう、アリアドネ」
「いいえ…それよりもオルフェ様、本日は早めに王宮に戻られた方がよろしいですわ」
「そうだな…ごめん、今日は一緒に城下のカフェに行くと約束していたのに」
「今日じゃなくても行けますもの。今はフィーネ様たちが心配だわ…」
フィーネたちが去っていった方向を見つめるアリアドネに頷く。
裏庭の連中はこちらには気づかなかったのだろう。相変わらず、ピンクな雰囲気を醸し出していた。
父に私からも嘆願し、フィーネは登校しなくなった。
もともと、フィーネは飛び級で卒業できる資格を持っていたのだから授業に出なくとも問題はない。それでも彼女が学園にいたのは婚約者であるエリックとなるべく交流を持つためと、仲が良いハッフェンベルト嬢のためだ。そのハッフェンベルト嬢も学園を休んでいる。
国王である父も関係している令息とその婚約者の親もエリックの現状には頭を痛めているらしく、そろそろ婚約破棄をするかと話し合いをしている状況だ。
どの子息も親が叱っても、言い聞かせてもけんもほろろなのである。打撃がほぼ効かないモンスターのスライムを叩いているようなものだ。
だが、フィーネの婚約者としての条件である外国語が堪能な令息は、もう国内にはいない。国外にもそうそういないだろう。
このままでは私が王太子になってしまう。
私自身、王の性格ではないと理解している。優秀なアリアドネの補佐があったとしても賢王となれるか怪しい。
ああ。誰か、フィーネに救いの手を差し伸べることができる者はいないのか。
―― そう、思っていた頃合いに、冒頭に戻る。
彼は見ているこっちが可哀想なほどにガチガチに緊張していて、顔は真っ青のまま。
「うぅ、ゆ、ゆゆユーリ、です」
「オルフェウスだ。フィーネの兄に当たる…すまない、フィーネが無理やり連れてきたようで」
「ですから、違いますわ!きちんと説明した上で連れてきたのです!」
ねえユーリ!と尋ねる彼女にユーリという男性は真っ青な顔のままコクコクと頷いた。いや、本当かそれ。脅されてないか?
お茶を勧めれば、震えるその手で一口飲んだ。それで少し緊張が解れたのか、ほっとした表情を浮かべている。
「ユーリは人と話すのが苦手なだけよ。回数を重ねれば普通に話してくれるわ…たぶん」
「そうか…それでフィーネ。結婚とは?」
「あら、言葉通りですわ」
するりとユーリの腕に自身の腕を絡ませて、身を寄せる。びくりとユーリが震えた。
淑女らしかぬ妹の挙動に目を丸くしていると、フィーネはニコリと微笑んだ。
「わたくし、ユーリと結婚するの」
「フィーネ、君の結婚相手の条件は分かっているだろう?」
「ええ、分かっているわ。だからこれ以上ない人材なのよ、ユーリは」
フィーネがユーリの耳元でなにか囁くと、ユーリは持ってきていたカバンからなにか書類を取り出した。
差し出されたそれは、とある書籍の翻訳版の原稿。
……ん?ちょっと待て。この本はまだ我が国の言語での翻訳版は出ていないはずだ。
ユーリが手元でなにかを書くと、スッと差し出してきた。
紙面には『僕が翻訳した原稿です。明日、出版社からこの内容で出ます』と書かれていた。筆談であればすんなり話せるらしい。
「お兄様、トゥイナーガは知ってる?」
「知っているさ。最近、ドーテル出版社から各国のあらゆる本の翻訳版が出るようになっているからな」
翻訳版は元々そこそこあったが、せいぜい周辺国までだ。
遠方の国になるほど、希少な本として原本は稀に輸入されるものの誰も読めるものはいない。コレクター目的で入手するぐらいで、翻訳版なんて存在しない。
ところが、最近になってドーテル出版社から翻訳版が出るようになった。しかも高い頻度で。
そのあらゆる国の本の、翻訳版の書籍の末尾に記載されている翻訳者。それがトゥイナーガだ。
私も最近出版された翻訳版のお陰で論文が助かった記憶がある。
―― まさか。
原稿の最後のページを見る。トゥイナーガが出版した本には必ず、最後のページにサインが書かれているからだ。想定通り、そこにはトゥイナーガのサインがあった。
思わずユーリを見れば、びくりとユーリは体を震わせながらも、ぎこちない笑みを浮かべた。
「……君が、トゥイナーガ?」
「は、はははい」
「学園では見たことがないが…」
「ユーリは平民よ。学園に通ってないわ」
「この能力を持ちながら?とんでもない損失じゃないか」
「あと、わたくしも驚いたのだけど、ユーリはわたくしたちよりも年上よ。今年で二十六歳ですって」
思わずユーリをまた見た。
どう見ても我々と同じ十八から二十歳、むしろ少し下のようにも見えなくもないが…?
いや、驚くべきところはそこじゃないな。
「…フィーネ、彼をどこで見つけた」
「王立図書館。彼が弟君に勉強を教えているところを見かけたの。そのときに『兄貴はすげーな、オレその本一文字も読めねー。どんな話なの?』『こことは違う国の建国神話だね』と言ったのが聞こえて彼が持っている本を何気なく見たら、グレース共和国で使われてる文字列の本だったのよ。しかも、未翻訳の!」
…どの国でどの系統の言語が使われてるのかは把握できているんだよなぁ。いや、本当に勿体ない。
グレース共和国も建国神話があるほど、歴史は古い。かつては王国であったが、近世で共和制を取り入れた国だ。我が国からは二カ国ほど跨いだ距離にある。
我が国でもグレース共和国の公用語であるグレース語を扱える者は聞いたことがない。恐らく稀覯本として図書館に寄贈されていたのだろう。
辞書もなく、誰にも読めないはずの言語で書かれた本をスラスラと読んで弟に解説していたユーリに興味を抱いたフィーネは、特権を使って司書に彼の貸出履歴を提出させたそうだ。
フィーネが貸出履歴の写しと資料をテーブルに出す。
貸出履歴に並んだ本の名称は空欄。本に紐付けられた管理番号だけが記録されている。
誰も読めない外国語は司書たちでもタイトルを把握することができないため、こういう管理方法になっているのだ。
これだけなら、彼が読めない本に描かれている挿絵を見ているだけ、とも言えない。
併せてフィーネから出された資料には管理番号とともに本の写し絵が描かれていた。それと彼が借りた本を照らし合わせると、トゥイナーガが出した翻訳本と全く同じ。
しかも、借りたのは翻訳本が出た日付よりも前だ。
思わず、感嘆の息を吐く。
「よく見つけたな…」
「わたくしの日頃の行いが良いからよ。それで、お兄様」
視線をフィーネに戻す。
彼女はにっこりと微笑んでいた。
「わたくしとユーリの結婚、認めてくださるわよね?」
「……ユーリは、どうなんだい?不敬だ何だは問わない。何ならフィーネを振っても構わないよ」
「お兄様!」
「君の本心が知りたい。君はどうしたい?」
ひ、とユーリから小さな悲鳴が溢れた。
体を震わせてぎゅうと強く目を瞑る。やはりフィーネが迫り、断りきれなかったのかもしれない。
そう思っていると ―― 腕に絡んでいたフィーネをそっと押して、離れさせた。フィーネは驚いた表情を浮かべている。
おや、とユーリの様子を見ていると、彼は背筋を伸ばして、ペンを置いてまっすぐ私を見つめて言った。
「ぼ、僕の……力が、お、おおお王女殿下の、力に……なるのなら、結婚、します」
「うん」
「………王女、殿下…を、愛してるとか……そういうのは、まままだ、な、ない…けれど」
その言葉の先は言わなかったが、理解できる。
今は愛情を持っているわけじゃない。ただの仕事の相棒として過ごすことになるだろう。
だがそうやって過ごすうちにきっと、愛情が芽生えるだろう。
正直、フィーネがくっついたままで同じことを言われても納得はしない。
だが彼は自ら、フィーネを離させた。いつまでもフィーネ頼りにはならず、自分の力でなんとかしようと考えているのだろう。
フィーネが期待の眼差しをユーリに向けている。
現在、彼女がどういった感情をユーリに持っているのかは分からないが…。
「君の実績を持ってすれば、父の許可も下りるだろう」
「お兄様、では…!」
「微力ながら手伝うよ」
「まあ、ユーリやったわ!」
「あばわわわわ!!」
ぎゅう、とフィーネがユーリに抱きついて、ユーリが悲鳴を上げた。
ユーリの顔色は真っ青から一転、真っ赤になっている。
…淑女たれと叩き込まれ、周囲に完璧だと称されるフィーネが異性に抱きつくなんて。
意外とフィーネはユーリにぞっこんなのではないか。
なんとかフィーネを離したユーリは、スラスラと紙になにかを書き出す。
差し出されたそれの内容を見て、思わず顔を顰めた。
『今、学園でひとりの低位貴族の女子生徒を高位貴族の男子生徒たちが囲っているとお伺いしたのですが、それは本当ですか?』
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