お兄様、悪いお顔をなさっていてよ

 やはり、検閲者にはベガルド語を理解する者はいなかった。

 ベガルド語を便箋の飾りに見立てて手紙のやり取りを数度、行う。

 とうとうステファニー様から「助けて」という言葉をいただいた。


 それを受け取ったその日の夜、家族全員で私的に集まったときに、お兄様と一緒にお母様とお父様に助力を願った。

 お母様は頷き、お父様は何やら「資料をとってくる」と一度部屋から出た。


「まずはステファニー様を我が国に招待しましょう。そうね。招待目的は国家間の親交を深めるため、ということにしましょうか。ついでに、学生時代の友人だったツェツィに会わせたい、ということで」

「ありがとう、お母様」

「いいのよ。わたくしに出来ることなんて限られているから。むしろ今回は、わたくしよりユーリの方が役に立つと思うわよ?」


 クスクスと笑ってそう答えるお母様に、お兄様と顔を見合わせる。

 それからまもなく、お父様が戻ってきた。ものすごく分厚い本を数冊、抱えて。


 なんだろうと見ていれば、お父様がその本をテーブルに広げる。

 ……これって。


「【国際条項と各国の法律】、ですか」

「うん。僕が、書いた本。たぶん…第三部の事件が、起きるだろうからって、作っておいた」


 ………待ってお父様。

 それ、初版は二十二年前ですよね?たしか、お兄様が生まれてしばらくした辺りから取り掛かったって仰っていたものですよね?

 唖然とするわたくしとお兄様をよそに、お母様がキラキラとした眼差しをお父様に向ける。


「まあユーリ!とうとうその本が役に立つときがきたのね!」

「い、一応裁判官の皆さんとかには、すごく感謝されてたけど…まあ、本来の目的はそう、だね」


 「二度あることは三度あるっていうし」と言って、お父様は第三部に備えてお兄様が生まれてすぐの二十四年前から準備を始めていたらしい。


 第三部は、主人公であるステファニー様が冤罪にもかかわらず毒杯で死亡するところから始まるという。

 死んだはずなのにその日から一年前に時間が巻き戻り、そこから国王と離婚できるように、冤罪をかけられないように立ち回っていくのが内容らしい。運命の番であるグランパス卿とその友人であるスピネル様がヴァット王国の騎士団の特別顧問として派遣されることを知っていたステファニー様は、何とか彼らと連携を取って冤罪を晴らし、堂々と離婚。

 エインスボルトでグランパス卿と結婚して幸せに暮らしました、というあらすじなのだそう。


「それなら、離婚しやすいように法律関係をまとめれば良いんじゃないかって、思って。フィーも色々協力してくれたから、助かった」

「ふふ…まさか国際条約を批准している国すべての法律をまとめ上げるだなんて、思わなかったわ」


 この世界に国際婚姻条約があり、竜人・獣人の運命の番だった場合の項目があることを知ったお父様の動きは早かったらしい。

 ヴァット王国だけだと変だから、と国際条約に批准している国 ―― エインスボルト、シェザーベル、グリジア、グレース等などこの大陸に存在する国々、果ては別大陸の国々の法律書を求め、それをまとめ上げ各国向けの翻訳を施して出版した。

 …婚姻以外のすべての国際条約に関連する法律も含めたのだから、お父様が恐ろしいわ。当時の出版社の方々も死に体になったと聞くし。

 けれどその本のお陰で、各国はもとより、特に国際裁判官の方々からはとても感謝された。セントラル・ヴェリテ学園で法律学の教鞭をとっていた、元国際裁判長官のヤージェ先生なんかは「トゥイナーガ様がいらっしゃるからこそこの学園に来たのだ」と公言するほど。


「エヴァン。ヤージェ卿にあらかじめ話を通しておきなさい。彼がいれば百人力でしょう」

「…そうですね。ニアに手紙を渡してもらうようにします。ああ、そうだ。シェルジオがバーデンベルグのダンジョンに潜る予定なんですが、お目付け役としてフロイスに頼むことにしました」

「スピネル辺境伯のご子息ね。良い人選だわ。わたくしの方からも手紙を出しておきます」


 ニア、とはヴァット王国を挟んで向こうにあるグリジア皇国の第二王女、ハルニア様 ―― お兄様のご婚約者の愛称。年下だけれど将来のお義姉様になる。政略によるものだけれど、とても仲が良いおふたり。

 お兄様とは年が七つ離れており、現在彼女はセントラル・ヴェリテ学園に留学している学生の身だから、ヤージェ先生と接触しやすいでしょうね。

 お父君であるスピネル辺境伯はまだ現役でいらっしゃるからご子息のフロイス・スピネル様をお借りすることも問題なさそう。


 ぱらぱら、とページを捲っていたお父様が、ひとつの条文を指さした。


「…たぶん、ステファニー王妃は『簡単に離婚できない』というはず。理由は、これ」


 そこにはヴァット語で『国王、王妃の離婚は特別な事由以外は認めない』とある。

 …でも普通、運命の番関係の条約が優先されるはずだから特別な事由にあたるはずなのだけれど。そうじゃない、ということ?

 お父様がある単語を指差す。


「ここの、変なスペース。恐らくだけど、ここに黙字が入る」


 ヴァット語は、同音異義語が多い言語。

 大体は前後の文脈から判断するか、黙字と呼ばれる発音しない文字を入れて意味をわかりやすくすることが多いから…他の文章にざっと目を通したけれど、同じようなスペースはないわね。同音異義語になりやすいものはきちんと黙字が入っているものが殆どだわ。


「この単語に、ヴァット王国で使われているあらゆる黙字を当てはめたら、ひとつだけあった」


 そう言って、お父様は手元からメモを取り出して何かを書き出すと、その単語の上に置く。

 ―― そうするとあら不思議。黙字が追加されただけで条文が【国王と王妃の離婚は特別な事由があれども認めない】に早変わり。


 目を瞬かせるお母様は、助けを求めるようにお父様を見上げた。

 お父様は苦笑いをしながら、その言葉の意味を告げる。するとお母様の柳眉が釣り上がる。


「…これは、ダメね。ユーリが今年の改訂版を作ったときの参照元って、ヴァット王国の元老院や裁判所で使われてるものでしょう?それなら最新の法律書が王家から配られているはずだわ」

「国際条約の批准国となった際に、消した可能性はないのですか?」

「エヴァン、それはダメなのよ。法律を改正した場合は必ず、たった一言が変わっただけでも原本は新しくなるわ。印刷元の原本に修正を加えることは許されないのよ」

「図書室に、行ってみるといい。過去を忘れぬための歴代の法律書が、あるから」


 愚かな法律があった時代もあった。

 それを忘れぬようにするため、法律を改正した場合は古い法律書を残し、新しい法律書を発行する。

 ヴァット王国がそれを怠っている可能性がある、もしくは…


「…印刷できぬほどの薄い字で書かれている可能性もありますわね」


 ちょうど、この条文は国王と王妃にしか関係がない条文だから、変なスペースが空いていても国民や一般貴族には関係がないから見逃されていたのかも。

 わたくしの指摘に「多分、そうだろうね」とお父様はため息を吐いた。


「いずれにせよ、この話をしたときのステファニー様からの反応待ちだわ」


 お母様のその一言に、全員が深く頷いた。





 幸いにも、バーデンベルグのダンジョンが狩り尽くされることはなかった。

 案の定、ステファニー様により良いものを贈りたいと思うグランパス卿が暴走しかけていたらしく、スピネル様が何度も諌めたらしい。

 ホクホクと「良いものが採れました」と報告しに来てくれたグランパス卿の隣で、スピネル様がげっそりとしていた。あんなに整った面立ちが崩れるなんて、初めて見たわ。よっぽどだったのね…。

 お兄様から「なんか労いとしてくれてやれ」と言われたので、前々から手掛けていたスピネル辺境伯の家紋を刺繍したハンカチを渡したところ、ダバダバと涙を流して「家宝にします!!」と言われてしまった。

 …ハンカチでこんなに喜んでくださるならマントを縫って差し上げたら、もっと喜んでくださるかしら?


 グランパス卿は、今は魔石によりよい加工をするため、様々な職人のところに足を運んでいるらしい。

 必ずといっていいほど「俺の運命の番に贈るものだから」と話すものだから、社交界でもグランパス卿の番の話は話題になるほど。

 …けれど、その相手が誰なのか、までは知られていないみたい。良かったわ。



 そうして、こちらの招待に応じてステファニー様は来てくださった。

 ステファニー様付きの侍女は二名。一名は明らかにやる気なし、もう一名はきっちりしてるけど…何なのかしらこの人選。

 お母様いわく「監視でしょうね」とのこと。となると、彼女らにステファニー様の心情を知られるわけにはいかないわね。


 わたくしの応接室にお通しして、執事や侍女たちは全員下がらせた。

 部屋のドアは開けておいてあるけれど、お兄様には人払いと遮音の結界、念のため覗かれてもただ楽しくおしゃべりしているようにわたくしが幻惑の魔法をかけて、さあ準備は万端。


「ステファニー様、お話いただけますか?」

「……私を、王から助けて欲しいのです」



 そうして、ヴァット語で語られた話はわたくしですら冷静を保つのが難しいほどに、怒りを覚えるほどだった。



 国に戻ってからすぐ問答無用で結婚させられ、王太子妃になった?

 その影響で金を使って陛下と当時の恋人の間を引き裂いた悪女だと周囲から罵られ、ステファニー様が”真実の愛”を邪魔したとまで言われた?

 他国が絡む式典や行事等でのエスコートは最低限するけれど、国内のみとなるとエスコートするのは側妃。本来それはおかしいはずなのに、諫める者はおらず放置されていた?


 公務はほぼステファニー様に丸投げ、王宮で働く者たちからの嫌がらせ。唯一表立って助けてくださるのは宰相殿のみ、裏では絶対中立の侯爵家と伯爵家の二家だけ。

 ご両親も色々と手を尽くしてくださったけれど、どうにもならなかった上、信じていた侍女が裏切っていたことを知ってしまったなど。


 ああ、ああ、腹立たしい!


『死にたい。死んでしまいたいの』


 ボロボロと涙を零す彼女のどこが悪女だというの。

 その夫の方が悪漢じゃない!ステファニー様は悪くないわ!!


『貴女の想い人のお名前、差し支えなければお聞きしても?』

『シェル様…グランパス伯爵家の、シェルジオ様です』


 よし、言質は取ったわ。


「……お兄様。グランパス卿って、婚約者まだいらっしゃらないわよね?」

「そうだな。すぐに連絡をとらせよう」

『えっ』


 今思いついた、という風に提案する。

 お兄様、ちょっと棒読みじゃなくて?もうちょっとこう、感情を込めてくださらないと。


 …一応、お父様の話は国家機密だから「どうしてこう早く動いてくれたのか」と言われると、なんとも言えないのよね。

 だからステファニー様には、わたくしたちがその場その場で考えて発言していると思ってもらわなくては。


『お、お待ちください!シェ…グランパス様にそのようなご迷惑は!』

『迷惑じゃないわ!むしろ、何も伝えない方がグランパス卿を悲しませるだけだもの』

『はは、シェルジオがすっ飛んでくるな』

『そうだわ。ステファニー様、ちょっと気になっていたのだけれども』

『はい』

『…どうして、あの手紙を出すまで我慢していたの?』


 本の通りだ、と言われるとそれはそうなのだけれど。

 ステファニー様が結婚してから六年。

 現状にどうして六年も耐える必要があったのか、というのは単純に疑問だった。


『…ツェツィーリア様、エヴァン様、ヴァット王国では…王と王妃は非常に離婚し辛いのです』

『そうなの?』

『はい。それと…祭司長様からエレヴェド様からのお告げをいただきました』


 ……え。

 わたくしもお兄様も驚いて目を見開いた。待って。エレヴェド様は、ステファニー様にもお告げを伝えたの?

 通常、祭司長様、いや、エレヴェド様はお告げを出すことは滅多にないはずなのに。


『私が結婚してすぐの頃、我が国の大神殿を訪問されたことがあったの。王妃としてご挨拶した際に、こっそり伝えられたの』


 ―― エレヴェド様からのお言葉を。『辛いだろうが、今の夫が即位してから五年耐えた後、心を預けられる友を頼りなさい。そこからあなたは救われるだろう』


 その話を聞いて、なるほどと思った。

 グランパス卿が成人するのを待て、ということだったのでしょう。グランパス卿が成人したのはつい最近だから。


 それはおいておきましょう。

 そんなことより。


「…お兄様どうしましょう。わたくし、ステファニー様に【心を預けられる友】と言っていただけたわ!」

「良かったな」

『ステファニー様!ぜひ、ぜひわたくしのことはツェツィとお呼びくださいな!』

『…それでは、私のことはステフと』

「やったわお兄様!」

「はいはいどうどう」


 ああ、嬉しい!

 学生の頃から仲良くさせていただけたらと思っていたのよ!



 ステフ様が退室されていくのを見送ってから、ソファに深く座りなおす。


 グランパス卿に連絡を取るのは良いとして、問題はどう会わせるか。

 いくら王宮内でわたくしたちの勝手が良いとはいえ、ステフ様は他国の要人。警備も厳しいし、何より監視役の侍女たちの目もあるでしょう。

 ステフ様の立場がこれ以上悪くなる要素は排除したいわ。


 行儀悪く背もたれに寄りかかって天井を見上げていたお兄様は、深く、長くため息を吐いた。


「…シェルジオを夜中に呼び出してステファニー様の部屋に行くか」

「え、でも」

「シェルジオには小さい竜にでも変身してもらって、窓から侵入してもらう。俺たちは目眩ましを使って堂々と表から入ればいい」

「…そうね。侍女たちも夜は休むでしょうから。休まない様子だったら、わたくしの侍女から休むように伝えさせるわ」


 こちらも仲間だと思わせればいいもの。

 一介の侍女が、こちらの関係を知っていることはないでしょう。それでもダメであれば最終手段で眠らせるだけよ。


 グランパス卿に早速精霊魔法で連絡して、彼から連絡をとらせる。

 本当ならわたくしたちが良いのでしょうけれど…まあ、少しは花を持たせないとね。


「お母様にもお伝えしておくわ」

「よろしく」





 夜半にステフ様のお部屋にお邪魔したら、あら大変。

 グランパス卿とステフ様がキスされようとしているところだったから、慌てて止めたわ。

 …だってまだ彼女はヴァット王国の王妃だもの。いくら人避けや遮音の結界をしたからといって、どこから漏れるか分からないし。


 この前お会いしたときとは違い、グランパス卿の表情はいきいきとしているし声にも張りがある。番が目の前にいるだけでも嬉しいのね。



 国際婚姻条約によって、ステフ様は離婚できることが保証されている。ヴァット王国が条約に沿った法律改正を行っていない点を突けば、きっと大丈夫でしょう。

 けれど、その点を突くにはわたくしたちだけでは心もとない。


『問題ない。蛇の道は蛇だ』


 お兄様が説明する。

 法律には法律の専門家を。文句が出ないほど、国際条約に詳しい人物と共に攻めればいい。

 国際裁判官は公平性を保つため、原則職務以外では各国と個人的に連絡を取ることは禁じられている。けれど例外があって、引退した裁判官と連絡を取り、助力を請うことは可能なの。


 ハッとステフ様が気づく。


『ヤージェ先生…!』

『そう。ヤージェ卿の助力を願った。快く承知いただけたよ』


 ヤージェ先生は元国際裁判長官。

 とても公平に数多の係争を解決してきたと書物が出来るほどの有名人なのよ。姿絵はもちろん、写真でそのお姿を誰でも見ることができるほどに。

 そして引退した国際裁判官は万が一のために現職と同等の権限を三回行使できることができるそうで。もちろん、その権限を行使するには明確に裁判に掛ける必要があると判明した事案であり、現職の裁判官と協力する必要はあるのだけれど…後ろめたいことをしているヴァット王国には、十分脅威でしょう。


『あとは何らかの催し物で、我々を招待いただければ』

『それでしたら、即位記念の式典があります。ちょうど五年目ですから』

『…かの御方が現ヴァット王が即位して五年まで耐えよ、と仰ったのはこのためかもしれませんわね』


 我々が難なくヴァット王国に足を踏み入れ、ヴァット王と顔を合わせられる機会が訪れる年であり、グランパス卿が成人を迎えた年。

 どうしてエレヴェド様がここまで肩入れしてくださるのかは分からないけれど、ありがたく利用させていただくまでよ。


『では式典には我々兄妹と、シェルジオ、ヤージェ卿を招待できるよう手配を。従者二名参加できる、ぐらいで構わない。シェルジオは護衛兼学友、ヤージェ卿は教え子だからという理由で連れて行くから』

『承知しました』

『それから、ステファニー王妃殿下には法律改正を頼みたい』

『え?』

『なぁに、国王とその側妃とやらににとっては悪いことじゃない。それに一般常識があれば普通は起こり得ないことだ…そう、一般常識があれば、な』


 お兄様、悪いお顔をなさっていてよ。


『この本で確認したことだが、公式行事は必ず王妃をと明記されている。だが、我が国も含めて他国では王妃が産み月間近なときや体調が崩れている等といった事例の場合のみ、側妃を公式行事にパートナーとして伴って良いとされているんだ』

『……聞いた限りでは、ステフを蔑ろにしている国王と側妃です。恐らく都合の良い部分だけ見るでしょうね』

『そう、それを突くんだよシェルジオ。もし、記念式典やその後の夜会で側妃をパートナーとして伴ってきたら…さあ、周囲の目にはどう映る?』


 まあ、なんて大胆な。

 ステフ様も驚きで声が出ていないわ。


 けれど、もしヴァット王がそのような行動をすれば、それは周囲にはとても強烈な印象を与えるでしょう。

 法律を自分に都合よく解釈する王。公式の場ですら王妃を大事にせぬ王。

 この世に仮面夫婦となっている者たちは多くいる。それでも、表面上は正妻・正妃を大事にしているという世間体は保つのだ。


 国際条約の批准国にも関わらず、抜け道を用意して自分たちに都合の良い内容で法律を運用するんですもの。

 国家としての信用は地に落ちるでしょうね。


『ステフ…無理にしなくていい。君はもう十分、苦労しているんだから』

『いいえ、シェル様。やりますわ、私。ふふ…すべての公務を丸投げしてくださるんだもの、このぐらい問題ないわ。シェル様と一緒になるためなら、私もう少し頑張るわ』


 ステフ様も吹っ切れたようね。

 微笑みを浮かべるステフ様と皆顔を合わせて、頷いた。


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