第二王子ゲオルグ視点

婚約者が綺麗だけじゃなくて可愛いことにも気づいたので、イチャつくついでに全力で羽虫を退治することにした

「グェンジャー侯爵家が娘、ジャネットと申します。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」


 婚約者だと紹介されたその場で、彼女は綺麗なカーテシーをした。

 艶やかな黒髪に切れ長の瞳。白い肌に、ぷっくりとしたピンク色の唇。

 だから第一印象は「綺麗な令嬢」。


 俺も笑みを浮かべて、彼女に挨拶をする。


「こちらこそよろしく、ゲオルグだ。名を呼んでも?私も名で呼んでほしい」

「はい、ゲオルグ様」





 俺とジャネット嬢の婚約が結ばれたのは学園に入学する直前の十五歳だった。


 王族との婚約の場合、教育の関係上早めに結ばれることが多い。

 だが、七歳上の王太女である姉上がすでに伴侶を得て男児も生まれているし、九歳上の第一王子である兄上もいて、俺はさほど重要な役割はないので婚約ものんびりとしたものだった。

 まあどこかに婿入りするんだろうと思っていたら、グェンジャー侯爵家だったらしい。

 学業の傍ら侯爵家の仕事についても学び、卒業と同時に結婚の流れになっている。


 グェンジャー夫人は、ずいぶんと年下の俺から見てもとても美しいと思える美貌を持っていた。

 その娘であるジャネット嬢も当然その美貌を受け継いでおり、スラッとした体躯で凛とした美しさがある。

 一応俺自身も容姿にはそれなりに自信はある方だが、ジャネット嬢の美しさの前では霞むだろう。


 妬みはないのかって?そりゃあるさ。

 婚約者は容姿端麗、頭も良い。かたや俺の方はそこそこの容姿、学園での成績順位もジャネット嬢に及ばない。

 まあ、俺のゴミみたいな矜持プライドなどモンスターに喰わせて生きていくしかない。


 …とふて腐っていたのを、義兄上に悟られた。

 姉上が公務で外出中、密かに義兄上に執務室に呼ばれて、促されるまま応接ソファに座った。そこで出されたのは、見たことがないお菓子だった。口にすれば、感動で体が震えるほど美味い。

 基本、義兄上は姉上かご自分の家族にしか菓子を振る舞わない。どうしてと思っていたら、姉上との仲の相談したかったという。

 …相談、という体ではあったけれど、実は俺のことを心配してくれていたのだと、すぐに分かった。だって吃りが酷いからと普段は筆談しかしない義兄上が、俺と口頭で会話したから。


 政略結婚で愛はない。それは当然だと思っていた。

 でも義兄上は「愛なんて信頼関係の積み重ねだ」と言った。家族も、友情も、恋愛も、すべて信頼関係の上で成り立っている。


「ふぃ、フィーも、ね。最初、ぼ、僕のこと、好きで、け、けけ結婚する、なんて……言って、なかった、から」

「え」

「最初は、えと、打算。ま、前の婚約者と……婚約、か、解消するための」


 知らなかった。

 義兄上と姉上が相思相愛な様子しか、俺は知らない。いつの間にか知り合っていて、騒動を解決したと思ったら突然の婚約だったから。


「ぎ、義務的に……付き合うって、その…し、し信頼、で、できる?」

「…難しいですね」

「で、でしょ?だ、だから……」

「…俺も、ジャネット嬢ときちんと向き合うことが重要、ですね」


 俺が理解したのが嬉しいのか、義兄上は笑った。

 そうか。そういえば俺は、婚約者の義務としてしか接していなかった。彼女の情報も、彼女と滞りなく接するための情報でしかなくて、彼女を喜ばせるようなものじゃない。


 そこから俺は、一歩踏み込んだ。

 義務的に誘うのではなく、ジャネット嬢に希望を聞いて外出したり、彼女の好みそうで俺も話せそうな話題を探したり。

 そうすると、ただ美しいとだけ思っていたジャネット嬢が可愛らしい一面を持っていることも知った。何でも卒なくこなす彼女に苦手なことがあることも。


 今は、義務ではなく心から彼女と添い遂げたいと思っている。

 俺は婿養子で、彼女は当主だ。なら彼女の力になれるよう、と今まで以上に勉学に力を入れた。 


 ジャネット嬢との仲も良好で、この前手の甲にキスを落としたら顔を真っ赤にして可愛かった。

 政略結婚から始まる仲としてはいい方じゃないだろうか。


 そう、思っていた卒業を控えた三学年目の中頃。


「…なんだ今の」

「嵐だな」


 ジャネットの従兄で俺の友人、エディアル・スピネルも呆れたような声を出す。



 つい今しがた起こったことだ。

 俺とエディアルが放課後、教師に頼まれていた雑事を済ませて人気のない廊下を歩いていると、向こうから歩いてきた女子生徒の集団に声をかけられた。


「あ、あの、殿下!」

「ん?」


 無視して進んでもいいが、後が面倒だ。

 そう思って足を止めたのが良くなかった。


「ウェーバー様とのこと、応援しています!」

「私たちとても感動してるんです、素晴らしい愛だなって…!」

「グェンジャー様に負けないでください!」


 そこまで言って「きゃー」と彼女たちは俺の言葉も待たずに早足気味に去っていった。

 呆然とした俺が次に言ったのが先ほどの「なんだ今の」だ。


「殿下、ジャナと仲が悪かったか?」

「いや、そんなつもりはないが…明日はジャネット嬢とデートの予定なんだが?」

「だよな」


 婚約者としての役割はきちんと果たしている。

 ウェーバーって誰だ。頭の中の貴族図鑑を開いてみるも、ウェーバー男爵のことしか出てこない。あそこって娘いたか?

 いやそもそも何で俺とそのウェーバーとやらが愛し合ってることになってんだ?


 頭を抱えた俺に「あ」とエディアルが思い出したように呟く。


「ここ最近遭遇していると言っていた生徒か?」


 あの生徒か、と思い返す。

 …俺が相手の容姿に興味を抱いていないから顔は思い出せん。ただ、ジャネット嬢よりは美人ではなかった。


 元々読書が好きだった俺は、三学年に上がってから図書室で暇を潰すことが増えた。

 エディアルは側近でもなんでもない、ただの友人だ。だからあいつが俺の傍にいないこともある。

 意外と王宮我が家にないジャンルが多く、市井で流行りの小説とかも呼んでいた。推理ものだとか、結構面白い。


 そんなとき、高い位置にある本を取ろうとして背伸びをしている女生徒がいた。

 フラフラと危なっかしく、あのままバランスを崩して倒れれば蔵書に傷がつくかもしれないと思った俺は代わりに取ってやったのだ。

 ―― 今思い返せば、そんなことせずにいつも通りに定位置である窓際で読んでいればと思う。


 何を思ったのか、その女生徒は翌日以降から図書室にしょっちゅう現れるようになった。

 俺が読んでいる本のタイトルを見ては「私もそれ読んだんです、面白いですよね!」とぴーちくぱーちく騒ぐようになった。

 一度「静かにしてくれないか」と言ったが、少なからず周囲の目がある中でボロボロと泣き始めた。


『殿下の邪魔をするつもりはございませんでしたっ、殿下が、市井の小説にご興味があるようでしたので、私がご案内できればと思っていましたの…っ、で、殿下に、もっと面白い、小説を紹介、しようと…っ』


 感想?

 面倒くさいの一言だ。


 それで「もういい(からどっか行け)」を勘違いしたらしく、アレは図書館以外にも姿を現して纏わりつくようになった。

 図書館にも行けなくなった、安らげるのは授業中と男子寮ぐらいなもので、俺はやや疲弊している。授業なんて放って王宮に帰るかグェンジャー侯爵邸に行って領主補佐の勉強したい。


「殿下」

「ん?」

「そういえばディックから聞いたんだが、殿下と先ほどのウェーバーとやらが愛し合っていて、殿下がウェーバーとやらと共に侯爵家に入ると噂されているらしい」

「……それ、いつ聞いたんだ」

「一週間ぐらい前だったか。ディックから聞いて、殿下に話そうと思ったんだが…」


 ああ、一週間前ならお前のような騎士見習いも参加する数日かかる遠征が入っていたな。俺もちょうど公務が入って忙しかった。ディックもディックで、将来は警衛隊に入ることが内定してるため、研修として実際に市井に駆り出されてた期間だったし。

 「すまない」と謝るエディアルに首を振る。

 感情をあらわにして邪険にするわけにもいかず適当に流していたものの、それが良くなかった。俺が判断を誤った。

 それなりに交友関係が広いディックが耳にしてるぐらいだ、その上一週間経過している。ジャネット嬢の耳にも入ってると考えた方がいい。


 …もしかして、この前の定例の茶会で少しぎこちなかったのはそれのせいか。

 明日の、どこかで話さねば。





 翌日、予定していた観劇を終えて。

 劇場の近くにある予約していたレストランの個室でジャネット嬢と先ほどの舞台の感想を言い合う。内容は勧善懲悪のようなもので、大まかなあらすじはこうだ。


 魅了魔導具の制限がまだかかっていなかった頃の話。

 お互い愛し合っていた恋人同士であるゲイザーとエレナ。ところが、ゲイザーに横恋慕したヴェルミナが魅了魔導具を使いゲイザーが惑わされ、仲が引き裂かれる。

 エレナの方はなんとか解呪しようと足掻くが、ヴェルミナの方が上手で空回りするばかり。

 ついには魅了魔導具は同性にも及び、エレナは街ぐるみで虐待紛いの扱いを受けるようになる。

 とうとうその辛さに耐えかね、命を絶とうとしたそのとき、彼女に救いの手が差し伸べられた。


「わたくし個人としては、エレナに手を差し伸べたザックスとのあの場面にとても心打たれましたの」

「ああ、あの場面は私もとても良かったと思う。よくぞ、エレナに手を差し伸べた!ってね」


 素直にそう返せば、ジャネット嬢はぱっと表情を輝かせた。

 可愛い。


「そう、そうなんですの!直前までのエレナに対する仕打ちがあまりにもと思っていたところでしたので、ザックスがエレナに救いの手を差し出したあの場面が…」


 そこで不意に、我に返ったようにジャネット嬢の勢いが衰えた。

 咳払いをして「申し訳ございません」と困ったように微笑む。


「はしたのうございました」


 確かに淑女として、はしゃいで感想を述べるのはよろしくないかもしれない。

 だが、ここは個室。

 信頼のおける侍従や侍女たちしかいない。


「気にしなくていいのに」

「いえ、わたくしはグェンジャーに連なる者、殿下の婚約者でもあります。外の者に見られる場所でこのような振る舞いはふさわしくありませんわ」


 なるほど。まあ万が一ということもあるしな。

 手を上げると離れていた侍従のレオンがさっと寄ってきた。


「レオン、グェンジャー侯爵家に先触れを。ジャネット嬢をお送りがてら、少しお邪魔したいと」

「畏まりました」

「殿下?」

「外でなければ問題ないんだろう?私としてはもう少し感想を言い合いたいのだが…」


 ダメだったろうか?と首を傾げれば、ジャネット嬢は何度か目を瞬かせたあと、少し恥ずかしげに「いいえ」と答えた。

 淑女らしい澄ました彼女も凛として美しいが、こんな可愛らしい面がある。もっと仲を深めたらどうなるんだろうか。


 …あ、忘れていた。あのことを言わなければ。


「ジャネット嬢」

「はい」

「君に伝えておきたいことがあって」


 す、とジャネット嬢の表情が引き締まった。

 察してくれたのだろう、と思って口を開きかけたそのとき、ジャネット嬢からとんでもないことを言われた。


「ウェーバー様のことですよね?大丈夫です、きちんと仕事をしていただければわたくしとて愛人を持つことを拒否いたしませんわ」


 は?…と声を出さなかったのは褒めてほしい。


「…ジャネット嬢?」

「ただ、もう少し知識をつけていただきたいものです。何度かお話させていただきましたけど、高位貴族に求められる常識をお持ちではないようですので…そちらは、ゲオルグ様が手配いただけますか?さすがに愛人の教育は、」

「ジャネット嬢、ちょっと待ってくれ」

「はい?」


 頭を抱えた。

 ちょっと待て。あれはジャネット嬢と話したのか。で?愛人?

 俺は婿入りする立場だぞ、仮に恋人とやらになっていたとしてどの面下げて愛人と一緒に侯爵家に入るなんて言うんだ。

 心配そうに「ゲオルグ様…?」と声をかけてきたジャネット嬢に、姿勢を正して告げる。


「私はそのウェーバーとやらを知らない」

「……え」

「付き纏ってくる女生徒がいるにはいるが、周囲を飛び回る羽虫ぐらいの認識しかない」

「は、え、むし?」


 目を白黒させるジャネット嬢を見て、席を立った。

 ジャネット嬢の傍に寄り、その場で跪く。膝の上に置かれていた彼女の手は震えていた。


「不安にさせてすまなかった、ジャネット嬢。誓って、私はそのウェーバーとやらと懇意にしていない」


 きゅ、と彼女の唇が結ばれた。

 曖昧な態度を取っていた俺が全面的に悪い。


 手を差し伸べて待っていれば、彼女が手を伸ばして乗せてくれた。

 その白磁のような手の甲に、口づけを落とす。


「ゲオルグ様」

「適当にあしらっていたんだが、それが勘違いされたようだ。エディアルにもついてもらって、そのウェーバーとやらに会って私は愛人を持つつもりもないし、愛し合ってもいないときちんと話そう」


 ほ、と安堵の表情を浮かべたジャネット嬢は小さく頷いた。

 彼女を不安にさせてしまったのが心苦しい。


 ―― 排除するか。



 その日は、ジャネット嬢を屋敷に送り届けた後、俺も少しお茶をした。

 内容はもちろん、あの劇の感想だ。

 勝手知ったる自邸ということもあり、ジャネット嬢はいつもより表情豊かだ。

 これが結婚したら常に見られるのだと思うと、とても楽しみに思う。





 羽虫について情報収集すると、まあ、一言で言えば夢見がちな娘。

 ウェーバー男爵家にいる娘だが、両親は遅くにできた娘に大層甘いらしい。


「そのためか、下位貴族のマナーすらも覚束ないようです」

「入学してまだ一年目だからという点を鑑みても、あれは酷いな」


 あれ、とは「お前のことは興味のかけらもない」と告げに行ったことだ。

 つい三日前の話なんだが、同席してもらったエディアルも絶句するほどだった。


『ゲオルグ様ってばツンデレなんですね!大丈夫です、ジャネット様に許可はいただきましたから!』


 どこの馬の骨がジャネット嬢の名前を呼んでいいと、この羽虫に許可したのか。

 一瞬怒りで我を忘れそうになったが、エディアルが気づいたようで肩を叩いてくれたから抑えることができた。

 というか話をどう曲解すれば俺がツンデレになるのか。誰か教えてほしい、切実に。俺には理解できん。


 結局、付き纏いは変わらず。

 昨日は授業を休んで現状の説明と対策についてグェンジャー侯爵に相談しに行った。

 侯爵は国家文官長を務めているから、学園の噂話も耳に入っているようだった。

 俺が自分から説明と対策について相談しに侯爵の下にのは及第点だったらしい。その前のあの女への無関心さには指摘されたが。



 レオンから出された紅茶を飲みながら、手元の資料を読み進める。

 男爵家自体に瑕疵はない。男爵も夫人も評判は悪くない、むしろ堅実な印象だ。唯一の汚点があれ。

 …愛しい娘だからこそ、良い相手に嫁ぐなり婿をもらうなりするために適切な教育は必要だと思うんだがな。

 ところが、あれはマナーもそうだが成績も大分下の方をウロウロとしていた。


 これ以上見るに値しない、とばさりと資料をテーブルの上に放った。

 一緒に紅茶を飲んでいたクラスメイトのディックが、俺から許可をもらってその資料を眺める。


「なあ殿下。これ放っておけば退学になるだろ」

「現状の成績ではそうだろうな」


 この成績でよくまあ、入学できたものだと思わず感嘆の息を吐く。

 ここセントラル・ヴェリテ学園は貴族や平民でも成績優秀な者たちが集まるところだ。


 実力がある平民にも門戸が開かれた学園内の風紀は、さして悪くはない。なぜなら平民にも下位貴族向けのマナー講習の授業が施されるから。

 事実、目の前にいるディックは平民出身だが、仕事相手や貴族の友人として接する分には問題ないマナーや知識を身に着けている。

 エディアルも資料を覗き込んで、眉根を寄せた。

 すごいな。女性関係でエディアルの表情を崩せるなんて偉業だぞ。


 しかし、とディックが椅子の背に寄りかかりながら資料を眺める。


「なんでこんな女を信じるかねぇ。オレの周りでもこの女の味方っぽいやつゴロゴロいるぞ」

「俺はよく分からん」

「エディアルは無関心過ぎんだろ…いや殿下もこの期に及んでやっとって感じだけどさぁ」

「皆まで言うな。侯爵にも叱られたんだ」

「うへぇ、現役当主かつ国家文官長の?ご愁傷さま」


 ケラケラと笑うディックにため息を吐きつつ、ここに集まった経緯を思い出す。

 そうだ。ただ談笑するために男三人でカフェの個室に集まったわけじゃない。


「それで集まってもらった理由だが」

「唐突で草」

「草なんてどこにもないぞディック」

「あー、うん口癖だからエディアル気にすんな。で?なに?」



「…人前でジャネット嬢と目いっぱいいちゃつこうと思うんだが、何が有効だと思う?」



 ディックがブハ、と飲みかけていた紅茶をカップの中に吹き出した。汚いな。

 エディアルは何度か目を瞬かせている。

 控えていたレオンがサッとディックにハンカチを渡した。礼を言いながら、ディックは怪訝な眼差しを俺に向ける。


「げほ、うげっ、…殿下?なんで急にそんな思考に?」

「こちとら真剣だぞ。あの女に付け入る隙を与えてしまったのは認める。だったら、周囲に向けて俺はジャネット嬢が好きで仕方なくて付け入る隙はもうないと知らせるのが一番だ。事実だしな。ということは、人前でジャネット嬢を溺愛すればいい」

「あんた本当に王族かよ!?突拍子過ぎるわ!」

「…まあ、効果があるならやってもいいんじゃないかとは思うが、それならなんで俺まで呼ばれた?」


 心底不思議そうに首を傾げるエディアルに「たしかに」とディックも同意した。

 まあ、エディアルは現状想い人もいないし婚約者もいない。

 これから話す内容であれば、市井の生活や人間関係に詳しいディックだけいればいいんだが…。


「お前、この前も顔合わせでお相手の令嬢を泣かせたろう」

「うわ」

「…勝手に泣いたんだ」

「流行に興味がないのは分かるが、いくらなんでもモンスターの話やモンスター狩りに効率的な武具について語るんじゃない。一般的なご令嬢はそういった話には興味がない…まあつまりだ、女性に対して無骨なエディアルでも良いと言ってくれるであろうどこかにいる令嬢のためにも多少は俺の話に付き合え」

「単純にオレと一対一で話す内容が恥ずかしいからエディアル連れてきただけだろ」

「そうとも言う。で、ディックどう思う?」


 話が脱線したので無理やり戻す。

 するとディックは頬杖をついて、視線をあちこちへと巡らす。


「そうだなぁ…恋愛小説のマネごとしたら?殿下、本好きだろ?」

「恋愛小説?」

「そ。お貴族サマが読むようなやつじゃなくて、市井で出回ってるやつ。男女交際についてあけすけに書いてあったりするから参考になると思うぜ」

「今やってる舞台とは違うのか?」

「舞台…ああ、今流行ってるアレ。全然違う。まあ無難に『金獅子の夢をみて』がおすすめかな」


 視線をレオンに向ける。彼は頷くとメモを取り、サッと退室していった。

 小説を参考に…そうだな。確かに、それもありだ。

 もし内容が良ければジャネット嬢に勧めるのもいいかもしれない、彼女も本を読むのが好きだったはずだ。内容が内容であれば、ジャネット嬢の友人であるフォレオス嬢に判断を仰ぐのもいいだろう。


「明日には早速、ジャネット嬢と相談してやろうかと思う。もうあの羽虫を視界に入れたくない」

「羽虫なんていたか?」

「殿下に付き纏いしてる女のことだ、エディアル」

「ああ、羽虫」


 ぽん、と納得したように手を叩くエディアルに苦笑いを浮かべる。ディックなんて呆れ顔だ。

 本当にこいつ、女性に興味持たないな。





 ジャネット嬢 ―― ジャナに「いちゃついて周囲に俺たちに付け入る隙はないって見せつけようぜ作戦」(命名:ディック)を話し、実践し始めてから約一ヶ月。


 結論から言おう。

 ジャナと人目を憚らずいちゃいちゃするのは楽しい。あとジャナが可愛い。


 …いや、もちろん羽虫も対処したさ。

 ジャナといちゃついて一週間、羽虫は近づいてこようとしたようだったが、周囲の目もあり近づけなかったようだ。

 俺の目論見通り、ジャナに構い始めた俺と恥ずかしながらも応じるジャナを見て周囲は「仲睦まじい婚約者」として見てくれるようになった。

 そのため、あの羽虫が言っていた「ジャネット様から心無いお言葉を、いえ愛人としての心得を教えていただいていますの」とかが嘘ではないかと疑わせることができた。

 まあ一部、俺がジャナの機嫌を取っているのではとも言われたが、それは事実だからしょうがない。


 小説にあった、俺でも実践できそうなことをいくつかやった。


 愛称で呼び合う。

 座っているときは触れ合うほど近く、肩や腰を抱き寄せる。

 恋人に食べ物を手ずから食べさせたり、食べさせてもらう。

 エスコートではなく、手を絡ませて歩く。

 膝枕をしてもらう。

 市井で平民の格好をしてデートをする。

 

 照れながら俺を愛称で呼ぶ様子はあれはダメだ、自制が効かなくなるしあの素晴らしく愛らしい表情は誰にも見せたくない。

 キスなどもしてみたかったが、さすがにそれは邪魔者がいなくなって俺が政略等ではなく本気でジャナを愛してこうしていると分かる状況になってからにすることにした。なので、まだジャナとはキスをしていない。

 うん、そうだな。俺はジャナを愛してる。


 ジャナとのデートは今までのようにどこか決めてから動くのではなく、市井を歩き回った。平民の格好をしていったものの、護衛兼侍従がいたためどこか良いところのお坊ちゃんと美人のお嬢さんがデートしている風にしか見えなかっただろう。

 初めて市井で売られている食べ物を侍従たちが毒味後口にしたジャナは最初こそ戸惑っていたものの、その味付けに衝撃を受けたようで、目を輝かせて「あれはなんですの?」「あれは?」と珍しくはしゃいでいた。可愛かった。



 …え?ジャナの話じゃなくて、羽虫の話?

 えぇ…もうあれの話題は出したくないんですが…まあ最後だろうし、いいですよ。


「退学させたんですって?」

「いや、退学させたんですよ」

「ふふ…そう。ウェーバー男爵になんとお話したの?」

「ご息女が事実無根の妄言を言いふらしていること、その内容がグェンジャー侯爵家を貶している、ということぐらいですかね」


 出された紅茶を一口。

 相変わらず、美味い。どうやったらこれを実現できるのか。

 一緒にいた兄上は初めて飲んだようで目を丸くし、給仕をした人間を二度見している。


「ふふふ…彼女が退学したの、ジャネット嬢といちゃつき始めてすぐでしょう?」

「ええ。二週間目のついこの間には退学されてましたね」

「ジャネット嬢はまだ把握してないのか」

「そのようです。まあ、まだ学内に私とジャナの関係性を疑う生徒が多数いるようですので、しばらくどころかずっと続けますが」

「相変わらずいるのねぇ。勘違いする人って」


 マカロンと呼ばれる、軽い食感の茶菓子を口にする。

 あ、これジャナに食べさせたいな。持ち帰れないだろうか。この菓子は姉上が所望しないと出ないんだよなぁ。


「わたくしのときよりは騒動にならなくて何よりだわ」

「フィーのときは高位貴族も多く関わっていたからな」


 兄上の心底疲れた、とでもいうような声からして在学当時は聞いた話以上に大変だったのだろう。

 その騒動の関係者のひとりでもあったのが、目の前で優雅に紅茶を飲む女性 ―― 俺の姉、王太女フィーネである。



 姉上が在学中、当時婚約者だった某侯爵令息が某子爵令嬢と恋に落ちた。

 ところが、その子爵令嬢と「恋に落ちた」と言ったのは侯爵令息だけじゃない。彼を含め伯爵令息二名、侯爵令息二名、公爵令息一名の計五名もの令息たちが彼女を囲った。

 ―― そして、彼女を巡って争いが発生したのである。


 最終的には、傷害事件にまで発展して大事になったそうだ。

 顛末や関係者については、当時学園に在籍していた人間は等しくすべて口外・文書化禁止となっているため、公表された内容しか俺も知らない。禁書庫に行けば詳細は知れるだろうが、俺はそこに足を踏み入れる権限はない。当然、在籍していた姉上も兄上も決して口にしない。

 ただ、傷害事件にまでなったそれは本来殺人事件にまでなるところだったところを姉上が防いだこと、姉上の学生でありながら政治・外交面への貢献もあって彼女は王太女となったということだけ。


 そして。


「義兄上。このマカロンを婚約者に土産として渡したいのですが、可能でしょうか」

「あ、ご、ごめん…フィーのための、お菓子だから…」

「それなら、今度ジャネット嬢を呼んでお茶会にしましょう。そのときに出してくれる?」

「う、うん」


 微笑んで給仕してくれていた男性 ―― 姉上の夫君、義兄上。

 兄上が二度見していたのは、義兄上が給仕した茶が美味かったからだ。義兄上、お茶を淹れるのも上手いんだな。


 義兄上は外国語について他者を寄せ付けないほどの理解力を持っている。姉上の立太子は、学生時代に義兄上を見つけたことが大きい。

 姉上は基本オールラウンダーではあったものの、唯一外国語が壊滅的にダメで、他国語で話せるのが一カ国のみ。俺やジャナでさえ最低三~四ヵ国は話せるのだが、姉上はどう手を尽くしても理解できないそうだ。

 その点が立太子する上での障害となっていて、兄上が王家に残っていたのは万が一姉上が外国語をどうにかできなかった場合のスペアで、期限は俺が卒業するまでだったと聞く。

 それも、義兄上が伴侶となってからは解消されたんだが ―― この義兄上、正直この世で喋れない言語がないんじゃないかというほど喋れるし読み書きができる。

 その代わりと言っては何だが、彼は姉上が隣にいないときの対人能力が壊滅的だ。これでも改善した方だ。初対面のときなんか姉上が手を握ってやらないと話せない程だったのだから。


 しかしこの義兄上、菓子作りがやたらと上手い。

 王宮の菓子専門の料理人ですら教えを請うほどらしいが、姉上が一蹴している。

 義兄上の菓子は姉上のために作られるもののため、俺たちにまで振る舞われるのは珍しいことだ。

 その疑問を素直にぶつければ、義兄上はにっこりと微笑んで答えてくれた。


「フィーが、エヴァンが歩いた記念にって。だから特別」

「おお、エヴァンが歩いたのか」

「そうなの。まだ一、二歩程度なのだけど」

「今度、その様子を見にジャナとお伺いしても?」

「もちろん。じゃあそのときにお茶会にしましょうか」


 ジャナも甘いものが好きだし、喜ぶだろうな。

 このマカロンを口にしたときの表情を想像して、思わず笑みが溢れる。




 かくして、後日開催された甥っ子エヴァンを愛でるお茶会では、エヴァンの愛らしさ、義兄上のお茶菓子の美味しさに顔を綻ばせたジャナが見れた。

 ああ、やっぱり予想通り。



 ちなみに、あの羽虫が退学したのはひっそりとしたものだったので、ジャナが羽虫が退学したと知ったのはいちゃつき始めてから一ヶ月後のこと。

 少しばかり怒っていたが、今後もいちゃつく予定だ。

 膝に抱っこしたら顔を真っ赤にして、ああ可愛い。

 普段は美人だと褒められる彼女だが、こんな愛らしさもあるだなんて他の奴には知られたくないな。

 ちなみにこれ、俺が『金獅子の夢をみて』の小説を参考にジャナといちゃついていると気づいたフォレオス嬢から「この体勢、ちょっと憧れるですって」と教えてくれた一節にあった体勢である。

 フォレオス嬢からバレたと知ったのだろう。彼女はほんの少し、頬を膨らませた。


「感想は?」

「そんなの、恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」





 この騒動のときの市井デートがきっかけで、ジャナは市井に興味を持ったようで。

 数年後、とあることをきっかけに市井に詳しいバーデンベルグ男爵令嬢と懇意になり、そこから女性に興味がなかったエディアルがバーデンベルグ嬢と紆余曲折を経てスピード結婚したのはまた別の話だ。


 …いや本当、良かったよ。あいつと話が合うご令嬢がいて。

 まさかあんなデレッデレになるとは思わなかったけど。

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