第19話

 なんだ? 戸惑ううちに古泉は、立ち上がったばかりだというのに、ベンチに再び腰を下ろした。

 しばし、沈黙が流れたが、


「城ヶ崎の事件のことなんだが……」


 いよいよ決断したかのような改まった口調で、古泉は話し始めた。


「放課後の中庭で、俺が事件の調査をしていたときのことだ。ひとりの女子生徒が中庭に姿を見せた。その女子生徒は駐車場で立ち止まると、一般教室棟校舎のたもとに、持参してきた花束を供えて黙祷した。その花束が置かれた位置と、駐車場に残されたタイヤ痕の位置とを見比べた俺は……何か違和感を憶えた。そこで、女子生徒が黙祷を終えての去り際、声をかけたんだ。その生徒は、城ヶ崎の部活の後輩で、藤野の遺体の第一発見者にもなった生徒だった。その日は城ヶ崎の月命日で、彼女は欠かさず花束を供えに中庭を訪れていると教えてくれた。城ヶ崎だけでなく、藤野の分もな。そこで俺は訊いた。

『君が花束を供えたのは、間違いなく城ヶ崎さんの遺体があった場所なのか?』と。

 彼女は、そうだ、と答えた。繰り返しになるが、その生徒は藤野の遺体の第一発見者だ。藤野が倒れていた位置は寸分の狂いもなく記憶しているという。それほどショッキングな体験だったんだな。無理もないが。

 藤野が倒れていた位置は、城ヶ崎のそれと十数センチも離れていなかった。二人は、まったく同じ位置に倒れていたと言っていい程度の誤差だ。それを聞いて、俺は自分が抱いた違和感の正体に気が付いた。

 それを話す前に、まず、タイヤ痕について確認しておきたい。犯行に使用された車――有島のハイブリッドカーは前輪駆動だから、スキームしたタイヤによる痕跡が路面に付けられているということは、それは駆動輪である前輪のものであるはずだ」


 確かにそうだろう。当たり前の理屈だ。


「そこで俺は、その車の車体の長さと、棒高跳び用マットの寸法を測った。実際には、車が牽引するのはマット自体ではなく、マット運搬専用台車となるわけだが、この台車は、載せるマットとほぼ同じだけの面積となっているから、マットの寸法、イコール、台車の寸法として問題はない」


 それも分かる。俯瞰して見てみれば、台車自体は、その上に載せたマットで完全に覆われてしまい、見えなくなるはずだ。何が言いたい?


「タイヤ痕のある場所が、すなわち車の前輪の位置なんだから、そこから車やマットの寸法を加算していけば、そのとき牽引していたマットの後端が、どの位置にあったかというのは割り出せるよな」


 当然、そうなるだろう。


「だが……それをやってみたところ、おかしな結果が導き出されることになってしまった。これが違和感の正体だったんだ」


 だから、何が――ぞくりとした。その、違和感というのは……まさか……。

 古泉の喉元から、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。意を決したかのような。


「おかしいというのは、花束が供えられている位置、すなわち、城ヶ崎の転落位置だ。そこは……マットの後端よりも、さらに一メートル以上も後ろだったんだ。何度も確認したから間違いはない。……これが何を意味するか、分かるか?」


 …………。


「そうなんだ。城ヶ崎が飛び降りた直後、、結局、城ヶ崎は地面に――硬いアスファルトに――墜落してしまっていたということなんだよ」


 頭の中が、ぐらりと揺れた。天地がひっくり返ったのかと錯覚した。思わず手の力が緩み、稀少本とブランドの財布を取り落としそうになる。咄嗟に掴み直した。


「これはどういうことなのか? 城ヶ崎が、落下位置の目測を誤ってしまったというのか? しかし……落下目標位置がマットの中心だったとしたなら、実際に城ヶ崎が落下した地点とのズレは、二メートルじゃ済まない。屋上の十二メートルという高度と、マットの面積を考えても、ちょっと逸脱しすぎだ。さっきも言ったが、当日が無風状態だったことは確認されている。相当な風が吹くようなことでもない限り、二メートル以上も流されてしまう高度じゃない。さらに、あの校舎は数年前に工事をやっていて、そのときに外壁に装飾パネルを貼り付けている。あのおしゃれなデザインのやつだ。あのパネルが張られたことで、校舎外壁には、パネルの合わせ目の直線が縦横に走る外観となったんだ。さらに、一般教室棟の中庭側は廊下になっていて、等間隔で窓が配置されている。廊下は全階同じ構造だから、必然、窓の大きさ、位置、間隔、すべての階で同一だ。だから、屋上の縁に立って中庭を見下ろしたなら、一階から三階まで、装飾パネルが作るパネルラインと、階ごとに並ぶ窓枠が見えることになる。このラインと窓の存在は、落下位置を狙うガイドとして最適の役割を果たすだろう。これを利用すれば、落下位置を誤るなんてミスを犯すことはないはずだ。それでも、実際、城ヶ崎は目測を誤った。マットを外し、アスファルトに墜落してしまった……」


 確かに、計画では、パネルラインや窓枠を飛び降り位置――ひいては落下位置――のガイドにしていた。なのに……どうして……? いや……もしかして……?


「……そうじゃなかったんだとしたら?」


 やはり、古泉の考えも同じらしい……。


「つまり、城ヶ崎は目測を誤ったわけではなく……んだとしたら?」


 …………。


「さっき俺は、パネルラインや窓枠を目測のガイドに出来ると言ったが、それは逆の意味にも使える。そのガイドを使えば、確実にマットを避けて墜落することも可能だったということだ。つまり……城ヶ崎は、始めから転落死するつもりだった……」


 ……そんな、ことが……?


 偽装自殺については、これでもかというくらいに入念な計画を立てた。すべての計算の基点は、遙香の屋上の立ち位置だ。向かい合う特別教室棟の三階、図書室の勇一が定位置としている席の窓、その真正面。まず、その位置を決め、直下にマットの中心を持ってくれば、自動的に車を停車させるべき場所も割り出される。車は完璧に計画どおりの位置に停めたはずだ。入念に図面も引き、現地にタイヤの位置決めのマーカーも置き(当然、犯行直後に回収した)、計画実行直前にも、図面と照らし合わせて位置を最終確認した。寸分の狂いもなかったはずだ。だいいち、もしも、車の停車位置がずれていたのだとしたら、屋上から見ている遙香にもそれは分かったはずだ。位置がずれている、とスマートフォンで連絡を入れるか、臨機応変に屋上での立ち位置のほうを修正していたはずだ(それこそ、パネルラインや窓をガイドにすればいい)。さらには、図書室の窓から屋上を見渡す視角には十分な幅がある。極端な話をすれば、遙香の立ち位置が数メートルずれていたとしても、遙香が飛び降りる瞬間を勇一に確実に目撃させることに、何ら影響は出なかったはずだ。

 今にして思い返せば、あんなに危険な計画だというのに、遙香は妙に乗り気でポジティブだった。こちらとしては、御しやすいと内心ほくそ笑んでいたのだが……まさか、遙香もまた、同じように……?

 ……どうして?

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