第15話

「知ってのとおり、藤野の死体が発見されたのは、城ヶ崎が死んだのとまったく同じ場所だった。死因も、城ヶ崎と同じ転落死――つまり、自殺だと判断された」


 現実に戻ってくると、古泉の推理ショーが再開したところだった。

 夜のしじまに、古泉の声だけが反響する。


「正直、城ヶ崎のときと違って、藤野の事件に関しては、有力な証言や手がかりを手に入れることは出来なかった。藤野の死亡推定時刻は夜の八時から九時。普通であれば、まだまだ宵の口という時間だが、こと、学校という空間に至ってはそうはいかない。どんなに厳しい部活でも、そんな時間まで残っているところはない。教師だって――実際は、山ほど抱えている仕事を自宅に持ち帰ることもあるだろうが――そんな時間まで居残ってはいない。これだけ夜が長くなり、街から完全に明かりが消えることのなくなった時代においても、学校だけは別だ。夜の学校というのは、夜が夜として人間社会から光を奪える最後の場所、いわば隔離された特殊な空間だと言ってもいい。そんな場所が、街中に平然と、当たり前のような顔をして存在しているんだ。そこで何が起きようが、目撃者なんて出てくるわけがない。証拠を残さないよう、細心の注意さえはらえば、これほど犯罪を行うに適した場所はないかもしれないな」


 ミステリ読みらしく、変に理屈っぽいやつだ。やはり……勇一といい友達になれていたかもしれない。


「そんな事情だから、これから俺が話すことには、後ろ盾としての証言や証拠は、いっさいない。推理や推測とも呼べない、完全な俺の妄想の産物なのだと思って聞いてほしい」


 逆に言えば、いっさいの証言や証拠もないまま、犯行の手口……自分が仕掛けたトリックを見破ったということになるではないか――まだ、そうと決まったわけではないが、不思議と……いや、先ほどの遙香殺しの推理を聞いたあとだからこそ、そうだろうと確信できる。予防線を張っているようで、実のところ自分の力をひけらかす嫌みになっていることを自覚しているのだろうか。していないだろうな。名探偵とはそういう人種だ。


「八月二日の夜、お前は藤野を呼び出した。場所は夜の学校の中庭、しかも、城ヶ崎が死んだ位置。どんな口実を設けたのかは、想像はつくが……」



 その日の夜、勇一に電話をかけた。彼の自宅に通っていた祥太郎から、電話には出てもらえた、ということを聞いていたからだ。もし無理なら、通信アプリでメッセージを送りつけることも考えたが、これは極力避けたかった。言うまでもなく、メッセージが残されてしまうからだ。あの手のアプリは、メッセージを削除したとしても、“削除した”という記録が残ってしまう。それを知られたら危うい。“死ぬ直前に届いたメッセージが削除されている”これに疑いを持たない警察などいるわけがない。発信者を突き止め、必ずや話を訊きに行く。しかし、電話による通話であれば、会話した内容は喋ったそばから消える。発着信履歴が残るだけだ。だからといって、安全が保証されているわけでは無論ない。実際、勇一と最後に通話をした人間ということで、自分も警察の聞き込みを受けた。

『勇一が電話に出てくれるようになったと祥太郎から聞き、励ますつもりで電話をかけた。他愛のない会話をしただけだったけれど、久しぶりに声を聞いて安心した。まさか……その直後に、あんなことになるなんて……』

 上手く対処した自信はある。正直、強面の刑事――刑事というより、ヤクザっぽかった――が向けてくる鋭い視線に萎縮してしまい、思ったように喋ることは出来なかったが、恐らく、それさえも、立て続けに友人を亡くしたショックによるものと解釈してくれたのだと思う。逆に、想定どおり何の淀みもなく応対していたら、そちらのほうが怪しまれていた可能性がある。


『実は、死ぬ前に遙香から預かっていた手紙がある。自分に何かあったら勇一に渡してほしいと頼まれていた。今から学校に……中庭の、遙香が飛び降りた場所まで来てもらいたい。手紙は、絶対に、そこで読んでほしい。どうして遙香があんなことをしたのか、そこで読めば分かってもらえるから』


 伝えたいことだけ伝え終えると、返事も待たず、一方的に通話を切った。あとは……勇一が現れるのを、ここ、一般教室棟の屋上で待つだけだ。

 勇一が電話をかけ直してくることはなかった。



「一般教室棟階段室ドアの鍵は、“偽装自殺計画”発動直前に、職員室のキーボックスから城ヶ崎によって持ち出された。それ自体に間違いはない。が、その鍵が無断で持ち出されたのは、そのときが初めてじゃなかったんだ。城ヶ崎が亡くなって以降は鍵の管理が厳重化されたから、チャンスは、それ以前しかない。無断で、当然、城ヶ崎にも秘密で鍵を持ち出したお前は、そのとき、合鍵を製作していたんだな。この合鍵は城ヶ崎の事件については、いっさい使用されていない。つまり、お前は、最初から藤野も殺すつもりでいた……少なくとも、そういう機会が訪れることは想定していたということになる」


 出来れば、勇一まで殺したくはなかった。殺さずに済むことになってほしかった。だが、現実は違った。勇一を殺すことは避けられなくなったのだ。


「その合鍵を使って、屋上に侵入し、転落防止柵を越えた屋上の縁に待機しつつ、お前は、電話で呼び出した藤野が来るのを待った。お前の横には、藤野を殺害するための“凶器”が用意されていた。その直下、城ヶ崎が転落死した現場には、また別の仕掛けが施してあった。藤野を確実にそこへと誘導し、転落死に見せかけて殺すための仕掛けが」


 このトリックを思いついたのは、中学時代の放課後、勇一と祥太郎を中心にキャッチボールに興じていたときのことを思い出したのがきっかけだった。



『痛ったーい!』

 祥太郎の剛速球を何とか受け止めた亜沙美だったが、完全に捕球することは出来ず、ボールはグローブからこぼれ落ちてしまった。

 亜沙美はグローブから抜いた手をぶんぶんと振って、ボールの勢いで受けた痛みを少しでも緩和しようとしている。

『女性相手なんだから、手加減してよ!』

 憤慨する亜沙美に向かって、悪い悪い、と祥太郎は拝むように手を立てる。それを見ていた勇一が声をかけた。

『亜沙美、捕球する瞬間に手を引くんだよ』

『どういうこと?』

 首を傾げる亜沙美に、

『ボールの勢いを殺すんだよ。仮に、祥太郎の投げた球の速度が時速100キロだったとしよう』

 バカ言え、もっと出てるわ、と、自らの投球速度を低く見積もられたことに不平を漏らす祥太郎に、分かりやすく切りよくしたんだよ、と返した勇一は、亜沙美に向き直ると、『時速100キロの球を受け止める直前、亜沙美が時速50キロの速さで、グローブをはめた手を後ろに引いたとしたら、どうなる?』

『どうなるの?』

『球を受け止める衝撃が、時速50キロに低減される』

『そうなの?』

『そうだよ』

 そのやり取りを眺めていた遙香が、

『相対速度ってやつだよね』

『当たり』

 勇一が笑みを浮かべると、亜沙美も納得したのか、ああ、と声をあげた。

『祥太郎は分かってないみたいだけどな!』

 きびすを返した勇一から突然、矛先を向けられた祥太郎は、

『なな、何がだ!』

 明らかに狼狽えていた。

『いいか……』

 亜沙美が落としたボールを拾い上げた勇一は、祥太郎ほどではないが、それなりに形になったフォームで投球した。スパン、と小気味のいい音を立てて、勇一の投球は祥太郎のグローブに収まった。

『今、俺の投げたその球が、時速120キロ出ていたとしよう』

『ふざけんなよ、どう見てもいいとこ90キロだわ』

 捕球したボールを片手でもてあそびながら、またしても祥太郎は抗議の声をあげる。

『それはともかく、今、俺の投げた球は、時速120キロの速度で祥太郎のグローブに届いたわけだが、これは、あくまで俺たちの視点を通しての見方に過ぎない』

『見方っていうか、当たり前の話だろ。それ以外にどんな解釈のしかたがある?』

『祥太郎、ボール主観で考えてみろ。そうすれば、こういう視点もあることが分かる。その視点というのは、こうだ。ボールは空中に静止していて、ボール以外の宇宙全体が、時速120キロで移動したんだ』

『な、なんだってー?』

『これが相対性というやつだ。視点が変わっただけで、どちらも同じことなんだ』

『全然違うだろ。宇宙全体を120キロの速度で動かすなんて、どんな超絶異能力者なんだよ……』

『実際に宇宙を動かすわけじゃない。ボールを視点にして物事を認識したら、そういうことになるってだけの話だ』

『いやいや、ていうか、そもそも、なんで今の勇一の球が120キロ出てた前提になってんだ。90……いや、80キロに訂正しろ』

『祥太郎、時速100キロの速度を出している車が、停止している車に衝突するのと、向こうもこちらに向かって100キロで走ってきている車にぶつかるのとでは、どっちがダメージが大きい?』

『そりゃ、走ってくる車のほうだろ』

『そうだ、停止している車相手にぶつかったなら、時速100キロの衝撃だが、向こうも100キロ出している車と正面衝突したとなると、時速200キロの衝撃を受けることになる。どうだ、こっちが停止していて、向こうが時速200キロで突っ込んでくるのと変わらないだろ』

『いやいや、車を時速100キロで走らせることは出来るけど、宇宙全体は無理だろ』

『だから、そういうことじゃないんだって』

『そういうことだろが!』

 あくまで祥太郎は譲らず、亜沙美も遙香も自分も、それを見て笑いあう。

 蝉の鳴き声もどこか憂いを帯びて聞こえる、夕暮れ迫る、夏の終わりの日の出来事だった。

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