第9話
野木鐘高校新入生としての一年間が過ぎ去り、二年に進級する際のクラス替えでも、自分たちは離ればなれにさせられた。必然的に出来る二人組が、亜沙美と遙香に変わっただけだったが、自分たちは一年の頃と変わらず、クラス、部活、この五人、三箇所の生活舞台を使い分け、学園生活を満喫していた。
二年になると、高校生活最大のイベントが待っている。修学旅行だ。二日目の自由見学は、クラス単位で作った数名の班で行動することになっていたが、自分たちは他のクラスの生徒たちと水面下で交渉し、いざ自由行動の段になると教師の目を盗み、クラスの垣根を越えて、この五人組で編成された非正規班で行動することに成功した。部活動などを通じて、高校で初めて出会った生徒らに繋がりを持ったからこそ出来た芸当だった。根回しの大切さというものを、ここで学んだ。
“自由見学”と名付けられてはいても、実際に何かを“見て学ぶ”生徒などほとんどいなかっただろう。ご多分に漏れず自分たちも、自由見学の時間は、見知らぬ街を散策しながらのおしゃべりに明け暮れることとなった。とはいえ、主立った名所での記念撮影は欠かさなかったが。
散策途中、ひやかしのつもりで入った土産物屋で、猫を象った根付けを全員が購入した。紐の色だけが違っているおそろいの品だった。
思えば、五人の中に、中学時代とは明らかな変化が見られるようになったのは、この修学旅行がきっかけだったのではなかったか。その変化というのは、遙香と勇一の関係だ。
『実は、付き合っている』
二人からそう告げられたのは、冬休みに入る直前、放課後に入ったファストフード店内で、形ばかりの勉強に励んでいた最中のことだった。驚いたのは祥太郎だけだった。二年に進級すると、“ワンナイトトーナメント”で二回戦進出を果たす程度には実力をつけていた祥太郎だったが(入場曲は変えていた。何とかという、祥太郎がファンのプロレスラーと同じ曲にしたらしい)、この手の機微を察する能力に秀でていない面は、中学の頃とまったく変わっていなかった。
自分は亜沙美と目配せをし、やれやれ、という笑みを浮かべあった。これだけ一緒の時間を過ごしながら、遙香と勇一の関係性が変わっていったことに気づけないのは、祥太郎くらいのものだ。
自分たち三人は、肩寄せ合って座り、頬を赤らめている二人を祝福した。祥太郎などは、
『遙香と勇一の会計は自分が持つ』
と太っ腹なところを見せた(結局二人に固辞されたが)。
友人というひいき目なしに、二人は似合いのカップルだと思った。
それ以降、五人全員がそろう機会は以前ほどではなくなっていった。二人と三人、という分け方に必然移行していったのだ。が、それに対しての不満――ましてや嫉妬――などは一切なかった。それは自分だけでなく、亜沙美と祥太郎も同じだったと確信している。それに、五人がそろうことがまったくなくなったわけではない。祥太郎などは、待ち合わせで五人がそろった直後に、
『お前らだけで行ってこいよ』
と半ば無理やりに遙香と勇一を別行動させようとさえしていたほどだ。本人にしてみれば気を利かせたつもりなのだろうが、衆人に囲まれた街角で、大声でそんなことを言われるほうの身にもなってみてはどうか。その衆人の中には、自分たちと同じ制服を着た高校生も混じっているのだ。そんなことが何度もあったためだろうか、遙香と勇一の関係が野木鐘高校の多くの生徒たちにも知られるようになり、いわば公認のカップルという扱いになったことは、結果的によかったのかもしれない。余計な誘い、告白を受けて、“付き合っている人がいるんです”と断る無駄な手間が省けるというものだ。二人のどちらかに密かに想いを寄せていた生徒が何人か、ショックを受けていたという噂も小耳に挟んだ。特に文芸部のほうでは、数名の退部者が出たほどだったという。
残された三人の中で、遙香と勇一のような関係の変化が見られることはなかった。自分はそうだったし、亜沙美も祥太郎も同じ気持ちだったはずだ。これだけ永い時間を一緒に過ごしてきた間柄だ。のべつまくなしに仲が良かったばかりではないし、互いの嫌な面も知っている。それを踏まえてもなお、正式に付き合おうというのは、何というか、尊敬にすら値する価値観だと素直に思ったものだった。亜沙美と二人だけになったときに、そのことを話すと、
『掛け値なく同じ意見』
と、いたく同感されたことがあり、続けて、
『あの二人、長続きすると思う?』
この問いかけには、
『思う』
笑みを浮かべながら即答していた。これには今度は自分が同感した。
高校二年の生活も半ばに差し掛かった頃だった。“高校生活は決して中学のそれの延長ではない”。その当たり前な現実を突きつけられるイベント(大げさか?)があった。“進路相談”だ。
卒業後の進路は、進学か、就職か、まだ具体的な行き先までは決めなくとも、自分がその二つのどちらを希望しているのか、簡単な書類を書いて教師に提出することが求められた。
さすがに高校ともなると、“仲のいい友達と一緒だからとかいう安易な理由ではなく、しっかりと自分の将来を考えたうえで、進路を選びなさい”などと言ってくる教師はいなかった。あまりにも当たり前すぎることゆえ、わざわざ釘を刺すまでもないということなのだろうが……。
放課後、五人で集まっているときに、進路希望の書類の話題が出たことがあった。
『勇一は進学するんでしょ?』
亜沙美が訊いた。
『どうかな』
勇一は曖昧に返答した。
『えー、どうして? 勇一は成績いいんだからさ、絶対大学行ったほうがいいよ』
亜沙美が意外そうな顔をすると、祥太郎も、
『そうだぞ。だいいち、勇一くらいの成績なら先生が放っておかないだろ。野木鐘高校の進学率引き上げに、ひと役買ってやれよ』
と賛同し、
『それとも、何か具体的に将来の夢とか、あるのか?』
続けて質されると、勇一は、
『俺、編集者になりたいんだ』
それを聞いた亜沙美が尋ねる。
『編集者って、どんな仕事をするの?』
『本を作るんだよ』
『印刷所に勤めるってこと?』
亜沙美が、きょとんとした顔をすると、皆は声をあげて笑った。
『違うって、本を作るといっても、物理的に作るわけじゃなくて、作品を世に出すんだよ。これは売れるぞ、って思った小説を探しだして』
『なるほど。勇一が選んだ小説なら、大ヒット間違いないよ』
うんうんと納得して頷く亜沙美に、祥太郎が、
『なに言ってんだ亜沙美、お前、勇一が勧めた本を読んだことなんて一回もないだろ』
『それは祥太郎もおあいこでしょ』
墓穴を掘ってしまった、とばかりに頭をかいた祥太郎は、勇一に向き直ると、
『けど勇一、編集者になるなら、学歴大卒は必須だぞ』
『やっぱ、そうか?』
『そうだろ。編集者として高卒を雇う出版社なんてないだろ』
『今度、先生に相談してみるよ』
『そういう祥太郎は?』と亜沙美が、『やっぱ、プロレスラー?』
『そんなわけあるか! 俺は……どこかの地元の企業に就職するよ。大学って頭じゃないしな。亜沙美は、どうなんだ?』
『うーん……今のところはだけど、進学希望かな』
『意外だな』
『余計なお世話。キャンパスライフっていうのに憧れるんだよね。この前も、遙香と話してたし』
亜沙美は遙香と目配せし、笑みを交わした。
『じゃあ、亜沙美は相当勉強を頑張らないと駄目だな』
『祥太郎、余計なお世話第二弾。ていうか、別に一緒の大学に行かなくてもいいじゃん』
亜沙美のその言葉を聞いて、どきりとした。が、そんなふうに胸の鼓動が早まったのは自分だけだったらしい。他の四人とも、平然とした表情を崩さなかった。
勇一と遙香は、同じ大学に行ったらどうか。
そう提案したのは――記憶が曖昧なのだが、自分だったと思う。が、
『遙香が行くのは看護系に強い大学だ。俺が行ってもな』
そう言って笑みを浮かべる勇一だった。
二人のあいだでは、もう、そんな話をしているのか。そう思い、二人――いや、他の四人からの疎外感のような感覚を味わった。
小学校の頃から、十年以上もずっと一緒にいるのに――
高校卒業後の進路が全員バラバラになる――
それなのに――
そのことを当たり前のように話し合い、笑みさえ浮かべている。
あとの話はよく憶えていない。当然のように、自分も卒業後の進路を訊かれたが、まだ考えていない、と曖昧に濁すしかなかった。
そう答えたのだと思う。
記憶が不確かだから。
二年生生活も終わりに近づいてくると、三年のクラス編成では、五人がどんな分断のされ方をするのかを想像しあった。さすがに三度目ともなれば慣れてくる。半ば楽しむ気持ちですらいた。
遙香と勇一が一緒になることは絶対にないだろう。と皆の意見は一致を見た。二人の関係は、すでに教師たちも知るところだったためだ。
が、いざ蓋を開けて見たら、まったく予想外の展開が待っていた。五人はそろって同じクラスに編入されたのだ。
各自が、二年間の高校生活や部活動で培った人脈を使い調査をしたところ、どうやら新学期に就任する新理事長の意向が強く働いたためなのではないか、という結論に行き着いた。新学期始業式で行われた新理事長の挨拶を聞いて、皆はその説に納得した。新たに就任した若き(あくまで前任者と比較してだが)理事長は、五分弱の就任挨拶の中で、「青春の謳歌」という文言を、身振り手振りを加えながら四回も口にした。
新三年生のクラス編成に手を付ける段になって、これまで同様、自分たち五人をいかに分断させるかは、編成の大きな議題として俎上に載せられたことだろう。その場に恐らく「青春の謳歌理事長」も同席していたのだ。青春理事長は疑問を呈す。
――この五名に何があったというのか?
教諭たちは事情を説明する。城ヶ崎遙香と藤野勇一が付き合っている、ということも伝えられたことだろう。その、これまでの二年間の措置を知った青春理事長は憤慨した。
――親友、恋人同士を分断することが君らの言う教育なのか?
鶴の一声。
実際にこんなやり取りが行われたのかどうかは知らない。すべてはふざけ半分の妄想に過ぎない。が、経緯はどうあれ、二年の歳月を経て五人が晴れて同じクラスに所属することになったことは事実だ。自分たち五人は、クラスを同じくしながら、高校生活最後の一年間のスタートを切ることになった。これぞ“青春の謳歌”。
……いや、そうはならなかった。五人が同じクラスで青春を謳歌できたのは、ほんの四箇月という短い期間だけだった。そう、城ヶ崎遙香と藤野勇一が、死んだから。……自分が、殺したから。
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