第10話

「……どうかしたのか?」


 かけられた声によって思考を引き戻される。

 視界から、亜沙美、遙香、祥太郎、勇一の四人が消えたことが、当たり前のはずなのに何故か不思議に思えた。

 自分は今、どこで、なにをしているのか? 今はいつなのか? 隣にいて声をかけてきたのは何者か?


「疲れたか?」


 視線を横に向けて、そこにいる人物のことを認識した。同時に、今がいつで、どこで、なにをしていたのかも完全に把握した。卒業式の前夜、夜の公園、そして……あと二人は腰をかけられるだけの距離を置いて、ベンチの端に座っているこの男に、自分は罪を暴かれようとしている。二人の親友を殺した罪を……。

 古泉幹人。改めて、この男のことを思う。

 三年で初めて同じクラスになった。二年までは、同学年にこの男がいるということすら知らなかった。友達はいても親友は――少なくともこの学校には――いないのだろうな。すぐにそう察した。が、これは間違いだった。古泉には、友達と呼べる存在すらいなかったのだ。

 声をかければ応じる。クラスの催しなどにも不平不満なく参加する。特に斜に構えたような――この年代の男子にたまに見られがちな――態度を取ることもない。教師受けも決して悪いわけではないようだ。成績も高くもなければ低いわけでもないらしい。

 昼休みは、誰かしらに声をかけられたり、誘われたりでもしない限り、たいてい自分の席で本を読んでいる。常にブックカバーを被せているため、どんな本を好んでいるのかまでは分からないが。ただ、同じ“本読み”でも、勇一とは違った印象を与える男だ。勇一が陽なら、古泉は明らかに陰だ。かといって、根が暗いため悪目立ちするようなタイプでもない。卒業後、「三年生のときのクラスメイトをひとりずつ挙げていけ」と言われたら、最後に名前が出てくる――もしくは最後まで名前が出てこない、そういう存在だ。

 が、自分は、この古泉幹人という男を妙に意識せずにいられなかったらしい。らしいというのは、自覚がなかったからだ。もしかしたら、潜在的にすでに――三年に進級したときから――自分はすでに遙香と勇一のことを、殺そう、と思っていたからなのかもしれない。無自覚のまま、この男の“磁場”に引き寄せられていたのだとしたら納得できる。


「疲れたか?」


 同じことを古泉は訊いてきた。一方的に喋っていたばかりで、むしろ疲労があるとすれば古泉のほうだろう。首を左右に振って返す。脳が揺れる感覚を意識しながら、思考は再び過去へと戻る。

 城ヶ崎遙香。自分が殺すことになった親友。彼女から相談を持ちかけられたのは、夏休みに入る直前のことだった。



 他の三人とは予定が合わず、遙香と二人だけで下校している帰路だった。

『ちょっと、話があるんだけど』

 遙香にそう告げられた。最初は『ちょっと』という冒頭部分しか聞き取れず、えっ? と耳を近づけた。校門を出た十数メートル先で行われている道路工事の音にかき消されてしまったためだ。工事は歩道を塞ぐ形で行われているため、歩行者及び自転車は交通誘導員の指示に従い、車道に一時的に設けられた仮設歩道を通る必要がある。その誘導の関係で、いったん自転車を降りて止まっているときに話しかけられた。工事告知看板(工期は夏休み終盤までと印されていた)の向こうで作業員が、ハンドブレーカーと呼ばれる、特撮ヒーローが使う武器のような作業機械を用いてアスファルト舗装を穿っている。遙香の声をかき消したのは、その打突音だった。誘導員が水平に構えていた赤い誘導灯を振り、仮設歩道を通るよう促す。すれ違いざま『お疲れさまです』と遙香は作業員に声をかけていた。こういうところはさすがだな、といつも感服する。美人女子高生に笑顔で労いの言葉をかけられて、まんざら嬉しくないはずはない。真っ赤に焼け、汗の浮かぶ作業員も笑顔になった。真夏日の太陽に熱せられた空気が未だ滞留する夕刻、屋外で働く労働者に、遙香の声と笑顔は一服の清涼剤になったのであろうか。

 打突音が遠ざかっていき、十分に互いの声を聞き取れる環境になったところで、遙香が先ほどの言葉を繰り返した。それに対し、

『話って、何?』

 続きを促すと遙香は、先にある公園を視線で指し示した。自転車に乗りながら話すような内容ではないということなのだろう。

 公園の出入り口に自転車を駐め、ちょうど木陰になっているベンチに腰を下ろした。

 額に滲んだ汗にハンカチを当てつつ、遙香が口にしたのは、勇一についてのことだった。

 最近、勇一の態度がよそよそしくなったという。避けられていると感じることもある、と遙香はため息を漏らした。

 具体的にどんなことがあったのか。そう訊くと、遙香は勇一とのあいだに起きた疑うべき事柄を話してくれた。

 ――送った通信アプリのメッセージに、いつまでたっても既読がつかない。

 ――既読になっても、返信が来るのが数時間後だったということもある。

 ――一緒に帰ろうと誘ったが、急遽部活の用事が出来たから、と断られた。

 ――勇一の所属する文芸部を覗いてみたが、勇一はもう帰ったと部員に告げられた。

 等々。

 親身になって話を聞く……振りをしながら、内心呆れていた。勇一が浮気をしているというのか? でも、それは……お互い様じゃないか。


 遙香が勇一以外の男と街を歩いているのを見かけたのは、一週間ほど前のことだった。たまたま用事があって訪れた、普段自分たちが遊びに行くのとは反対方向の繁華街だったため、まさか、そんなところに遙香がいるなどとは思いもしなかったのだ。咄嗟に店先へと身を隠した自分の判断力を褒めてやりたい。あれは本当に遙香か? と、路上に立ってじっくり確認などしていたら、間違いなく自分の存在も向こうに気付かれていただろう。商品を眺めるふうを装いつつ、横目で観察を続けた。間違いなく遙香だった。同時に相手の男も入念に見て取ることが出来た。若作りをしているが、顔立ちといい、服装のセンスといい、醸し出している雰囲気といい、高校生ではありえない。下手をすれば妻子持ちなのではないか?

 遙香は、その男と肘と肘とが触れあうほどの距離しか空けずに横並びで歩いていた。ほぼ男のほうが一方的に喋り続け、遙香は終始笑顔でそれを聞いていた。男が冗談でも言ったのだろうか、口に手を当て笑う遙香の姿が、視界の向こうに小さくなっていった。その間ずっと男の手は、“遙香の手を握りたい”という欲求あからさまに、出ては戻りを繰り返していた。

 確信を持った。男と遙香がどういう関係にあるのか。いわゆる、デートクラブというやつだ。


 遙香の意識としては、浮気というのはもとより、悪いことをしているという認識もないのかもしれない。中年男とのデートに付き合い――時給に換算すれば、とんでもない額となる――対価を得る。割のいいバイト感覚に過ぎないのだろう。体を許したりはしていないと信じている。遙香はそんな子ではないし、斡旋するクラブのほうでも、そういったことは厳禁としているはずだ。顧客のほうでも、発覚したときのリスクを考えれば、そこまでの行為に及ぼうとするとは思えない。浮気、あるいは不倫、性の商品化。そんな重々しい言葉で考えてはいないのだ、クラブ経営者も、相手の男も、遙香も。

 帰宅途中、遙香から『話がある』と告げられたとき、自分はてっきり、そのことについての相談を持ちかけられるのだと思った。

 小遣い欲しさから、人には言えないようなバイトに手を染めてしまった。勇一は知らない。話すべきだろうか? 言ったら嫌われてしまうだろうか?

 自分の軽はずみな行動を悔い、涙ながらに相談されるものだとばかり思っていた。もし、そうなったら、親身になって話を聞いてやろう。勇一との関係も取り持ってやろう。そう思っていた。なのに、違った。自分のことは棚上げして、恋人の不貞を疑っている。

 遙香の相談に対して、自分は形上、親身になって答えていた。遙香は、亜沙美や祥太郎ではなく、自分を相談相手に選んでよかった、と感謝していた。その気持ちは分かる。もしも、同じことを亜沙美か祥太郎に話していたら、二人ともが、すぐに勇一に直接問いただすと腰を上げていたに違いない。直情的なところがある面で、あの二人は似たもの同士だ。いきなりそんなことをしたら話がこじれること請け合いだ。

 しかし、結果、やはり遙香は相談する相手を間違ったとしか言いようがない。亜沙美か祥太郎を相談相手に選んでいたら、勇一との仲がこじれていた可能性はあったものの、命を失う事態にまでなってはいなかったはずだ。


 そんな理由で人を殺すのか? と思う――呆れる――ことがたまにある。

 現実に起きた事件でもそうだし、ミステリ小説を読んでいて思うこともある。

 現実の事件であれば、“短絡的”。ミステリ小説であれば、“リアリティに欠ける”という感想を持つことになる。だが、自分は、この先、どんな事件のニュースを聞こうが、どんなミステリ小説を読もうが、そう感じることは、もうないだろう。


 遙香から勇一に関しての相談を受け、毒にも薬にもならないアドバイス――ようは、今は何もするなということだ――をした翌日。自分たちはいつものように五人そろって登校していた。何も知らない亜沙美、祥太郎はもちろん、遙香と勇一にも普段と違った様子はいっさい見られなかった。当然、自分も平常どおりに振る舞おうと努めていた。他愛のないおしゃべりをしながら校門をくぐり、生徒用玄関まで歩くすがら、『おーい』と後方から声をかけられた。立ち止まって振り向くと、一台の乗用車がすぐ背後まで迫ってきていた。声はその車の運転席からかけられたものだった。

ありしま先生』

 声の主であり、車の運転手の名前を遙香が口にした。有島のりみつ教諭は自分たちのクラスの担任だ。

『先生、車、替えたんですか?』

 物珍しげに祥太郎が、有島の運転する車を眺め回した。自分もそう思った。確か有島の愛車は、今どきこんな、と言いたくなるような年代物のセダンだったはずだ。が、今現在、有島が駆っているのは、真っ白なボディカラーも眩しい、明らかに新車のハイブリッドカーだ。開けられた運転席の窓からも、新車特有の香りが漂ってくる。

 有島が自分たちに声をかけたのは、別に新車をお披露目しようという目的からではなかった。横一列に並んで歩く自分たち五人が、校門をくぐった先の舗装路の幅を占有していたことで、車が通れなくなっていたためだ。こんな距離まで背後に車が迫っていたら、普通はエンジン音で気が付きそうなものだが、有島の駆る最新型ハイブリッドカーは、そのエンジン音というものをほぼ発していなかった。車が通れるだけの道幅を確保させるため、有島は自分たちに声をかけたのだ。

『クラクションを鳴らそうかとも思ったんだが、何だか偉そうだろ』

 有島は、変なところで生徒に気を遣う教師だった。かといって、生徒から舐められるタイプでもない。それ以前に、教師を舐めるなどという――幼い自尊心を満足させること以外に――百害あって一利もない言動をするような生徒は、野木鐘高校に入ろうとしたところで面接で落とされる。

 遙香と一緒に歩いていた男も、ちょうど有島と同じくらいの年齢だったな。不意にそんなことを思った。有島には妻も子供もいると聞いた。

 もしも有島が、女子高生と疑似デートを楽しむような歪んだ趣味の持ち主だったら、彼の妻はどう思うのだろうか。子供は? 教え子である自分たちは? 急に有島に対して嫌悪感が芽生えてきた。本人にまったく非はなく、完全な流れ弾に当たった有島教諭は気の毒だったとしか言いようがない。

『先生、今度俺にも運転させて下さいよ』

『バカ言え』

 祥太郎の冗談に、有島は笑いながら返した。

『オートマ車なんて、アクセルとブレーキだけでしょ。俺「マリオカート」得意ですから大丈夫です』

『おいおい、ゲームと一緒にするなよ』

『俺、卒業したら就職するんで、免許が必要なんですよ。その練習に付き合うと思って、お願いしますよ』

『お前ら、遅刻するぞ』

 始業までにはまだ十分時間はあったが、これ以上、生徒の無駄話に付き合うことに疲れたのだろう。そうひと声かけると、有島はアクセルペダルを踏み込んだ。脇にのけた五人を通り越し、有島の新たな愛車は、音もなく職員用駐車場へと消えていった。

 いかな技術の進歩の結果とはいえ、安全面を考慮すると、音を立てない車というのも考えものなのではないかと、遠ざかっていくハイブリッドカーを見送りながら思った。

『今度また、亜沙美の家で運転の練習をさせてもらおうぜ』

 同じようにハイブリッドカーを見送ると祥太郎が言った。

 亜沙美の家は、一昨年に祖父母が相次いで他界したことをきっかけに、自宅を改築していた。両親と亜沙美の三人で暮らすには持て余す広さとなったためだ。家屋面積を削り、その分、庭を拡張させたのだ。亜沙美の家は両親とも車を所持しているが、父親は勤務先の地理的理由から、愛車ではなくバスでの通勤を余儀なくされている。よって、父親が出社している時間には、桐林家の車庫には確実に一台、車が収まっている。その車――期せずして、有島の新たな愛車のひと世代前のモデルだった――を“練習”と称して運転させてもらうことが自分たちは、ままあった。当然、公道に出ることなどせず、桐林家の広い庭だけをコースとして走る――実際は徐行程度の速度しか出せないが――だけだったが、その“運転練習”には、自分もよく参加させてもらっていた。祥太郎は、オートマチック車の運転をビデオゲームに例えたが、実際はそう簡単なものでもない(そもそも、コントローラーとステアリングという、車を操る入力デバイスに決定的な差がある)。が、慣れてくれば問題はないなと感じた。この練習が功を奏したのか、祥太郎と亜沙美は、卒業前に受けた自動車運転免許試験で一発合格を果たしていた。二人とも、自動車教習所の教官からは、『君、運転経験があるね』と看破されていたらしい。

 この話題になったことで、ひとつ、はっきりさせておきたいことがある。自分たち五人は、この年頃のご多分に漏れずビデオゲームで遊ぶことも多いが、『マリオカート』に関していえば、五人の中で最強を誇るのは自分だ。特に“ロケットスタート”には自信を持っているつもりだ。さらに、ゲームだけでなく、実車の運転技術でも自分は、祥太郎や亜沙美に引けを取ることはないと自負している。自分自身は進学するため、運転免許はまだ取得していないが、いざ受験したら、祥太郎や亜沙美同様、一発合格できる自信はある。

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