第17話

「上背はあるが、痩せ型だった藤野の体重は、調べてみたら56キロだった。これも調べたんだが、一般的なアスファルトの比重は、2.35。つまり、体積に2.35を乗じたものが、アスファルトの重さということになる。このトリックに用いるために必要なアスファルトの量が、これで算出できる。道路工事で舗装を破壊されたことで発生するアスファルト片を使用するのだから、その厚みは決まってくる。調べてみると、あの工事で引き剥がしたアスファルトの厚みは、おおむね10センチだった。道路舗装として使われるアスファルトとしては標準的な厚みらしい。

 藤野の体重56キロを、アスファルトの比重2.35で割ってやると、出てくる数字は、約23.8。

〔56kg÷2.35=23.8cm3〕

つまり、23.8cm3(立方センチメートル)のアスファルトが、このトリックには必要となるわけだ。厚さの10センチというのは変えられないので、10センチの厚さで23.8cm3を満たす表面積というのは、23.8cm3、割る、10で、2.38c㎡(平方センチメートル)だ。

〔23.8cm3÷10cm=2.38c㎡〕

 おおよそ48センチ、50センチの方形で、56kgの近似値である56.4kgとなる。

〔48cm×50cm×10cm×2.35=56.4kg〕

 これだけの量のアスファルトを工事現場から調達してくればいい。もちろん、いきなりそんな大きさ――56キロ相当――のアスファルトなんて運べるわけがない。ただ運ぶだけじゃなく、屋上まで持っていく必要もあるんだからな。工事現場で重量計を使ってアスファルト片の重さを量り、少量を何回にも分けて運搬して、最終的に総量で56キロに達すればいいわけだ。

 こうして集めたアスファルト片を、バランスを良くするために、なるべく立方体に近い形状になるように固め、ビニールロープなどで結束してひと塊にしておく。それを屋上から真下にいる藤野めがけて落とす。

 これで、体重56キロの藤野が、屋上の高さから転落したのと同等の傷を付けることが出来る。そんなことをしたら当然、藤野は死ぬ。実際にアスファルトがぶつかるんだから、傷口にはアスファルト片が自然な形で付着することにもなる。藤野の体には、致命傷となった頭の傷の他にも、体の数箇所に打撲痕があったそうだが、これは、落としたアスファルト塊が頭に命中したあと、倒れた藤野の体にさらに接触したことによって出来た傷だろう。駐車場のアスファルトにも硬いものがぶつかった跡があった。これが藤野が頭から墜落した痕跡だと思われていたのだが、実際は違う。これは、屋上から落下されたアスファルト塊が藤野の頭に命中したあと、駐車場にぶつかった痕跡だったんだ」


 古泉先生による数学(算数?)の授業は終わった。が、まだ話自体は終わっていないらしい。そうだろう。このトリックを成功させる上で、もっとも肝心な部分の説明がまだされていない。


「このトリックを行ううえで、もっとも大事なのは、ターゲットとなる藤野のことを、一箇所に留まったまま、微動だにさせないでおくことだ。当然だな。ターゲットにうろちょろされてしまっては、十二メートルもの高さがある屋上から落下させるアスファルト塊を上手く命中させるなど、博打が過ぎる行為だ。動きが止まったと思い、アスファルト塊を落下させたとしても、その瞬間、不意に動き出されでもしたら終わりだ。城ヶ崎殺しのときと同様、このトリックにも二度目はない。そのために、お前が藤野を、どうやって定位置――城ヶ崎が転落したのと、まったく同じ位置――に釘付けにしたのか……。俺の推理はこうだ。お前は、電話で藤野を呼び出す際、こんな意味のことを付け加えたんじゃないか?」



『手紙は、絶対に、そこで読んでほしい。どうして遙香があんなことをしたのか、そこで読めば分かってもらえるから』

 そんなわけがない。手紙なんて、どこでどう読もうが、内容が変わることなどありえない。と言うよりも、そもそも遙香からの手紙など存在しない。勇一を呼び出すための餌に過ぎないのだから。

 遙香からの手紙などない。が、手紙自体はあった。古泉の言うように、勇一を駐車場の一角――遙香が死んだ場所――に釘付けにしておくために用意したものが。

 十中八九、バレはしないだろうと思ってはいたが、念には念を入れて、中学校時代の文集などを参考に、可能な限り遙香の筆跡に近づけて書いたニセの手紙だった。ひと目見て内容を把握できるような簡潔なものであってはいけない。目をこらし、じっくりと読み込まなければならないよう、細かい字で、字間、行間を詰めて書いた。内容は、自分が死を選んだのは、勇一の浮気に原因がある、というようなことを、なるべく胡乱に、回りくどく書き連ねた。たった一枚の便箋だが、熟読するにはたっぷり一分は要するだろう。それだけの時間、勇一を釘付けにしておけば、“弾丸”を命中させるのは簡単だと確信できた。



「問題は、手紙の読ませ方だ。いくら熟読に時間のかかる手紙だからといって、それを立ち止まったまま読んでくれるとは限らない。手に持ち、そこらをうろうろしながら読まれたら意味はない。あるいは、最悪、持ち帰られてしまう可能性もある。それを防ぐためには、どうすればいいか。手紙を、移動が出来ない、ようは、手に持てない状態にしてしまえばいいわけだ。お前は、藤野に読ませるための手紙を、校舎の壁に貼り付けたんだな。当然、簡単に剥がせてしまえないよう、念入りに、べったりと。下手に剥がそうとすれば、手紙自体が破れてしまいかねないくらいに。

 呼び出された藤野は、その手紙を、壁に貼り付けられた状態のまま読むしかなかった。しかも、夜のことだ。光源として、スマホのライトを使用することになる。その光が、夜の中庭という闇の中でターゲットの正確な位置を知らせる、お前にとっての絶好の目標マーカーとなった。

 最初に言ったように、藤野の遺体の右手人差し指の爪の間からは、微量な紙片が検出されている。この紙片というのは、お前が仕掛けた手紙の欠片だ。一度、藤野は、壁に貼り付けられた手紙を剥がそうと試みたが、破ってしまいそうになったため断念したんだろう。そのときに手紙の端を引っかいて、爪の間に紙片が入り込んでしまったというわけだ。

 こうして、藤野を地上に居させたまま、屋上から転落死したと誤認させるトリックを遂行するための、すべての状況が整えられたわけだが、このトリックも完璧ではない。その最大の欠点は、致命傷を与える部位が、どうしても頭頂部に限定されてしまうことだ。飛び降り自殺に偽装するには不自然な死に方となってしまう。が、先に殺した城ヶ崎が、そもそも背中を下にした仰向けの体勢で転落死したという前例があったため、同じ場所から転落した――と思わされた――藤野も、足ではなく他の体の部位が下になって転落したのだろうと、そう考えを誘導させられやすかったわけだな。

 あとは、壁に貼り付けていた手紙を回収し――シール剥がし専門の薬剤なんかを使えば、痕跡を残さずに剥がし取ることは容易だ――、本当に藤野が転落したと見せかけるため、藤野の血を落下点に擦りつける。最後に、凶器として使用したアスファルト片を元どおり工事現場に返却しておく。ああいった工事って、最終的には廃棄するものだとしても、現場で発生した廃材の量まで、細かく記録を取ることが決められているらしいからな。それをお前も知っていたか、あるいは、トリックを計画するに当たって調べたんだろう。

 これが、お前が行った犯行のすべてだ」


 違っているところはあるか、と訊いてはこなかったし、そんな表情も見せなかった。それほどこの推理に自信があるのか、それとも……古泉に、まっすぐ見つめられている。目の前にいる“犯人”の表情を見て、自分の推理に間違いはないと確信を得たのだろうか。


「……教えてくれるか」


 視線を正面に戻した古泉に訊かれた。


「どうして……城ヶ崎と藤野を殺したりしたんだ。藤野の事件については、城ヶ崎と同じ場所で、同じ殺し方に見せかけた理由も分からない。お前たちは……長い付き合いの親友同士だったんじゃなかったのか?」


 聞こえなかった振りすらして――この夜の静寂の中、ありえないことだが――無言を貫いた。トリックを見破られたことに対して、せめて抗っているわけではなかった。

 どうして遙香と勇一を殺したのか。

 ……教えてほしい。

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