第8話
小学校の六年間、全員が同じクラスだったわけではなかったが――五人全員が同クラスに所属できていたのは、四年生の一年間だけだった――互いに自宅が近いという事情もあり、五人の仲は途切れることのないまま、ずっと続いていた。
大人の女性に憧れ、やたらと背伸びをしたがっていた亜沙美。
格闘技と野球が好きで、五人のリーダー的存在だった祥太郎。
お嬢様然とした見た目と、思い切りの良い性格のギャップが面白かった遙香。
漫画や本が好きで、子供らしからぬ理屈っぽさでもって、ときおり大人を辟易させていた勇一。
一緒にいて飽きるということのない、最高の仲間たちだった。
中学校の校区割りも全員が同区内だったため、進学しても五人の関係には何の変化も起きなかった。
同じ高校に進学したのも、皆で示し合わせてのことだった。五人の中でもっとも成績の劣っていた祥太郎に頑張ってもらい、自宅から自転車通学が可能で、そこそこのレベルである野木鐘高校に、無事五人そろって入学を果たすことが出来た。
中学校の担任教師が、進路についての話題になるたびに、口にしていた決まり文句があった。
――仲のいい友達と一緒だからとかいう安易な理由ではなく、しっかりと自分の将来を考えたうえで、進学先を選びなさい。
だが、そんなものは何の意味もない定型句に過ぎないと思っていたし、友達と一緒にいたいという気持ちを“安易”と表現されることにも抵抗を憶えた。
実際、みんなと同じ高校に入ったことで、その考えは確信に変わった。
義務教育ではなく――建前上であっても――自分の意志で進学し、さらに、校区割り無関係に、あらゆる土地から、まったく見ず知らずの同年代の人間が集まってくるという、最高レベルのストレスに晒される高等学校なる環境に突然放り込まれることに対して、気心の知れた友人が一緒だということが、どれほど助けになったかしれない。
一年のクラス分けでは、祥太郎と勇一が一緒になった以外、亜沙美、遙香、そして自分は別々のクラスに編入された。これは学校側の思惑が働いた結果だと信じている。同じ中学から進学してきたメンバー、特に親しいものたちは、なるべく別々のクラスになるよう配置させられたのだ。別に意地悪というわけではなく、せっかく進学したのだから、これを機に新しい友人関係を作ってもらいたい、という学校側の――余計な――親心だったのだろう。五人のうち二人は同じクラスになったが、それは、野木鐘高校が一学年四クラス編成のため、五人組を解体しようとしても、必ず二人は同クラスに組み込まれることになるという、物理的な事情によるものだっただけの話だ。
本当に余計なお世話だったが、自分たちの関係に変化が生じるようなことはなかった。むしろ、学校からの仕打ち(?)に抗ってやるという、おかしな反骨心と団結心を煽る結果となった。
昼休み、放課後、自分たちは極力一緒にいた。ただ、これ以上学校側に目を付けられても困るし、気心は知れていても、趣味はそれぞれ違っていたため、中学校のときと同様に、部活動だけは各々が別々の部に入ることにした。基本的に中学校時代に所属していた部活を継続するものがほとんどだった。
アニメを観て興味を持ったという亜沙美は吹奏楽部。
格闘技好きな祥太郎は柔道部(規則こそないが、坊主頭にしない新入生は先輩から目を付けられる、と聞いて野球部は忌諱した)。
遙香は陸上部――体を動かすことは好きだが、余計な道具の所持や管理をしたくないという
絵を描くことが好きな自分は美術部。
読書(ほとんどライトノベルだったが)が趣味の勇一は文芸部。
余談だが、この、仲がいいが部活動――もしくは趣味が全員バラバラというのも、長い友人関係を続けるうえでプラスに働いたのだろうと思っている。適度に自分ひとりの時間を持てるというのは、人間関係を持続させるうえで大切なことだ。
五人は、それぞれのクラス、あるいは部活先で、それなりに友人と呼べるような新たな人間関係を築きはしたが、休日に遊ぶ、試験前に一緒に勉強をするような特別な相手は中学時代と変わることがなかった。
入学してから一年間は、中学時代の延長のような生活が続いた。変化があったとしたら、通学手段が徒歩から自転車に変わったこと。漫画誌よりもファッション誌などに目を通すことが多くなったこと。亜沙美の化粧が濃くなったこと(たびたび教師から注意されていた)。そのくらいのものだった。野木鐘高校に入るために猛勉強した余波が残っていたのか、高校最初の試験成績で、祥太郎が亜沙美を僅差とはいえ上回ったことも、大きな変化と言えたかもしれない。もっとも、その祥太郎の勢いは、それから半年間も持続しなかったのだが。
所属部でも五人は、平穏に、充実した部活動生活を送っていた。
亜沙美は念願だったサクソフォンを勝ち取ったことで(野木鐘高校吹奏楽部では、引退した三年生が担当していたパートを、新入部員である一年生がジャンケン勝負で引き継ぐ、という伝統がある)喜色満面だった。亜沙美は楽器の練習そのものというよりも、いかにサクソフォンをかっこよく演奏できるか、という方面に心血を注いでいた節があった。そして実際、亜沙美が黄金色に輝く管楽器を奏でる姿は、実に華麗で様になっており、実際に吹き出される音を別にすれば、それはすでにプロの風格を備えているといっても過言ではなかった。
『ここの柔道部はいい感じに緩い』と、野球部を回避した理由から察せられるように、体育会系の乗りを極度に嫌う祥太郎は喜び、顧問の教師や、若干名いる面倒な先輩が不在のときなどには、部員同士で“異種格闘技ごっこ”に興じたりしていた。自分たちも、八名の部員が参加した“ワンナイトトーナメント”なるものを観戦させてもらったことがある(当然だが放課後に行われたため、“ナイト”というような時間帯ではなかったのだが)。入場時には、各自がセレクトしたテーマ曲を流す演出もある、なかなかに凝ったイベントだった。クイーンの『We Will Rock You』(定番過ぎるセレクトで、逆に失笑を買っていた)に乗って入場した祥太郎は、試合開始から数十秒も経たないうちに、二年生相手に関節技を極められギブアップし、あえなく一回戦敗退を喫していたが。
中学時代は徒競走専門だった遙香は、高校で棒高跳びに挑戦した。なんでも、体育用具をしまっている屋外倉庫に、棒高跳び用の機材一式が眠っているのを見て、もったいないと思ったのがきっかけだったという。設備はあれど、棒高跳びに挑戦しようという部員に恵まれていなかった野木鐘高校陸上部は、遙香の申し出を大歓迎した。遙香が棒高跳びの基礎を習得するのに、そう時間はかからなかった。通常、棒高跳びのやり始めというものは、高所へと跳び上がることに対しての恐怖が足かせとなるものだが、持ち前の運動神経と、性格的な思い切りのよさが成せる業だったのだろう。自らの跳躍力と棒の復元性を合わせて宙に舞い上がり、頂点に達した瞬間に感じる一瞬の無重力がたまらないのだと、遙香は興奮した様子で語っていた。加えて、高跳び用マットの運搬(新入部員の仕事だ)が、専用の台車を引くだけで済むのは嬉しい誤算だったという。中学時代は台車などなく、走り高跳びを行う際に使用するマットは(さすがに中学校に棒高跳びの機材はなかった)一年の部員が数人がかりでせっせと運搬していたものだった。マットのしまってある屋外倉庫はグラウンドから距離があったが、専用台車を使えば楽なものだ。
人物よりも、風景や静物を描くことが好きで得意にもしている自分は、この年頃で絵を描くことに興味を持った人間としては珍しい部類に入るのだろうと自覚はしている。ほとんどの部員たちが、こぞって自分の好きな漫画やアニメの登場人物ばかりを描いていた、美術部とは名ばかりの部だった中学校時代、自分の描く絵は浮いていたが、高校の美術部ともなると、さすがに自分の作品も周りと馴染むようになってきた。
勇一は、活字本の読書範囲を一般文芸にまで広げるようになっていき、特に傾倒したのは“ミステリ小説”だった。勇一は、いわゆる“今年のミステリ大賞”的なランキングの、十年程度まで遡っての上位作品を片っ端から読み漁り、感銘を受けた作品を自分たちにも勧めてきて、自分や遙香が『面白かった』と感想を述べると、『俺の目に狂いはないだろう』と得意げに頷いていた。
勇一は、図書室に置かれている“導入希望図書アンケート用紙”に、すでに絶版となっているミステリ小説のタイトルを何作か書き連ねたことがあり、その希望した作品が一向に棚に並ばないことに対して一度、図書委員に苦情を言いにいったことがあった。が、応対した図書委員いわく、
『藤野くんが書いてくれた本はすでに絶版で、中古市場で入手するにしてもプレミア価格が付けられている本ばかりだった。図書購入費ではとても手が届かないので諦めてほしい』
こう言われては、勇一も矛を収めるしかなかった。
三年生に進級してからの話だが、こんなことがあった。校庭に立ち並ぶ桜の木が、完全に葉桜へと変貌した頃のことだ。
五人そろって休日の商店街を歩いていたとき、勇一が不意に足を止めた。そこは街の商店街の中でも、古参と呼ばれる店舗が集まる一角で、勇一が立ち止まった地点にある店も、街の歴史そのものと形容してもおかしくはない、実に
『ボロい店だな』
せっかくの“趣”という表現も、祥太郎のめがねにかかっては、こういう言い回しに変換されてしまう。
勇一、祥太郎に続き、三人とも足を止めた。そこは古本屋だった。このボロい――もとい、趣のある店構えからして、全国チェーン店ではなく個人経営店であることは明白だ。勇一は、その店に入るでなく(ドアを開けて敷居をくぐるには――特に高校生という身分では――相当な勇気と覚悟を必要とされる店構えだった)出入り口脇に設えられているショーウインドを覗き込んでいた。その中には、何冊かの本が小さなイーゼルに立てかけられた状態で陳列されており、勇一の視線は、その数冊の中の、ある一冊の単行本に突き刺さっていた。
『この本が、どうかしたの?』
亜沙美が不思議そうに訊くと、
『
勇一は、その本の著者名とタイトルを呟いた。
『あすかべ……聞いたことない作家だけど……って、うわっ! まじ?』
亜沙美が頓狂な声をあげたのも無理はなかった。本に添えられている値札を読んだのだ。何かの間違いか冗談ではないのか――ゼロの数が一個多い――と門外漢が見たら仰天することは確実だろう。自分も実際、いち、じゅう、ひゃく……と、その金額の桁を数えていって息を呑んだ。このショーウインドウは、どうやら、店自慢の稀少本を展示するためのスペースらしい。隅には除湿機が置いてあり、本のコンディションに気を遣われているのが分かる。この店の玄関が北向きになっているのも、ショーウインドが直射日光を浴びてしまわないよう、店舗の建築段階から配慮して建てられているためだろう。モノ自体も美本で、本に対する店主の愛を感じるが、同時に、ここまで愛でられている本を、果たして客に売ってくれるのだろうか?(値札に踊っていた金額からして、そもそも客に売るつもりなどなく、単なる店主のコレクションを展示しているだけとも思えた)という疑問も噴出した。
『稀少本なんだ』
本の表紙から視線を外さないまま、勇一が言った。
『もしかして、一年のときに、勇一が図書委員にリクエストしたのって』
遙香の言葉に、ああ、と頷いた勇一は、
『ネットの評判や書評を読んで、どうしても読みたくなってね。まだその頃は、稀少本にこれほどの値がつくこともあるなんて想像もつかない素人だったから、学校の経費に頼って、と安易な期待をしてしまった。無茶なリクエストをしてしまい、あのときの図書委員には悪いことをしたなと、今でも思ってるよ』
勇一の顔がほころんだ。確かに、生徒からのリクエストを受けて、その本の流通価格を調べてみた図書委員は、提示された価格を見て目の玉が飛び出たに違いない。
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