第7話
それから数日後、地元紙一面に、地元有力政治家が贈収賄罪容疑で近く検挙される、という内容の記事が躍った。その記事にある有力政治家というのは、恐喝グループ一員の親だ。その政治家が実際に逮捕されるまで、記事が出てから三日を置かなかった。
同時に、アイの様子ももとに――口数が少なく、大人しい、度が過ぎるほど他人に気を遣う、きれい好きな生徒に――戻った。昼食時には、再びおにぎりやパンを口にするようにもなった。
その日の放課後、ジェイは古泉を捕まえて話を訊いた。証拠も根拠も何もないが、今回の件に古泉が関係していないわけがない、そう感じ取ったためだという。
古泉は素直に白状した。記者をやっている叔父に頼み、アイが恐喝を受けている現場の写真と動画を撮影してもらい、それをネタに父親である政治家に話をしに行ったのだという。
『あいつらも人目を気にしていたらしいが、しょせんは子供の浅知恵。プロの記者にかかれば現場を押さえるのは簡単だった』
そう言って古泉は笑っていた。
『どうして、アイのことが?』
そう質すと、
『あいつが自殺すると思ったから、あとをつけて話を訊いた。それで恐喝のことを知った』
『自殺? どうしてそんなことが分かった?』
アイが自殺を考えていたことにもだが、恐喝という事情を知っていたならまだしも、まだそれを知らない段階のはずだった古泉に、どうしてそれが分かったのか? とジェイは疑問を口にした。
『あいつ、少し前から、昼に何も食べなくなっていただろ』
『それが?』
『だから、自殺を考えているんじゃないかと思った』
『昼を食べないから自殺って……餓死するつもりだったってことか?』
『そうじゃない』と一度古泉は言葉を切って、『お前に俺が、本を返却しろと言った日があっただろ』
『ああ』
『あのとき、本当はお前、俺に言いたいことがあったんじゃないのか?』
『どうして、それを?』
『お前は俺に何か言いかけたが、アイが教室に入ってきた途端、急におかしなことを言い始めたからだ』
『おかしなこと?』
『そうだ。憶えていないか? お前は、あのとき、あの本について、こんなことを言った。“前に読んだことのある本だったのを忘れて借りてしまった”と』
確かにそんなことを言ったかもしれない。咄嗟に口をついて出た嘘だ。しかし、
『それの、どこがおかしい?』
『あの本はな、お前が図書室から借りた日の一週間前に発売されたばかりの新刊だったんだよ』
『なに?』
そんなことまで気にしていなかった。ただ、何の気なしに面白そうだから、というだけの理由で手に取った本だった。
『しかも、どこかで連載していたものをまとめたものじゃなく、書き下ろし作品だから、お前が本当にあの本を読んだことがあるというなら、それはどんなに早くても一週間より遡るわけはないんだ。一週間前に読んだばかりだったことを忘れて、同じ本を借りてしまうなんて、どう考えてもおかしいだろ。痴呆の始まった老人じゃあるまいし』
『どうして、そのときに指摘しなかった?』
『お前の様子がおかしかったからだ。お前が俺に何か言いかけてやめたのは、教室にアイが入ってきたタイミングと重なっていた。察するに、アイに聞かれたくない話をするつもりだったということだ。だったら、俺がお前のおかしな言い分を指摘して、さあ、本当は何を話すつもりだったんだって、その場で迫るわけにはいかないだろ』
そこまで考えていたとは。
『だから、それ以降、俺もそれとなくアイのことを気にするようにした。よくよく観察してみると、あいつは以前に輪をかけて大人しくなっていたな。たぶん、本人はそれを悟られないように振る舞っていたんだろうが、そうと決め打ちしたうえで観察すれば分かる』
『それが、アイの自殺と、どう繋がるんだ?』
『もちろん、それだけじゃない。何日か前に、こんなことがあった。アイが鞄から物を出し入れしたとき、その拍子に、一枚の紙が鞄からこぼれ落ちたんだ。本人はそのことに気付いていなかったから、俺がその紙を拾って、渡してやったんだ。そうしたら、あいつ、急に慌てたように俺から紙を受け取っていたよ。その紙は、レシートだった。学校近くのホームセンターの。当然、購入品も印字されていた。……ロープだったよ』
『ロープ?』
『ああ、そうだ。切り売りされている一センチ径のロープを、二メートルばかり購入したことを示すレシートだった』
『もしかしてアイは、そのロープを使って自殺するつもりだったと?』
『そうだ』
『待て。それはさすがに論理の飛躍が過ぎる』
『確かに、ロープだけを見ればそうだろうな。ロープの購入、イコール、自殺の企て、では、ホームセンターの客の何割かは自殺志願者となってしまう。俺が、アイが自殺するつもりなのではないか? と疑ったのには、当然それ以外にも要因がある』
『要因って?』
『まず、急にあいつが昼食を減らし、最終的にはまったく食べなくなったことだ』
『それは、自分も気付いていたが……』
『次に、あいつ、アイの性格だ。他人に気を遣い、きれい好き』
『それも知っているが……』
『……こんな話を聞いたことはないか? 首つり自殺を行うと、死後に筋肉が弛緩して、死体となった体から、体内に残留していた糞尿が垂れ流されてしまうって』
『ある。元法医学者が書いた本で――あっ! もしかして?』
『ああ、本人に聞いたから間違いない。アイは、首つり後に自分の死体がそうなってしまわないよう、食事を摂らないようにしていたんだ。いきなり絶食しては体に負担がかかって動けなくなってしまうと考えて、徐々に食べる量を減らしていった』
アイらしい、といえば、これほどらしい自殺準備はないだろうなと思った。
『アイは自殺を企てているんじゃないか? そう考えた俺は、その日以降、放課後にこっそりとアイのことを尾行していたんだ。無事帰宅すればそれでよし。あいつの性格からして、自宅で事に及ぶとは考えがたいからな。だが、数日前の放課後だった。学校の玄関を出たあいつは、ついに、いつもの帰路とは全然別の方向に足を向けた。辿り着いたのは、背の高い木が鬱蒼と生え茂っている広い河川敷だった。人に見られる心配はない、かつ、人里離れた山奥というのでもないから、いざ自分が行方不明となった際には、まっさきに捜索の手が入って死体を発見してもらえる。自殺するにはうってつけの場所だろう』
『そこで、アイと話を?』
『ああ。俺に
『それで、記者の叔父さんに頼んで』
『俺のことは、昔から可愛がってくれているんでね。ちょうど急ぎの仕事もないタイミングだったんで、すぐに行動を起こしてくれたよ。俺は、叔父から恐喝の証拠を受け取ると、すぐに例の政治家――恐喝グループメンバーの父親――に会いに行った。いきなり訪問した中学生になんて会ってくれるわけがないだろうから、叔父の名刺を持参して』
『そこで、どんな話をしたんだ? その政治家が逮捕された件も、当然無関係じゃないんだろ?』
『ああ。俺はまず、“おたくの子供がこういうことをしている”と、証拠を見せたうえで迫ったんだ。“政治家として、親として、放っておくことは出来ないはずだ。何らかの措置を取ってもらいたい。いや、そうするべきだ”って。ところが……』
『拒否された?』
『当たり。逆に、そんなものを公にしたら、お前も家族もただでは済まなくなるぞ、と脅しをかけられたよ。相手が中坊だと思って完全に舐めてかかっていた。だから、こいつには何を言っても無駄だなと分かって、もうひとつのプランを発動させることにした』
『それが、まさか……』
『その、まさかだ。叔父は、恐喝の証拠映像を撮ると同時に、その政治家と、そいつと繋がりのあるゼネコンを徹底的に洗った。まあ、よくこんなのが今の今まで表沙汰になってこなかったなと呆れたよ。たぶん、地元マスコミも政治家先生の威光に恐れを成して、見て見ぬ振りを決め込んでいただけだったんだろうな。その点、俺の叔父は今どき珍しい、そういう“忖度”や“空気読み”をまったく意に介さないタイプの記者なんでね』
『地元マスコミに売ったのか、その情報を。しかし、政治家先生の威光を恐れていた地元マスコミが、よくそれを紙面に載せたな』
『時代は移り変わっているってことだよ。政治家を“お上”って呼んで崇め奉ってる世代が、いつまでも幅を利かせているわけじゃない。今の若い人って――俺よりずっと年上の社会人を捕まえて“若い”なんて言うのも変だが――そういう旧態依然とした慣習を嫌う人が多いだろ。それに、叔父の集めた情報が、検挙にまで持っていけるほど確実なものだったこともある。“ここまで据え膳出されて食わないようなやつは記者じゃない”って、地元記者を前にして、叔父はそんな啖呵も切ったらしい』
『恐ろしいやつだな、お前は……』
『中学生を恐喝するようなやつらのほうが、よほど恐ろしいって』
その政治家が逮捕されると、恐喝グループにいた子供は家族ともども遠い土地に引っ越していき、さらに、古泉は恐喝の証拠も警察に提出したらしく、近隣の高校生数名が逮捕、補導されたニュースも報じられた。恐喝グループは完全に解体され、以降も似たような犯罪が行われたという噂は聞こえなくなったという。当然、アイの家業に影響が出ることはなかった。
この四年前の事件で探偵役を務めた男子生徒――話を思い出していくにつれ、古泉だと確信を深めた――は、結果、自殺しようとしていたひとりの生徒の命を救った。
さあ、今度の事件は、どうなんだ……。お前は、誰かを救えるのか?
救う? 誰を? まさか、犯人である自分を救おうなどと考えているはずもないだろうが……。
救うなら、亜沙美と祥太郎のことを頼みたい。二人の親友を相次いで失い、しかも、その犯人もまた、親友のひとり……。この事実を知ったら、受けるショックには相当のものがあるはずだ。
その二人に加え、殺してしまった遙香、勇一、四人の存在が突然、思考に割り込んできた。
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