第11話

 びょう――と音が立つほどに強い一陣の風が吹き付け、再び四人の顔が視界から消えた。思わずコートの襟を立てる。風はベンチの背後に立つ常緑樹を揺らし、葉が一、二枚、ベンチの座面に舞い落ちた。

 古泉は、その葉を摘まむと指で弾く。不規則な軌道を経て、葉は地面に落下した。


「俺はまず、城ヶ崎の事件について調べた」


 古泉が口を開いた。

 そうだった、事件の話をしていたんだった。これから名探偵古泉の謎解きが始まるところか。

 拝聴しよう。


「校内で聞き込みをした結果、ある証言を得ることが出来た。その証言というのは、『ひとりでいた城ヶ崎がスマホで通話している場面を目撃した』というものだ。それだけなら、何らおかしなところはない。スマホで通話をすることが怪しむべきことならば、たぶん世界中大多数の人間が怪しいやつだということになる」


 変なところで回りくどいやつだ。話の内容が事件の真相に近づいているせいだろうか。

 真相……。古泉が城ヶ崎殺害の真相に辿り着いたというのなら、自分が仕掛けた、あのトリックも古泉は見破っているということになる。何か決定的な証拠を残したとは考えがたいが……。


「問題なのは、城ヶ崎の会話内容だ。その証言をしてくれた生徒は歩いていたため、すぐに城ヶ崎のそばを通り過ぎたそうなんだが、そのわずかの間に、城ヶ崎がこんなことを言っているのを耳にしたというんだ。『鍵は、どうやって手に入れるのか』って。詳しい日にちまでは憶えていなかったんだが、恐らく、城ヶ崎が亡くなる、二日か三日前くらいだったんじゃないかと思う。ここで城ヶ崎が言っていた『鍵』とは、何のことを指すのか。そして、そもそも、城ヶ崎は誰と通話をしていたのか。もちろん、事件とは無関係の日常会話だった可能性もある。だが、『鍵』と『手に入れる』、この二つの単語。これに俺は引っかかりを憶えた。『鍵』はともかく、『手に入れる』って、あまり日常的には使わない言葉だよな。その前に来た『どうやって』という言葉と合わせたニュアンスとして、入手困難なものをいかにして調達するか、本当に出来るのか、と案じているように聞こえる。この、入手困難なものというのは言うまでもなく、最初に出てきた『鍵』のことだ。

 城ヶ崎の事件で『鍵』といって、まず思い浮かぶのは、屋上に出入りするための階段室ドアの鍵だ。実際、その鍵は城ヶ崎の懐から発見されている。城ヶ崎がスマホの会話で口にしていた『鍵』というのは、この階段室ドアの鍵のことだったのだろうか。いや、そう考えるには違和感がある。というのも、この鍵を手に入れる手段というのは、それほど困難を伴うものじゃなかったはずだからだ。階段室ドアの鍵は、職員室のキーボックス内に保管されているが、隙を見て無断で、誰にも気付かれることなく持ち出すことは容易な環境下にあった。キーボックスの鍵が厳重管理されるようになったのは、城ヶ崎が亡くなってからのことだ。よって、城ヶ崎がスマホの通話で口にしていた『鍵』というのが、階段室ドアの鍵を示していた可能性は低いのではないかと、俺は考える」


 一気に喋ったためか、ここで古泉が深く息を吸う音が聞こえてきた。吸い込んだのと同じだけの時間をかけて、今度は息を吐き出す音が聞こえる。


「とりあえず、この話題はいったん置いておこう。というのも俺は、他にもうひとつ、重要な手がかりになると思える証言を得たからだ。その証言をしてくれたのは、美術部の一年生だった。美術部は、お前が所属していた部活でもあるな。その部員の証言というのは、こうだ。『夏休み前の一時期、絵の具の消費が異様に激しくなったときがあった』。聞いた話によると、美術部で使用する画材は、ひとまとめにしておいて、部員が各々、必要なだけの量を持ち出し、定期的に係の部員が残量をチェックして、補充が必要な状態であれば部費から購入しているそうだな、って、部員のお前に言っても釈迦に説法だな。まあ、とにかく、その部員によれば、消費の激しかった絵の具というのは、赤系統の色ばかりだったそうだ」


 そんなことまで調べ上げていたとは。どきりと心臓が鳴った。


「そして、最後に俺は、城ヶ崎が転落した中庭の駐車場も調べてみた。もう、事件から半年以上も経っているし、そもそも何かしら怪しい痕跡があったら、警察の鑑識が見逃しているはずがない。が、俺はひとつ、気になるものを見つけた。それが何かというと……タイヤ痕だ」


 思わず目を見開いた。そこまで気を回していなかった。古泉に悟られてはいないと思うが……いや、古泉がすでに事件の――遙香を殺害した――トリックを解き明かしているというのなら、さらに、犯人が自分だと看破しているというのなら、今さら怪しまれない素振りを徹底させたところで何の意味もないが。


「しかも、そのタイヤ痕は、何年も前に付けられたという感じじゃなく、比較的新しいものだった。これは恐らく、いや、間違いなく警察も見つけていたはずだ。だが、見つかった場所が場所だ。もしも、マンションのリビングに敷き詰められたフローリングからタイヤ痕が見つかったというのなら、これが事件解決の鍵にならないわけはないが、駐車場にタイヤ痕があったところで、何ら疑いを挟む余地はない。森の中から葉っぱが見つかった、といって大騒ぎするやつがいないようにな」


 回りくどい話はいい。


「だが、それは、あくまで外部の人間から見ての判断だ。俺――いや、野木鐘高校の生徒、教師なら誰でもそう思うだろうが、あの中庭駐車場に、そこそこ新しいタイヤ痕があるというのは、それ自体がおかしなことだ。あの便の悪い駐車場に車が駐まっていたことなんて、三年間の高校生活で俺は一度も見たことがない。さっさとベンチにでもしてしまえばいいのにな。そうしたら、非常階段にたむろする生徒もぐっと減るはずだ……と、そんな話はどうでもいいか。とにかく、俺はこう思った。このタイヤ痕は事件と無関係じゃない」


 そのとおりだ。


「となると、城ヶ崎の事件には、車が使われたということなのか? しかし、車がどう事件と関係してくるのか、どんな使われ方をしたのか。車の使用が城ヶ崎の死に直結しているというのであれば、城ヶ崎が飛び降りた、まさに、その瞬間に使われたと考えるのが自然だ。そこで、俺は思った。あの中庭で車を走らせたりしたら、校舎の中にまで音が聞こえてくるのではないかと。中庭は左右を校舎に挟まれているから、そこで発生した音は壁への反射を繰り返すことになるだろうからな。

 だが、藤野の証言には、そんな話はいっさい出てこなかった。他にも一般教室棟、特別教室棟、どちらにも生徒、教師は大勢いて、可能な限り警察は聞き込みを入れたはずだが、話を聞いた誰からも、中庭から車の音――エンジン音や走行音――が聞こえた、という証言は得られていなかった。車の音など事件と関係があると思っていないから喋らなかっただけなのでは、と考えることも出来るが、警察は、“どんなに事件に関係のない情報だと思っていても、それは警察が判断することなので、気になったことなどがあれば何でも話してほしい”と断ったうえで聞き込みを行っているはずだ。常套句だよな。そこまで言われて、もしも、実際に城ヶ崎が飛び降りた時間の前後に車の音がしていたのだとしたら、それを聞いた生徒、教師がひとりもそのことを証言しなかったというのは、おかしい。

 では、やはり車は、あのタイヤ痕は、事件とは何の関係もなかったのだろうか? と考えたところで俺は思いついた。車は確かに使われた、その際に駐車場にタイヤ痕を付けた。だが、その車の音は聞こえなかった――というよりは、音が、ほとんどしていなかっただけなのではないか、と。そういう車は、ある。俺は、それまで乗っていたオンボロセダンから、最新型のハイブリッドカーに乗り換えた教師が、ひとりいることを思い出した」


 実際、有島の愛車は、歩行者に車の存在を認識させて注意を促す、という意味で心配になるほどの静音性能だった。


「そうなると、その教師がまず疑われるべきなのだが、城ヶ崎が飛び降りた時間――というよりは、その日はずっと、その教師は仕事に追われていたため、職員室に詰めっぱなしだったということが分かった。昼食も弁当――愛妻弁当らしい――持参で、そのまま職員室で食べたそうだ。トイレには当然何度か行ったはずだが、職員用トイレは職員室のすぐ隣だからな。席を外しても、せいぜい一分かそこらの話だ。

 だが、ハイブリッドカーに乗っているのは、なにもその教師ひとりだけじゃない。同じような静音性の高い車に乗っている教師は他にもいたが、その誰もが、その日には学校に来ていなかったか、午前中だけ来て帰っていたことが分かった。つまり、城ヶ崎が飛び降りた午後四時に、校内にあったハイブリッドカーは、その一台きりだったと考えて問題はない。校外から持ち込んだということは考えがたい。この学校の敷地内へ車を乗り入れさせる場合、可能な出入り口は校門しかない。そんな目立つ場所から堂々と車を持ってくるのは難しい。校門を入ったすぐ隣はグラウンドで、そこでは常時どこかしらの運動部が活動をしているからな。目立つから、必ず目撃されることになる。

 城ヶ崎の事件に車が使われたことは、十中八九間違いない。そして、その使われた車というのは、オンボロセダンから買い換えられた、例の教師のハイブリッドカー以外には考えられない。が、その車の持ち主である教師自身は、犯行に関わっていないことは確実視される。ということは、導き出される答えはひとつだ。その教師の車は、犯人によって無断使用されたのだと。この無断使用した人間というのは、何も運転免許所持者にこだわる必要はない。そのハイブリッドカーは、今どき当然のことながらオートマチック車だ。アクセルペダルを踏めば動き、ブレーキペダルを踏めば止まる。面倒なクラッチ操作がないため、エンストさせてしまうことなど、まずない。操作方法さえ分かっていれば、誰にでも運転できる」


 そう、まるでゲーム感覚で。


「さらに俺は、中庭周辺の地理――なんていうと大げさだが――も調べてみた。いくらほとんど使われていないとはいっても、駐車場というからには当然、そこへは車の乗り入れが可能なわけだ。実際、藤野の通報で駆けつけた救急車は、現場である中庭まで乗り入れている。そして、中庭の近くには屋外倉庫があるな。主に屋外の体育、部活で使用する道具がしまわれている倉庫だ。大きな道具を出し入れする必要から、屋外倉庫の出入り口は広いシャッターになっているよな。俺も体育の授業で、走り高跳び用のマットを運ばされたことがあるよ。まあ、マット自体は大きくて重いが、運搬専用の台車があるから楽だよな。ひとりでも十分移動させられる。この屋外倉庫の前までも、車で乗り入れることは可能だ。器具を搬入出する業者のトラックなんかが横付けする必要があるからだ。

 さて、ここで、棚上げしていた問題を再び持ってくることにする。そう、城ヶ崎がスマホの通話で口にしていた、『鍵は、どうやって手に入れるのか』という言葉の意味だ。ここで言う『鍵』が、階段室ドアの鍵ではないことは、もう確実視されている。じゃあ、城ヶ崎が言っていたのは、何の鍵のことだったのか。そして、通話相手は誰だったのか。これまでの検討で答えは導き出せる。その通話相手は犯人で、『鍵』というのは……車――その日、校内にあった唯一の静音性に優れたハイブリッドカーの鍵のことだったんだ」

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