第12話

 ふう、と、深い息をついたのは自分のほうだった。


「通話相手の“犯人”というのは、すなわちお前のことだ。城ヶ崎は、自分を殺すつもりの犯人と会話をしていたということになる。どうして? その答えは、こうだ。城ヶ崎は、犯人と一緒にある計画を立てていた。その計画を犯人は利用して、城ヶ崎を殺したんだ。二人が立てた計画というのは、“偽装自殺”だ。藤野に目撃させるための……」


 夜空を仰ぎ、深く、長いため息をついた。吐き出された白い息が、暗い夜空を背景に舞い散り、やがて、消えた。……意外と、星が見えるものなんだな。場違いにそんなことを思った。



 遙香に、勇一の不貞に関しての相談を持ちかけられた翌日、もう一度、二人だけで会うことにした。夕食後、『勉強で分からないことがあるので教えてもらいに行く』と、互いの家を訪れるのを口実にして、いつものファストフード店で落ち合った。家同士が近く、どちらの両親も互いの家を信用しており、試験が間近だったことが功を奏した。

 形だけ持ち出した勉強道具は鞄にしまったまま、遙香は相談の続きを始めた。話をしているうちに遙香は、以前に勇一とやり取りをした通信アプリのメッセージ履歴まで見せてきた。毎日のようにやり取りをしていたらしい。他人事ながら赤面してしまうような、甘ったるい文章の数々が羅列していた。

 その中にあった勇一からの一文を見て、ある計画を思いついた。

『ちょっと、考えたことがあるんだけど……』

 かなり危険な計画だ。常識的に考えて承諾するわけがない。そう高をくくっていたのだが……。


 帰宅後、一晩かけて練り上げた計画を、さらに翌日の夜、今度はビデオ会議アプリを通して、遙香に話して聞かせた。作成した図面も見せて、描くべき計画の絵を共有した。画像データなどを送らなかったのは、証拠を残さないためだ。“偽装自殺計画”があったという証拠を。

 遙香のほうでも、計画の詳細を熟知したようだ。計画は夏休み中に決行するべきだろうと同意した。なるべく人目を避けたほうがいいためだ。

 この計画を遂行するにあたっての条件は、五つ。

 ひとつ、夏休み期間中であること。

 ひとつ、なるべく学校に来ている生徒の少ない日、あるいは時間帯を狙うこと。

 ひとつ、勇一が図書室の、いつもの席で読書をしている時間を狙うこと。

 ひとつ、風のない日であること。

 ひとつ、有島教諭が学校に来ていること。


 計画の概要はこうだ。

 まず、事前準備として、透明な薄いアクリル板に、赤い絵の具で血が飛び散ったような模様を描いたものを複数枚用意しておく。これは自分の仕事だ。部室から少しずつ失敬していった絵の具を用い、自宅で制作した。これを地面に配置すれば、あたかもおびただしい出血があったように見せることができるという代物だ。これが完成したら、あとはすべて、当日にしか出来ない作業ばかりとなる。


 そして、五つの条件がすべて重なった、七月二十六日。計画決行当日――

 自分はまず、屋外倉庫のシャッターを開け、高飛び用のマットを出しておく。このシャッターの鍵は前もって遙香が解錠しておく。屋外倉庫は部活動で頻繁に使用するため、運動部ごとに鍵が配られており、陸上部割り当ての鍵は遙香が預かっていた。マット自体は大きく重量もあるが、専用台車を使えばひとりでも運搬は容易だ。

 次に、有島の車の鍵を失敬する。ここが一番の難関で、計画の肝だと思っていた。調査を重ね、有島は車の鍵をいつも背広の内ポケットにしまっていることを突き止めた。この季節、有島は職員室へ来るなり、背広を脱いで教師用のハンガーラックに掛けている。有島の昼食は常に愛妻弁当のため、一度学校に来たら帰るまで車を使用することはない。ハンガーに掛けた背広に再び袖を通すことも、帰る直前までないだろう。

 とはいえ、教師用ハンガーに掛かっている背広から鍵を抜き取る、というのは難度の高い仕事だ。遙香とは何回も、ときには直接会って、ときにはスマートフォンを介して、いかにして有島の車の鍵を手に入れるかの手段について話し合った。結果、下手に小細工を弄するよりも、直球勝負を敢行するのが一番よいのではないかという結論に至った。

 教師用ハンガーの近くには、幸いにもコピー機が設置されている。コピー目的で近づき、隙を狙って背広の懐から鍵を抜き取る。多少の音を立てることになったとしても、コピー機の稼働音がある程度かき消してくれるだろう。この役目は遙香が受け持つこととなった。加えて保険として、陽動作戦もオプションとして組み込むことにした。万が一、遙香から教師らの視線が離れなかった場合、わずかに時間をずらして職員室を訪れた自分が、転ぶなり机の上のグラスを落とすなりの目立つ行動をして、職員室にいる教師たちの意識を引きつけるというものだ。が、結果、このオプションを発動させる必要はなくなった。遙香は見事に、有島の背広から鍵を抜き取る難業をやってのけた。自宅で父親の背広を相手に何度も練習を重ねたという成果が実ったのだろう。

 職員室を出ると、遙香は自分に車の鍵を渡し、少しの間を置いてから職員室に戻る。わざとコピー機に原本を置き忘れ、それを回収しに戻ったというていで、今度はキーボックスから階段室の鍵を持ち出すためだ。背広から鍵を抜き取る難度に比べたら、遙香にとってこれは赤子の手をひねるような仕事だったことだろう。

 遙香から車の鍵を受け取ると自分は、教員用駐車場に走った。有島の愛車の乗り込み、エンジンをスタートさせる。人目につく心配はない。教員用駐車場は生徒が立ち入る必要のない場所にあるし、かつ、最新型のハイブリッドカーは、人の耳を引くようなエンジン音も出さない。車本体同様、新品のタイヤもまた静音性能に秀でており、アスファルトを噛む走行音もほとんど発しなかった。目指すは屋外倉庫だ。

 倉庫前に到着すると、用意していたマット運搬用台車を車の後部に繋げる。牽引用の設備などはないが、台車に結んだビニールロープをトランクのドアで挟み込めば事足りる。

 そうして、マットを乗せた台車を牽引する格好となった車を中庭まで走らせる。作成した図面を見ながら位置調整をし、マットを配置する。その配置位置とは、すなわち、遙香の落下位置だ。

 対面する特別教室棟を見上げたが、中庭に列したカエデの枝葉に邪魔をされ、三階図書室の窓は見えない。それでいい。こちらから見えないということは、図書室からもこちらの様子を視認することは出来ないということだ。ここに、マットを牽引した車が停まっているということを知られるはずもない。あの図書室の窓、その向こうに並ぶ窓側席の一番端、そこに勇一はいるはずだ。

 運転席に乗り込むとエンジンをかけ直し、窓を開け、手鏡を出して直上の一般教室棟屋上を確認する。遙香の姿は、すぐに屋上の縁に見えた。片手に手鏡を構えたまま、残る片手でハンドルを握り、右足はアクセルペダルに乗せる。左足はブレーキペダルを踏んだまま。

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