第3話

「よって、事件性はないと確認され、何より、城ヶ崎が飛び降りた瞬間を見た――しかも、屋上には間違いなく城ヶ崎ひとりだけしかいなくて、誰かに突き落とされたとか、そういったことはなく、城ヶ崎が自分の意志で飛び降りたとしか見えなかった――という藤野の目撃証言が決め手となり、城ヶ崎の死は自殺であると断定された。お前も、その日は学校に来ていたから、警察の聞き込みを受けたんだろ? 城ヶ崎が飛び降りたところは見なかったと証言したんだな。まあ、それはそうだよな。目撃どころか、私が殺しました、なんて言うわけないもんな」


 古泉は、僅かに口角を上げ、笑みに似た表情を作ったが、すぐに顔つきを真剣なものに戻し、


「お前が城ヶ崎を殺した手段は分かっているが、それはまたあとで話す。

 まず、俺が変だなと感じたのは、城ヶ崎の“落ち方”が奇妙に思えたからだ。城ヶ崎は、背中から地面――正確には駐車場のアスファルト――に転落したそうだ。発見時の城ヶ崎の体勢がそうだったし、検死解剖によってもそれは証明された。

 普通、自殺目的で飛び降りをする人間っていうのは、たいてい足を下にして――つまり、直立の姿勢から、そのままぴょんと飛び降りる格好で――落下するそうなんだ。飛び降り自殺っていうのは、まさにそんなイメージだよな。なのに、城ヶ崎は違った。彼女は、どういうわけだか、背中を下にして、ようは仰向けの格好で転落したことになる。そこのところは当然、警察も気にしただろうから、唯一の目撃者である藤野にも訊いた。でも、よく憶えていないと藤野は答えたそうだ。まあ、無理もないよな。知人、ましてや付き合っていた女性が目の前で飛び降りたんだ。そのときの姿勢がどうだったかなんて、気が動転して記憶していないのが当たり前だろう。ましてや、さっきも言ったが、図書室にいた藤野からは、屋上から飛び降りた城ヶ崎は、すぐにカエデの木に視界を塞がれて見えなくなってしまったんだからな。藤野が、飛び降りた城ヶ崎の姿を目撃できたのは、屋上からカエデの木の先端――おおよそ二階天井部分――までの高さの距離しかなかったわけだ。計算をしてみたんだが、校舎の高さがおよそ十二メートルだから、そこから地面まで墜ちるとなると、落下に要する時間は、1.5秒しかかからない。校舎は三階建てだから、単純に三で割ると、一階分の距離を通過する時間は、0.5秒しかない。どんな体勢で墜ちていったかを思い出せ、というのが、そもそも酷な話だ」


 二人のあいだを、再び冷たい風が吹き抜けた。少しだけ身震いをしてから、古泉は、


「城ヶ崎は、普通に足から飛び降りたが、風にあおられたため、最終的に仰向けの姿勢になって地面に激突したんじゃないか、という意見もあったが、城ヶ崎が飛び降りた時刻――七月二十六日の午後四時前後――は、学校の辺りは、ほぼ完全な無風状態だったということが確認された。よって警察は、飛び降りる際に屋上の縁に足を引っかけてバランスを崩してしまったんだろう、と判断したそうだ。なにせ、城ヶ崎に殺意を持つ人間が一切浮かんでこなかったうえ、繰り返すが、藤野の決定的な目撃証言があったんだ。まあ、警察としては、自殺ありき、という決め打ちで、あらゆる情報に都合のいい解釈を与えていった、という面も否めないんじゃないかと俺は思っているんだが」


 古泉は、自分に向けられた、“どうしてそんなことまで知っているんだ”、という意味の視線を察したのか、


「ああ、実は、俺の叔父が雑誌記者で、主に刑事事件の取材を担当してるんだよ。で、そので、俺もそういう警察の情報を訊き出せる立場にいるってわけなんだ。だから、さっきも言った、城ヶ崎が背中から転落したとか、そういう話を聞いて、何だかおかしいなって思って、俺のほうでも独自に調査をして、入手した情報や手がかりをもとに、色々と推理をしてみたんだよ。……そう、その結果が……」


 古泉が横を向く。話の冒頭、彼の口から出た言葉が脳内にリフレインする。

 ――城ヶ崎と藤野を殺した犯人は……お前だよな。


「それと、もうひとつ」視線を前方に戻すと、古泉は、「俺が変だなと思ったのは……城ヶ崎が飛び降りる瞬間を目撃したのが、藤野ただひとりだけだった、という事実だ。

 とはいえ、藤野以外に目撃者がいなかったということ自体は、別段奇妙に思うことでもない。通常の登校日ならいざ知らず、あの日は夏休み期間だったから、校内にいた生徒数なんて、普段の十分の一にも満たなかっただろう。それも、みんな何かしらの用事があったから、夏休みにもかかわらず、わざわざ学校まで来ていたわけだ。それは部活だったり、自習だったり、藤野みたいに趣味の一環で来ていたようなやつもいただろう。だから、暇を持て余して廊下や教室の窓から外を眺めていたような生徒なんて、まずいなかっただろうと考えられる。先生方も、職員室や部活の顧問活動なんかで忙しくしていただろうしな。藤野以外の誰からも、城ヶ崎が飛び降りたところを見た、という目撃証言が出なかったことは不思議でもなんでもない。

 よって、俺はこう考える。藤野だけが城ヶ崎の飛び降りを目撃したのは、偶然ではない。藤野は、城ヶ崎の飛び降りを“目撃させられた”んだよ」


 表情の変化を読み取ろうというのか、古泉はまた視線を横に向けた。が、その先にある表情に、何の変化も見られなかった――あるいは、明かりが乏しいせいで気づけなかった――ためか、すぐにまた正面に向き戻る。


「俺がそう考える根拠は、城ヶ崎が飛び降りた、まさにその位置にある。一般教室棟の中庭向きの屋上。彼女は飛び降り場所として、どうしてそこを選んだのか。それは、その位置がまさに図書室の、さらに言うと、藤野がいつも座る定位置の、中庭を挟んだ真正面だったからだ。図書室の定位置に藤野が座っているときを狙って、そこにスタンバイしていれば、ふとした瞬間に藤野が視線を上げた際、屋上の柵の外側に立つ城ヶ崎を間違いなく目撃させることが出来る。藤野なら……いや、誰だって、そんな状態にいる人間を目撃してしまったら、無視なんて出来るはずがない。ましてや、それがよく知っている人物だったら、なおさらだ。そのまま視線を釘付けにさせておけば、その先……屋上から飛び降りる決定的瞬間をも、確実に目撃させることが可能というわけだ」


 そこで古泉は、いったん言葉を止めた。

 繁華街から遠いため喧噪も届かず、幹線道路からも離れているため、車の走行音もほとんど聞こえてくることもない公園内は、冬の夜の張り詰めた空気の効果も相まってか、真の静寂というのはこれか、と思わせる静けさに包まれていた。ほんの少しの身じろぎによる衣擦れ、靴底と地面が触れあう擦過音、あるいは自身の心音までが、はっきりと相手の耳に届いているのではないか、と錯覚するほどだった。


「……何が言いたいんだ、って顔をしているな」


 表層的な表情ではない、心の奥底を見透かすことは出来ないかという、無茶な願いを込めた視線を、二人はぶつけあった。

 先に目を逸らしたのは古泉だった。


「お前は、こう言いたいんだろう。今の俺の推理によれば、城ヶ崎は“自分の飛び降りを藤野に目撃させることが目的だった”ということになる。それは、城ヶ崎は自分の意志で飛び降りた、ということを意味する。つまり、城ヶ崎の死は、やはり自殺である、と。……そうなんだ、“城ヶ崎は自分で飛び降りた”このことに間違いはないと思う。繰り返しになるが、屋上には城ヶ崎の他に誰もいなかった、と藤野は証言している。

 ここで、藤野の証言の信憑性に疑問を持つ、という見方もあるだろうが、俺は藤野の言葉に嘘はないと思っている。なにせ、飛び降りた相手が相手だ。付き合っていた彼女なんだ。その彼女が誰かしらに突き落とされた、なんていう現場を目撃したのであれば、それについて虚偽の証言をする理由なんて、ちょっと考えられない。

 仮に、藤野が実は城ヶ崎に対して殺意を抱いていて、屋上で城ヶ崎を突き落とした“実行犯”がいたのだとして、あくまで城ヶ崎の死は自殺なのだ、ということを周囲――警察に信じ込ませるため、証言を騙ったのだとしよう。でも、これには大きなリスクが伴う。城ヶ崎が誰かに突き落とされる瞬間を、他の第三者に目撃されてしまうというリスクだ。実際には、城ヶ崎の飛び降りを目撃したものは藤野の他にいなかったわけだが、これは偶然の結果に過ぎない。いくら夏休み中で普段よりも極端に生徒が少なかったとはいえ、完全に誰にも――藤野以外の誰にも――犯行を目撃されない瞬間を作り出すなんて、そんなことが出来るわけがない。犯行の――城ヶ崎が突き落とされる――瞬間を誰かひとりにでも目撃されていたら一巻の終わりだ。いくら藤野が“屋上には城ヶ崎の他に誰もいなかった”と言い張ったところで、“突き落とされるところを見た”と証言してくる人がひとりでも出てきたら、その時点で詰みだ。よって、俺は、藤野の証言に嘘はない。つまり、城ヶ崎の他に屋上には誰もいなかったし、城ヶ崎は自分自身の意志で飛び降りたのだと、そう断言していいと思う。それでも……」


 ――城ヶ崎遙香の死は他殺で、その犯人は……。

 そう継ぐべき言葉を呑み込んだのだということが、薄暗い中ながらも、古泉の表情から読み取れた。

 その古泉の口から、ふう、と弛緩したため息が吐き出された。喋るたびに舞い出されていた白い息が、ことさら遠くまで届いた。


「まあ、とはいえ……」古泉は、唇から漏れる息の射程を、もとのように短くして、「俺も、城ヶ崎が死んだ時点では、それが他殺だと決めつけて見ていたわけじゃなかったんだ。仰向けに転落したとか、藤野に目撃されるように飛び降りたとか、不審な点こそあったもののな。人の心を覗き見ることなんて――ましてや、相手が死者なら、なおさら――出来るわけがないからな。城ヶ崎は城ヶ崎なりに、何か明確かつ、やむにやまれぬ事情があっての行動だったのかもしれない。俺が、これは明らかにおかしいって確信したのは、それから――城ヶ崎が死んでから、一週間後のことだ。そう……今度は、藤野が死んでしまった。しかも、城ヶ崎とまったく同じ場所で……」

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