第4話

 八月三日、午前九時三分。「生徒が頭から血を流して倒れている」と119番通報があった。通報者は、二年生の女子生徒だった。彼女は城ヶ崎遙香の部活――陸上部――の後輩で、部活練習で学校に来るたびに、慕っていた先輩が亡くなった中庭を訪れ、花を供えていた。この日も学校に到着した彼女は、中庭に赴き、そこで遺体を発見することとなった。

 遺体が三年生の藤野勇一であることは、すぐに判明した。体の数箇所に打撲痕が認められたが、特に頭部を強く打った痕跡があり、この傷が死因だと断定された。遺体が横たわっていたアスファルト舗装――駐車場の一部――に血痕が付着しており、藤野の頭部傷口からアスファルト片が採取されたこと、その傷口および頭蓋骨の損傷具合が、高所――おおよそ十二メートル程度――から落下したことにより負ったものと判断されたことで、藤野の死因は“屋上からの転落死”と判断された。藤野勇一が倒れていた位置は、城ヶ崎遙香の転落箇所と数十センチとずれていなかった。死亡推定時刻は、前日(八月二日)の午後八時から九時のあいだの一時間と算定された。

 ひとつ問題視されたのは、飛び降り先と思われる一般教室棟屋上へ立ち入るための階段室ドアの鍵が施錠されていたことだった。その鍵は職員室のキーボックス内に保管されており、城ヶ崎の事件後、その鍵が使用された記録はないことも確認された(事件後、階段室のものも含めたキーボックスの鍵の管理は厳重化され、使用者は、誰かしら教員の立ち会いのもと、名前と目的、貸出と返却の日時を専用のノートに記帳することになっていた)。



「つまり、藤野は屋上へ上ることは出来なかったのではないか、と思われていたんだが、その問題はすぐに――いちおうは――解決した。……そう、非常階段だよ。お前も知ってのとおり、校舎の壁に設置された非常階段は、その名のとおり非常時以外の使用が禁止されていて、一階部分と屋上、それに各階への出入り口は樹脂製のボードで塞がれている。まあ、このボードは柔いので、非常時には簡単に破ることが出来るんだが――そうでないと非常階段の意味を成さないからな――とにかく、このボードがあるから、本来なら非常階段に入ることは出来ないわけだ。でも、生徒たちには周知の事実だが、このボードは、ある程度体力のあるやつなら、簡単に乗り越えることが出来るんだ。ボードの上端を掴んで、階段の手すりを足がかりにすることで。ボード自体に足をかけるのは御法度だ。そんなことをしたら、柔いボードは簡単に蹴破られてしまう。実際、年一くらいの割合で、ボードが蹴破られては修繕されているのを見るけどな。たいていが、事情を知らない一年生の仕業だ。

 それはともかく、非常階段はいい感じに日陰になって風通しもよく、階段という構造上、腰をかけることもできるから、絶好の休憩スポットになるんだよな。

 非常階段への侵入が半ば常習的に生徒たちのあいだで行われている、ということを知った警察は、そこを利用すれば、階段室のドアを通らなくとも屋上へ立ち入ることは可能であり、藤野もそうしたのだろうと、そう考えたわけだ。藤野は文芸部だったけれど、さっきも言ったが、見た目からは想像できないくらいに意外な体力持ちだったからな。伊達に体育のサッカーでフォワードを任されてたわけじゃない。ボードを乗り越えることは藤野には可能だったと、警察はそう結論づけたし、俺も――実際にやっていたかどうかは知らないが――藤野があのボードを乗り越えることは出来たと思う。

 で、肝心の藤野が屋上から飛び降りた動機だが……。これはもう、みんなが思ったとおりの結論を警察も出した。……そう、“後追い心中”ってやつだ。藤野と城ヶ崎が付き合っていたことは多くの生徒が知っていたし、加えて、なにせ……死に方が死に方だ。城ヶ崎とまったく同じ方法、同じ場所で死んだ。落下地点まで数十センチとたがわずにだ。城ヶ崎のときと違って目撃証言は得られなかったが、死亡推定時刻が夜の八時から九時じゃあ無理もない。そんな時間に学校敷地内で目撃証言が出るほうがおかしい。だから、ボードを乗り越えて非常階段を上がり、屋上から飛び降りるっていう、その行動をまったく人目に触れずに行うことは十分可能だっただろうし、転落場所も、外部の目に触れない中庭だから、翌朝になって、生徒か教師、誰かしらが学校に来るまでは発見される道理がない。城ヶ崎のときと同様、遺書は見つからなかったが、以上の観点から、藤野の死も自殺である、と警察が断定しても無理はないだろうな」


 そこまで言い終えると古泉は、一度口をつぐみ、小さく息をついた。喋り疲れたわけではないだろう。喋りつつも、ときおりこうして口を止めることで、頭の中の考えを整理しているのかもしれない。


「藤野のときは……」次に話す内容を整理できたのか、古泉は上目遣いに夜空を見上げて、「城ヶ崎のとき以上に生徒たちの中で話題になったよな。それは、まあ、一週間という短いあいだに、学校から二名もの自殺者が出たんだ。動揺するなと言うほうが無理なんだが……悲壮感というよりは、なんて言うか、ロマンチックなものを見るような感じで、生徒――特に女子生徒――たちの間で話題にされていたよな。“恋人を亡くしたショックによる後追い自殺”。高校生に対して、こんな事件に興味を持つなというのは無理だ。『憧れる』みたいなことを口にしたり、『あの二人は野木鐘高校の伝説になる』と興奮気味に喋ったりしていた生徒が先生に叱責された、なんて話を何回か聞いたことがある。もちろん、俺たちは、そんなロマンチックな気持ちになんてなれなかったけどな。なにせ、城ヶ崎も藤野もクラスメイトだ。それほど親しくしていなかった俺でも、結構なショックだったんだ。桐林や宝田なんて、相当だっただろうな……お前も……」


 ――でも、城ヶ崎と藤野を殺した犯人であるお前は、本当はショックを受けてなんていなかったんだろう。悲しんでいるように見えたのも、カモフラージュだったんだろう。

 古泉は、そう言いかけたのだろうか。が、彼が浮かべている表情からは、そんなことを口にするようなとげとげしさ、あるいは、殺人犯を糾弾するような義憤めいた面持ちは、わずかも見られなかった。


「まあ、それはともかく、俺は、藤野の死で確実的な疑惑を持った。何が変に思ったかって、それはまず、藤野の致命傷だ。頭だぞ、頭。それも、ほぼ頭頂部に近い箇所を打っていたらしい。それって、つまり藤野は、ほぼ天地が逆になった、真っ逆さまな体勢で転落したってことになる。八月二日の午後八時から九時――藤野の死亡推定時刻――は、城ヶ崎のときと同じく、学校周辺は無風状態だったと確認されている。足から飛び降りた人間が、約十二メートル――校舎の高さ――を落下するあいだに、百八十度頭と足がひっくり返るだなんて、相当な強風を受けてでもいなければ、そうはならないだろ。……警察の見解? 城ヶ崎のときと同じさ。飛び降りる瞬間に屋上の縁に足を引っかけたのではないかっていうやつだ。特に、藤野のときは夜中で視界も悪かったはずだしな。いちおう、納得できる材料はあるってことだ。

 でも、俺は腑に落ちなかった。二人が二人とも、飛び降りる際に誤って屋上の縁に足を引っかけるなんて、そんな偶然が続くか? その結果、城ヶ崎は背中から、藤野は頭から墜ちたなんて……。同じ偶然が起きたなら、せめて同じ体勢で墜ちるか、それに極めて近い結果が出ないとおかしいんじゃないか? とはいえ、信じる証拠もなければ、疑うに足る確証もない。腑に落ちはしないが、俺はとりあえず、それについて考えるのをやめた。桐林、宝田、お前が悲しんでいるのを見て――そのときは、まだ俺はお前を疑うだなんて、そんなこと微塵も思っていなかったからな――ここで俺が、“城ヶ崎と藤野の死には疑惑がある”なんて騒ぎ立てたら、大騒ぎになるのは目に見えてると思ったからだ。……それくらいの思慮は俺も働かせるよ。その時点で、もう卒業まで約半年。残された時間は少ない。二人が死んだことで、クラスはまとまりを見せつつもあったしな。普段は特に親しくしていない関係のやつらまで、気さくに話をするようになったりして。あのクラスの空気は俺も嫌いじゃなかった。この空気、この結束を保ったまま、美しく卒業していくべきなんじゃないかって、そうも思ったよ。……こんな言い方をすると、城ヶ崎と藤野がクラスを結束させるために死んだ、みたいな感じになって、それはそれで気持ちのいいものじゃないけどな……。実際のところ、桐林と宝田がどう思っていたのかは分からないが。……お前の気持ちも……」


 その心中を吐き出させようとしているのか、古泉は、まるで眼球を貫いて心の中にまで到達せんとしているような、矢のように真っ直ぐな視線を向けてきた。が、それほど不快にはならない。土足で踏み込むような無粋さではなく、控えめにドアをノックしているかのような遠慮深さが、彼の視線に滲んでいるように思えたためだ。が、そのノックが応じられることはない。


「そんなわけで……」ノックを諦めた古泉が、その視線を正面に戻して、「俺は、事件について考えるのを、いったんはやめたんだ。みんな――お前たちも、クラスメイトも、他の生徒たちも、そして恐らく、城ヶ崎と藤野の家族も、二人の死は自殺、ということで納得……いや、理解はしたはずだ。生涯後悔は続くだろうが、そこに“他殺だが犯人が見つからない”などというえんしゆうまでいたずらに注ぎ込む必要はない。何の根拠もなく、ただ“腑に落ちない”っていうあやふやな感情だけで――しかも、二人とはそんなに親しくしていなかった俺が――そんなことをしてしまうのは、それは、よくないことなんだと、そう考えて、納得した。……本当だ。事件について、記者の叔父から色々と訊き出すのもやめた。まあ、叔父のほうでも、もう自殺と決着がついたこの事件を追うのはやめていたんだけどな。

 そうして、クラスも学校全体も、徐々に普段の雰囲気を取り戻していって、もう、俺たち三年が野木鐘高校を卒業することが、現実的に、具体性を帯びて迫ってきた、そんな時期だった……」


 乏しい明かりの下でも、古泉の表情が憂いを帯びたものに変わったことが分かった。


「……さっき、俺は、何の根拠もなく事件を疑うのはよくないことだって、そう言ったよな。じゃあ……根拠があったとしたら?」

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