第18話

 遙香が死んで以降、一時的に勇一とは連絡が取れなくなったが、勇一の自宅に通い詰めていた祥太郎からの報告によって、とりあえず勇一の身が健在であることは分かった。祥太郎は安堵のため息を漏らし、亜沙美はこぼれそうになる涙を拭った。自分も、安心すると同時に……。



 遙香と、ファストフード店で話した夜。勇一に目撃させるための“偽装自殺計画”を持ちかけた、あの夜。遙香は、通信アプリでの勇一とのメッセージのやり取りを見せてくれた。その中の、勇一からのメッセージに、こんな一文があった。

 “遙香が死んだら、俺も死ぬよ”

 前後の文脈からして、遙香が親と喧嘩し、死にたい、といった意味のメッセージを勢いで送ったときのものらしかった。

 ――本当に?

 真に受けるのも馬鹿馬鹿しいような、若気の至り以外の何ものでもない、黒歴史的一文だ。そもそもが、感情的になっていた遙香を自制させる意味で送られたメッセージだろう。しかし……

 ――勇一なら、やりかねない。

 そう思ったことも確かだった。というよりも……

 ――やってほしい。

 しかも、“遙香と同じ死に方で命を散らす”。それしかないと思えた。


 が、現実では、遙香が死んだというのに、勇一は生きていた。徐々に気力も取り戻し、友人らと電話で会話が出来るまでに恢復したという。そう教えてくれた祥太郎の口調からは、最愛の恋人を失い、自分もあとを追おうという悲恋に相応しい、悲壮な雰囲気はまったく感じられなかった。

 電話を掛け、勇一が応答した瞬間、次の言葉が喉元まで出かけた。

 ――遙香が死んだら、勇一も死ぬんじゃなかったの?


 城ヶ崎遙香と藤野勇一、二人は最高のカップルだと思っていた。

『実は、付き合っている』

 冬休みに入る直前、ファストフード店で告げられたその言葉に、自分、亜沙美、祥太郎は心から祝福した。誇りだった。

 いつまでも、汚れることなく、最高の二人でいてほしいと願っていた。間違っても、浮気などすることなく、怪しいデート商売になど手を染めることなく。そもそも、あの二人がそんなことをするなど、決してあってはならないことだ。まったく想像の及びつかない次元の話だ。それに比べたら、タコに似た火星人が地球に攻めてくるという与太話のほうが、どれほど現実味が強いかしれない。



 横目で窺う。すべてを話し終えた古泉の、疲れきったような横顔が映った。癪に障る横顔だった。

 何様のつもりなんだ。ずけずけと土足で他人の心に踏み入って、秘密を暴き立てる名探偵。これからもこの男は、そうあり続けるつもりなのか。

 遙香が死に、勇一もまた、愛する恋人の死をなぞらえるように命を散らした。

 二人は、このまま未来永劫、学園の伝説として語り継がれていくに違いない。

 古泉幹人が余計なことをしなければだが……。

 そう、この男、古泉幹人は、邪魔だ。

 さりげなく周囲を見回した。春の足音もまだ遠い、そんな季節の夜の公園に、自分たち以外に誰の姿もあるわけがない。実際、足音、人の気配もいっさい感じない。

 コートのポケットに手を入れ、中に忍ばせてある細長く硬いものを握りしめた。古泉から呼び出しを受けたとき、こんなこともあろうかと持参してきていたものだ。間合いを計る。一気に跳びかかれば、反撃を許すことなく目的を達せられるだろう。

 深呼吸する。吐き出した白い息が、わずかに届く外灯の光を浴びて、きらめく。立ち昇っていく息を目で追う。もやのような白い塊は虚空に霧散した。……あれ? 星が見えないな。いつの間にか、空には雲がかかって……。


「――あのな」


 少し跳び上がった。その拍子に、握りしめていたものの鋭い先端がポケットの内側に突き立ってしまった。引っかかって抜けない。まずい。ひとりでいているあいだに、古泉もまた、コートの内ポケットに手を入れていた。まさか……?

 犯人と確信するも証拠がなく、探偵が自らの手で私刑を下した、という内容のミステリを読んだことがあるのを思いだした。

 古泉の手が引き抜かれた。握られていたのは、想像していたものとは全然違う形をしていた。長方形で、厚みがあって……紙袋? しかも、ラッピングがされているらしい。ラメの入ったリボンが揺れて、外灯の光を乱反射させた。


「……これ」


 その紙袋を、古泉は差し出してきた。


「城ヶ崎の両親から、預かったものだ」


 ……えっ? 握っていたものを離してポケットから抜いた手を、思わずこちらも差し出した。


「城ヶ崎の部屋を整理していて、見つけたそうだ。きれいにラッピングされていたから、贈り物にするつもりだったらしいな」


 贈り物? 誰に?


「……開けて見れば、分かると思う。お前なら」


 そう言ううちに、紙袋は古泉の手を経由して、こちらに渡っていた。

 紙袋を膝の上に載せて、リボンを解く。いかにも遙香が選びそうな柄のリボンだった。袋の口を開け、手を入れる。硬いものに触れた。この感触は……。

 想像どおり、中には一冊の本が入っていた。引き抜いた本は、

 ……飛鳥部勝則の『誰のための綾織』

 これは……。古泉を見る。


「それって、その筋では有名な稀少本だよな。ネットで調べたけれど、ちょっと高校生の小遣いじゃあ手が出ない値段がつけられてたぜ」


 古泉の視線が、手にした美本にささる。少し羨ましそうだった。


「それと、これも……」


 古泉は、さらにポケットから何かを抜き出した。今度のものは、明らかに中身は本ではないなと分かる、細長い紙袋だった。


「藤野の部屋にあったものだ」


 …………。


「これも、もちろん、ご両親の許可は得ている」


 その新たな紙袋も受け取った。こちらは何の変哲もない紙袋だ。何も言われなかったが、口を開けて中身を引き出した。入っていたのは、有名ブランドのロゴがあしらわれた箱。蓋を開ける。箱のロゴと同じブランドの財布が入っていた。知っている。雑誌を見て、遙香が欲しがっていたものだ。


「俺は、そういったブランド品には疎いんだが、それだって、結構値が張るものなんだろ?」


 高校生の小遣いで手が出せる代物ではない。


「藤野の両親が言ってたんだけどな、藤野のやつ、夏休みに入る直前くらいから、こっそりとバイトをしていたらしい。うちの学校って、自宅の家計事情とか、特別な理由がない限りバイト禁止だろ。だから、両親にも内緒でな」


 藤野の家は、バイトが許可されるような家計事情ではないはずだ。

 ……そうか、そういうことだったのか。


「とりあえず、城ヶ崎と藤野が、こういうものを購入していたってことは、お前には知っておいてほしいと思って」


 そう言うと、古泉は立ち上がった。組んだ両手を頭上に持っていき、大きく伸びをして、無防備な背中を晒した。肩の関節が、ぽきりと音を立てる。


「じゃあな」


 古泉は、そう言って軽く片手を挙げたが、ベンチの前に立ったまま、いっこうに足を動かそうという素振りは見せなかった。


「…………」


 半分だけ振り向いた。見える横顔には、逡巡のような色が滲んでいた。


「ここで、終わるつもりだったんだが……終わるべきだったのかもしれない……迷ったんだが……やはり、言うことにする」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る