第3話 おいしいごはん


「ねえ、出来損ない。あなた、オルクスで暮らすんですって? うふふ。ようやく、下賤な身分相応の立場になったのね。良かったじゃない」


 レクティタが王命を下された直後、どこから聞きつけたのか、異母姉の一人が顔を出してきた。第三王女、シャルロットである。

 今年八歳になる彼女は、異母兄妹の中で一番レクティタと歳が近い。王女らしく、きちんと手入れされた銀髪を手で救い上げ、身構えるレクティタを見下ろした。


「あなたが就任する魔法部隊も大変ね。もしかしたら、王女じゃなくて、下働きが送られてきたと勘違いするんじゃないかしら! でもオルクスの魔法使いは平民ばかりだというから、お似合いかもね! あははは!」


 シャルロットがケタケタと笑うも、レクティタは反論しない。口答えをすると余計当たりが酷くなるからだ。

 レクティタは形見のペンダントを両手で握り、シャルロットの気が済むまで俯いていた。反応のない妹に、シャルロットはつまらなくなったのか、わざとらしくため息を吐いた。


「陰気な性格。だから皆に嫌われるのよ。魔力もなくて、ろくに口も利けなくて。誰からも存在を望まれてない。あなたも、あの女と一緒に死んだら幸せだったのかもね」


 シャルロットはレクティタに向かって手を振った。


「では、ごきげんよう、出来損ない。精々、オルクスでいじめられないようにね。あなたを好きになる人なんて、どこにもいないのだから」


 あはは、と笑って、シャルロットはレクティタの前から姿を消した。

 レクティタはやっといなくなった、と脱力した。姉がいびってくるのはいつものことだ。存在を否定されるのも、彼女にとっては日常茶飯事である。

 産まれてから忌み嫌われ続けている少女。罵声も、蔑みの目も、物心ついたときからずっと向けられてきたもの。

 唯一自分を愛してくれた母は、もういない。レクティタは五歳にして、孤独と差別を受け入れざるを得なかった。

 悲しみなど、とうに抱くなくなった。黒い水晶を強く握るレクティタは、何もかも諦めた目をしていた。


(きっと、オルクスでも、おなじなんだろうな……)


 自分の存在は、誰にとっても迷惑なんだと。就任する魔法部隊の人達からも、嫌がられるんだな、と。そう思っていた。

 だから、レクティタは困惑していた。


(思っていたのと、ちがう)


「うーん。泡立ちが悪いですねぇ。一回、お湯で流します。お目目閉じてくださーい」


 レクティタは大浴場に連れられ、石鹸で全身を綺麗にさせられていた。今は、後ろにいるリーベル――鍋壺からは出ている――の宣言通り、頭をお湯で流されている。

 ざばぁ、と熱くもなく冷たくもない、丁度よいぬるま湯が素肌を伝っていく。三度ほど繰り返し、髪に絡んだ泡が無くなったところで、もう一度、リーベルが石鹸を両手でこすり始めた。


「次はあわあわを目指しましょう。あわあわで、つのつのを作るのです」


「つのつの……?」


「泡で髪の毛を立たせるんですー。こういう風に」


 リーベルはわしゃわしゃとレクティタの髪の毛を洗っていく。少女の細い指が丁度良い力加減でレクティタの頭を揉むので、彼女は夢見心地でされるがままであった。


「ほら、できましたよー。つのつのです」


 リーベルが頭から手を離し、水が溜まった風呂桶を指差した。覗いてみれば、髪の毛が上へ一つに纏まっているレクティタが、水面に映った。

 指で自身の頭をちょんちょんとつつく。


「つのつのだ……」


「つのつのでしょー?」


「なんで、つのつのにしたの?」


 リーベルは首を傾げた。


「? だって、楽しくないですか? お風呂で遊ぶの」


「………」


「あ、もしかして、いやでしたか?」


「……ううん。よくわかんない」


 レクティタが首を横に振る。リーベルは「そうですかー。人それぞれですものねー」と言って、また頭を流すから目を瞑るよう指示をする。

 全身を洗い終わり、湯に浸かって身体を温めたあと、レクティタは風呂から出た。


 清潔なタオルで水滴を拭き取り、脱衣所に用意されていた服に着替える。先ほどのぶかぶかなドレスではなく、身長にぴったりな襟付きのワンピースと、茶色のローファ―であった。


 どこにこんなのあったんだろう、とリーベルに聞けば、「多分、あなたの荷物から漁ったんだと思いますよー。『レオナルド』って人が用意してくれたって言ってましたー」と教えてくれる。


 レクティタの荷物は、一応、王妃の使用人が纏めてくれた。が、彼女を嫌っている使用人達が、必需品をきちんと揃えてくれはずがない。

 予想通り、ろくなものがなかったらしい。くたびれた寝間着や趣味の悪いドレスを放り投げていく中、フトゥはトランクの奥の方に畳んであったワンピースを見つけた。


 他とは違い、シンプルなデザインながらも縫製も布地もしっかりしている。胸ポケットには「レオナルド」と名前が書かれたメッセージカードが挟まれていた。おそらく、この人物が用意したのだろう。王女がパーティーで着るようなドレスではないが、砦で過ごす普段着ならこれで十分だ、とフトゥは判断し、ヴィースに渡したのだ。


 レオナルド、とは、レクティタの兄のことである。王太子が用意してくれたワンピースをありがたく着用し、最後に形見のペンダントを首から下げ、レクティタは食堂へ向かった。


「ああ、お風呂を上がりましたか。もうすぐ食事ができるのでお待ちを……って。髪がまだ濡れているではありませんか」


 食堂につくと、ヴィースが配膳の手伝いをしていた。大きなテーブルの上には、人数分の皿とコップが並べられている。

 ヴィースはレクティタを手招きすると、彼の近くにあった椅子に座らせ、髪を掬い魔法で乾かし始めた。


「ほら、全然びしゃびしゃではないですか。幼い子供に風邪をひかせるつもりですか、リーベル?」


「タオルで拭き取るにも限界がありますよ~。それに、人間マッチのヴィースさんと違って、私は鍋魔法専用なので。得手不得手というやつです。それより、もうお昼ご飯にしちゃうのですか? ちょっと早くない?」


「人をマッチ呼ばわりとはいい度胸ですね。……まあ、汚れが落ちて綺麗になったので良しとしましょう。今日はごたついて朝食を取っていませんでしたから。リタースがついでに全員分を作ってしまうとのことです」


「じゃあお昼ご飯はミルク粥? 私、鶏肉入りがいい」


「あなたの胃腸は石を食っても平気なぐらい健康でしょうが。サンドイッチですよ。卵とレタスと、あと多分なんかの肉です」


 リーベルと軽口を叩きながら、ヴィースはレクティタの髪の毛を乾かしていく。

 熱くはないですか、と時折気にかけてくれながら、ヴィースは根元から髪を掬い手を翳した。赤い仄かな光が周囲に浮かぶ。ヴィースがレクティタの髪をなぞると、光も彼の手の動きに合わせて移動する。すると、濡れて不快だった髪の毛が、あっという間にふわふわに乾いているのだ。

 レクティタはその様子を不思議に思っていると、リーベルが説明してくれた。


「凄い便利ですよね、ヴィースさんの魔法。炎を自由自在に操れるんですよ。温度調整だって可能。髪の毛や洗濯もすぐに乾かせますし、冬は部屋を暖かくしてくれるので、薪いらずなんですよ。だから付いた異名が『人間マッチ』なんです」


「そうなんだ……」


「なにしれっとあなたしか呼んでいないダサいあだ名を広めようとしているのですか。レクティタ殿下も、鍋壺女の冗談を真に受けない。はい、髪の毛、乾かし終わりましたよ」


 ヴィースの言う通り、レクティタの髪の毛は乾き終わっていた。さらさらと手で梳ける髪に感動していると、厨房から見た目が派手な男がエプロン姿で現れた。リタースだった。


『待たせたな。粥と、あと食べられそうならサンドイッチも』


 リタースは右手に厚めの深皿、左手に切り分けた一口サイズのサンドイッチが乗っている皿を持ち、カラトリーと一緒にレクティタの前に置いた。

 やさしいミルクの匂いと、焼いたパンの香ばしさが漂ってくる。レクティタはごくりと喉を鳴らした。が、料理に手を付けるのは躊躇った。


(ほんとうに、たべて、いいのかな)


 ひょっとしたら、すごく苦い葉っぱが入っているのかもしれない。たべて、すごくおいしくても、「身のほど知らず」って急におこられるかもしれない。

 今までの経験からレクティタは目の前の料理を警戒した。うっすら湯気が立つ粥の前で身動ぎしない彼女に、リタースがおろおろと動揺する。


『……な、なにか、気になるのか……?』


「ミルク粥美味しそうですねー。余っていたら私にもください」


「ちょっとリーベル黙ってなさい。……レクティタ殿下。食べられなさそうなら、無理をしなくていいのですよ」


『そ、そうだ。残しておくから、腹が空いたときに食べるといい』


 ヴィースとリタースが安心させるようにレクティタに声をかける。だが、リタースの悲し気な顔に、彼女の心が痛んだ。


(さっき、あめをくれようとした人だ)


 顔は怖いけれど、真っ先にレクティタを労わってくれた人。灰色の髪の人は、風邪をひかないように髪を乾かしてくれた。鍋のお姉さんだって、お風呂で遊んでくれてやさしかった。

 それに、この人たち……一番若いお兄さんや、お化けみたいな人もみんな、レクティタを、怖い目でみない。酷いことも言ってこない。怒鳴ったりもしない。


『だから皆に嫌われるのよ。魔力もなくて、ろくに口も利けなくて。誰からも存在を望まれてない』

『あなたを好きになる人なんて、どこにもいないのだから』


(ううん)


 姉の言葉を、レクティタは心の中で否定した。


(この人たちは、ちがう)


 彼女は、黒い水晶を一度強く握ったあと、その手でスプーンを持った。


「い、ただき、ます」


 意を決し、粥を一口食べる。見守っていた三人が驚く中、レクティタは思わず呟いた。


「おい、しい」


 優しく、温かい味だった。口の中に広がるコクのあるミルクと、仄かな甘み。もちもちした食感の麦を噛むのは初めてだ。

 おいしい、ともう一度呟いて、レクティタは二口目を食べた。無言で三口目、四口目と、続く。自然と涙がこぼれた。レクティタがぼろぼろと泣きながら粥を食べていると、ヴィースがハンカチで涙を丁寧に拭ってくれた。


「あまり慌てずに。ゆっくり食べなさい。まだおかわりもあるのでしょう、リタース」


『ああ。デザートのリンゴと、ついでにジュースも作ってある。今持ってこよう』


 リタースが厨房に向かうと、リーベルも「私も食べたいので手伝いまーす」といって彼の後ろを付いていく。

 二人と入れ替わるように、フトゥとアルカナが食堂の扉を開けた。「この後は買い出し決定じゃのう」「ひひ、メモしておく」と会話しながら、中央のテーブルに寄ってくる。


「荷解きは終わったのですか?」


「大した量じゃなかったからな。ついでに隊長の部屋も掃除してきた。ベッドも整えたぞ」


「ふかふかにしておきましたよ、ひひ……」


 三人の会話に、レクティタが顔を上げる。


「え、あ……あの」


「どうしましたか、レクティタ殿下」


 嗚咽を上げながら、少女は大人達に尋ねた。


「れ、レクティタ、ここにいて、い、いいの?」


 三人は顔を合わせた。フトゥが呆れた顔をして、ヴィースを肘で小突く。


「ヴィースが殿下殿下言うせいで、追い出されると勘違いしてしまっているではないか」


「えっ」


「いひ、ヴィースがちゃんと説明しないから」


「ええ……?」


 ヴィースは二人に責められ困惑するも、「確かに、私のせいかも……」と考え直し、レクティタに言った。


「申し訳ございません。私の説明不足でした。私達はあなたを追い出しなどしません。今日から、このオルクス砦にて、私達と寝食を共にしていただきます」


 ヴィースの言葉は難しく、半分もレクティタには理解できなかった。

 だが人の悪意に晒されてきた彼女は、ヴィースの発言に嘘はなく、至って真摯であると見抜けた。直感的に、彼らは信用できると、判断したのだ。


「これからよろしくお願いします。レクティタ隊長(・・)」


「―――」


 隊長。

 レクティタはろくな教育を受けていない。隊長という単語がどんな意味を持つのか、彼女自身、完璧に把握しているわけではなかった。

 一つ確信できることは。

 自分は――彼らに、受け入れられたのだ。


「――うん」


 だから、レクティタも、手で涙を拭い、頷いた。


「今日から、隊長、がんばります」


 レクティタは、生まれて初めて、母以外の他人に、笑顔を見せた。


 少女の誤解も解けてヴィースがホッとしたのも束の間、厨房からリタースとリーベルが料理を運んでくる。昼食がテーブルに並べられ、隊員達は各々好きな席に座って食事を始めた。

 にわかに騒がしくなった食堂に、レクティタはまた自然と笑みがこぼれる。

 こんなに大勢と食事をするのは、彼女にとって初めてだった。


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