第18話 不測の事態(上)

 アンバーは代々王家に仕えてきた暗殺者の末裔だ。表舞台には決して登場せず、徹底して歴史からその姿を隠し続けている様は、まさに「国王の影」と呼ばれるに相応しい一族であった。

 彼は現王ジェロイからの任を果たすため、商業都市フォルムに潜入していた。旅芸人のふりをして、標的の情報を集めている最中だったのだ。


(まさか、本命も釣れるとは)


 アンバーは人混みにうまく身を隠しながら、部隊の副隊長であるヴィース・ストフレッド、隊員のフトゥ・ルム、そして、今回の標的であるレクティタを捉えていた。三人のやり取りは、上司部下のそれではなく、まるで親戚の集まりのようであった。


 王都から距離が離れているとはいえ、耳聡い商人ならば既にレクティタの正体を掴んでいる。アンバーはそこで少々、第七特殊部隊と懇意にしている商会に、また違う噂を教えてやったのだ。


 とある幼き王女の境遇に、優しいサンドレア王妃は涙を流したと。己を諫めてくる王妃に対し、国王ジェロイはそれはそれは不機嫌になり、その夜以降、かの王は当てつけに宮廷で美女と酒を片手に酒池肉林を開いているらしい、と。


 面白おかしく国王夫妻の喧嘩を伝えてやれば、商人達はアンバーの思惑通り動いてくれた。現王ジェロイは愚王として国民に嫌われているが、それでも一国の王という立場には変わらない。予想の斜め上の言動を取ってくるジェロイに対して、商人達は下手に目を付けられたくないというのが本音だろう。


 国王夫妻の仲が悪いのも周知の事実。王妃がカラスを黒いと言えば、国王は白と言い張り、必ず王妃と対立するのだ。そんな二人がレクティタを巡って喧嘩したとなれば、国王が部隊ごとちょっかいをかけてくる可能性は高い。彼らと交流している商人達も、とばっちりを受けないとは言いきれない。


 流石ライバルの多い商業都市で商売をしているだけあって、危機管理が高く腰が軽い彼らは、すぐさま会合を開き副隊長のヴィースを呼びつけてくれた。

 オルクス砦には強固な結界が張られているため、暗殺者として優れているアンバーですら侵入は不可能であった。ゆえに、部隊を仕切っているであろうヴィースと接触し、彼に招かれた体で正面から砦に侵入しようと計画していたのだが……。


(王女本人が出てきてくれるとは幸運だ。まだ準備は万全ではないが……)


 アンバーは路地裏に入り、物陰からヴィースがレクティタと別れたのを確認した。おそらく隊員の中で一番若く下っ端であるフトゥと共に、彼女は露店を見て回っていた。

 彼は袖に仕込んでいる暗器を確認してから、レクティタとフトゥの後を追った。


(第七部隊の中で、直接戦闘を避けるべきなのはあのキルクルス家の三男とヴィース・ストフレッドの二人。厄介な方が離れてくれた今が、チャンスではある)


 彼は少々迷っていた。準備は整っていなかったが、フトゥ一人なら暗殺の障害にならないと判断したからだ。


(フトゥ・ルムの己の血を自在に操り、姿形を変える魔法を私用する。正直、殺傷力はそれほどだ。彼が評価されたのは、敵兵に化けて敵陣を攪乱したうえに機密情報を盗んできたから。言わばスパイのそれに近い。近接戦と魔法戦においては、並かそれ以下程度)


 二人が買い物を楽しんでいる間、アンバーは動く。

 性急な暗殺は失敗に繋がる。が、大勢の人間に、物陰や路地が多い街、そして連れは一人。断片的に聞こえてきた会話から察するに、レクティタにとっては初めての買い物。うっかり迷子になってしまい――不幸な事件が起きてしまうのも、あり得なくはないだろう。

 これほどの好条件が揃うのは滅多にない。急ごしらえだが、ごろつきを金で雇い作戦を立て、己の逃走手段を確保し、アンバーは暗殺を決断した。


(現王は気が短い。任務を早く達成した方が、身のためだ)


 特に彼を後押ししたのは、ジェロイの短気な性格であった。仕える主を選べない彼は、こっそり己の不運にため息を吐く。

 影に意思など存在しない。国王の命令は絶対であり、彼らは命をとしても成し遂げなければならないのだ。

 それが例え、大人の都合で振り回され続けてきた、幼き子供殺すことであっても。


(まずは、邪魔者からだ)


 準備が終わり、アンバーは作戦を実行する。

 二人が画材屋から出てきて、レクティタが露店で食べ物を買い、彼女の両手が塞がったときだ。

 二人から少し離れた場所で歓声が上がった。化粧をした曲芸師が芸を披露していたのだ。建物の二階ほどある長い棒に立ち、その上で逆立ちをする曲芸師はレクティタの興味を引いた。

 フトゥに許可を取り、レクティタは彼に背を向け曲芸師へ駆け寄った。アンバーはごろつき共に合図を送る。元気よく走って行く小さな背中に、フトゥがやれやれと微笑みながら付いていこうとした瞬間――

 死角から、アンバーはフトゥを人気のない路地裏へ引きずり込み、彼の口を塞いだまま、その喉を刃で裂いた。



*****



「ぶらぼー、ぶらぼー!」


 曲芸師が芸を披露し終えた後、レクティタは食べ物を持ちながら器用にぱちぱちと手を叩いていた。周囲も同様に曲芸師の青年を讃える拍手を送り、地面に置かれている箱へ硬貨を入れる人も少なくなかった。


「おじーちゃん、あの人すごかったね――」


 人がまばらに散る中、彼女は興奮冷めぬ様子で、フトゥに感情を共有しようと後ろを振り返った。

 その時だ。背後に立っているはずのフトゥがいないと気づいたのは。


「……あれ?」


 レクティタはすぐさま周囲を見渡し、保護者である少年老人を探した。


「フトゥおじーちゃん……?」


 幼女のか細い呼び声が、騒がしい雑踏へ飲み込まれていく。

 いくら周りを見渡してもフトゥは見つからず、レクティタは何度か目を瞬かせた後、突然サァっと顔から血の気が引いていった。


「ま、まさか」


 通行人が訝しげに見てくるのも構わず、レクティタはわなわなと震えた。


「こ、このレクティタが、まいごになってしまったのですか……?」


 あれだけヴィースに威勢よく宣言しておきながら、あっけなくフトゥとはぐれてしまった現状に、レクティタはショックを受けた。

 呆然とする彼女の頭に浮かんできたのは、別れるに前口酸っぱく忠告してきた、副隊長の怒った顔である。


『まったく、だから言ったでしょうに! レクティタ隊長は隊長ではなく赤ちゃんですね!! 赤ちゃんはおやつを食べれないので、リタースの手作りお菓子は代わりに私が食べることにします。これからずっとね』


「うわあああああ!! それだけはごかんべんを!!」


 ヴィース本人が絶対しないであろう言動と悪どい顔を想像し、レクティタは思わず叫んだ。奇抜な外見の隊員が作ったお菓子は絶品なのだ。それを一生食べられなくなると考えただけで、レクティタは涙目になった。


「どうしようどうしようどうしよう」


 だらだらと冷や汗を流しながら、レクティタは頭を回した。が、現状を打開するための策は何も浮かんでこない。


「と、とりあえず腹ごしらえを……」


 レクティタは何か行動をしないとと焦るあまり、右手に持っているハンバーガーを食べ始めた。ぱくりと一口齧れば柔らかなバンズと肉厚なハンバーグ、瑞々しいレタスの食感にソースのケチャップの味が口の中に広がった。


「びみー」


 感想を呟いて、もぐもぐと無心で食べていく内に、レクティタはハッと気が付いた。


「もしかして、まいごなのはおじーちゃんの方では?」


 ハンバーガーを食べて少し落ち着いたのか、レクティタは徐々に冷静さを取り戻し始めた。

 そもそも、レクティタはきちんとフトゥに許可を取ってから曲芸師を見に行ったのだ。後を追いかけると言ったのに付いてこなかったのはフトゥの方である。

 レクティタがはぐれたのではない。フトゥがレクティタからはぐれてしまったのだ。

 つまり、迷子になったのはフトゥである。レクティタが迷子なのではない。


「うむ。かんぺきで破たんのない、りろんせいぜんとしたしょーめいだ」


 レクティタはうんうんと頷き、己を自己弁護する。ハンバーガーの最後の一口を食べた後、左手に持っていたドーナツにも口を付けた。


「もう、おじーちゃんは仕方ないな。これを食べたらさがしましょう」


 これも隊長のお仕事です、とドーナツを頬張りながらレクティタは曲芸師を見た。

 長い棒を使用して常人離れした身体能力を披露した青年は、箱に集まったコインを袋に入れ替えていたところだった。おそらく、これから片付けに取り掛かるのだろう。レクティタはパクパクと二口で残りのドーナツを食べ終え、急いで青年の元へ駆け寄った。


「すみません」


「ん? なんだい?」


 顔に独特な化粧を施している青年は、声をかけてきたレクティタへ振り返った。レクティタは彼の後ろ、壁に掛けられている長い棒を指差した。


「レクティタにも、それ、かしてください」


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