第17話 商業都市フォルム

 オルクス砦は国境線沿いに配置されており、その南西にはグラスター王国有数の商業都市フォルムが在している。隣国ソルテラとは長年友好関係を維持し、フォルムでその貿易が盛んに行われているのだ。

 様々な商会が集まっているのはもちろんのこと、野菜、果物、肉、魚など、新鮮な食料品も扱っている市場も多いため、第七部隊の買い出しは主にフォルムで調達していた。


 とはいえ、オルクス砦から都市フォルムまでは距離がある。利権の弊害で交通手段が発達していないグラスター王国では、主な移動手段は馬車か徒歩。砦から都市までの道は山岳地帯や悪路が多いため、馬車や徒歩では二日も移動にかかってしまう。


 では、なぜ彼らが、当日の昼に砦を出発しても余裕であるのかというと――


「わあー! とんでるー!! 雲のうえだー!!」


 単純明快、空路で最短距離を飛行できたからである。

 レクティタとヴィースは大きな籠に入り、蝙蝠の大群によって運ばれていた。風でたなびく髪にも構わず、レクティタは籠から足を浮かせて身を乗り出し、凄まじい速度で移り変わる景色に目を輝かせていた。横で本を読んでいたヴィースが慌てて彼女の胴体を掴み、下へ落ちないよう身体を元の位置に戻す。


「こら、危ないでしょう。大人しく座っていなさい」


「えー。せっかくお空にいるのにー」


 レクティタが唇を尖らせれば、蝙蝠が一匹、彼女の肩に止まった。


「そんな固いこというな、ヴィース。隊長が落ちたらワシが拾ってやるから」


 蝙蝠から聞こえてきたのはフトゥの声だった。魔法で変身した同僚に、ヴィースが呆れたように肩をすくめる。


「まず隊長を落とさないよう努力してください、フトゥ。今日はどれくらいで着きそうですか」


「今日は天気も風向きも良い。あと二十分もかからんぞ」


「じんそく。レクティタ、馬車よりこっちがいい。みんな、お空とべばいいじゃん」


 レクティタは諦め悪く籠に両手でしがみつき、空を見上げながら二人へ言った。ヴィースは「それができない理由は二つあります」と人差し指を立てる。


「まず一つ目は、国民全員が空を飛べる魔法を使えないからです。王国より交通網が発達している近隣諸国でも、未だ空路による移動手段は確立していません。今の技術ではまだ人が飛行する道具を作るのは難しいそうです」


「げっ。じゅぎょうが始まった……」


「授業ではありません。雑談です。ご希望ならペンとノートを用意しますが」


 レクティタは勢いよくぶんぶんと首を横に振った。ヴィースは「そうですか、残念です」と苦笑したあと、二本目の指を立てた。


「二つ目の理由は、魔法の権利による問題です。かなり複雑なのでかいつまんで説明しますが、要は『国の許可なく魔法を利用した商売はしてはいけません』という法律のせいで、平民は魔法の使用制限を受けています」


「せーげん? なんで?」


「色々お金の問題が絡んでいまして。その制限を課している側が得をするように仕組まれているからです。ですので、例え平民が空を飛ぶ魔法が使えたとしても、それで運び屋や御者をしようものなら、犯罪者として牢にぶち込まれてしまいます。そういった理由で、皆、便利だとわかっていても使えない人間が大半なのです」


「へー。じゃあなんでレクティタ達は、お空をとぶの許してもらっているの?」


 ヴィースはあっさりとレクティタの疑問に答えた。


「軍人は特別です。国に仕えている身ですから、魔法を使用しても、営利目的や私的使用ではないと判断されます」


「えいりもくてきと、してきしよーって、なに」


「営利目的はお金儲けする活動のこと、私的使用は自分のために使うことです」


「ほうほう」


 レクティタとヴィースの間に、気の抜けた音の風が拭く。一瞬の静寂のあと、レクティタは言った。


「おつかいって、してきしよーじゃ」


「いいえ違います。おつかいは部隊の物資調達です。私的使用ではありません」


「でもさっきのお金でおかしや色えんぴつ買ってきていいって」


「隊長に必要な物なので仕事道具です仕事道具。よって私的使用では断じてありません」


 レクティタは手をぽんと打ち、感心した顔をする。


「なるほど、これがぼーりゃくかヴィースのしゅわん。あっぱれあっぱれ」


「誰が謀略家ですか。人聞きが悪い、今度からは辣腕家ヴィースと呼んでください」


「かのーな限りぜんしょします」


「それは相手に対して努力を約束する言葉であって、努力しなくても許される言葉ではありませんよ。誰から教わったのですか」


「ヴィース」


「………」


 心当たりがあるのか、ヴィースはレクティタの指摘に黙り込んでしまった。そんなに口に出していたか、と顎に手をやり、彼は自身の行動をぶつぶつと思い返していた。

 二人を見守っていたフトゥが、羽をばたつかせる。


「茶番はそこらにしといて。そろそろ到着するぞ」


 蝙蝠達が下降し、一気に雲を突っ切る。

 強風と濃い霧に見舞われ、レクティタは思わず目を瞑った。不快な耳鳴りが頭に響く。乗っている籠が激しい風に揺らされた。

 ひと際大きい風の音と共に、耳鳴りが終わる。その解放感からレクティタがパッと目を開ければ、眼下に広がる景色が、目に飛び込んできた。


「わあ……!」


 開けた視界で捉えたのは、城壁に囲まれた無数の家屋と入り組んだ路地。

 厳重に固められた石の城壁は、多数の塔と城門が配されており、多くの人と荷馬車が出入りしている。

 城壁の内側は屋根が所狭しと密集して並び、建物の隙間を縫うよう整備された路地で、大勢の人間が川を流れるかの如く行き交っていた。

 遠くからでも伝わってくる人々の営みと活気。

 この都市こそが、グラスター王国有数の貿易街、商業都市フォルムであった。


「すごーーい!! はやく、はやくおりてーー!!」


「うわ、ちょっと、隊長落ち着いて」


「わははは。今降りるからもう少しの辛抱じゃ」


 籠を揺らして着陸を急かすレクティタに、ヴィースがたしなめ、フトゥは大笑いをする。

 宣言通り、すぐにレクティタ達はどんどん下降していき、城門の少し手前で着陸した。

 持ち前の運動神経でレクティタが一人で籠から降りている間、フトゥが変身を解く。

 蝙蝠の大群が渦を描くよう一か所に集まった刹那、多くの羽音と共に蝙蝠は消え、フトゥが姿を現した。いつもの、十五歳ほどの少年の姿である。


「どうじゃった、隊長。ワシの魔法は」


「はやく、はやく行こうよー」


「ちょっと待ってください。先に籠の保管料を用意してしまいますから」


 何やら小銭を数えているヴィースに、レクティタは地面を足踏みする。無視されたフトゥは、しょんぼりと眉尻を下げた。


「うぅ、ついに隊長からも話を無視されるようになった……これがジジイの定めか。悲しいのう」


「おじーちゃんの魔法はへんしんでしょ! もうしってる! 今はフォルムに行くのゆーせん!」


「あからさまにワシへの興味が低くなって泣きたくなるのう。しくしく」


「嘘泣きはその辺にしておいて。用意できましたから行きますよ」


 ヴィースは籠を片手で背負い、二人を先導して城門へ向かった。数人が並んでいる行列の最後尾に加わり、順番を待つ。ほどなくして三人の番が回ってきた。

 ほぼ顔見知りの門番が明るく挨拶をしてくる。身分証は不要で籠の保管料だけ渡せば、お待ちかね、都市への入場である。


「ほわあー!! わあああーー!!」


 城門をくぐり、まず目に飛び込んできたのは人、人、人の嵐。

 商人、職人、旅人、吟遊詩人、街の住民、お高くとまっている富豪に貴族、物騒な剣を下げる兵隊。

 高らかに商品を売り出す声、嘶きと石畳を走る車輪の音、遠い異国のお伽話を語る歌、見世物への拍手、誰かの笑い声、怒鳴り声、話し声。


「すごいすごいすごいすごい!!」


 レクティタは興奮した様子で心赴くままに走り出した。

 色とりどりの布地がレクティタの目を奪い、珍しい香辛料とそれを使った屋台料理が彼女の鼻腔を擽り、貴重な宝石やさまざまな工芸品が彼女の興味を引く。

 猫のようなすばしっこさで市場を駆け回るレクティタを、ヴィースが首根っこを捕まえて止めた。


「ほわっ!?」


「はしゃぎすぎたら迷子になりますよ。私やフトゥのそばから離れない」


「そんなに慌てなくとも、商品は逃げださん。ゆっくり見て回ろうな」


「うー……むりょく。これがくだんの、せっしょうせいじ」


「ちがいます」


 異国の工芸品の出店から、レクティタはずるずると引き離される。人混みの端に移動してから、ヴィースは二人に告げた。


「私は商人との話し合いがあるので、会合先へ向かいます。その間、二人は買い出しを済ませ、夕方になったらここで合流しましょう。別行動する前に、私と一つ約束を」


 ヴィースは厳しい顔で人差し指を立て、語気を強めた。


「絶対にフトゥから離れないこと! 見ての通りフォルムはたくさんの人で溢れかえっています。迷子になったら大変です。街を散策するときは、必ずフトゥと手を繋いで行動を共にしてください」


「ふっ、ヴィースったら。レクティタをなめていますね」


 最後まで心配性なヴィースの態度に、レクティタは人差し指を左右に振った。


「レクティタ、もう五歳。おぎゃおぎゃ泣いている赤ちゃんとは、ひとあじちがいます」


 比較対象が赤ん坊の時点でダメなのでは、とヴィースは思ったが口には出さない。彼は子供心を慮れる大人なのだ。


「今日のおつかいは、りっぱな隊長のお仕事!」


 レクティタは胸を張り、ふふんと誇らしげな表情を浮かべた。


「お仕事のさいちゅーに、このレクティタが、まいごになるわけないのです!」


「………」


 ヴィースが頬を引き攣らせ、さてなんと返答すればこの調子に乗った幼い隊長を窘められるのか考えた時だ。

 ふと、人混みから視線を感じた。咄嗟に横を振り向くが、彼らを注視している人物など見当たらない。ヴィースが疑問を覚えた隙に、レクティタはフトゥの腕を引っ張りその場から離れる。


「おじーちゃん、あれ気になる。行こ行こ!」


「あ、こら! まだ話は終わっていませんよ!」


「まあまあ、ヴィースもそろそろ約束の時間じゃろ? ここはワシに任せて、早うハイノ街に行ってこい」


 宥めているつもりなのか手を振ってくるフトゥに、ヴィースは肩をすくめた。


「万が一、迷子になったらその場からできる限り動かないでください! 知らない人に声をかけられてもついていかず、巡回している憲兵か近くのお店の人に相談するんですよ! わかりましたね!」


 最後まで心配性な副隊長に、レクティタは間延びした返事をし、フトゥと共に人混みの中に混ざっていった。


(本当に大丈夫かあ? フトゥが付いているから、最悪な事態にはならないだろうけど……さっきの視線も気になるな……)


 ヴィースは二人の背を見て独り言ちるも、街に鳴り響く鐘の音で我に返る。約束までもう時間がない。彼は近くに停車していた馬車を拾い、会合先へ向かった。


*****


 ヴィースと別れて、一時間後。

 レクティタは右手にハンバーガー、左手にドーナツを持った状態で、道の真ん中に立ちすくんでいた。


「ど、どうしよう……」


 彼女は周囲を見渡し、顔を真っ青にした。


「おじーちゃんと、はぐれちゃった……」



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