第23話 未来への投資(上)

 商人と第七特殊部隊の関係は利害の一致により成り立っていた。

 商人達は一部の貴族の専売特許である結界を欲し、部隊は彼らからの信用と金銭的支援を得たかったのだ。

 前者は結界で守られている輸送ルートの独占と高い使用料に嫌気が差しており、後者は雀の涙ほどの予算でひっ迫している状況から脱するためという理由からだ。

 もともと、ヴィース達は魔物群生地の討伐を名目に派遣されてきた軍人である。「王国の発展のため」を盾に魔物を討伐し、さらに人里に出ないよう魔物の巣を結界で閉じ込める・・・・・のは、国民の命を守るための行為だと言える。そのため、道に結界を張る・・・・・ことで安全な輸送ルートを提供している貴族の利権は犯していない。商人達が他の輸送ルートを使えるようになったのは副次的なものであり、また彼らは魔物の危険性をその身に知っているため、善意からヴィース達の活動を支援しているのだ――という建前でヴィース達は商人達が希望した箇所の魔物を討伐し道に結界を張り、取引を成立させていた。

 だが、他の輸送ルートを開拓するのは何分初めてであり、雨季や嵐、魔物の繁殖期などで使えなったりもした。そのため、最適なルートを模索するため、定期的に会議を開き結界を張る地点を変更していたのだ。月に一度の頻度で呼び出されるそれは珍しいことではなく、今回で七回目の参加にヴィースは何の疑問も抱いていなかった。

 だからこそ彼は、掘り起こされた議題に怪訝な顔で返答してしまった。


「レクティタ殿下を王都に送り返せと? 何故今更そんな話を」


 会合先はクオト商会の一室であった。おそらく一点ものであろう品の良い長机に、ヴィースを含めた十人近くの男女が座っていた。それだけの人数が入室してもなお余裕のある会議室で、ヴィースの声が響く。


「前にも仰いましたが、レクティタ殿下を送り返すのは悪手です。名目上は国王からの褒賞ですので、不敬だと捉えかれません。それに、レクティタ殿下は国王との仲は悪くとも、レオナルド王太子殿下とは懇意になさっています。ジェロイ陛下の求心力が劣っているのに対し、王太子殿下は民からの人望も厚く、とても優秀であらされる。先のことを考えれば、レクティタ殿下を我が隊で受け入れた方が利が多い――と、納得していただけたはずでは?」


「その考えは今でも変わりない。私達は、国王にレクティタ殿下を送り返せと言っているのではないのだ、ヴィース殿」


 ヴィースより一回りも年上の男が、葉巻を吸いながら言った。髭を蓄え、上質な背広を着こなす初老の男は、スチール商会の会長ファブリカである。主に建築業を扱っている彼は、仕事柄荒っぽい従業員を抱えている影響か、見る者を怯ませる鋭い眼光を宿していた。


「サンドレア王妃にレクティタ殿下の保護を願書してはどうかと、提案している」


「サンドレア王妃に? 一体なぜ」


「王妃様は慈悲深い聖母のようなお方と聞くわ。五歳の幼子を軍人としてあなた方が受け入れるより、サンドレア陛下の元へ送り返した方が、レクティタ殿下とヴィース殿、互いのためになるのではなくて?」


 口を挟んできたのは、ローズリーである。服飾業で頭角を現しているヴェルヴェット商会の会長は、流行の髪型と化粧を施し、自社の新作であるブラウスとスカートを着用していた。


「王妃様なら、きっと国王のお怒りからあなた方も守ってくださるわ。それにほら、やっぱり子供が隊長に就任するなんて、あってはならないことだと思うの。あなたもそう思うでしょ? ジョナサン?」


「あははは。子供のいる僕にその話を振るのは反則だよ、ローズリー。そりゃあ、親の立場である身としては同意せざるを得ないさ」


 大して暑くもないのにハンカチで汗を拭っているのは、輸入食品――主に調味料を扱っているガストロ商会の会長、ジョナサンである。

 ジョナサンは恰幅の良い身体を揺らして笑い、二重顎をさすって周りに目配せした。


「しかし、特に反対の声が上がっていないところ、皆ファブリカやローズリーの意見に賛成ってことでいいのかな?」


「え、ええ。私もサンドレア様に願書をしてみるべきかと思っています」


「あのお優しい王妃陛下なら、きっとレクティタ殿下を受け入れてくれるでしょう」


 この中で発言権のある三人に同意を促され、他の参加者が頷く。部屋の主であるクオトが、ちらりとヴィースを見た。同情するような視線であった。ヴィースは彼らの意図を読み取ろうとする。


(急にサンドレア王妃について言及してきたな。願書自体なら、前回の時にでも提案できただろうに。ということは、ジェロイと王妃になにかあったと考えるべきか)


 国王夫妻の仲が悪いことは有名だ。彼らの言動からして、レクティタをフォルムから遠ざけたいのだろう。

 考えられる理由は二つ。一つは、ジェロイが兵を動かしレクティタに直接手を下そうとした場合。被害を受ける前に厄介払いをしようという目論見だ。だがそれならもっとヴィースに直接的に伝えるだろうし、何よりシルヴィウス伯が先に接触してくるはずだ。商人達の冷静な態度からして、この可能性は否定していい。

 もう一つは、ジェロイと王妃の間で諍いがあり、とばっちりを受けそうな場合だ。こちらも一つ目と同じく被害を受ける前に厄介払いをしたい目論見だが、先ほどと異なるのはジェロイが動くかどうかは不確定であること。それならば、これだけ回りくどく提案してきてもおかしくない。国王の不況を買ったとしても、自分達はあくまでも良かれと思って提案しただけで、責任は実行したヴィースに押し付けられるのだから。

 ならば、ヴィースの返答は決まっている。


「皆さんが仰る通り、サンドレア王妃に歎願するもの一つの手でしょう。しかし、王妃様にレクティタ殿下を保護する力があるのなら、そもそも彼女はオルクス砦に派遣されていません。検討するまでもなく、願書を出すだけ郵便代の無駄です」


 ヴィースはきっぱりと商人達の提案を断った。

 第一、聖母と名高いサンドレアが本当に慈悲深いかどうか、ヴィースにとっては疑わしい。使用人がやったとはいえ、離宮で行われたレクティタの虐待に気づかないなんて、彼からしたらあり得なかった。


(本人がよほど無能なのか……あるいは――)


「つまりヴィース殿は、このままレクティタ殿下を部隊に擁するということでよろしいかな?」


 ヴィースの思考は、ジョナサンの台詞によって中断されてしまった。わざわざ口に出して自分の意思を再確認したところ、何かまだ裏があるようだ。


(次はなんだ? とばっちりを受けたときの責任の話か? 商人っていうのは損得に本当うるせえな――)


 つい心の中で愚痴を零したとき、ふとヴィースは気づいてしまった。


(損得……そうだ、こいつらは)


「ヴィース殿。私達はね、貴殿の想像より遥かに重く、レクティタ殿下の件を捉えている」


 ファブリカが新しい葉巻に火をつけた。紫煙が、商人達の間を漂う。


「貴殿達も大概であったが、殿下はそれ以上だ。いつ爆発するかわからない爆弾を懐に入れるほど、私達は酔狂ではない」


 ヴィースは忘れていた。能力は高いが少々お人好しな彼には、理解できない感覚を。

 激戦区である商業都市フォルムで生き残る商人達は、耳聡く、腰が軽く、危機管理が高い。

 そして何より、特徴的なのは――


「レクティタ殿下をこのまま擁するのなら、私達は部隊から手を切らせてもらう」



(――損切りが、滅茶苦茶早ぇんだった!)



 ヴィースは焦って席を立ちあがった。わざと机を大きく叩いて、怒りを露わにする。


「冗談にしては性質が悪いですね。まさか、ここに来てそんな台詞を吐かれるとは思いもしませんでしたよ」


「私達だって苦渋の決断よ、ヴィース殿。できることなら、あなた方とは良好な関係を維持したかったわ」


「だからさっきの提案には頷いてほしかった。今からでも遅くない、王妃に願書を出さないか?」


(それはてめぇらしか得しねえだろうがーー!! 貧乏くじを押し付けるのは良好な関係じゃねぇだろ!!)


 怒るフリをするつもりだったが、あんまりな態度にヴィースの額に本物の青筋が浮かんだ。室内を燃やさぬよう、何とか理性で感情を抑える。


「あなた達の気持ちもわかりますが、手を切るには時期尚早です! 結界が使えなくなったら、皆さんが困るんですよ!?」


「それについては問題ない。前回の輸送ルートは気候や魔物の繁殖期の影響を受けにくい、今まで一番最適な道だ。しばらくは何とかなるだろう」


(あ゛あ゛ーー!! 面の皮が厚い゛ーーー!! ちゃっかりこっちの恩恵は受けようとしやがるのふざけんじゃねえーーー!!)


 頭の中でヴィースは部屋を爆発させていた。少し現実にも魔力が漏れてしまい、室内の気温が上がった。ジョナサンが「なんか暑いね」とぱたぱたと手で仰ぎ始めた。


「それで、これ以上何か言うことはありますか、ヴィース殿。レクティタ殿下を王都へお返しさせるなら、私達も付き合いますが。それ以外は時間の無駄なので、お開きにしましょう」


「………」


 言外に返事を促され、ヴィースは途端に冷静さを取り戻した。商人達を冷たい目で一瞥した後、すぐ悲しそうに顔を歪ませた。


「話はお受けできません。レクティタ殿下は、もう、私達の隊長ですから」


「……そうか。なら、支援は打ち切らせてもらおう」


「ええ、承知しました」


 商人達が立ち上がる中、ヴィースは一人だけ席に座った。出口に近い一人が扉を開けた瞬間、ヴィースは「ああ、そういえば」とわざとらしく大声で言った。


「皆さんに、結界についてお伝えし忘れていたことがあります」


 全員が足を止める。ローズリーが、ふふっと笑う。


「あら、今さら気を引くつもり?」


「いえいえ、本当にただの注意です。それも、たった一つだけ」


 ヴィースは事もなげに言った。



「前回の結界は、明日・・で壊れる予定なので。皆さん、気を付けてくださいね」



 商人達の目が見開かれる。一人が「えっ!?」と叫んだ。


「な、なんで先月の結界がもう壊れるんだ! 魔物程度なら、結界は一年は保つと言ったじゃないか!」


「ええ、定期的に点検をすればね。一度張ってしまえばはい終わり、といった代物じゃないんですよ結界は。亀裂が入ったのなら直さないと、すぐ壊れてしまいます。大半は討伐したとはいえ、未だシルヴィウス領周辺は他と比べて魔物が多いのですから、こまめに点検しないと三日も持ちませんよ」


「……明日、壊れるという根拠は」


「防衛担当のアルカナは天才なので。結界の顕現期間を犠牲に、強度を大幅に上げることに成功しました。大量の魔物に攻撃されても壊れない代わりに、結界が保たれるのは一か月間のみなんです」


「その期限が明日までということね……とんでもない告白をしてくれるなあ。去り際ってところもいやらしい」


 ジョナサンが踵を返し、席に戻った。「ちなみに」とまたもやハンカチで汗を拭いながら尋ねる。


「このまま支援を打ち切った場合、君達は結界を維持できるのかな?」


「無理です。この結界には高価な触媒を使用しているのは知っているでしょう? 皆さんの金銭的援助がなくなったら、残念ながら結界は維持できません」


 ヴィースの台詞に、ローズリーが大きなため息を吐いて席に戻る。他の商人も顔を合わせながらぞろぞろと先ほど椅子に座る。

 最後に、ファブリカが渋々といった様子で席に戻ると、葉巻を切り落とし、火をつけた。


「今日は娘の誕生日なんだが」


「おめでとうございます。明日祝ってあげてください」


 にっこりと笑顔で返せば、ファブリカに忌々しく睨まれた。この程度の皮肉、先ほどの仕打ちに比べれば可愛いものだ。

 さて、とヴィースは笑顔の裏で思考を巡らせる。

 商人達を交渉の席に戻させたのはいいが、決定的な切り札はない。今日中に両者の落としどころが見つかればいいが、夜中までもつれ込む可能性が高いだろう。

 結界のタイムリミットがある以上、不利なのは商人達に思える。だが、それ以上に明日の昼までに交渉を終わらせなければ、追い込まれるのはヴィースの方であった。


(だって明日壊れること肝心な部分がウソだしな)


 この場にアルカナがいなくて助かった。もし立ち会っていたら確実に「いひひ……僕はそんな不完全で不細工な結界なんて張らないよ……」と泣かれていた。大の男、それも平均よりも頭二つ分もでかいアルカナに膝を抱えて地面で辛気臭く泣かれるのだ。最初は謝罪し励ますも、途中で面倒くさくなってキレる自信がヴィースにはあった。

 結界の強度を上げたのも、高価な触媒が必要なのも、定期的な点検が必要なのも本当だ。

 ただ、明日壊れることと、一か月しか結界が保たないのは真っ赤な嘘である。

 本当は一年どころか十年も保つ。

 一か月ごとにしているのは点検である。それも念のためであり、絶対ではない。


(まあ、それを彼らに伝える必要はないが。どっかで梯子を外されるとは、思っていたしな)


 予想より早すぎる損切りに、ヴィースは少々落ち込むが、くよくよしている暇はない。

 さあここからは根比べだ。どんだけ詰められようとも士官学校時代に培った図々しさと太々しさと開き直り具合を発揮してやる――と意気込んだところで、部屋の扉が開かれた。


「そのかいぎ、ちょっと待ってくださーーーーい!!」


 聞きなれた舌ったらずな口調に、ヴィースは笑顔のまま固まった。


「おーこく魔法軍、第七とくしゅ部隊隊長である、レクティタが!」


 人違いであって欲しいというヴィースの願いを、呆気なく砕きながら、来訪者は元気よく名乗った。


「みんなのかいぎに、とびこみさんか、します!」


 見知らぬ男二人を連れて、レクティタが会議室へ入室してきた。


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