第24話 未来への投資(下)


(な、な――)


 表情を取り繕うのも忘れ、ヴィースは思いもしない来訪者に絶句した。


(なんで隊長がここにいるんですかーー!?)


 ヴィースの口がわなわなと震えた。一つに結んだ金髪を揺らし、腰に両手を当てて自信満々な姿は、どこからどう見てもレクティタだ。

 王女を名乗る幼子の登場に、商人達も驚いていた。ファブリカが警戒しながら、ヴィースに問う。


「ヴィース殿。あの子供がレクティタ殿下とは、本当か?」


「それは私が保証しよう」


(誰!?)


 レクティタの後ろから男が一人前に出てきた。旅人のような軽装をしている青年だった。


「この方は正真正銘、第四王女レクティタ殿下であられる」


(いやまずアンタが誰だよ!?)


「非公式な場ゆえ、平伏は構わないと仰せだ。楽にせよ」


(しかもなんで偉そうなんだコイツ!?)


「あ、あなたはアヴェンチュラ様!? フォルムにいらっしゃったんですか!?」


辺境伯の弟偉い奴だった!! なんでそんな奴がここにいるんだよ!! 余計に意味わかんねえわ!!)


 次から次へと舞い込んでくる新情報に、ヴィースは理解が追いつけなかった。心の声を口に出さないだけで精一杯である。


(というか、フトゥ! フトゥはどこに行ったんだアイツ! どういう状況か説明しろ!!)


 見渡しても、レクティタのお守りをしているはずの老人は見当たらない。代わりに、幼き隊長の後ろに立っていたもう一人の男、学者のような相貌の中年が、手を振って大仰に前に出てきた。


「会議の最中にお邪魔して申し訳ありません。私はタルク。ソルテラで工学全般を研究している者です。どうぞ、よしなに」


 男はわざわざ腰を折って挨拶する。ヴィースが怪訝な顔で見れば、頭を下げている男と目が合った。

 男が、ウインクをして悪戯っ子のように笑った。


(あ、こいつフトゥだ)


 ヴィースは確信した。以前、敵に化けた彼と全く同じ笑い方をしていたからだ。おそらく、レクティタとアヴェンチュラを連れてきたのもこの老人の仕業だろう。

 しかし、一体なぜ。何の目的があって、ヴィースが参加している会議に乱入し、ソルテラの研究者に変身しているのだろうか。

 ジョナサンが汗を拭くのも忘れ、フトゥの言葉を反芻する。


「ソルテラの研究者だって?」


「ええ! この度は友人のアヴェンチュラの計らいで、グラスター国の皆さんに科学の素晴らしさを説けると聞き、意気揚々とやってきた所存です!!」


 フトゥは良く通る声で喋り、演技掛かった様子で机を叩いた。一同の視線が彼に集まる。それを見通していたのか、彼は横にいるレクティタを手で示した。


「しかも! 我が友はなんと王族の方とご懇意になさっていたようで! こんなに愛らしい姫が科学に興味おありとは、科学者冥利に付きますねぇ。どうやらちょっとばかし複雑な事情がおありのようですが、はは、まあ構いません。ねえ、レクティタ殿下。ええっと、なんでしたっけ、ほら、あなたの隊の名前」


「第七とくしゅ部隊、です。まずは、ここにお集りのみなさん、驚かしてごめんなさい。でも、すこし、お話を聞いてほしいのです」


 背の低いレクティタを慮ってか、アヴェンチュラが部屋の隅に置かれていた空箱を彼女の隣に持ってきた。レクティタは箱の上に立ってから、商人達へ告げる。


「今日はおそらく、レクティタがげーいんで、かいぎを開いたのでしょう。みなさんが……ジェロイ国王に、レクティタのことで怒られたくないのは、理解できます」


 父の名を呼ぶ際、少々突っかかってしまったが、レクティタはすぐに気を取り直す。


「ですが、レクティタも隊長として、部隊へのしえん打ち切りはみすごせません。なので、商人のみなさんに、レクティタと手を組む利点を、てーじします」


 その言葉に、商人達の目が鋭くなった。

 レクティタは隣のアヴェンチュラに目配せする。ヴェンは頷き、彼女の後を引き継いだ。


「存じているかもしれないが、私は二年間、隣国ソルテラに留学し知見を深めてきた。その際、私は主に最先端の科学を学び、タルクのような研究者や技術者との繋がりもできた。そこで私は、長年領地を苦しめてきた魔物を討伐してくれた、第七特殊部隊へ感謝の念を込め――」


 アヴェンチュラは一度言葉を区切った。ヴィースは、「まさか」と嫌な予感を覚える。


「ソルテラでの科学技術および人材を、第七特殊部隊に無償で提供する」


(やっぱり――!)


 アヴェンチュラの宣言に、ヴィースは焦った。

 レクティタ達が会議に乱入してきた意図は理解できた。おそらくフトゥは彼の情報網で部隊への支援を打ち切られるのを知り、ヴィースの手助けとなる交渉材料を持ってきたのだ。

 それが、先程のアヴェンチュラの発言である。どうやって知り合ったかも何の取引があったのかもヴィースにはわからないが、シルヴィウス伯の弟はどうやら第七特殊部隊に友好的らしい。それ自体はありがたい。ソルテラの最新技術と人材の提供も、交渉の材料としては悪くない。


 だが、足りない。

 その程度では、目の前の商人達への利点にならないのだ。


「それで、他には?」


「は?」


 ローズリーが扇で口を隠し、流し目でアヴェンチュラを見た。


「ソルテラの技術以外に、他に利点はないのでしょうか?」


「……それは――」


「まさか私達が、科学技術について赤子のように無知で、全く商いに取り入れてないと。アヴェンチュラ様はお考えではありませんよね?」


 ローズリーの発言に、アヴェンチュラは言葉を濁した。

 彼も気づいたようだ。商人達の雰囲気が、どことなく冷たくなったことに。ジョナサンが苦笑する。


「工場を建てるとか、大掛かりな改革はできないけどね。こっそり技術者を引き抜いたり、人工調味料について開発させたりとかはしているよ、流石に」


「ソルテラだけでなく、ノヴァリア帝国の技術にも私達は手を出している。それに、最新とは聞こえはいいが、科学技術の土壌がなっていないこの国で、それはどれほど役に立つのだ? まだ鉄道も引かれず、馬車で移動せざるをえないグラスター王国で」


「………っ!」


 アヴェンチュラは完全に言葉が詰まってしまった。ヴィースは重くなった空気に頭が痛くなり、額に手をやる。


(そりゃあこうなる。ここにいるのは「平民」の商人達だ。魔法を商売に使えない彼らが、代わりに科学に手を出すのは少し考えればわかるだろうが)


 ヴィースはちらりとフトゥを見た。


(なに考えてんだフトゥは。アヴェンチュラボンボンの提案だけじゃこうなるって、あいつなら予想できただろうに)


 微塵も焦っていないフトゥに、ヴィースが疑念を抱く。

 この場の商人達に得があると思わせるには、彼らに価値を提示しなければならない。

 例えば、ヴィースが結界で取引したように。

 平民の彼らには不可能で、軍人のヴィース達には可能なことを。

 商人達がどれだけ金を積んでもできないことを――


(そんなの、やっぱり科学ではなく魔法ぐらいしか――)


 ヴィースの思考が、一瞬止まった。



科学と魔法・・・・・?)



 目を見開き、閃いた発想に対し様々な考えが巡る前に――彼は、口を開いていた。


「お三方が揃って珍しい。あるでしょう。アヴェンチュラ殿のおかげで、私達もあなた方も得する案が」


 ヴィースは席を立ち上がり、つかつかと歩く。ファブリカが片眉を上げた。


「随分と自信があるな。一体何を考えている」


「単純な発想です。科学と魔法、両方使えばいい!」


(ああ、クソ! そういうことなら先に言えよ!)


 ヴィースはレクティタ達と合流したかと思えば、フトゥを一瞥したあと商人達に向き直り、


「我々は研究者のアルカナと、アヴェンチュラ殿を主導に――」


 力強く、机を叩いた。



「科学と魔法を融合させ、新技術を開発します!」



 商人達の瞳が大きく揺れる。瞬時に、空気が変わった。ヴィースは機を逃さない。


「我々軍人は特例により、業務中に魔法を使用しても罰せられません。それを逆手に取れば、堂々と科学技術に魔法を導入できます。表向きは、今後も発生されるだろうスタンピードの対抗策として、アヴェンチュラ殿と協力し、まずは結界の強化を。その後順に、収納の拡張や食料の長期保存など、研究の幅を広げていきます。そして、試作機をあなた方に提供し、実用に耐えうるかどうか試してもらえばいい」


「ちょっと待ってくれ! いくつか疑問に答えて欲しい!」


 商人の一人が声を荒げた。動揺の中には、微かな期待が入り混じっている。


「まず、科学と魔法の融合だと言ったが、そんなこと聞いたことがない。本当に実現できるのか」


「――ああ、可能だ。前例は少ないが、熱機関に魔法陣を組み込むことで効率化に成功した研究者もいた。普及されていないのは魔法使いの希少性が理由であり、理論上は十分可能だ!」


 アヴェンチュラがすぐさま答えた。ヴィースの発想に少々面喰っていたが、調子を取り戻したようだ。溌溂とした声に応じて、他の商人からも質問が飛んでくる。


「初めは結界から試すと申しましたが、具体的にはどのように取り入れるおつもりで?」


「結界の欠点は王国魔法の使い手しか発動できないことです。ですが、アルカナの無詠唱魔法を応用すれば、手投げ弾等のようにピンを抜けば誰でも発動できる物が開発可能です。これなら、平民でも任意のタイミングで使用でき、かつ持ち運びしやすいため、緊急時に役立ちます」


「確かに需要は高そうだが、売り方はどうするんですか? 魔法を使用しているのなら、平民私達では販路を確保できません。法を犯してしまいます」


「そこは私の名を使用する! 王国での前例がなければ、ほぼ確実に特許の申請は通るはずだ。私の名でダメだった場合は兄の名を借りる。それでどうだ」


「すでに他の貴族が利権を持っていた場合は? 無いとは言い切れないでしょう」


「んー、外国人の私が言うのは何ですか、それはありえないでしょう。魔法と科学の融合は他国でも研究されていますが、前述した通り魔法使いの希少性からその事例は少ない。実用レベルまで改良されたのなら、もっと世界的に有名になるはず。それにこの国の貴族達は頭が固い! 魔法至上主義な彼らが、科学を取り入れるとは到底思えませんな」


 フトゥは「それはそうと」と、ヴィースの肩に手を回し、この場で発言力を持っている三人に向き直った。ヴィースが若干苛ついている。


「ええっと、なんでしたっけ? ヴィース殿? この方の発想は素晴らしい! 何せ結界を持ち運ぶなど、魔法に縁のない私では中々思い浮かばないアイデアですから! そこで、私も彼に倣ってちょっとした提案を」


 ヴィースがフトゥの手をさりげなく払うと、彼は肩を落として服の裾を摘まんだ。


「例えば、温度を操る魔法で服に冷却効果や保温効果を付与し、季節によって売り方を変えてみたり」


 ローズリーが目を細め、扇を閉じる。


「例えば、ガラス瓶に防腐効果のある魔法をかけて、スパイスの保存期間をさらに長くしたり」


 ジョナサンが二重顎をさすり、ハンカチを畳む。


「例えば、土木工事で必要な力仕事を、重機を模した魔法生物に割り当てれば、慢性的な人手不足も解消できます」


 ファブリカが眉間に皺をよせ、煙草を灰皿に押し付けた。


「我々は新技術の研究が叶い、あなた方はしっかり利益を得られる。双方が得をする、平和的な解決案! これ以上の最善策はないでしょう!」


 どこまでも大仰にフトゥがのたまう。大口を開けて笑う彼に、ファブリカが顎に手をやる。


(彼らの提案は、なるほど魅力的だ)


(切り捨てるには惜しい技術だわ。それに、国王からの脅威はあれど、レクティタ殿下にはレオナルド殿下の後ろ盾がある)


(そこにアヴェンチュラ様とシルヴィウス伯も加われば、対抗は可能だね。むしろ、将来性を考えれば――)


 三人はそれぞれ結論を出す。


(必ず物にしたい)


(未開拓の市場を逃すわけにはいかないわ)


(多少のリスクは承知の上、いつのもことだね)


 彼らの意見は一致した。目配せのみで互いの意思を伝える。

 これ以上の議論は不要、あとは肯定を返すだけだが――一つだけ、ファブリカには心残りがあった。


「……そちらの主張は理解した。だが、最後に聞きたいことがある」


 低い声が、やけに部屋に響く。

 彼の鋭い目が、ヴィースを捉えた。


「なぜヴィース殿は、レクティタ殿下にそこまで尽くす。本来の貴殿ならもっと、上手く立ち回れただろうに」


 ヴィースは即答した。


「レクティタ隊長は、第七特殊部隊私達の未来の象徴です」


 そして、隣にいるレクティタを抱き上げる。


「私は、私が信じるより良き未来のために、全力を尽くしている。ただそれだけです」


 あなた方にも、信じる未来があるでしょう、と。ヴィースは言い切った。

 誰にも気づかれないように、フトゥが嬉しそうにそっと微笑む。

 ヴィースは嘘偽りない本心を伝えたと言わんばかりに、それ以上は何も口にしなかった。ファブリカは反応しない。他の二人もだ。

 しばしの静寂のあと、一人の男が、か細く声を上げた。


「……私は、この取引に、賛成します」


 声の主に視線が集まる。手を上げたのは、この部屋の主であるクオトだった。

 彼は、こけた頬をほんの少し上げ、はは、と気の抜けたように笑った。


「私にも、息子がいますから。我が子の未来が少しでも明るくなるのなら――ここで動かぬ理由など、ありませんよ」


 クオトの発言を皮切りに、他の商人も声を上げる。


「私も賛成です。商会を大きくするまたとない機会ですもの」


「野心がなくてはやっていられませんからね、商売なんて」


「赤字もたまには覚悟しないと。最終的に、回収できればいいんですから」


 次々と上がる賛成の声に、ローズリーがこっそり息を吐いた。


「若さって羨ましいですわね」


「ローズリー殿も十分お若いでしょうに」


「こう見えてもうすぐ息子は十五ですわよ。全く、私達が子持ちだってわかっていて仰っているのかしら」


 ねえ、とローズリーはファブリカに問いかけた。ファブリカは、眉間に皺を寄せたまま、目を伏せる。


「……今日は娘の誕生日だと、言っただろう」


 ファブリカはゆっくりと椅子から立ち上がった。

 そして、ヴィースに近づき、彼に抱きかかえられているレクティタへ言った。


「今日で、娘は殿下と同じく五歳になりました」


「それは、おめでとー。レクティタと、いっしょだね」


「ええ。私にとって娘は……未来そのものです」


 ファブリカは手を差し出した。ヴィースに促されるまでもなく、レクティタは自然に手を伸ばす。


「より良き未来のために、今、私達はレクティタ殿下に協力することを誓います。そうですな、これは、言うならば――」


 二人は手を握り合った。

 小さな手と握手しながら、ファブリカは眉間の皺を薄くし、わずかに微笑んだ。


「未来への、投資です」


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