第11話 怒らせてはいけない人

「ということで、しばらく皆さんにはレクティタ隊長の教師もしてもらいます。文句は受け付けません。よろしくお願いします」


 食堂で朝食を取っている隊員達に、ヴィースは淡々と告げる。突然の命令に、第七部隊の面々は食事の手を止めた。

 なんか前もこんなことがあったような……と全員が既視感を覚えつつも、フトゥが真っ先にヴィースへ反論した。


「教師じゃと? ワシらが? 異端者だと散々陰口を叩かれている、ワシらに教師をしろと?」


「いひひ……反面教師の間違いでは……」


 続けざまにアルカナも老人の意見に賛成する。フトゥはソーセージを齧り、持っていたフォークの先を副隊長へ向けた。


「何を血迷ったか、ヴィース。ワシらが真っ当な人の道を、その子に教えられると思うか? 悪影響しか及ばさんぞ」


「文句は受け付けないと言ったでしょう。私だって個性豊かな皆さんが子供に常識を説けるなんて微塵も思っていませんよ。これは、レクティタ隊長からの希望です」


『隊長が?』


 リタースが右隣に座っていたレクティタを見た。彼女は食べていたオムレツをごくりと呑み込んだ後、「うんっ!」と元気よく頷いた。


「しらない人より、みんなからおべんきょう、教えてほしいって、ヴィースにたのんだの」


「私はいいですよ~。隊長さん、一緒にお鍋で魔物をまぜまぜしちゃいましょう~」


「一番やる気を出しちゃいけない人がやる気満々だぁ……ひひっ」


 レクティタの左隣に座っていたリーベルが、鍋をかき混ぜる素振りを見せる。レクティタがそれを真似して、キャッキャッと女子二人が盛り上がる中、アルカナがオレンジジュースを飲みながら苦笑した。


「いひひ、ヴィース……ただ魔法を教えるだけなら悪趣味だけど? ……他に何か教えるのかい、ふひひ」


「もちろん、基本的な読み書きや計算、一般常識から教養全般をお教えます。というか、そちらが主題です。私がカリキュラムを組むので、皆さんには交代制で隊長の理解度と進捗具合を確認してほしいのです」


『家庭教師みたいなものか。それなら、まあ』


 リタースが納得しかけた横で、不満の声が上がった。レクティタだった。


「レクティタ、魔法もおべんきょうしたい」


「……隊長には難しいですよ。王国魔法と違って、我々の魔法は個々の力量に依存しているので、体系立って教えられるものではありません」


「それでもいい。みてるだけでも、楽しいもん。魔法、教えて」


「ですが……」


 レクティタには魔力がない。ヴィース達からいくら教わろうとも、彼女は魔法を使えない。無意味で、残酷な行為だ。

 だが、それをはっきり告げるには、レクティタの目は希望に満ちていて、ヴィースは若すぎた。言葉を濁す副隊長に助け舟を出したのは、隊の中で最年長者である、フトゥであった。


「よいじゃないか。隊長も遊びたい年頃じゃ。その代わり、ヴィースが出した課題を先に片付けるのが条件にする。それならいいだろ、ヴィース」


「あそびじゃない。おべんきょう、隊長のおしごと!」


「部下を遊びに誘うのも隊長のお仕事じゃ。なんじゃ、ワシと遊ぶのは嫌か。かなしいの~」


 フトゥがわざとらしく顔を覆い、嘘泣きをする。困惑するレクティタに、「騙されないで、隊長さん。こういうのを、狸爺っていうんですよぉ~」とリーベルがずれたことを教え、幼き隊長は感心し「たぬきじじい」と復唱する。

 早速悪影響を及ぼしているのに頭痛を覚えつつも、ヴィースはフトゥの提案にありがたく乗っかった。


「毎日課題を出すので、それが終わったら、自由時間にします。お昼寝や読書、外遊びでも、好きなことをしてください」


「っ! やった! ありがと、ヴィース」


「その代わり、きちんと課題をこなすのですよ」


「うん!」


「サボったりしたらダメですよ。きちんと、毎日勉強するのが大切なのですから」


「わかってます!」


 ヴィースの忠告に、レクティタは誇らしげな顔で答えた。


「レクティタ、隊長だから、おしごと、かんぺきにこなす。おべんきょう、がんばるもん!」



*****



 十日後。

 ヴィースの仕事部屋にて。レクティタを筆頭に部隊の面々が机の前に集められていた。

 大量の白紙の課題を眼前に積み上げ、部屋の主は引き攣った笑顔を浮かべている。その額には、青筋が立っていた。


「ここに一週間分の課題があります。その全てがほとんど白紙です。皆さん、何か言い残すことはありますか?」


 部屋の気温が高くなる。明らかに怒っている副隊長に、レクティタは慌てて首を横に振った。


「いや、これは、そう、海よりたかく山よりふかい事情が」


「それを言うなら『海より深く山より高い』です。隊長の言い訳は最後に聞きましょう。まずはお前らからだ」


 先頭に立っているレクティタから視線を外し、ヴィースは大人共を見た。リタースのみが気まずそうに顔を逸らし、他の三人はあっけらかんとしている。

 フトゥが頭をかき、大口を開けて笑った。


「いやあ、すまん! 一日ぐらいならいいじゃろと甘やかして、サボったわ! 隊長が問題を解いている間、ワシの方が暇を持て余してのう。天気もいいし外で遊んだわ! わはは、ワシ、教育者に向いてない!」


 開き直るフトゥに続いて、リーベルも手を上げて同意した。


「私も~。先生とか無理~。眠くなっちゃう。天気がいいのにお外で遊ばないなんてもったいないです。子供は遊ぶのがお仕事ですよ~」


 ピシピシと音を立てて、ヴィースの青筋が増える。

 無言で今度はアルカナに顔を向けた。彼は、普段の猫背をさらに丸めて理由を言った。


「いひひ……僕は悪くないですよ。だって、隊長さんが逃げちゃうんですもん……ひひ、授業二回とも逃げられちゃった……ふひひ……」


 ずーんと落ち込むアルカナに、レクティタが小声で「だって、お化けみたいで怖いんだもん……」と言い訳する。聞こえたのだろう、アルカナはさらに落ち込んだ様子を見せた。


『……すまない、ヴィース。俺も最初の二人と似たような理由だ。あまり勉強漬けも良くないだろうと、一日ぐらいならと大目に見てしまった。反省している』


 最後に、リタースが自主的に頭を下げてきた。この中では良識派のリタースだが、いかせん根が善良すぎて甘い男だ。普段なら好ましい長所だが、レクティタに対してはそれが裏目に出たな、とヴィースはため息を吐いた。


「では、レクティタ隊長」


 そして、宣言通り、ヴィースはレクティタに尋ねる。


「理由をお聞きましょうか。詰みあがっていく白紙の課題を後回しにしてでも、遊びに行かなくてはならなかった理由を」


 ヴィースはにっこりと笑う。彼から漂う尋常でない威圧感プレッシャーに、レクティタはだらだらと汗を流した。

 右に左に目を動かし、何とかしのげないかと思案する。だが、「レクティタ隊長」と、ヴィースから催促され、レクティタは観念して蚊の鳴くような声で話した。


「お……」


「お?」


「おべんきょう、つまらなかった、から……」


 しん、と、場が静かになった。

 そう、レクティタが授業をサボった理由は明快だった。

 予想よりつまらなかったのだ。勉強が。

 ひらがなを覚えるのも、足し算や引き算をいっぱいするのも、どれも面白みがない。そんなものより、みんなと遊んだりするほうがよっぽど楽しい。そうして嫌なことは後回しにした結果が、これである。


「……つまらない、ですか」


 ヴィースはボソリと呟いて、椅子から立ち上がった。近づいてくる彼に、「怒られる」とレクティタは逃げるよう強く目を瞑る。


「……?」


 だが、想像していた罵声や暴力は飛んでこなかった。その代わり、目の前でヴィースが膝を付き、レクティタの肩にポンっと手を置いた。


「申し訳ありません。レクティタ隊長。今回は、勉強の重要さを説かなかった私の落ち度です。そうですね、最初はお勉強はつまらないですよね。人とは自制しなければ堕落する方に進んでしまうもの。レクティタ隊長がさぼってしまうのも仕方がありません」


「ヴィース……」


 ヴィースは優しく微笑んだ。レクティタは感動した。やはり、オルクス砦の皆は優しい。レクティタのことを怒らないなんて。ああ、ヴィースはなんて物分かりの良い人なのだろう。

 横にいる大人達が渋い顔を浮かべているのに気づかず、レクティタはあからさまに声を弾ませた。


「じゃあ、もうおべんきょうは無しに――」


「なので明日から一か月、私が付きっきりで勉強を教えます」


「ひっ!?」


 肩をガっと掴まれ、レクティタは悲鳴を上げた。そこに先程の優しいヴィースはいなかった。鬼の形相で、何とか形だけは笑顔を保っている、怒り狂った男がいた。


「果たすべき義務を後回しにして、目の前の快楽に身を委ねるなど、愚か者のすることです。ですが、レクティタ隊長はまだ五歳。そういうこともあるでしょう。ただ、お仕事を先延ばししたらどうなるか、ちゃんと今のうちから学習しておきましょうね」


「ひ、ひぇ……」


 震えあがるレクティタを横目に、フトゥとリーベルが囁く。


「ヴィースさん、怖いですねえ」


「うむ。相変わらず短気じゃのう。早死にしそうじゃ」


「もちろん、監督責任を放棄したあなた方にも罰を用意しておきますよ。特にフトゥとリーベル。お前ら二人は覚悟しておけ。一か月はこき使ってやりますから」


 ヴィースがぎろりと四人を睨む。彼の宣言に、リーベルが不満の声を漏らした。


「ええ~~! 職権乱用です~~!」


「老人いじめは反対じゃ」


「いひひ……あの、もしかして僕、とばっちり……」


『噴火の音……近づかない方が賢明だ』


 四人の戯言を無視して、ヴィースはレクティタに向き直る。

 わざとらしいほど爽やかな笑顔を浮かべたヴィースに、レクティタはまたもや悲鳴を上げた。


「自制心は今のうちから鍛えておかなければいけません。頑張りましょうね。レクティタ隊長」


「う、うぇぇぇ……」


 レクティタは泣いた。今日この瞬間、オルクス砦で怒らせてはいけない人物はヴィースであると、彼女の胸に刻まれた。


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