第12話 無神経

「うー……むずかしい」


 レクティタはヴィースが用意した計算問題を、しかめっ面で解いていた。

 幼き隊長のサボり発覚から三日。副隊長ヴィースの宣言通り、レクティタは彼に付きっきりで勉強を見てもらっていた。

 ヴィースの仕事部屋にわざわざレクティタ用の背の低い机と椅子を揃えて、書類仕事をする傍ら見張っている。その証拠に、今もレクティタが鉛筆を転がして答えを適当に決めようとするのを、それとなく咎めた。


「隊長、間違えた問題はどのみち解き直しですよ」


「むり。レクティタ、頭、はれつする」


「人の脳はそんな簡単に爆発しません。ほら、口より前に手を動かす」


「ゔ―……」


 レクティタは唸りながら顔を机に突っ伏した。唇を尖らせ、「あきた。つかれた」と、ヴィースに不満を訴える。


「レクティタ隊長」


 ヴィースが強めに名前を呼んでも、レクティタはいやいやと首を横に振る。彼女の集中力が切れたのは誰が見ても明らかだった。


(見事にやる気がなくなっている。三日が彼女の限界か)


 ヴィースはペンを置き、指で机をとんとんと叩いた。このまま強制的に勉強を続けさせても、碌に身につかないだろう。だが、今日はまだ勉強を始めて一時間しか経っていない。ここで終わらせるには早すぎる。

 そして、何より、レクティタ自身の意識が改善していない。本人が自主性をもって学ばなければ、勉強量など意味ないのだ。

 ヴィースはしばらく考えた後、席を立った。机の上の書類を簡単に片付けてから、レクティタに顔を上げさせる。


「レクティタ隊長、外へ行きましょう」


「っ! おべんきょう、おわり!?」


「いいえ。帰ってきたらまた再開します。ですが、その前に」


 元気になったのも束の間、再びしなびていくレクティタに、ヴィースは腕を捲りながら言った。

 鍛えられた彼の腕には、いくつもの火傷跡があった。


「丁度いい機会です。私の魔法を、お教えします」



*****



 二人は砦の中庭へ出た。中庭と言っても洒落た園芸などなく、休憩所代わりのベンチと固い土の地面があるだけの殺風景な場所であった。

 レクティタはヴィースの魔法を何度か見たことがあるが、教えてもらうのは今日が始めだ。彼女はわくわくしながらヴィースの説明を大人しく聞いていた。


「ご存じの通り、私が扱える魔法は炎のみです。主に手を翳したり指を鳴らしたりすることによって、魔法が発動し、その難易度は距離に依存します。近ければ近いほど微調整が利きますが、距離が遠くなるほど操作が難しくなるのが特徴です。だから、隊長の髪や服を乾かすとき、近づく必要があったのです」


「へー、そうなんだ」


「もちろん、形や温度も自由自在に操れます。例えば、こうして炎を球場にして、火球ファイアーボールを作ることもできます。このまま、攻撃したい箇所へ飛ばすことも、引き戻すことも可能です」


 ヴィースは指先に火球を作ると、砦に向かって飛ばしていった。砦壁に当たる直前にそれは動きを止め、同じ速度で彼の元へ戻ってくる。

 くるくるとヴィースの周囲を飛ぶ火球に、レクティタが目を輝かせた。


「すごい。どうやってるの、それ」


「前にも申しましたが、王国魔法と違って我々の魔法――所謂、個人魔法は、名の通り個々によって特徴が異なります。ですので、あくまでも私独自の方法ですが」


 ヴィースは火球を消し、砦壁を指差す。


「私は魔法を発動する際、数字を基準に使用する魔力を調整しております」


「すうじ?」


「ええ。私の魔法は距離によって難易度が違いますから、使用する魔力量も距離に比例するのです。正確には計算方法は三次元なのでもう少し複雑ですが、今回は割愛します。距離が遠くなればなるほど、魔力を多く使うものだと考えてください」


 レクティタが「うん」と頷く。ヴィースはそんな彼女に見せるよう、空中に炎で数字を描いた。


「例えば、私の全魔力を百としましょう。火球を作るのに一の魔力が必要、砦壁まで飛ばすのに一必要とします。では、レクティタ隊長。問題です。私が火球をあそこまで飛ばすのにどれくらいの魔力が必要ですか」


「ふっ、よゆー。二でしょ」


 レクティタが自信満々に二本の指を掲げる。


「素晴らしい。指折りで数えなかったのも偉いです。引き続き問題です。砦壁から火球を戻すのに、また一の魔力が必要となります。火球を作ってから飛ばして戻すのにかかる、魔力量の合計は?」


「三。二に一足すから」


「その通りです。では、また問題です。私の全魔力は百で、ゼロになったら倒れてしまうと仮定します。では、何個までだったら、私は火球を作って飛ばして戻せますか?」


「えっ」


 突然習っていない計算問題を出され、レクティタは困惑した。が、すぐに彼女は前回遊んだリーベルの助言を思い出す。


『ヴィースさんはひっかけ問題大好きですから、困ったら堂々として出された数字を言っとけばなんとかなりますよぉ』


 そうリーベルは言っていた。ならばこれはきっとひっかけ問題なのだろう。レクティタはニヤリと笑った。勝ち誇った笑みだった。

 つまり、今回の問題から導き出される答えは――


「百!」


「三十三です」


「だまされた」


 リーベルの助言が全く役に立たなかったことに、レクティタはがーんとショックを受けた。「むしろなぜあんなに自信満々だったのですか」とヴィースが追い打ちをかける。


「この問題には割り算が必要なので、レクティタ隊長が答えを出せないのも仕方ありません。まだ一桁同士の足し算と引き算しか教えていませんから」


「は、はめられた……レクティタをもてあそんだのね……」


「誰からそんな言葉教わったのですか。どうせフトゥかリーベルでしょうけど……それは置いておきまして」


 ヴィースが咳払いをして、本題に戻す。


「このように、レクティタ隊長はまだ習っていないものがたくさんあります。今の勉強は基礎中の基礎で、それすらこなせなかったら話になりません。逆に、勉強ができるようになれば、このように役立つのです。だから、今はつまらなくても我慢して勉強する必要があるのです。わかりましたか?」


「………」


 うまい具合に勉強に話を繋げられたと、ヴィースが内心自画自賛する。

 レクティタが勉強嫌いなのは、具体的にどう役立つか知らないからだ。彼女が興味ある魔法に紐づけば、少しはやる気になるのではないかとヴィースは考えたのだ。

 だが彼の思惑に反し、レクティタは明らかに不機嫌になっていた。

 頬を膨らませじろりと自分を睨む子供に、何が不満なのかヴィースは皆目見当付かなかった。


「何が不満なのですか、レクティタ隊長」


「……ヴィースは、魔法をつかうために、おべんきょうしたの?」


 レクティタの疑問に、ヴィースは意図が掴めなかった。

 そんな彼に、少女はぷいっと拗ねた様子で顔をそらした。


「じゃあ、レクティタ。魔法、つかえないのに、おべんきょうしても、意味ないじゃん」


 ようやくヴィースは己の失態に気が付いた。


「――あ、いえ、私が言いたいのはそういうことではなく」


「ヴィースさ~ん。頼まれていた調合薬全部作り終えましたよ~」


 タイミング悪く、リーベルが小さなゴーレムに鍋壺を転がさせながら、二人に声をかけてきた。小さなゴーレムはいつぞやのゴーイチである。通常は一日ほどで魔法が切れてただの岩に戻るのだが、どういうわけかゴーイチは二週間以上経った今も、元気に活動していた。おかげで主にリーベルやレクティタにこき使われている。

 レクティタは遊び相手のゴーレムと親しい少女の姿を見るや否や、猫のような素早さで鍋の中に身を隠した。長い間軟禁されていた少女の動きとは思えない身体能力である。ゴーイチが驚いて、レクティタを引っ張り出そうとする。


「わっ。どうしたんですか、隊長さん~」


「レクティタ、べんきょうやめる」


 レクティタはスカートを引っ張っていたゴーイチを掴むと、再び鍋の中に隠れた。


「え~。そんなこと言ったらヴィースさんに怒られちゃいますよぉ?」


「いいもん。レクティタ、ヴィース、きらい」


「………」


 鍋壺の中に頭を突っ込んだまま、レクティタが足をばたばたと動かす。ヴィースはやってしまったと苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべていた。

 そんな二人を交互に見て、リーベルが言った。


「おお。派閥争いの幕開けですか」


 レクティタに変なことを吹き込んでいるのはこっちだな、とヴィースは確信した。


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