第14話 灰の魔法使いとわかいけーやく
「火をつけるだけなら道具さえ揃えば誰にだってできます。だからあなたは私に勝てないのです、ヴィース」
灰色の髪の少年が、腹を抑えながら地面に膝を付いている。痛みに唸り声を上げ、少年は四つん這いの状態で目前の男を睨んでいた。
「魔法で火球を作り、目標に向かって飛ばす、までは素晴らしい。ですが、自分の魔力量を把握せず、ばかすか投げまくった果てに魔力切れでカウンターを食らうなんて、お馬鹿です。アホの極みです。まぬけまぬけ」
男は腕を組む。彼がくつくつと笑うたび、被っているフードが揺れた。
「まあ私が強すぎるのが悪いんですけど。ヴィースのセンスも悪くありません。そこらの大人よりあります。が、あなたは勘違いしている。力と暴力を結び付けてはいけない。力の使い道は何も他者を傷つけるだけではない。それを学ぶのが、あなたのこれからのお勉強です、ヴィース」
「……なんで」
七歳ほどの、みすぼらしい格好の少年――ヴィースは口を拭い、立ち上がった。長い説教のおかげで、幾分か腹の痛みが収まったのだ。彼は物陰に隠れている他の子供達を一瞥した。
仲間は皆、怯えたり心配そうな顔をして二人のやり取りを見守っている。加勢する気のない彼らにヴィースは大きく舌打ちをし、ポケットに手を入れた。
「俺達なんかに構うんだよ。お前は、偉い魔法使い様なんだろ? 親無しのガキどもに同情でもしたのか?」
縄張りに入った敵を捉える獣の如く、殺意の籠った瞳が、男を忌々しげに睨む。
「親代わりのつもりかよ、偽善者が。
「元気があって大変結構。今の言動はまさに『負け犬の遠吠え』と喩えられます。一つ勉強になりましたね?」
ヴィースがポケットに入れたナイフを取り出そうとした瞬間――同時に、男が人差し指を軽く曲げた。
バッとヴィースの右腕が風に持ち上げられる。衝撃で手からナイフを離せば、そのまま宙へ舞い上がり、くるりと旋回して男の手の中へ落ちていった。
「子供に刃物はまだ早いです。なまくらなら尚更。こんな物騒な物、持ち歩かせずに済ませるのが理想なんですけどね」
そう言って男は空中でナイフを紙のようにぐしゃぐしゃと丸めていく。そして背後に投げ捨てようとして、「ポイ捨てはいけませんね」と思いとどまり、それを自身の懐にしまった。
「ああ、そうか。強いて言うなら、私の理想、だからです」
ヴィースが風で飛ばされた右手を抑えていると、ふと気づいたと言いたげに男が呟いた。独り言のように小さな声だというのに、なぜか、ヴィースには男の言葉がはっきりと聞こえてきた。
「世の中の道理は正しく機能して、善人は報われて、悪人は裁かれて。強者は弱者を救済し、正義は不義を排する。私の理想とする世界では、大人が子供を守り、育てるのも当然なんです」
男がヴィースに近寄る。ヴィースは反骨心から逃げなかった。実力で敵わないと理解しておきながらも、なお立ち向かってくる少年に、男は目を細めた。
「血の繋がりなど関係ありません。親代わりなんておこがましいものでもない。ただ、あなた達はまだ大人に守られるべき子供だ」
ヴィースの前で男が地面に膝をついた。貧民街の不潔な地面に、だ。石畳の間に溜まっていた汚水が男の上質なローブやズボンの膝に染みていく。
目を見開いて驚くヴィースに対し、男は構わずさらに背を丸め、フードをゆっくり脱いだ。
「命をかけてでも守り抜く――なんて、無責任なことは言えませんが、将来、困らない程度の教育を授けるのが、義務というものです」
ヴィースは、自分と目線を合わせてきた男の顔を、見た。
「それが、ここで出会った、大人の努めなのです」
三十半ばの男の顔には、入れ墨が施されていた。
額から頬にかけて彫られている茨のような紋様は、王家に仇した重罪人の証。
男の名はラティオ。
王太子だったジェロイの不興を買い、宮廷を追放された魔法使いであり――
もう既にこの世から去った、ヴィースの師であった。
*****
灯り一つ持たず、レクティタは夜の砦の廊下を歩いていた。等間隔に燭台が設置されているため、灯りはそれで事足りると思ったからだ。
夜目が利くのも相まって、レクティタは迷うことなくリタースの部屋に向かっていた。目的は先に到着しているだろうヴィ―スである。彼と仲直りするため、レクティタはとことこと廊下を歩いているのだ。
「………」
だが、リタースの部屋に近づくにつれ、レクティタの足取りは重くなっていった。だんだん進みが遅くなっていき、しまいには真っ直ぐ歩かず、ぐねぐねと蛇行し部屋までの距離を稼ごうとする。
(やっぱり、こわい~)
課題をサボった際のヴィースを思い出し、レクティタは半ベソになった。ヴィース自信が怒っていないのは理解したが、それはそれとして恐怖は拭いきれないのだ。嫌われちゃったらどうしよう、と俯いてもじもじしていると、廊下の真ん中に、何かが落ちているのを視界の端で捉えた。
「……?」
近寄ってみれば、廊下の中央にマフィンが置かれていた。ご丁寧に皿に乗って床に放置されている。
「ま、マフィン!?」
レクティタは驚いた。同時に、ぐうと腹が鳴った。
「………」
レクティタはしばし考えた後、ひょいとマフィンを拾った。
彼女とて拾い食いはダメだと知っている。だが、これは……。
「きけんぶつ発見。食べてしょりしなくては。あんぜんかくにん、あんぜんかくにん」
白々しく言い訳して、レクティタはマフィンを頬張った。チョコレートが使われたそれは彼女のお気に入りのお菓子の一つである。
「びみー」と最近覚えた言葉で美味しさを呟いていると、また少し先にお菓子が落ちていることに気が付く。今度はカップケーキである。もちろん皿の上だ。
「な、なんと。またきけんぶつが……むむ、あんぜんかくにんはだいじ……」
レクティタはまたもやカップケーキを頬張った。今度は蜂蜜がたくさん使われたお菓子であった。「びみびみ」と幸せそうに独り言ちて、空の皿を持って前を見た。期待通り、廊下にはまたお菓子が置かれている。レクティタはやれやれと首を振った。
「たいちょうのおしごとも楽ではありませんね。これもみんなのへいわのため、よごれやくは買ってでましょう」
レクティタはうきうきでスキップしながら、落ちている菓子を拾いに行った。
そうして危険物処理を二回ほど繰り返し、リタースの部屋を通り過ぎたことに気づかず、五個目のお菓子に向かったとき。
リタースの隣の部屋、その少し空いている扉を通り過ぎたところにあるクッキーを見て、レクティタが皿を置き、手を伸ばした瞬間。
「確保です」
「うわあああああああ!?」
ひょいと後ろから持ち上げられ、レクティタは悲鳴を上げた。
振り返れば、ヴィースが何とも言えぬ表情で立っているではないか。「全部食べてきたのですか……」と引きつった顔をするヴィースを無視し、レクティタは抗議の声を上げる。
「お、おのれ、はかったな! ヴィースふくたいちょう! こうみょーな罠で、レクティタをおびきだすとは! だましうちなんて恥ずかしくないのかーー!!」
じたばたと空中手足をばたつかせ、全身で不満を訴える。ヴィースはレクティタを抱えたまま自室へ移動し、椅子の上に彼女を下ろす。
そして、膝をつき、警戒するレクティタと目線を合わせると、深々と頭を下げた。
「昨日は申し訳ありませんでした。不快な思いをさせてしまって」
ヴィースの謝罪に驚きつつも、レクティタはすぐに警戒を解いた。むしろ、もじもじと身体を揺らし、気まずそうに顔を下に向ける。
「う……そ、その、レクティタも……ごめん、なさい」
ヴィースが顔を上げたのにも気づかず、彼女は自分の手を見つめながら続けた。
「おべんきょう、さぼっちゃった。ヴィースに、きらいっていじわる言っちゃって……ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるレクティタに、ヴィースは優しく言った。
「レクティタ隊長、お勉強は嫌いですか?」
「……つまんない。じっとして座っているのがいや。でも、しなきゃいけないのは、わかってる」
「隊長は立派ですね。私はスケジュールを詰め込みすぎて、あなたに無理強いしていましたね。申し訳ありません。もし、許されるのなら、まだお勉強を続けてくれますか?」
「うん。やる」
「ありがとうございます。勉強時間や日程は、様子を見ながら調整していきましょう」
ヴィースは立ち上がり、机に向かった。
「では、互いに仲直りの印として、少し、お話しませんか?」
ヴィースは用意していたホットミルクをレクティタに渡してから、傍にあるベッドに腰かけた。蜂蜜入りですよ、と伝えれば、幼い隊長は目を輝かせて飲み始めた。
「……レクティタ隊長は、どうして、魔法が好きなんですか?」
躊躇いながらも、ヴィースはレクティタに尋ねた。彼女はコップから顔を離し、牛乳ひげを残しながら言った。
「お母さんが、いっかいだけ、魔法みせてくれたの!」
すごくキレイだったから、それから好きになったの! とレクティタは嬉し気に答える。ヴィースは「そうだったのですか」と微笑んで、ハンカチで彼女の口元を拭った。
「でもね。お母さんは、魔法、きらいなんだって」
だが、口元を綺麗にした後、レクティタは暗い顔になった。わずかに身を固くするヴィースをよそに、レクティタは、いつも身に着けている黒い水晶玉のペンダントを握った。
「あんなにきらきらしてキレイだったのに。ぶんふそーおうな力は不幸になるって。だからレクティタも魔法なんか使えないほうがいいっていつも言ってた」
「………」
「りきゅーの人からはできそこないって言われてたのに、お母さんはそれで良かったんだって。でも、レクティタは魔法使ってみたい。だから、お母さんにはごめんなさいして、皆から習っているの」
お母さんには秘密にしておいてね! と加えて、レクティタは笑う。ヴィースが返事に窮していると、彼女の方から助け船が出た。
「ヴィースは、魔法、好き?」
「……好きか嫌いかでいえば、嫌いです。が、嫌いなりに道具や手段として割り切っています」
きっぱりと答えるヴィースに、レクティタは「どうぐ?」と首を傾げる。
「魔法で、何かしたいの?」
「ええ。私はいずれ軍人から政治家になり、社会福祉の改革を行いたいと考えています」
「?」
またもや首を傾げるレクティタに、ヴィースは噛み砕いて説明した。
「つまり、出世です」
「しゅっせ」
「ものすごく偉くなって、権力者になりたいんです」
「けんりょくしゃ」
「そのために魔法でばんばん敵をやっつけて、手柄を上げまくる必要があるのです」
「ほうほう」
レクティタは神妙な顔で頷いた。話の半分も分かっていないが、彼女の頭に一つの疑問が浮かんだ。
「どうして、せーじかになって、しゃかいふくしのかいかく? したいの?」
ヴィースはしばし考えた後、天井を仰ぐようベッドに深く座り直した。
「私の先生の、受け売りなんです」
「せんせい?」
「ええ。私に親はいませんでしたが、代わりに魔法や勉強、生きる術を教えてくれた先生がいたのです。強くて、賢くて、優しい、人としてお手本のような方でした」
昔を思い出しているのか、遠くを見つめながらヴィースは話す。
「綺麗事ばかりの夢見がちでうるせえ男でしたが、彼の語る理想は、私達にとって生きる希望だった。本当にそうなったらいいな、と何度も考えました。お腹が空いた子供にパンを配ったり、お金のない人が病気に罹っても医者に診てもらえたり。誰もが雨風が防げる家で、清潔な服と、毎日の食事を取れるような、そんな世界を」
――中途半端に夢見させやがって、あの野郎、と。
ヴィースの声がかすかに震えている。荒い言葉使いに反して、彼の表情は暗く沈み、唇を軽く噛んでいた。
「……その、せんせーは?」
「――色々あって、六年前に亡くなってしまいました。申し訳ありません、少し感情的になりすぎました」
彼は眉間を抑え、気持ちを入れ替えるよう長く息を吐いた。
「……そういうわけで、理想の世界を語った張本人が死んでしまったため、彼の生徒であった私が、健気にも彼の理想を叶えようと奮闘しているわけです」
咳払いをし、ヴィースが話を切り上げようとする。が、「はぐらかした」と、レクティタがじーと半目で見つめてくるものだから、ヴィースは食堂での同僚たちの発言を思い出し、少々たじろいだ。
「はぐらかしたなど……子供に言えるような話ではないんですよ。私自身もまだ、受け止めきれていませんし……ああ、もう、わかりましたよ! ちゃんと本音をお伝えしますよ!」
他の皆さんには内緒ですからね! と念を押し、ヴィースは頬を赤く染め、目を逸らしながら言った。
「私もね――そんな綺麗な世界を見てみたいと、思ってしまったんです。善人は報われて、悪人は裁かれて……優しい志を持った人が、身勝手な権力で潰されない。そんな世界を」
現実はそう簡単にいきませんけど、と照れ隠しをするよう彼は頭を掻いた。
「だから、力が欲しい。軍人になって政治家を目指しているのも、平民の私が偉くなるには、そうするしかないと考えた結果なんです……何故ニヤニヤしているのですか、レクティタ隊長」
レクティタは恥ずかしがるヴィースへにんまりと告げる。
「ヴィース、そのせんせーのことだいすきなんだね」
「~~! ち、ちがいます! あいつはあくまでも手本としては優秀なだけで! 私は別に決して慕っているとはそんなのでは」
「ふふふ、レクティタといっしょだね」
レクティタはひょいと椅子から降りると、うだうだ言っているヴィースに向かって小指を差し出した。
「レクティタも、お母さんにないしょで、魔法習っている。ヴィースも、せんせーのこと、皆にないしょ。二人だけのひみつ。約束して、仲直り。わかいけーやくの成立です」
「まだ小難しい言葉を……」
ヴィースは未だ赤い顔で小指を差し出し、レクティタと指切りをする。
「本当に約束ですよ? 他の面子に入隊理由がバレたらどんな目にあうか……」
「だいじょーぶ。言わない。たぶん。きぼうてきかんそく」
「ダメじゃないですかそれ」
ヴィースは苦笑し、レクティタと小指を離す。時計を見れば、ちょうど日付が変わった直後だった。
「もうこんな時間ですか。歯磨きして寝ますよ、レクティタ隊長」
「えー! もうちょっと起きてるー!!」
「夜なのに元気ですね。全く……あと三十分だけですよ」
ヴィースは机に置いといた酒瓶を手に取った。リタースのお使いの品である。一緒に食堂に行くかとレクティタに尋ねれば、二つ返事で彼女はヴィ―スの隣に付いていった。
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