第26話 王太子レオナルドの心境

 最近の王都は曇天が続いていた。

 太陽は分厚い雲に遮られ、昼間だというのに周囲は暗い。灰色に染まった空は目に入るだけで鬱々とした気分になる。レオナルドは自室の窓から外を眺め、ため息を吐いた。彼の机には、王太子宛ての嘆願書が数通置かれていた。


「……頭が痛い」


 レオナルドは眉間に皺を寄せ、こめかみを抑えた。絹のように美しい金髪が、さらりと手の甲を撫でる。

 悪天候も原因であるが、それ以上に届いた手紙が頭痛の種であった。

 嘆願書は全て、父である国王ジェロイに関するものだ。内容は多岐に渡り、理不尽な言いがかりで財産を没収された子爵から国王のせいで解雇された娼婦まで様々である。文面からでも、悲痛な訴えが見て取れた。


「慈悲深く、優秀な王太子様か。笑ってしまうな」


 誰に聞かせるわけでもなく、レオナルドは呟いた。


「私は、万能ではないというのに……」


 レオナルドは立ち上がり、窓辺に座った。外は雨が降るわけでもなく、ただただ曇りがかっているだけの中途半端な空模様が続いている。


 妹のレクティタがオルクス砦に派遣されて、もう一か月が経った。

 彼女の境遇を争って、父と母は険悪な状態だ。元々悪い仲が、さらに悪化した。おかげで家臣や侍女が委縮してしまっている。見兼ねたレオナルドがそれとなくジェロイを諫めるも、逆効果であった。


「お前もサンドレアの肩を持つか。また母親の言いなりか、軟弱者め。愚息の言葉など聞くに耐えんわ」


 宮廷内にある魔法の演習場で、ジェロイは息子を拒絶した。一昨日の出来事である。


「しかし、父上。これ以上母上と衝突するのは、あなたの評判にも関わります。どうか、ご辛抱を」


「黙れ。久方ぶりの射的かと思えば、私に説教をするためとは。興覚めだ。あとは一人でやっていろ」


 レオナルドはジェロイを射的に誘い、二人きりで話せる時間を作ったのだ。

 グラスター王国の射的は弓や銃ではなく、魔法による光弾を使用し、空を飛んでいる的を撃ち落とすという、魔法の操作を目的とした訓練であった。昔は野鳥で訓練していた名残で、的は鳥を模した紙細工が使われている。ジェロイは空を飛んでいる三十体のうち一体だけ撃ち落とし、その場を去ろうとした。難なく射貫かれた的を睨み、レオナルドはジェロイを挑発する。


「相変わらず、素晴らしい腕前です。ですが、私なら今ので三体は撃ち落とせる」


 ジェロイが足を止めた。気怠げに振り返り、腕を組む。


「大口を叩くようになったものだ。師である私に魔法で挑むか。まあ、良い。ならばやってみろ」


 レオナルドも国王へ向き合い、「ええ」と顔を顰めて腕を横に広げた。

 彼の瞳には強い意思が宿っていた。彼にも好き勝手振る舞う父に思うところがあるのだ。

 魔法陣が一つ、宙に出現する。緩やかに回転するそれを背に、レオナルドは「射貫けヤケレ」と命じた。

 刹那、魔法陣から五つの光弾が発射され、飛んでいた的を五体、同時に撃ち落とす。


「私は暴力は嫌いです。ですが、弱き者の言葉に耳を貸さないのなら、無理にでも聞いてもらいます」


 的を逃がす間もなく射貫ける光弾の速度、標的を一度見ただけで当てる正確さ。そして、通常なら二体も同時に落とせば一人前だと言われる中、五体も撃ち落とした腕前。

 魔法軍の中でもこの芸当が可能な魔法使いは片手で数えられる程度だろう。なるほど、調子に乗っているのも致し方あるまい、とジェロイは踵を返した。


「話にならん。それで私に勝ったつもりでいるのか?」


「逃げるのですか? 王国一の魔法使いと自負しているあなたが?」


「たわけ。お前と条件を揃えているだけだ。良いのか、的を見ていなくて」


「何を仰せに――」


 レオナルドは怪訝に思い、後ろを振り返ってしまった。見計らったように、ジェロイが魔法陣を出現させ、詠唱を唱える。


討て・・


 ――一瞬であった。

 瞬きすら出来ぬ間に、空を飛んでいた的が全て・・射貫かれたのだ。


 レオナルドは息を飲んだ。二十体以上もの鳥が紙屑となって落ちていく中、彼の瞳は宙を駆け巡る光弾の残像を捉えていた。

 見間違いかと目を疑ったが、レオナルドの淡い期待をジェロイの言葉が打ち砕く。


「あの程度なら光弾は一つで十分だ。速度の調整さえすれば、ほぼ同時に撃ち落とせる――レオナルド。お前は確か、さらに王国に科学を導入すべきだと、以前私に勧めてきたが」


 一つの光弾を人差し指の上で回した後、見せつけるかのように消滅させた。


「私から見れば無駄の極みだ。科学はこの程度のこともできぬのだろう? ならば、王国魔法の使い手の育成に金を回した方が、よほど建設的だ」


 レオナルドはすぐさまジェロイに強く否定した。


「いいえ! 科学の利点は誰でも平等にその効果を発揮することです! 個々の力量に頼る魔法とは違います! 先の戦に銃火器を導入したことで、王国側の被害がどれほどは減ったかご存知でしょう!? これまで以上に科学の普及を――せめて、平民の魔法の制限を解除するだけでも、王国の国力は飛躍的に――」


「くどい! いつまでも虫唾が走る愚見をするな!」


 ジェロイはレオナルドの話を遮り、彼に指を向けた。


「お前は己が賢いと信じ、私を愚か者だと断じているのだろう。腹ただしい! 陳腐な流行りに身を任せ、大衆の愚見に同意することが時勢に応じる行為だと勘違いしている。先祖が築き上げた伝統によって生かされている身でありながらだ! 私が愚か者ならば、お前は半端者だ! 何かを成し遂げるため手を汚す覚悟もない、どちらにも良い顔をしようとしている半端者め!」


「――っ!」


 レオナルドは反論しようとし、言葉に詰まった。心の中で、彼には少なからず迷いがあったのだ。父に図星を突かれ思わず俯けば、ジェロイは額を押さえた。


「ああ、小賢しい。お前のそういうところは、あの憎い女にそっくりだ。しばらく、私の前に姿を現すな。約束を違えれば、お前はその的のようになるかもしれん」


 ジェロイはレオナルドに忠告だけして、演習場から立ち去った。レオナルドには父に食い下がる気力など残っていなかった。

 そうして彼は、ジェロイを宥めるどころか不興を買ってしまい、ここ二日間は反省するように自室で過ごしていた。

 窓にコツンと額を付けて、レオナルドは今日何度目かのため息を吐く。


「半端者か……」


 レオナルドの瞳が暗く沈んだ。彼には果たすべき義務がある。王国をより良き未来に導くという、次期国王としての義務が。

 そのためには何をすればいいのかは、頭では理解している。大事な人との約束もある。だが、決心はできなかった。あと一歩というところで、彼は踏み出せずにいる。

 中途半端だ。手を汚す覚悟が無いと指摘され、レオナルドは何も言い返せなかった。


(その通りだ。だが……私は、それでも……)


 レオナルドは現実から目を背けるよう外を見た。分厚い雲は、一雨振る気配がする。

 窓に映った己を眺めていると、薄っすらと反射している自室内で、天井から何かが落ちてきた。音もなく落下してきたそれに、レオナルドの反応が遅れる。ハッとして振り返るも、侵入者が動く方が早かった。


「無礼をお許しください、レオナルド殿下。どうかお静かに。私は怪しい者ではありません。私はアンバー。王家に仕える影の一族……だった者です」


 目の前で、血だらけの男が膝を突き、頭を下げていた。見るに右腕に怪我を負っているが、ほとんどは返り血のようだ。レオナルドは突然の事態に一瞬戸惑うも、すぐに冷静さを取り戻す。


「影の一族だと? 耳にしたことはあるが……なぜ私の前に現われた。その姿と言い、何があった」


 アンバーは頭を下げ、首筋を晒したままだ。その態度に敵意はないと判断したのだろう、レオナルドは彼に話を促した。

 重々しく、アンバーが口を開く。


「ジェロイ陛下の命を失敗した私は、一族から追放され、今はレクティタ殿下の下で保護されております。この傷は、一族の追手を撒いた際のものです」


「待て。レクティタだと? 影の一族がどうしてレクティタの下に……まさか、その父上から命令とは」


「詳しいことは、こちらに。王国魔法軍第七特殊部隊所属、ヴィース・ストフレッドから預かった書簡になります」


 アンバーが懐から取り出した手紙を受け取り、封を切った。手紙の内容に、レオナルドの青い瞳が揺らぐ。


「……この内容に、相違はないか。アンバーよ」


「全て事実でございます。国王陛下がレクティタ殿下の暗殺を命じたことも、第七特殊部隊がソルテラの科学者と手を組んだのも、私が強制的に働かされ、結局は彼らに寝返ったことも」


 アンバーは淡々と答えた。レオナルドの怒りを買うのを恐れていないのか、それともこの場で殺されても構わないと考えているのか。レオナルドには判断がつかなかった。

 ただ一つ、確実なことは。ヴィースから協力を乞われた手紙をくしゃりと握り、レオナルドは脱力して窓に寄りかかった。外はいつの間にか、雨が降っていた。窓を流れる雨粒が、ガラスに反射したレオナルドの頬を伝う。


「レクティタは……あなたの娘ではありませんか」


 ぼそりと呟いた嘆きは、アンバーには聞こえなかった。レオナルドは雨を眺め続ける。


「アンバー、率直に答えろ。レクティタは、隊員達とどのような関係を築いている」


「……少なくとも、厳格な上司部下の関係ではありません。軍人のそれとはかけ離れた、まるで……親しい身内と過ごしているかのような、奇妙な集まりでした」


「親しい身内、か」


 そうか、とレオナルドは寂しそうに笑った。彼は悲しそうに目を伏せた後、意を決して立ち上がる。


「アンバー。お前はこれからも私とレクティタの使者を続けろ。今からストフレッドへの返事を書く。必ずオルクス砦に届けるのだ、良いな」


 アンバーはゆっくりと顔を上げた。その目は訝し気であった。


「私を殺さなくてよろしいのですか? 王の命令とはいえ、レクティタ殿下を暗殺しようとした男です。今日私は、レオナルド殿下の不興を買う覚悟でやってまいったのですが」


「その口ぶり、手紙通り自害が禁じられているのは本当のようだな。お前が現状に不満を持っているのは、ストフレッドも承知の上だ」


 レオナルドは嘆願書を脇に退かし、新品の便箋を机に置いた。


「だが彼は、使える駒が限られている以上、暗殺者だろうと利用すると言っている。お前の能力を考えれば、確かに切り捨てるのは惜しい。……手紙を読む前の私なら、お前を殺していたかもしれないが」


 遠くで雷が鳴った。部屋に響く不吉な音に、アンバーの背筋に寒気が走る。


「いい加減、私も腹を括ろう」


 己の手を汚す時が来たのだと。踏み出せなかった一歩を、踏み出す時が来たのだと。

 レオナルドは落雷を背に、決意を固めた。


「次期国王の私に忠誠を誓え、アンバー。私が必ず、この国の病を絶ってみせる」



 ――雨は止まず、降り続ける。


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