第37話 なかよし作戦しどう!


「ひまー。ひまです。ひまぁーー」


 夕飯を食べ終わり、レクティタは自室でゴロゴロとしていた。

 実験と平行するのは大変だろうという理由で、ヴィースによる読み書きの課題はしばらく免除されている。勉強から解放されて自由の身だが、予定もないため、レクティタは暇を持て余していた。

 無意味にベッドの上を転がっていると、扉がノックされる。許可を出せば、ゴーイチがドアノブにぶら下がりながら入室してきた。


「むっ、ゴーイチ。何かごようですか? レクティタは今、明日への気力をやしなっているところです」


『クレヨン、トドケニ、キタ。ナクシタ、イッテタ、オレンジ』


「あっ! 行方ふめーだったオレンジ色! くんしょうものです、ありがとうゴーイチ~」


 小さなゴーレムが背負っていたのは先が欠けたクレヨンだった。しばらく失くしていたそれを受け取り、レクティタはゴーイチの頭を撫でた。


「ゴーイチ、どこにあったの、これ」


リーベルマスターノ、ベッド、シタ。ヘヤ、ソウジ、シタトキ、ミツケタ』


「なるほど。おねーちゃんの部屋でおえかきしたときに、落としてしまったのでしょう。これでひょーげんのはばが広がります」


 レクティタは上機嫌でお絵かき道具を出し、クレヨンの箱にオレンジ色を仕舞う。用は済んだと部屋から退出しようとする魔法生物の姿に、レクティタはぴこんっと閃いた。


「まあまあ、ゴーイチ、おまちなさい。クレヨンをとどけてくれたお礼に、レクティタがおもてなししましょう」


『ウワッ』


 ゴーイチを手で掴み、胸の前まで持ち上げる。キラキラと目を輝かせているレクティタに、ゴーイチは嫌な予感を覚えた。


「魔法をはつどーしてみせましょう。ゴーイチをとおして」


『ボクデ? カノウ、ナノ?』


「魔石はダメだったけど、リーベルお姉ちゃんやヴィースをさわってできたから、たぶん、ゴーイチでも可能。きぼうてきかんそく」


『オコラレテモ、シラナイ、ヨ』


「だいじょーぶ。あぶなくない魔法でためせばいいのです。たとえば……」


 レクティタは上を向いてしばし考えた。

 真似するのは危ないヴィース、アヴェンチュラ、リーベルを除外したら、残るは三人。その中で一番印象が強かったのは、フトゥの変身魔法だ。彼が最初に披露してくれた時のように、レクティタもゴーイチをあっと驚かせたいと考えて、ふとレクティタは思い出した。

 商業都市フォルムで、ゴロツキ達に追いかけられていたときのことを。その際、うち二人が透明になって姿を消す魔法を使っていたことを。

 レクティタはむふふと笑った。


「とーめいになる魔法とか! それでみんなをビックリさせにいきましょー!」


『ドウヤッテ、ハツドウ、サセル?』


「きあい! リーベルお姉ちゃんといっしょにお星さまみたときみたいに、しゅーちゅーしてー……」


 レクティタは備え付けの鏡の前に移動し、ゴーイチを胸に抱きながら目を閉じた。

 リーベルと共に魔法を発動した時のように、できるだけ細部まで当時の記憶を思い起こす。

 いつもより高い視線だった。アヴェンチュラに抱えられ流れていく景色の中、視界の端に映った、水面の波のようにずれた隙間。人混みに紛れて不自然に存在しているそれが、石畳の上に捨てられていたパンの包み紙を踏んだ。直後、言い知れぬ寒気が背筋を走ったのと同時に、ほとんど無意識にレクティタは叫んでいた。

 あの時の切羽詰まった感覚を思い出し、レクティタはゴーイチをぎゅっと強く抱きしめた。不安気に早くなった鼓動を誤魔化すよう腕に力を入れる。服の下のペンダントを退けるほど身体に密着させていたら、トントンとゴーイチに腕を叩かれたので、レクティタは目を開けた。


「──うわぁ!」


 見れば、鏡には宙に浮いたゴーイチだけが映っていた。レクティタの姿はない。だが目を凝らせば、彼女の身体を象るように光が微かに屈折している。

 まさに記憶通りの、透明になる魔法だった。レクティタはゴーイチを抱えたまま、鏡の前ではしゃいだ。


「おおー! せいこうだ! レクティタには見えているのに、ふしぎー!」


 手を前にかざし、ひらひらと振る。呼応して、ゴーイチも鏡に向かって手を振った。


『デモ、ボクハ、ミエテルヨ?』


「服の下にかくしちゃえばいいのです……ほら、よそうどうり!」


 レクティタは襟を引っ張り、ゴーイチを服の中に押し込んだ。すると、頭と腕だけ出したゴーイチだけが鏡に映る。彼の身体のほとんどは、レクティタと同様透明になったのだ。

 また、レクティタが両手でゴーイチの頭を隠せば、彼は完全に鏡に映らなくなった。レクティタはにんまりと笑った。


「とーめいになったレクティタにかくせば、ゴーイチもとーめいになる……むふふ。レクティタ、天才。これでみんなの部屋をぶっしょくし放だいです」


『ワルダクミ、バカリ、タッシャ』


「しつれいな。じょーしきにとらわれない、じゆうな発想といってください。さあ、まずはヴィースの部屋にとつげきだーー!」


 レクティタは元気よく自室を飛び出し、ヴィースの部屋へと向かった。目的地は彼女の部屋のちょうど真下だ。階段を降りて廊下を進めば、すぐさま辿り着いた。

 ほんの少しだけ扉を開け、中を覗く。誰もいないことを確認してから、レクティタは素早く部屋に入った。

 きちんと整理整頓されている周囲を見て、レクティタはニヤリと悪い顔になる。


「ふっふっふっ。ここが魔王ヴィースのほんきょち……今こそ、かってに触ってはいけないと封印されている、あの本棚をぶっしょくする時なのです──ぬっ!?」


 準備運動がてら指をわしゃわしゃと動かしていると、扉越しに聞こえてきた複数の話し声に、レクティタは肩を跳ねさせた。

 慌てて廊下に聞き耳を立てれば、足音がどんどんこちらに近づいてくる。「あわわわっ」とレクティタは透明になっていることを忘れ、すぐさまヴィースの仕事机の下に身を隠した。

 直後、扉が開き、部屋の主であるヴィース、そしてアールとアルカナが順に入ってくる。


「申し訳ありません、わざわざ部屋にまで足を運んでいただいて」


「いえいえ。ヴィース殿が往復するより、こちらで直接貸し出してもらう方が早いですから……それと、さっきの続きですが、魔力と魔法の間にもう一つ──熱機関でいうところの『蒸気』が必要なのではないかと、仮説を立てているんです」


「蒸気、ですか?」


「はい。おそらく、グラスター王国の人は最初から『蒸気』に該当する能力を持っていて、我々のような外国人には備わっていない。汽車を動かすのに石炭は必要ですが、石炭を燃やしただけでは汽車は走りません。石炭から得た熱で『蒸気』を発生させて汽車を動かすように、魔力も違うエネルギーに変換させてから、魔法を発動しているのではないかと、私達は考えています」


「ひひっ……本当は、確証を得るのに、僕達の身体を解剖するのが手っ取り早いんだけど、流石にそれはまずいから……学院に行けば先行研究があるだろうし、僕、取りに行こうかなって」


 バタバタと騒がしい足音に続いて、三人の声が聞こえてくる。何やら小難しい話に、レクティタはゴーイチに耳打ちした。


(ふぅ、かんいっぱつ。何の話しているかわかる? ゴーイチ?)


(ワカラナイ。カガク、ムズカシイ)


 レクティタとゴーイチが顔を合わせて首を捻っていたら、頭上からドンっと大きな音がして悲鳴を上げかけた。ヴィースが本棚から取り出した分厚い書物を、机の上に置いたのだ。

 レクティタは目の前に現われたヴィースの足を見て、咄嗟にゴーイチを服の下に隠した。バレたかとひやひやしたが、ヴィースは彼女に気づかなかった。足元で幼い隊長が盗み聞きしていると露も知らず、三人の会話は続いていく。


「ロクフォート王立魔法学院に? アルカナが卒業生といえど、あそこは軍と犬猿の仲ですよ。素直に協力してくれるでしょうか」


「ひひ……一応、兄様が教授として在籍しているから、何とかなると思う。まあ……手紙の返事はなかったけど。いつものことだし、平気平気、ひひひっ」


「アルカナ殿が学院に出向いている間、私はエル達と合流して、類似の研究論文を探してきます。あと、アヴェンチュラに色々と手続きしてもらいたいので。三日ほどこちらを空けるかと」


「いひ、僕は五日くらいかかるかな。その間、実験は休み」


(むっ? お休み?)


 レクティタの疑問に答えるよう、ヴィースが続けざまに言った。


「そうなると、レクティタ隊長もお休みになりますね」


(やったー!)


「その間は勉強をしてもらいましょうか。課題も溜まっていますし」


(んなぁああっ!?)


 喜んだのも束の間、ヴィースの酷な発言にレクティタはショックで口を大きく開けた。「ヴィースのあくま! おに! 魔王!」と声にならない声で抗議していると、アルカナが遠慮がちに言った。


「ま、待ってヴィース。ひひっ、勉強とかは無しで、隊長に息抜きさせてあげて……ここ一週間、僕のせいで無理させちゃったし……」


「……もしかして、隊長の負担を考えて、実験を休みにしたのですか?」


「いひひ……それもあるけど、本音を言うと、僕がちょっと心折れかけている。僕、昔から人に嫌われるから……隊長に嫌われるのも、仕方ないんだけどね。ひひひ……」


 アルカナの声は、明らかに落ち込んでいた。思うところがあったのか、レクティタは音を立てぬよう机の下から顔を出し、気まずげに扉側を見る。

 アルカナは前髪を一度指で梳いたあと、小さくため息を吐いた。


「………怖がっている子供が無理しているの、可哀想で見てられないよ……心が痛む」


「アルカナ……」


 ヴィースも、二人の負担が大きいのを自覚していたのか、アルカナの提案に大人しく同意した。


「そうですね、隊長には頑張ってもらいましたし、休んでいただきましょう。アルカナも、王都で羽を伸ばしてきては? 良い気分転換になるでしょう」


「いひひ……そうする。明日の夜の便に発つから、その前に荷造りして、兄様への手土産も買わないと……」


「私もエルとヴェンに差し入れを持っていくところなんです。フォルムでおすすめの店はありますか?」


「ああそれなら、良い酒を揃えている店が……」


 ヴィースが机の前から離れ、本を抱えたまま扉を開けた。もう用は済んだのだろう、雑談をしながら三人は部屋から出て行った。

 レクティタはそんな彼らを見届けてから、机の下から出る。服で隠していたゴーイチを外に取り出せば、丁度透明の魔法が解けた。

 ゴーイチが危なかったねとレクティタに声をかけるも、彼女は扉を見つめているままだ。レクティタは眉間に皺を寄せて何度か唸ったあと、決心した顔でゴーイチに話しかけた。


「ゴーイチ、ちょっと協力してほしいことが」


『イイヨ、ナニスルノ?』


「うん、あのね……」


 レクティタはヴィースの部屋に備え付けられている、自分の学習机に座り、字の練習に使う紙と鉛筆を取り出した。


「作戦かいぎ、です」



*****



 翌日の夜、アルカナは大きなトランクバッグを持ってシルヴィウス領の北にある港に来ていた。船の夜行便で王都に移動するためである。


「それじゃあ、ワシは帰る。船上は揺れるから、酔い止め飲むのを忘れるなよー」


「ひひ、ありがとう、フトゥ。……うぐ、お、重い……」


 オルクス砦から運んでくれたフトゥを見送って、アルカナは船に向かった。

 帰りの荷物も考えて、彼は手持ちの中で一番大きいトランクを持ってきていた。子供一人なら座って入れるほどの大きさだ。片手では持ち上げられなかったため、両手を使って運ぶ。


(荷物、そんなに詰めたっけ……魔導書はやっぱり置いてくるべきだったかな)


 船の中で読もうと数冊魔導書を入れたのが失敗だったのかもしれない。そのせいでフトゥにも重いと文句を言われていた。

 上背はあっても貧弱なアルカナにとって、これを運びながら波止場に向かうのは一苦労だった。よろよろと歩きながら、何とか手続きを済ませて船に乗る。

 割り当てられた客室に案内されてようやく、アルカナは一息付くことができた。


「お、重かった……フトゥに個室を頼んで正解だった……」


 今朝、フトゥに乗船券の購入を頼んだのだが、運良く個室が空いていたのだ。一等室であったため値段は張るが、裕福な伯爵家で育ったアルカナは気にしなかった。

 整えられたベッドへ腰掛け、足元に荷物を置く。丸めた猫背を伸ばして、酷使した肩をぐるぐると回した。

 しばらく身体を労わっていれば、出発を合図するベルが聞こえてきた。グラスター王国の船の動力源はもちろん、魔法である。他国であれば汽笛が使用されると、アルカナは知識で知っていた。


(蒸気……)


 アルカナはベッドへ寝転んだ。彼の腰まである長髪が、シーツの上に広がる。

 昨日のアールの仮説が、アルカナの胸に引っかかっていた。


(僕達の身体が魔力を何かに変換してから魔法にしている、か。他国の人間じゃなきゃ出てこない発想だ。魔法使いにとって、魔力が魔法になるのは当たり前すぎて気づけない)


 ベッド越しに、船の不安定な揺れが伝わってきた。それとは別に、足元で鞄が不自然にガタガタと動いているのだが、思考の海に入ってしまったアルカナの耳には届かなかった。


(ならば何故、僕達は万全の状態で魔石を使えない? 魔力を何かに変換するのに、魔力量が関係ある? 魔力切れではないと使えない、なんて……)


 無意識にため息を吐いたその時、アルカナは自身の肺の動きで、はたと閃いた。


(逆か? 魔力が無くなったから、吸収・・した?)


 アルカナはがばりと飛びあがった。振り子のようにぐらぐら揺らめくトランクには、まだ気づかない。


(単純な話だ。魔力量に上限があるなら、それを超える分は体内に保有できない。そして、無くなったらそれだけのマナを補充する)


 彼はいつものように猫背になり、膝に肘を付いて考えに耽る。


(消費したマナは体内で作られ補充されているのが、今の通説だ。だから、魔力切れになったら休むのが基本。時間を置けば魔力量は元に戻る。だけど、あの本の通り、大気中のマナを取り込んで魔力を回復できるのなら──外部の魔力を吸収する器官が、僕達にあるはずだ)


 と、そこまで考えて、アルカナは天井を仰いだ。


(……穴だらけ。体内にそんな器官があるなら、人体解剖ですぐ気が付く。外国人と身体の臓器が違うなんて話、聞いたことが無い。魔石から魔力を吸収するのだって、どうやって? 皮膚から直接? イメージが湧かない。第一、そしたらなんでレクティタ隊長が魔法を使えて……)


 己の仮説をすぐさま否定していると、足元のトランクが船の揺れで倒れた。

 がたん、と重い音を聞いて、ようやくアルカナは現実に戻ってくる。


「……あ、酔い止め。飲まないと……」


 フトゥの忠告を思い出して、アルカナはベッドから降りる。

 リーベルから貰った薬はトランクの中だ。鞄の傍でしゃがみ鍵を外した瞬間──ばんっ!、とトランクがひとりでに開き、アルカナの顔に勢いよくぶつかった。


「~~~~~っ!? い、いたっ……!? えっ、な、なにが──」


 蝶番が鼻に当たり悶絶する中、開いた鞄から飛び出てきた人物を見て、アルカナは固まった。


「ひぃ、ひぃ……よ、ようやく出られた……ひものになるところでした……」


 一つに結んだ金髪に、大きな青い瞳。舌足らずな喋り方に、隊員達に影響された言葉選び。トランクの中が暑かったのか、天真爛漫な性格は、今は顔を赤くして参っている。

 対して、徐々に事態を把握したアルカナは、段々と顔を青くしていった。


『レクティタ、アルカナ、キヅイテル。セリフ』


「わわわ、わかってるもん! こほん……ア、アルカナ。れ、レクティタは、アルカナのこと、嫌いじゃないから!」


 アルカナの腰ほどもない幼き隊長──レクティタは、胸に小さなゴーレムを抱えながら、彼と顔を合わせた。

 ぎこちない笑顔で、アルカナに告げる。


「旅はみちづれ、世はなさけ! レクティタ、アルカナと魔法がくいんに、同行します!」


 かくしてアルカナは、鞄に忍び込み勝手に付いてきたレクティタとの旅が、強制的に始まったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る