第33話 学徒ネイオニーの推測
「キルクルス先生。ネイオニー・トゥ・レースです。ご質問があって、お伺いしました」
研究室の扉を叩いてきた訪問者に、私は入室の許可を出した。
授業の鐘が全て鳴り終わった放課後。太陽が沈み、月の輪郭が明確になる頃に、その生徒は
今日もまた、彼女は立てつけの悪い扉を開けて、「失礼します」と小さく会釈をしてきた。
高等部三年生、ネイオニー・トゥ・レース。
黒髪で青い瞳が特徴的な少女だった。十四歳である彼女は、学院の飛び級制度を活用し、通常五年かかるカリキュラムをたった二年と八か月で修了した。現在は卒業までの間にできるだけ魔人について調べているらしい。将来的には、彼らの魔法を完璧に再現したいそうだ。
「先生、今日もお時間をいただきありがとうございます。申し訳ありません、ここのところ毎日通い詰めて……」
「構わない。無知を恥じぬ生徒に授業を行う苦痛に比べれば、君への答弁はティータイムのようにくつろげる時間だ。私にとっても、息抜きに丁度良い」
私は吸っていた煙草を灰皿に押し付け、新しいのを取り出し火を点けた。
世辞では無い。もとよりネイオニーは、わずか十二歳でグラスター王国最高峰の教育機関、王立魔術学院に入学した才女。卒業後は宮廷魔法使いとして城へ仕える予定だ。学院の成績も優秀だった彼女なら、そう遠くないうちに、希望の研究所へ内定を貰えるだろう。
ネイオニーは「そういうことを仰るから、先生の授業は不人気なんですよ」と、肩口に切り揃えた髪を揺らして笑った。生徒から嫌われている自覚はあったため、私は特に気に留めなかった。
雑談はこれくらいにして、本題に入る。ネイオニーが持ってきた魔導書の題名を盗み見た。学生時代一読したことのあるその本に、微かに目尻が引き攣った。
「――それで、今日はその、魔力量と回復速度の相関関係について、質問しにきたのか?」
「はい。一通り拝読したのですが、どうしても気になる点がありまして」
ネイオニーは椅子に座っている私にずいっと近づき、今日の議題である該当ページを開いた。
「単刀直入にお尋ねします。魔力が無くとも、魔法は発動できますよね? なぜ誰もそれを実証しないのですか」
「………」
私は静かに紫煙を吐いた。回答をはぐらかすよう、大して吸っていない煙草の灰を、皿へと落とす。
「確かに、その本の内容が正しければ、理論上可能になる。魔法発動時、魔力は消費されると同時に
面倒な物が見つかってしまった。煙草を吸い、目の前の生徒にどう教えるべきかと頭を悩ませる。
ネイオニーは行儀よく私の話の続きを待っていた。その大きくて青い瞳が、じぃっと私を見つめて離さない。鏡の前にいるような居心地の悪さに、私は両手を上げて白状した。
「おおむね君の予想通りだよ、ネイオニー。実証しないのではなく、実証できない。魔力が無くとも魔法が発動できれば、グラスター王国の根幹が揺れる。その説が唱えられたのは約半世紀前、王国が魔法の猛威を周辺国に振るっていた頃だ。その著者が主張している、空気中に漂う魔力や魔石で魔法を使えるなど、認められない。王国の優位性を保つために、認めてはいけなかった。そのような政治的な背景から、現在の『王国魔法は詠唱と魔法陣によって効率化でき、魔力消費量を抑えられる』という定説に繋がっている。実際、魔石を使用した魔法は発動できていないことから、その魔導書は眉唾物だと唾棄されていたが……」
私は、ネイオニーと目を合わせた。
身内のせいで、例外に分類される人間の思考を予想するのは得意だった。
「試したな?」
「はい。可能でした。魔石を使用した、魔法の発動が」
舌打ちを飲み込むため、煙草を深く吸った。喉を通って肺が紫煙に満たされる。頭を冷やすため煙を吐き出している間、ネイオニーが聞いてもいないのに話の補足をしてくる。
「現在の定説通り、通常時――魔力を保有している間は、魔石を使用しても魔法は発動できませんでした。そのため、わざと魔力切れを起こし、魔力の保有量をできる限りゼロに近づけてから、同様に実験しました。とりあえず百回ほど試してみた結果、小数点第三位以下の魔力量なら確実に魔法が発動できました。完全に魔力がゼロなわけではないので、試料として不十分ですが、ひとまず、この魔導書の内容は信頼に値するかと――」
「ネイオニー、そこまでた。それ以上は、口にしないのが身のためだ」
どうしてこう「天才」と呼ばれる人間は皆命知らずなのか。末っ子の三男坊を思い出して、にわかに頭が痛くなる。
「私の身内は君と似たようなことを考え、王家への叛逆ともみなされる行為を実行してしまった。今、彼は生家からほぼ絶縁され、分家に預けられている。魔法軍に入隊する予定らしいが、出世は望めないだろう。本来なら歴史に名を刻めるほど優秀であるに関わらず、だ。彼の二の舞を踏む必要はない、ネイオニー」
「……弟さんのことですか。あの、最年少十歳で入学して、わずか二年で卒業したという、無詠唱で有名な」
「あいつの唯一誇れる功績だな。無詠唱については、ただ単に詠唱嫌いを拗らせていただけだが」
無意識に、ため息を吐いてしまった。すぐ我に返り、話題を元に戻す。
「とにかく、これ以上その件は口にするな、実証するな。時には、見て見ぬふりも必要な場合がある。それが、今だ」
「ですが」
「ネイオニー」
「……わかりました。その件については、明日から忘れると約束します。ですが、今日だけ、許してください。私が先生の意見を聞きたいのは、ここからなのです」
ネイオニーは机の上に半分身を乗り出し、私へ訴える。
強烈な意思が宿るその青い瞳は、私を映しているが、私を見てはいない。私の背後を捉えている。
私ではなく、彼女が望む未来を、見ているのだ。
「魔人の魔法を再現するために、一番手っ取り早い方法は、魔人の血を濃くすること。魔人に近づければ近づくほど、当然ですが彼らの魔法が再現可能になります」
希望と自信に満ちたその目を向けられるのは、初めてではない。何度も何度も弟から向けられてきた目だ。私が凡人であると大いに見せつけられた、あの瞳。
「ではどうやって魔人になるかという話しですが――そこで、先程の魔力量の話が絡んできます。現在、王族や貴族の魔力保有量は、平民の半分ほどです。そして、面白いことに、過去の記録を遡っていったら、王族や貴族の魔力量は世代を経つにつれて増えていってます。魔人の血が薄くなるに反比例して、個々の魔力保有量が多くなっているんです」
ネイオニーは私の意見を聞きたいなどと言ったが、厳密には違う。
彼らにとって、これは確認作業。答え合わせに過ぎない。
凡人の私にですら、理解しえることという。想像し、実現できるという、確信を得るためのものに過ぎない。
「魔力量が多いほど魔法を数打てる固定観念があったため、想像し辛かったのですが……先ほどの魔力切れでも魔法が発動できた点と、王族の魔力保有量を踏まえると――魔人は、魔力を保有していなかった、体内には必要としなかった可能性が高いです」
傍から見れば、私は天才共に体よく使われている男だ。
だが怒りは無かった。嫉妬など、湧くはずもない。
目が眩んでいるのだ、彼らは。
「魔力は血液のように全身を巡っていると考えられています。ねえ、キルクルス先生、私の推測に、意見をください――」
「可能性」という名の夢に、目が眩んでいるのだ。
そんな彼らを、私は。
私は――
*****
「………」
冷や汗を大量に掻き、真夜中に目が覚めた。
寝間着が背中に張り付いて気持ち悪い。湯のみをしたかったが、こんな夜更けに使用人を叩き起こすのは忍びない。
私は仕方なくベッドから出て、机に置いてある手紙を取った。
今日の不眠の原因であり――かつての教え子を今頃になって思い出した、思い出させる文面だった。
差出人はここ数年は連絡を取っていなかった弟、アルカナからだ。
『拝啓 親愛なるエフォリウス兄様へ。大至急、学院に保管されている「魔力量と回復速度の相関関係」の魔導書、及び関連書をオルクス砦にまで送ってください。このことは父上とプラウディタ兄様には内密にお願いします』
時候の挨拶も形式も何もない、用件だけを簡潔に述べた内容。その一行だけ空けた後に、素朴な疑問が書かれていた。
『追伸 エフォリウス兄様は、まだ魔人について研究なさっていますか? もしよろしかったら、今度意見交換したいです。色よい返事を待っています』
「………」
九年前のあの頃。
ネイオニーが私に意見を仰いでいたのは、私が魔人を研究していたからだ。
今は、それなりに実績を積み、研究者として食べていけている。次男ゆえに伯爵の爵位は継げずとも、研究が認められ、ある子爵家の婿養子となった。妻もいる、子供もいる。凡人なりに、幸せな人生を歩んでいた。
天才な彼らと私の決定的な違いは、夢を見ているか、現実を見ているか、だ。
あの日のネイオニーの言葉を思い出す。
『キルクルス先生、答えてください。意図的に、魔力を体の一部に流さないようにすれば――』
夢の輝きに目が眩んだ若き少女は、奇しくも弟と同じ発想に至った。
『魔人の能力を、再現できるのではないのでしょうか』
その発言がどのような未来をもたらすか、私は知っていた。
だが、時には己の身を守るため、都合の悪い現実に見て見ぬふりをする必要がある。
あの時が、そうだった。
私は、彼らを見て見ぬふりすると、決めたのだ。
アルカナから届いた手紙を、私は煙草を点けたついでに、その火で燃やした。
*****
ここから新章になります。今回はアルカナのターンです。
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