第20話 裏側の事情
三十年の人生の中で、アンバーが動揺したのはただ二度だけだった。
一度目は、己の師でありながら父でもある先代が、分家ごときの暗殺者に殺されたこと。二度目は先王ルキウスがただの風邪を拗らせて急死したこと。
人殺しを稼業としている因果か、それとも暗殺者の家系といえどやはり人の子だからか、アンバーが心の底から驚かされたのはどちらも人の死に関わる出来事だ。
そして、人生で三度目の動揺をしている今もまた。
人の死が関わっていた。
「ジジイ相手に過激じゃのう」
ただし、今回は「見知っていた人物が思いかけずに死んだ」ことが原因ではなく――
「ああ、痛い痛い。まったく、最近の若者は乱暴者ばかりじゃ」
確かに殺したはずの男が、死んでいなかったからだ。
アンバーは確実に首の動脈を切った。絶命の声すら出せないほど深く、正確に。
その証拠に血は派手に吹き出た。アンバーの手もまた血まみれとなった。今もなお赤い液体はどくどくと流れ続けている。
だというのに、
「さっきから鬱陶しかった奴は、お前かあ」
フトゥはその目を三日月に細め、首をのけぞらせて、アンバーを覗くように見上げていた。
人体の構造をしているならば不可能な発声は、低音と高音が混ざり合い、歪に反響してアンバーの耳へ届く。人外の言葉に、彼の脳が警鐘を鳴らした。すぐさまフトゥから離れたくても、思うように足が動かない。べっとりと手に付いたフトゥの血が、アンバーを逃がさないよう蠢いて見えた。
「ああ、よかった。画材は無事じゃ。新品のおもちゃが汚れたら可哀想じゃからのう。まあ、服は血だらけなのじゃが」
お前の服に着替えれば問題ない、と。
フトゥは何てことないように言って、ケタケタと笑った。
「そう怯えるな。まだ殺しはしない。聞きたいことは山ほどあるし、第一、勿体ない。こんな血気盛んな若者なのじゃから」
フトゥが口角を上げる。
彼の口の端には――先ほどまでは無かった、牙が二本も、生えていた。
「さぞやその血は、美味いはずじゃ」
*****
「んー、想像より微妙な味じゃった……」
汚れた服を脱ぎ捨て、フトゥはアンバーからはぎ取ったシャツに着替えた。喉の傷はすっかり塞がっており、彼の身体にはかすり傷一つ見当たらなかった。
小難しい顔をして唇を舐め、目の前で気絶している暗殺者を見下ろす。ごっそり血を引き抜いたので、丸一日は目を覚まさないだろう。フトゥは腕を組んだ。
「こ奴は後で回収するとして、先にヴィースと合流せんといかんな――て、あっ。そうだ隊長」
今更ながらレクティタを一人にしてしまっていることに気付いたフトゥは、慌てて路地裏から出て幼き隊長を探した。
「まずいまずい。迷子になって泣いているかもしれん」
手をかざしながら大通りを見回す。が、ただでさえ人が多い大通りで、大人の腰ほどしかないレクティタを見つけるのは至難の業だ。蝙蝠になって周囲を散策すべきかとフトゥが考えた矢先、やけに憲兵が多いことに気が付いた。中には見知っている顔もいる。フトゥは彼らに声をかけた。
「どうしたんじゃ、この騒ぎは」
「あ、フトゥさん。いらしてたんですね」
何度か魔物討伐でやり取りしたことがある男が、フトゥの疑問に答えた。
「どうやら揉め事があったようで。ここらでは俺らも手を焼いているゴロツキ三人組と、曲芸師の男が女の子を巡って喧嘩したらしいです。結局、曲芸師が女の子を抱えて逃げたため、ゴロツキ共も追いかけまわしているとかなんとか」
「曲芸師? あそこで芸を披露していた男のことか?」
「ええ、そうですが……知り合いですか?」
「いや」とフトゥは首を横に振った。変身の達人である彼は、その鋭い観察眼から曲芸師の正体――シルヴィウス伯の弟であることを見破っていたが、今はそれどころではない。フトゥがレクティタのことを尋ねる前に、憲兵が「それより、部隊の方は大丈夫なのですか」と耳打ちしてきた。
「大丈夫、とは何の話じゃ」
「商会との取引ですよ。ほら、例の王女について、色々揉めているじゃないですか、王都。それで商人達がジェロイ王に目を付けられたくないからって、支援を打ち切る話があがっているとかなんとか」
「うーむ……それが本当ならまずいのう。が、それはヴィースに任せる。ワシは今、連れを探すのが先じゃ」
重要な情報に後ろ髪を引かれるも、フトゥは無理やり話題を変えた。「金髪で青い瞳の、これくらいの幼子を見かけなかったか?」と腰辺りに手で線を引けば、男は申し訳なさそうに首を横に振った。後ろを振り返り、同僚に尋ねれば、一人が「えっ」と青い顔になる。
「その、探している女の子って、五歳ぐらいで、シンプルなワンピースを着た……」
「おお! まさにその子じゃ! なんじゃ、ちゃんとお主らのところに保護されておったか」
安堵するフトゥを、男はおずおずと否定した。
「いえ、あの、その女の子……」
「? なんじゃ?」
「先ほど、曲芸師と逃げた子の特徴と一緒だったので。もしかしたら、今もまだゴロツキから逃げているのかも――」
男の話を聞いた直後、フトゥは蝙蝠に姿を変え、目にもとまらぬ速さで上空へと飛んで行ってしまった。
残された憲兵達が状況を呑み込めず顔を合わせていると、蝙蝠が一匹だけ戻ってきて、顔見知りの憲兵に持っていた荷物を押し付ける。
「ちょっとこれ預かっておいてくれ。汚したら怒られるからな」
「は、はぁ。構いませんけど」
「そういえば、あそこの路地に変質者が転がっておるから、ついでに捕まえておいてくれ」
「えっ、何の変質者ですか」
「ワシを襲ってきたのじゃ。愛らしい少年に興奮するタチなのじゃろ。あとでワシらの方で引き取るから、厳重に縄で縛っておいてくれ」
それじゃあよろしく頼む、と言って、残りの一匹も去って行ってしまった。
今度こそ取り残された憲兵達が、子供用の絵描き道具を見て「フトゥさんのツレって子供だったのか。珍しいな。なんでだろう」「案外、例の王女様だったりして」「王族がこんなところに遊びに来るわけねえだろ。さ、俺達も行くぞ」と各々好き勝手言ったあと、仕事を再開した。
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