第21話 予兆
一方レクティタ達は、風の魔法を使ってもなお、ゴロツキ達から逃げ切れていなかった。
「あー! もう! しつこいな!! いい加減諦めろよ!!」
アヴェンチュラことヴェンは、肩で息をしながら、屋根に登ってまで追いかけてくる彼らに悪態を吐いた。
幸か不幸か、走っている場所は建物が密集している居住区だ。逃げ道が多く着地を狙われるのが少ない反面、相手も数の利を活かしやすい。
現に今、レクティタ達はゴロツキ達に誘導され、屋根の上で挟み撃ちされてしまった。前方からも現れた男に、ヴェンはレクティタを抱えながら、じりじりと端まで後退する。掠れる視界で下を見れば、濁った川が流れていた。下水道だ。周囲には家具などのガラクタが好き勝手置かれている。抱えていたレクティタが、ポケットに入れていた小袋を見せてきた。
「へへ、ここまでだぜ」
「こっちも100万ルドがかかっているんだ。そう簡単に諦めねえよ」
「さて、その子供を渡してもらおうか」
それぞれナイフを構えながら男達が迫ってくる。ヴェンの頬に汗が伝う。彼は力なく笑った。
「レクティタちゃん、水は平気? 結構汚いけど」
「うん! がんばります!」
男達に聞こえるように言った後、ヴェンは屋根から飛び降りた。姿が見えなくなった二人に、「まさか!」とゴロツキの一人が慌てて地上を見下ろす。濁った川の水面にドボンと波が立った。男がうげえと舌を出す。
「あいつ下水に飛び込みやがった! くそ! おい、追いかけるぞ!」
「まじすかぁ!? あそこ滅茶苦茶臭いんですよぉ!」
「鼻ぶっ壊れちまいますよアニキ!」
「うるせえな! 俺だってわかっているっての! 100万ルドのためだ!! つべこべ言わずに行くぞ!!」
リーダー格の男が喝を入れれば、他の二人は渋々と従い、彼らは屋根から降りて行った。
話し声や足音が完全に聞こえなくなってから、レクティタ達は川の周りに置かれているガラクタから姿を現した。レクティタが小銭の入った小袋を川に投げ、自分達はガラクタの中に身を隠していたのだ。
「悪い、財布を捨てさせちゃったな。あとで弁償するよ」
「気にしないでください。レクティタ、ヴェンお兄さんに助けてもらっている身。このていど、必要けーひです。お金はまた、もらえばいいのです」
「ハハ、器がでかいなあ。将来が楽しみだ」
ヴェンはガラクタの間から出ようとしたが、立ち上がった瞬間眩暈を覚えふらついてしまった。目を抑えガラクタに寄りかかった彼を見て、レクティタが慌てて駆け寄る。
「だいじょうぶ!? ケガしたの!?」
「いや、ケガじゃない。魔力切れだ。ちょっと派手に使いすぎたな……」
ヴェンは青白い顔で、力なく説明した。人差し指に小さな渦巻きを発生させてみるが、すぐに消えてしまう。額に汗をにじませながら、レクティタに伝える。
「ごめん。もう魔法で逃げるのは無理みたい。ここからは普通に歩いてもらっても大丈夫?」
「へいき! レクティタ、歩くの得意。こんどは、レクティタが、ヴェンお兄さんまもる番」
レクティタは服の汚れを軽く払ってから、胸を叩いた。足取りの覚束ないヴェンの手を引き、足場の悪いガラクタ置き場から離れ、張り切って道を先導する。
「こっちだっけ」
「反対だね。こっちだ」
早速曲道を間違いそうになるレクティタに苦笑しつつ、小さな背丈でぴょこぴょこと歩く彼女の姿に、ヴェンは思わず笑みをこぼした。後ろからの笑い声に、レクティタが首を傾げて振り返る。
「ああ、ごめん。甥っ子がレクティタちゃんと同じくらいだったと思い出して、つい」
「おいっこ、てなに?」
「甥ってのは、自分の兄の息子のことを指すんだ。近しい身内の呼び方の一つだよ」
「お兄さんがいるんだ。レクティタと一緒。レクティタも、レオ兄さんって優しいお兄さんがいる」
「へえ、仲良いの?」
「うん! レクティタ、レオ兄さんは好き! 優しいから! ヴェンお兄さんも、お兄さんと仲いいの?」
「うーん……普段は悪くないけど。今は喧嘩中なんだよね……」
ゴロツキ達を撒けて気が緩んでいるのか、二人は会話をしながら居住区の入り組んだ道を進んだ。ヴェンの曇った表情に、レクティタがしたり顔で腕を組む。
「ほうほう、きょうだいケンカとは。ただごとではありません。おやつのプリンでも互いに奪いあったのですか?」
「俺も兄さんも甘いの好きじゃないからプリンで喧嘩はしないかな。全然違う理由。子供にはわからない話だよ」
「子供じゃない! レクティタ、もう五歳!」
「ハハハ、五歳は俺からしたらまだまだ子供だよ。でも、そうだね。さっきの財布のお詫びに教えてあげる」
近道である人気のない路地裏で、さらに声を低くしてヴェンが言った。
「俺は兄さんのことを信じていても、兄さんは俺のことを信用してくれてなかったんだ」
居住区を抜ければ、目的地の建物はすぐそこだ。そこはシルヴィウス伯が経営している店の一つ。確実に安全な場所であるが、ヴェンは無意識に足取りが重くなった。
「王政の危うさ、周辺国の発達、科学の台頭……留学中に学んだことを伝えても、乗っている泥船を指摘しても、兄さんは俺の意見に賛成してくれなかった。だから、それに腹立って、部屋壊すぐらいの喧嘩をして……」
「お兄さんをケガさせちゃったのですか……」
「いいや、ボコボコに返り討ちにされたよ。しかも『口先だけのお前を信用できるわけない』って言われて、俺も兄さんを臆病者やら時代遅れやら結構罵っちゃって……最終的に、屋敷を飛び出してきちゃったわけだ。もうとっくに手持ちの金なんて尽きちまったけど、合わせる顔なんてないからさ。今日みたいに旅芸人の真似をして路銀を集めているってわけ」
自虐的な笑みを浮かべるヴェンに、レクティタは眉尻を下げた。
「お兄さんと仲直り、したくないの?」
「できるもんならしたいけど、無駄だよ。今の俺が何を言ったって、聞く耳を持ってくれないんだから。仲直りしたって、また同じことを繰り返すだけ。だから、無駄なんだよ――とまあ、俺の話はここら辺にしておいて。さ、そろそろだ」
ヴェンは重くなった空気を変えるよう、明るい声を出し手を叩いた。二人は路地裏から人の多い大通りに出る直前だった。ヴェンは膝をつき、レクティタの肩越しに目的地の店を示した。幼いレクティタからも一目でわかるほど、背が高く厳かな建物だった。
「あれなに?」
「あれは金持ち用のぼったくり
「一緒にいかないの?」
「ごめんね、喧嘩中だから会いたくないんだ。代わりに時計を渡すから、ドアに立っている人に見せて俺の名前を言いなさい。そうすれば保護してくれるはず――」
ヴェンが名前入りの懐中時計を出そうと懐を探った直後、上から「見つけたぜーー!!」と三つの影が降ってきた。ヴェンが「しまった」と逃げようとするも遅かった。屋根から飛び降りてきたゴロツキ達が地面に着地し、二人を包囲する。
見知った顔の男三人に、レクティタが鼻を抑えて絶叫した。
「ぎゃーーーー!! なぜここに!? あとくさい!! すごくくさい!!」
「臭いのはお前らのせいだろうが! よくも下水に流されたフリなんかしやがって!!」
「おかげで服に匂いが残っちまった。屋根に落としたナイフを取りに戻っていなかったら、もっと酷い有様になってたなあ」
「そんで、のろのろ歩くお前らを上から見つけたわけよ。こりゃあ治療費も上乗せ請求だ。運が良いことに、そっちの男はシルヴィウス伯の弟らしいしなぁ!」
ゴロツキの言葉に、ヴェンがぎくりと身体を強張らせた。先程のレクティタとの会話を盗み聞きされたのだろう。咄嗟に風の刃で男を切りつけようとするも、魔法は目標に届く前に霧散してしまった。ヴェンが反動で膝を付く。
「無理すんなよぉ、その様子は魔力切れだろ? これ以上魔法を使うとぶっ倒れるぜ、アヴェンチュラ様ぁ」
「捕まえれば100万ルドのガキに、身代金ガッポガポのお貴族様! 今日は最高にツイているな~」
「へへへ、大人しくしろよ……反抗しなければ殺しはしねえから」
ゴロツキ達がじりじりと距離を縮めてくる。レクティタは動けないヴェンを庇い、両手を構え戦う姿勢を取った。
「レクティタちゃん……キミは逃げて……」
「やだ! レクティタ、おんを返すおんな! ここで逃げるのは、隊長として、はじ! さあ、かかってこい、です!」
レクティタは威勢よく啖呵を切った。ゴロツキの一人が「健気だねえ」とレクティタの目の前まで近づく。圧倒的に己より大きい男の存在に、本能的に怖気づいてしまうも、レクティタはヴェンの前から退かなかった。
(レクティタも、魔法がつかえたらよかったのに)
涙目になりながら、レクティタは先日盗賊団を撃退したヴィースの姿を思い出す。
(ヴィースみたいに、魔法がつかえたら……)
服の下に隠してある、ペンダントを握る。
(あんな風に――)
己の手足のように、自由自在に、火を操れたら。
目の前にいる男達、全員を――
(――
無意識に、伸びてくる男の手を、レクティタが睨めば、
――その視線の先で、火花が散った。
「あ?」
「えっ?」
男もレクティタも驚いて、一瞬呆けた。そのときだった。
「? おい、どうした――ぎゃっ!!」
仲間の不審な動きを案じて一人が声をかけた瞬間、大量の蝙蝠が男達を襲った。
「うわ!? なんだ急に――!?」
「いてて!! こいつら噛んできやがっ……た……」
「うぐ、意識が……」
頭上から降ってくる蝙蝠を振り払う前に、ゴロツキ達は首を噛まれる。次々と倒れていく男三人にレクティタとヴェンが呆然としていると、蝙蝠達は一か所に集まり、少年の姿へと変わった。保護者の登場に、レクティタはすぐさま駆け寄った。
「すまん! 隊長、無事じゃった――ぐえっ!!」
「おじーちゃん! どこ行ってたの!! かってにはぐれちゃダメでしょ!!」
腹目がけて体当たりしてきたレクティタをフトゥが何とか受け止める。レクティタは涙を零しながら、ぐりぐりと頭を擦り付けて不満を訴えた。
「レクティタ、たいへんだったんだから~~!! もうまいごになっちゃダメだからね~~!!」
「すまんすまん。ちょっと変質者に絡まれてな。よしよし、怖かったな、隊長」
「怖くなかったもん! レクティタ、そんなやわじゃないもん! はがねのこころのもちぬし! ガラスのハートとはきたえ方がちがうのです」
落ち着けるように頭を撫でてやれば、レクティタはフトゥの服で涙をぬぐい、顔を上げた。目元を赤くしたまま、後ろで膝をついているヴェンを示す。
「それに、ヴェンお兄さんがたすけてくれたので、ことなきをえました。ヴェンお兄さん、本当にありがとうございます。こちらは、フトゥおじーちゃん。レクティタの部下です」
「……部下、だって? この、魔法使いが?」
フトゥの登場から、ヴェンは顔を強張らせていた。「レクティタって、まさか……」と呟けば、フトゥが頷いた。
「知っているようじゃな。話が早くて助かる。お主が気づいた通りじゃ」
フトゥは地面に膝をつき、レクティタの手を取った。
「この方が、我らが第七特殊部隊隊長、レクティタ殿下だ。隊長を助けていただき感謝する、アヴェンチュラ殿」
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