第4話 新隊長レクティタの活動方針
王国魔法軍第七特殊部隊に新隊長レクティタが就任して、翌日。
レクティタはパチリと目が覚めてしまった。
その時刻、なんと朝の四時。鶏の起床時間と同じである。
(ここは)
寝ぼけた頭で、きょろきょろと周囲を見渡す。見慣れない部屋だった。壁は煉瓦が剥き出しで、家具も最低限しかない。だが古びている割には掃除が行き届いており、母と過ごした離れの一室よりも広く、清潔感があった。
(そうだ。オルクスにきたんだった)
徐々にレクティタの目が覚めてくる。昨日、早めの昼食を取ったあと、長旅で疲れていた彼女は寝てしまったのだ。夢も見ないほどぐっすり眠ったおかげか、身体が軽い。元気いっぱいである。
欠伸をしながら背を伸ばす。窓から入ってきた白い光に目を細め、ぼんやりと昨日のことを思い出した。
(隊長。レクティタ、隊長になったんだ)
灰色のカッコいいお兄さんや、鍋を被ったお姉さん、お爺さんみたいな喋り方するお兄さん、お化けみたいな人、顔は怖かったけど優しいお兄さん。
昨日、一緒にご飯を食べてくれた人達が、自分のことを隊長と呼んだ。殿下、とも言っていたけど、意味はよくわからない。離れのお屋敷の人達はいつも「あれ」や「それ」とか、「出来損ない」って呼んでいたから。レクティタの名前をちゃんと言ってくれたのは、死んだお母さんと、レオ兄さんだけだった。
でも、ここの人達は、王妃様の人達とは違う。意地悪じゃない。皆、優しい。
だけど、怖い。
そんな優しい人達に見放されたり、追い出されたりしたらどうしよう。呆れられて、意地悪になったらどうしよう、と不安になる。
だから、レクティタがここにいるためには、「隊長」を頑張らなくちゃいけないんだ――と、そこまで考え、彼女はこてんと首を傾げた。
(でも、隊長って何をするんだろう)
それはそうと、喉が渇いた。彼女はのそのそとベッドから降り、サイドテーブルに置かれていた水差しを手に取る。こくこくとコップ一杯分の水を飲み干し、一息ついた。
(隊長。隊長の、おしごと)
レクティタはうーんと唸る。
彼女は隊長という役目を正確に理解していない。ただ、「仕事」をしなければならない、というのだけは、レクティタは感じ取っていた。
そして、特殊な立場である彼女にとって、「仕事」とは即ち「母や己の身の回りの世話」であった。
「おしごと、おせんたく……おそうじっ」
レクティタはハッと気づいた。
「――ふふ、レクティタのおはこ」
そして、彼女は誇らしげに口角を上げた。
皆が起きる前に、オルクス砦をピカピカに綺麗にする。皆感謝する。レクティタは褒められ、追い出されない。ついでにお礼に蜂蜜を使った料理をいっぱい食べれる。レクティタ、幸せ。大団円。
「ふっ、かんぺき」
レクティタは慣れない仕草で髪を手で払い、もう一度誇らしげに笑った。
そして、彼女は早速、掃除道具を見つけるため、廊下へ出ていった。
*****
ようやく書類仕事が終わり、顔を上げればもう既に朝だった。
置き時計の針が四時三十分を指しているのを見て、ヴィースはそっと目頭を抑えた。
「またやってしまった……」
集中しすぎると時間を忘れて作業に没頭してしまうのは、昔からの悪い癖だ。
キリがいいところまで、と大幅に狂った今後の予定を組み直そうと、手を出したのもいけなかった。
もともと、訳ありのレクティタに実務面での能力を、ヴィースは期待していなかった。だが、使えるものはゴミでも使って己の出世の道具にする彼は、政治的側面においてはレクティタの血筋と地位を利用するつもりでいたのだ。
しかし、実際に現れたのは五歳の子供である。まだ幼年学校にすら通っていない彼女を軍人として連れまわすのは世間体が悪い。年端のいかぬ子供を矢面に立たせるのか、とヴィースが批判されてしまう。寄越してきたのは国王なのに。理不尽である。
なのでヴィースはすぐさま、懇意にしてもらっている辺境伯や商人達の挨拶回りや根回しなど、あらかじめ立てておいた予定を全てやり直した。
その結果が、徹夜である。
(朝食まであと二時間。このまま起きておくか)
ヴィースは長く息を吐き、軋んだ音を立てて椅子から立ち上がった。顔を洗うため、外の井戸へ向かう。
廊下に出れば、ひやりとした空気が頬を撫でた。ヴィースはわずかに身震いし、部屋の扉を閉めて先へ進む。
廊下は薄暗く、静かだった。ヴィースの足音だけがコツコツと響く。早朝といえど、あまりの人気の無さに、そういえば戦争で死んだ軍人の幽霊が出るといった怪談があったな、とヴィースは思い出した。
よくある話だ。自分が死んだことに気づかず、砦を彷徨っているという噂。幽霊は死んだときの苦痛にずっと苛まれているため、泣きながら今はもういない同胞に助けを求めているという。
くだらない噂話だが、そんな怪談話ができる程度には、オルクス砦が平和である証拠だった。実際に戦争が起きて死人が出るよりは遥かにマシだと、ヴィースは手を擦りながら廊下を歩いていった。
「……ん?」
と、ヴィースは突然足を止めた。
廊下の角から、しくしくと啜り泣く声が聞こえてきたのだ。
助けを求めるかのような呻き声に、ヴィースは先程の怪談話を思い出す。
(まさか、本当に幽霊……)
そんな訳あるはずがないが、一応、賊である可能性も考慮し、ヴィースは戦闘態勢を取った。
いつでも炎が出せるよう、手のひらに赤い光を纏わせる。背中を壁にくっつけ、警戒しながら廊下の突き当りをそっと窺った。
その目に映ったのは。
「う、うぇ~~~~ん」
水浸しになっているレクティタの姿だった。
どこから取ってきたのか、傍にはバケツが床に倒れている。その周りの石畳もまた、濡れていた。
「……何をしていらっしゃるのですか、レクティタ隊長」
ヴィースは拍子抜けしつつ、手を振って赤い光を消した。徹夜の原因となった幼き隊長は、ヴィースの登場にびくりと肩を揺らし、持っていた雑巾を握りしめた。
「あっ! えっと……にんげんまっちお兄さん」
「違います。私の名前はヴィースです。こんな朝早くからどうしたのですか」
ヴィースが問いかけると、レクティタは俯き、目を忙しなく動かした。
「ご、ごめん、ひぐ、なさい……うぅ……お、おいださないで」
しゃっくりを上げながら謝るレクティタに、ヴィースは「怒っているわけではありません」と、できるだけ優しく言う。
「昨日も言った通り、私達はレクティタ隊長を追い出しなどしません。どうして、あなたが水浸しになっているのか、知りたいだけです」
「……お、そうじ、しようとしたの」
「掃除? レクティタ隊長が?」
「隊長の、おしごと、がんばろうと、おもって……」
(隊長の仕事が掃除ってどういうことだ)
ヴィースは疑問に思ったが、口には出さない。目の前の少女にとって余計な一言になると、判断したからだ。これ以上泣かれると話がこじれるため、黙っていた方が賢明である。
「へっくし」
レクティタがくしゃみで、ヴィースは我に返った。見れば、彼女の鼻は赤く、身体は少し震えている。びしゃびしゃの服を着ているままでは、体が冷えるのは当然であった。
「そのままでは風邪を引いてしまいます。ちょっと失礼しますね」
そう言ってヴィースはレクティタをひょいと抱き上げた。左腕に彼女を座らせ、右手を翳す。仄かな赤い光がレクティタの身体を纏い、一瞬、眩く光った。
レクティタが反射的に目を瞑り、少し経ってから恐る恐る開けてみると、濡れていた服が乾いていたのに気づいた。昨日の髪と同じく、魔法で乾かしたのだ。
「うわあ、すごい」
感嘆の声を上げるレクティタの頬に、ヴィースは持ち歩いているハンカチを当てた。布越しにじんわりと熱が伝わってくる。
「とりあえず、服だけ乾かしました。肌に直接魔法をかけると火傷する可能性があるので、お顔はこちらで失礼します」
「……ありがとう、ございます。ヴィース、さん。魔法って、べんりだねー」
「ヴィースで構いませんよ。敬語も結構です。疲れちゃうでしょう?」
先ほどまでの涙はどこにいったやら、レクティタは「わかった」と、えへへと屈託なく笑った。ヴィースは彼女の擦りむいた膝を見て、「魔法はなんでもできるほど、万能ではありませんよ」と会話を続けた。
「私の場合、使える魔法は炎のみです。濡れた服や髪を乾かしたり、寒い部屋を温めたりはできますが、傷を癒すことはできません。私の部屋に薬があるので、手当しますよ」
ヴィースは転がっていたバケツを拾うと、レクティタを抱えたまま自室へ戻った。
「ほうっておいても、だいじょうぶだよ。これくらい」
「ダメです。ばい菌が入ったら膿んでもっと酷い状態になります。それこそ、魔法で治す必要があるほどに」
足で自室の扉を開け、ヴィースは椅子にレクティタを座らせた。
「ケガを治す魔法つかいは、ここにいないの?」
「一応、アルカナが王国魔法を使えるので治癒できます。が、あの変態は詠唱を嫌っているので緊急事態でしか使ってくれません。普段は、リーベルが作ってくれた調合薬を使用しています」
レクティタに説明しながらヴィースは薬箱を取り出した。水で濡らしたハンカチで傷を洗ってから、薬を塗る。包帯を巻こうとしたらレクティタが嫌がったので、ガーゼだけ張って手当を終わりにした。
「うー、そのおーこく魔法でしか、ケガを治せないの?」
薬箱を片付けながら、ヴィースは答える。
「いえ、治癒が専門の魔法使いならもちろん、怪我を治せます。王国魔法は応用の幅が広いのです。異国や平民の魔法使いが一つの魔法しか使えないのに対し、王国魔法は魔法陣と詠唱さえ唱えれば、様々な種類の魔法が使えます。それこそ、私のような炎を出すことも、擦り傷を一瞬で治すことも可能です。ただ……」
「ただ?」
「……使い手が少ないのです。王国魔法が使える条件の一つが、王族の血が流れていること。王家の人間と結婚した昔からの貴族のみが、条件を満たします。新興貴族が歴史ある没落貴族から婿や嫁を欲しがるのも、たまに平民からも王国魔法の使い手が現れるのも、そういった理由からです」
「そーなんだ。ヴィース、ものしり。すごい」
「………」
ヴィースは返事に迷ったので、黙ることにした。レクティタは気にせず、膝に張られてガーゼをつんつんと指で突いている。
この程度、グラスター王国では一般常識である。ヴィースが特別物知りなのではない。レクティタが、世間を知らなすぎるのだ。王妃の離宮が世界の全てだった彼女にとって、それは仕方のないことであった。
(まだ五歳の子供だとしても……いや、だからこそか)
隊長の仕事を掃除と判断する当たり、レクティタがまともな教育を受けていないのは明白だった。加えて、偏った知識に、ヴィース達には未だ不信感が残っている。
だから、ヴィースは少し考えたあと、彼女に提案した。
「レクティタ隊長。副隊長として、一つ、仕事を頼みたいのですが」
「おしごと?」
レクティタはガーゼを弄るのを止めた。きょとんと目を丸くする彼女に、ヴィースは人差し指を立てる。
「部隊とは大抵、ある目標を持って活動するものです」
「うん」
「目標は言うまでもなく国境の警備ですが、それを達成するためには隊員との正確な連携が必要になります。そのためには、彼らのことを知る必要があります」
「ふむふむ」
「なのでまずは、レクティタ隊長は隊員達と親睦を深めましょう。それが、私が頼みたい仕事になります」
「しんぼく、ふかめる? けっきょく、何をするの?」
首を傾げるレクティタに、「ずばり」とヴィースは言った。
「職場交流です」
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