第6話 ルマ
「――で?」
床から上体を起こしたエイベルはこめかみを押さえた。
傍らには金髪の少女がすやすやと寝息を立てて眠っている。
「俺はまだ、幻覚を見ているんだろうか……」
窓から差し込む朝の日差しが少女の寝顔を照らす。
存在を確かめるようにそっとその頬に触れると、少女は「ん……」と声を出した。やがて少女はその手に頬ずりをして、微笑んだ。
「……」
エイベルは手を引っ込め、辺りを見渡した。千切れたロープも倒れた椅子もそのままだ。
いつ気を失ったのか定かではないが、どうやら床で一晩眠っていたらしい。
眠る前と唯一違っていることと言えば、エイベルの身体に真っ白なシーツがかけられていたこと。
エイベルは少女に視線を戻した。
「……まさか、君が?」
エイベルは少女の顔をまじまじと見た。その姿はよく見知った人の幼い頃の姿に瓜二つだ。
「君は一体……」
そのとき、扉がノックされ、濃紺の髪の男が部屋に入ってきた。
「おはようございます、エイベル様。今し方、来客があって――……」
そう言いかけ、エイベルの傍らに眠る少女の姿を見つけ、男は瞠目した。
「誰です!?」
「ロシュ、君にもこの子が見えてるんだ。じゃあ本当に幻覚じゃないんだ……」
ロシュと呼ばれた男は部屋に足を踏み入れ、少女の容貌を確認すると冷や汗を流した。
「……エイベル様。いくら傷心とはいえ、亡くなった方にそっくりな幼女を拐かすのはマズいです。元いた場所に返してきてください」
「違うよ。この子が勝手にやってきたんだよ」
「それを信じろと?」
ロシュはハァ、と深い溜め息を吐く。
このひと月の間、荒れに荒れたエイベルを間近で見てきたロシュにはそんな言葉は信用ならない。
そして足元に千切れたロープを発見し、その真上にロープの続きが括られているのに気付き、ロシュは真っ青になった。
「エイベル様! これって……!」
「うん。この子のせいで失敗しちゃった」
「な、なななっ……!」
ロシュは真っ青を通り越して真っ白になっていく。
そのとき、少女が小さく唸り声を上げて身じろぎする。瞼が押し上げられ、菫色の瞳が現れる。
「んん……。ここは?」
少女はきょろきょろと周囲を見渡した。しばらくぼんやりとしていたが、エイベルの姿を見つけ――目を見開いた。
「エイベル!」
「うん。俺はエイベルだ。君は俺の名前を知ってるんだね」
「そんなの当然よ!」
「当然? どうして? 君は誰なの」
「私はアルマよ」
「…………」
それまで穏やかに受け答えしていたエイベルの顔から表情がスっと消える。
急に静かになったエイベルに、少女は戸惑いの色を浮かべた。
エイベルは一度話をやめると、再びロシュに視線を戻した。
「……ところで何の用なの」
「あっ。それがですね。エイベル様にどうしてもお会いしたいと、お客様が――」
「お客様?」
そのとき、ロシュの背後から誰かが姿を現す。
「朝早くから約束もなく伺って申し訳ありません。ですが、大切な用がありまして」
落ち着いてそう話すキャラメル色の髪の少年の姿に、アルマはぱあっと顔を明るくした。
「キーラン!」
アルマの反応を見て、エイベルはキーランに意味ありげな視線を送る。
「へえ。キーラン、君はこの子のことを知ってるんだ」
「……。……すみません、少し二人で話をさせてください」
「え? キーラン?」
そう言うと、キーランは有無を言わさずアルマの手を引いてその場を離れる。
柱の陰まで来るとキーランはその場にしゃがみ、アルマと視線を合わせた。
「姉さん。昨日ぶりですね」
「キーラン、何でここにいるの?」
「何で、って……姉さんが無闇に飛び出すからですよ。このままじゃ大変なことになると思ったから来たんです」
「大変なこと?」
アルマはきょとんとした。
「姉さん。まさかとは思いますが、自分が『アルマ』だとバカ正直に言った訳じゃないですよね?」
「言ったわよ」
「…………」
「え、何その反応」
キーランはふうと息を吐く。
「いいですか、姉さん。誰もがうちの両親みたいに何でもかんでも信じる訳じゃないんです」
「だけど……」
「じゃあ、この現象をどう説明するつもりですか。魔法がどうとか言うつもりですか。それは自分の身を危険に晒すのと同じですよ」
「どういうこと?」
そう問いかけると、キーランは真剣な顔になった。
「〈魔女〉は大規模な〈魔女狩り〉で百年前にこの国から消えた――と、言われてますよね。今や魔法なんてお伽噺のような扱いですけど、魔女への偏見はまだ残っています。無闇に魔法だとか口にしない方がいいですよ」
「言ったらどうなるの?」
「最悪殺されます」
「わかった言わない!」
キーランはこくりと頷いた。
「殺される」は大袈裟だが、このくらい脅しておけば大丈夫だろう。素直な姉でよかった。
「じゃあ、私のことはどう説明すればいいの?」
「それは俺に任せてください」
***
応接室にやってきたアルマとキーランの二人は、エイベルと向かい合っていた。
ロシュが淹れてくれた紅茶に口をつけると、キーランは話し始めた。
「……ですから、この子はウチの親戚なんです。昨日姉さんの葬儀のためにミルネール侯爵邸を訪れていました。姉さんを通してレリュード公子の話を聞いていたので、公子のことは元々知っていたのですが、葬儀に現れた公子の姿がよほど気にかかったようで、どうにか元気づけたいと考えたらしいんです。……勝手にレリュード侯爵邸に侵入したことは咎められて当然ですが、どうか子供が衝動的にしたことだと理解して頂けないでしょうか。何せまだ幼いので」
キーランは用意した言葉を淀みなく話す。何から何まで嘘なのだが、キーランが話すとそれっぽく聞こえるから不思議だ。
(ていうか『幼い』って……! 中身は立派なレディーなのに!)
アルマは隣のキーランを軽く睨んだが、キーランはこちらを見ようともしなかった。
「……へえ、そうなんだ。わかった。その子を咎めたりはしないよ」
「ありがとうございます」
「事情はわかったけど、その子の名前は何なの? 『アルマ』だって名乗ってたけど」
「それは……」
キーランはちらりとアルマを見た。アルマは緊張の面持ちで視線を返す。
(キーラン、何て誤魔化すつもりなの!?)
「アルマ……、ア……ルマ。『あ、ルマ』って言ったんです。この子の名前はルマ。『あ』は感嘆詞です」
キーランは平然とした顔でそう答えた。アルマは衝撃を受けた。
(すごい雑に命名された!)
「ルマ……ね。名前も似てるんだ」
エイベルはまじまじと『ルマ』を見た。
その視線に気付き、アルマはぽっと赤くなる。
「はい。私はルマです。えへへ」
「……」
デレデレし始めた姉をキーランは黙って見ていたが、やがて席を立ち、アルマの腕を掴んだ。
「……と、いう訳でお邪魔しました。『ルマ』は連れて帰りますね」
「えっ!?」
キーランはアルマを連れてさっさと出口へ向かう。腕を引かれながら、アルマは小声で抗議した。
「ちょっとキーラン!」
「早く帰りましょう。長居してもボロが出るだけですよ」
子供の身体では抵抗できず、簡単に扉まで引っ張られてしまう。扉をくぐる直前、アルマはどうにかその手を振り払った。
「嫌っ!」
「え?」
アルマはキーランに背を向け、エイベルの元へと駆け寄った。
今は静かに椅子に座っているエイベルだが、改めて見てもかなりやつれている。昨日は自殺まで図ったのだ。このままになんてしておけない。
「エイベル……様。お願いがあります」
「お願い?」
「私をこの屋敷に置いてください!」
「……どうして?」
「エイベル様には元気でいて欲しいんです! どんなことでもやります。だからどうかお願いします」
思いも寄らぬ申し出に傍らのロシュが目を見開く。対するエイベルはほとんど無反応だった。
「……」
エイベルは何を考えてるのか、それとも何も考えていないのかすらわからない表情で、ぱちりと一つ瞬いた。
そして、答えた。
「好きにしたら」
すぐに反応できなかったが、ややあってそれが了承と気付き、アルマは花の綻ぶような笑顔を見せた。
「ありがとうございます、エイベル様! これからよろしくお願いします」
「うん。じゃあ後は任せたよ、ロシュ」
「えっ!? ええ、エイベル様……!?」
エイベルはさっさと応接室を出ていく。ロシュは二人に頭を下げると、慌ててその後を追ったのだった。
エイベルとロシュが立ち去り、後にはアルマとキーランの二人だけが残される。
アルマはこれからに思いを馳せて一人ではしゃいでいたが、キーランはそんなアルマに複雑な表情を向けた。
「姉さん、どうして……」
「そんなのエイベルが好きだからに決まってるでしょう」
「……」
キーランは珍しく不安げな顔をしていた。
大人びて出来のいい弟は単純な姉からすると時折生意気に見えることもあるが、本当は姉思いの優しい子なのだ。
(心配してくれてるのね)
「キーラン」
アルマは背伸びをして腕を伸ばした。しかしどう頑張ってもキーランには届かず、腕がぷるぷると震える。
「……何がしたいんですか」
「ちょっとしゃがんで」
「こうですか?」
キーランのつむじを眺めながら、アルマはぽつりと呟く。
「キーラン。もしかして背、伸びた? 」
「成長期ですからね」
あまり意識していなかったが、そういえば近頃はキーランとアルマのどちらが年上かと尋ねられることも増えた。
(キーランも成長してるのね。そのうち誰かと婚約とかするのかしら。先越されたらちょっとイヤね……)
キーランの背は伸びたのにアルマはむしろ縮んでいる。ますます差が開いていくようで少し複雑だ。
アルマは乱暴にその頭を撫でた。
「うわっ……」
「お姉ちゃんは平気だから、貴方も元気にしてるのよ。お母様とお父様にもよろしくね」
「……ハァ。わかりました。どうせ止めても無駄でしょうし」
「よくわかってるじゃないの」
キーランは小さく笑う。少しだけ呆れたように。
「ええ。絶対にエイベルをオトして見せるわ!」
「そんな身体になってもまだそんなこと言ってるんですか……」
「当然でしょ!」
アルマは決意に満ちた瞳で何もない天井を見上げる。次第に、キーランの表情は呆れ一色に染まった。
「……俺は帰ります。せいぜい姉さんのやりたいようにやってください」
「ええ。任せてちょうだい!」
「やっぱりその前向きさだけは見習いたいものですね」
キーランの皮肉めいた言葉はもうアルマには届かない。
何はともあれ、こうして『ルマ』としての日々が幕を開けたのであった。
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