第3話 目覚め

アルマは心地よい微睡みの中を揺蕩っていた。

瞼を開きたくても開くことができない。冬眠中の動物はきっとこんな気持ちなのだろう。


(私……さっきまで何をしていたのかしら)


意識の片隅から記憶の切れ端を手繰り寄せる。

確か……夜会に出ていたはずだ。

そこでエイベルと喧嘩をして、エイベルが私を庇って怪我をした。だから私はお医者様を呼びに屋敷に入った。


(……ああ、そうだった)


その後、爆発音とともにどこかから吹き出した炎が視界を覆った。

そのとき、炎が放つ光とは別に、胸元のペンダントが眩い光を放っていたような気がする。あれは何だったのだろう。


……とにかく、あんな炎の中無事で居られるはずがない。私は死んだのだろう。

だとすれば、ここは天国だろうか。


(それにしても、まさか十九歳で死ぬことになるなんてね……)


こんなに早く死ぬとわかっていたら、さっさと好きだと伝えればよかった。

ファーストキスだってまだなのだ。どうせなら思い出作りのために唇の一つくらい奪ってやればよかった。

思い切って一発。

……そう。こんなふうに。


(……ん?)


先ほどから唇が――いや、顔全体に生暖かい感触がする。なにか、ヌメヌメとしたような感覚が――


「……?」


アルマはぱちりと両目を開いた。

それと同時に視界いっぱいに白い馬の顔が現れて、アルマは戦慄した。


「ギャアアアアーーーーッ!!」


アルマは反射的に後ずさった。しかし、すぐ後ろの本棚にぶつかり、振動で棚から落ちた本が降り注ぐ。

そのうちの一冊がアルマに命中し、アルマは仰向けに倒れた。


「? ? ?」


何が起きたのか理解出来ずに天井を見ていると、視界の隅にひょっこりと白馬が現れる。

そしてアルマの頬をぺろぺろと舐めた。


(なにこれ。どういう状況……?)


ひとまず立ち上がり、馬の涎でベトベトな顔を拭う。そして周囲をぐるりと見渡した。

雰囲気から察するに、ここは平民の民家のようだ。しかし、どの家具にも埃が積もっていて、長年使われた形跡がない。


(空き家なのかしら)


大きな椅子が二脚に小さな椅子が一脚。コップやカラトリーも大きいものが二つ、小さなものが一つ。どうやら前の住人は夫婦とその子供だったようだ。

……少なくとも、ここは天国ではないらしい。


アルマは再び白馬に視線を戻すと、その顔を撫でようと腕を伸ばした。


「貴女はどこから来たの?」


優しく白馬の顔を撫で――我に返る。

……私の手、こんなに小さかっただろうか。

それに、床が近い。足もこんなに短かかっただろうか。

だらり、と嫌な汗が伝う。


(……待って。何かヘンよ)


アルマは姿見へと急いだ。そしてそこに映る己の姿を目の当たりにし、驚愕した。


「子供!?」


ゆるく波打つ金髪と菫色の瞳はそのままで、これが自分だということはわかる。ただし問題は、短い手足に丸っこい頬、小さな背丈。

今の自分はどこからどう見ても十歳前後の子供にしか見えなかった。


「何が起きたの……!?」


女性らしいしなやかな肢体は見る影もない。アルマは姿見の前で震えた。


そのとき、バタン! と音を立てて扉が開かれる。同時に一人の男が部屋に飛び込んできた。


「シュガー! ここにいるのはわかっとるぞ! 飼い主を無視するなんて許さ……」

「誰!?」

「……ん?」


互いの存在に気付いたアルマと男はフリーズする。男の年齢は六十代くらいだろうか。背中には猟銃があり、身なりからして猟師のようだ。

そのとき、それまで床に座ってリラックスしていた馬が立ち上がり、男に近寄る。

そして男の腕にぱくりと噛み付いた。


「あっ、コラ! 離さんか!」


シュガーと呼ばれた馬はすぐに口を離したが、ふいとそっぽを向いた。


「全く、本当に可愛げのない奴だ!」


シュガーに対抗するように、男もそっぽを向く。一人と一頭の間には険悪な雰囲気が流れている。

アルマはそのやり取りに着いていけず呆気に取られていたが、不意に男が振り返った。


「ところでアンタ。こんな山奥で何しとるんだ。ここは子供が一人で来るような場所じゃないぞ」

「おじいさん。ここはどこなの?」

「ワシの知り合いが昔使っていた家だ。立地的にそう簡単に見つかる場所じゃないんだが、よく見つけたな。シュガーが急にどこかへ走り出したと思ったら……。まさか、この子の気配でも察知したのか?」


シュガーは黙ってアルマを見つめていたが、やがてアルマに頬ずりをした。


「ほう。普通の人には懐かない奴なのにアンタのことは気に入ったみたいだな。シュガー、さては面食いか?」


シュガーはしっぽで男をペシッとはたく。二人はまた小競り合いを始めた。

こんなにも懐かれていないなんて、この男は本当に飼い主なのだろうか。


「ところでアンタ、迷子か? 親御さんが心配しとるんじゃないか?」


その言葉ではっと我に返る。

家族はどうしているのだろう。エイベルは?

考えれば考えるほど疑問が湧いてくる。


「……家に帰らなきゃ」


アルマは決意とともに立ち上がった。

すると、アルマの心中を察したようにシュガーがぴくりと反応する。そしてその場に身を屈めた。まるで乗れと言っているようだ。

アルマは恐る恐るその背に跨った。するとシュガーはすぐに走り出し、民家を飛び出した。


「ちょっと借りるね、おじいさん!」

「ワシの馬じゃぞ!?」

「急用なの!」


後を追って外に飛び出すが、少女を乗せた白馬の姿はあっという間に見えなくなる。

男は呆気に取られたのであった。


***


馬に跨りどれほどの時間が経ったのか。遠くに慣れ親しんだ屋敷の門が見えてきて、アルマは顔を上げた。


「おお。本当に我が家だわ……」


現在地も何もわからなかったのだが、駄目元で「ミルネール侯爵邸に行きたい」とシュガーに伝えたところ、本当に連れてきてくれた。よほど賢い馬のようだ。


「助かったわ、シュガー」


アルマは背から降りるとその顔を撫でた。シュガーは嬉しそうにしっぽを振った。


「さて、帰るか」


いつものように正門から入ろうかと思ったが、今日は何故か人の出入りが多い。来客でもあったのだろうか。

山道を駆けたせいでボロボロになった姿を見られるのは恥ずかしい。そう考え、アルマは手綱を引いて裏門をくぐっていった。


普段あまり使われていない裏門はひと気がなかった。屋敷内に入るには一族が祀られた墓地の近くを通らなければいけないのが難点だが、仕方ない。


「行きましょ、シュガー」


小さな庭園を抜け、墓地に差しかかる。

そのとき、話し声がしてアルマは足を止めた。木の影からそっと様子を伺う。


(ん?)


墓地には黒い衣装を身に付けた人達が集まっていた。その中には長らく会っていない親類や友人の姿もある。彼らはみな神妙な面持ちで何かを見ていた。


(こんなところで何やってるの?)


そのとき、墓の前に両親とキーランの姿を見つけた。三人も周囲の人と同じように黒い服に身を包んでいる。

母であるミルネール侯爵夫人は突然肩を震わせ、ハンカチで目元を覆った。それに気付いた父、ミルネール侯爵がその肩を支える。

キーランも硬い表情で俯いていた。


(何あの雰囲気。みんな暗くない?)


やがて、侯爵が口を開く。


「皆さんもご存知の通り、シンクレア伯爵邸の夜会で爆発事故が起きました。銃の火薬庫に引火したことが原因かと考えられていますが、不可解な点が多く、事故の全容はわかっていません。……とにかく、あの事故から今日で一ヶ月が経ちました」


(ん? 一ヶ月……?)


「今日まで私達は懸命な捜索を続けてきました。小さな希望を捨て切れずにいましたが、これほど時間をかけても見つからないということは……あの子は亡くなったのでしょう」


(あれっ?)


「この事実を受け入れるのに時間がかかってしまいましたが、今日はこうしてアルマの葬儀を行うことができて、よかっ……、ううっ」


そこで言葉が途切れる。侯爵は俯いて目元を拭った。それを見守っていた人々から気遣わしげな視線が向けられる。

キーランは顔を背け、唇を噛んだ。


(私、死んだことにされてる!?)


そのとき、にわかに周囲が騒がしくなる。

何事かと思ううちに、参列客を押しのけて一人の青年が駆け込んできた。

青年は人にぶつかる度に倒れそうになるが、それでも一直線に墓へと向かう。そしてようやく墓の前に辿り着くと、地面に両膝をついた。


「あ、あああ……」


身体中包帯だらけのその青年は、身体をぶるぶる震わすと、がくりと項垂れた。


「アルマーーーーーッ!!」


(!?)


青年は人目も憚らず大声を上げて泣いている。顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

一瞬誰かと思ったが、その髪は白く、瞳は赤色。……見間違う筈がない。


(アレって……エイベル!?)


大好きな人の変わり果てた姿に、アルマは目を疑ったのだった。

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