第13話 贈り物
机を挟んだ真向かいには、色白で線の細い美青年が座っている。
ローブを脱ぐと、下に着ていたのは白のシャツに黒のトラウザーズというシンプルな服装だったが、それがむしろ彼の美しさを際立たせていた。
この美しすぎる青年の名はセオ・ハートリー。ハートリー子爵家の三男として生まれた。
貴族の出ではあるが継ぐべき爵位はない。勉強もあまりできず、剣術の才能もない。大した話術もない。
一見残念なステータスだが、男にはある長所があった。そう、
……すこぶる顔がいいのである。
老若男女問わず虜にしてしまうほどの究極の美貌。それは長所であると同時に、彼が背負った業でもあった。
十歳の頃、セオは小さな池の畔に佇んでいた。そのとき偶然向こう岸に居合わせた令嬢達がセオに見惚れてしまい、次々池に落ちていった。それが、セオが『自分は変なのではないか』と思い始めた出来事である。
そして十五歳の頃、セオの一番目の兄にも婚約者ができた。兄と婚約者の関係は良好だったが、結婚式当日、新婦はセオを目にした途端すっかり心を奪われてしまった。そして「セオと結婚する」と言い張り、婚約は破談になってしまった。
そんなことが何度も続き、セオは子爵家を出ることになった。
その後、セオはとある伯爵家で使用人として働くことになった。セオ自身は真面目に働いていただけなのだが、気付かぬうちに数多の人を虜にしていった。
使用人のみならず伯爵夫人や伯爵令嬢、果てには伯爵までをも虜にしてしまい、結局、風紀を乱したとして追い出されてしまった。
そして付いたあだ名が『ファム・ファタール』。男なのに。
それ以来顔を見られることを恐れ、人目を避けて暮らすようになった。
「……だから、フードで顔を隠すようにしてるんです。何故か私の顔を見るとみんなヘンになってしまうので」
セオはそう語った。
アルマと、鼻にティッシュを詰めたチェルシーの二人は「そうだったんですね」と相槌を打つ。
先ほどから二人は絶妙にセオと目を合わせず、顎の辺りを見ることで失神を回避していた。
「それにしても、花の知識はいつ身に付けたんですか?」
「伯爵邸を追い出された後、目の不自由な老婦人のお手伝いをしていたんです。その方が教えてくれました。顔を見られても平気でしたし、それが今までの人生で一番幸せな時間でした。……その方はもう亡くなってしまったんですけど」
「まあ……」
「その方は私を息子か孫のように可愛がってくれて。彼女は最期に『人と関わることを諦めないで』とおっしゃったんです。だから今、努力はしているのですが……」
そここで言葉を区切り、俯く。
「なかなか難しいものですね」
セオは独り言みたいに呟いた。
端から見れば神からの祝福のような圧倒的な美貌だが、当人からすれば呪い以外の何物でもないのだろう。
何も言えなくなってしまった二人を見て、この雰囲気を払拭するようにセオは明るい調子で「そんなことより」と言った。
「紫のバタフライローズを探してるんでしたよね。一緒に見に行きましょうか」
「……そうですね。そうしましょう」
やがて一行は外へと向かった。
***
「うーん、あるにはあるんですけど……」
セオは申し訳なさそうにアルマの方を振り返る。
「どれもまだ蕾ですね。開花にはあと数日かかると思います」
「そんな……」
誕生日の今日渡せないと意味がないのに。アルマはしゅんと項垂れた。
(今すぐ咲いたらいいのに……)
そんな思いで、アルマはそっと花弁に手を伸ばす。それと同時に胸元のペンダントが光を放つ。
「……!?」
次の瞬間、その場にあった紫のバタフライローズが全て花開いていた。
(え? 今の……)
「あれ? 咲いてる!」
それに気付いたセオとチェルシーは奇跡だ何だと口にしてはしゃいでいる。先ほどの光には気付いていないようだ。
やがてセオはそれを花束にしてくれた。
「ありがとうございます。セオさん」
「こちらこそ。今日はお話できて楽しかったです。それでは、またいつか」
セオに手を振られ、アルマとチェルシーは歩き出す。
しかし、しばらく進んだところでアルマはぴたりと足を止め、来た道を戻っていった。
「あっ、アルマ様ー?」
別れたばかりの少女が大急ぎで走ってくるのに気付いて、セオは目を丸くした。
アルマはセオの元に辿り着くと、ぜえぜえと息をしながらセオを見上げた。
「どうしました?」
「あの、セオさん。一つ提案があるんですけど……」
***
エイベルは資料を纏めると溜め息を吐いた。
窓の外はもう薄暗くなり始めている。
今日は朝からルマを見ていない。いつもなら何かと周囲をうろついていて騒がしいくらいなのだが、それが嘘のように静かだ。
そんな日もあるかと自分を納得させていたのだが、あまりにも姿を見ないため、次第に仕事も手に付かなくなっていった。
そのときコンコン、と音がして扉が開く。部屋に入ってくるロシュの姿が見えたとき、エイベルは思わず顔を顰めてしまった。
「エイベル様、どうしてそんな顔で私を見るんですか」
「別に……」
無意識に、ルマが訪ねてくることを期待していたのかもしれない。ルマのいる生活に随分慣れてしまったようだ。
「……はあ」
エイベルは深く息を吐くと席を立ち、扉へと向かった。
「エイベル様、どちらへ?」
「ルマを探してくる。またどこかに閉じ込められてたら大変だし」
「あ、ルマ様でしたら……」
エイベルが扉を開く。それと同時に視界いっぱいに紫の花が現れて、エイベルは目を見開いた。
訳もわからぬまま花束を受け取り、その後で花束を差し出していたのが金髪の少女であることに気付く。
「エイベル様、誕生日おめでとうございます」
「え? ……あ、誕生日……。そっか、今日だったんだ」
驚いた様子のエイベルに、アルマは悪戯に成功したみたいに楽しげに笑う。
(そっか……。今日はこれを用意してたから、朝から姿が見えなかったのか)
これまでの人生で高価なプレゼントは散々贈られてきたはずなのに、今までのどの誕生日プレゼントよりも特別に思えるのは何故だろう。
エイベルは胸の中がじんわりと温まっていくのを感じた。
「それから、プレゼントはもう一つあります。……入ってきてください!」
「失礼します」
アルマの背後にフードを目深に被った人物が現れる。エイベルは眉根を寄せた。
「君、そんな格好じゃ失礼だろ。フードを脱ぎなよ」
「いえ、その、それは……」
「怪しいな」
エイベルは有無を言わさずフードを剥ぎ取る。すると、突如として絶世の美青年が出現する。
美の暴力にエイベルはくらりとよろめいた。
「あっ! エイベル様!」
背後のロシュも流れ弾を食らい、鼻血を流しながらぶっ倒れている。
アルマは慌ててセオにサングラスをかけた。美貌とオーラは隠しきれていないが、先ほどよりはマシになった。
エイベルは息を整えると、目の前の無駄に綺麗な青年を睨んだ。
「誰なの、その男は……」
「腕のいい庭師を探してるんですよね。ですので、連れてきました!」
「庭師? 彼が?」
エイベルは胡乱な目でセオを見た。
この風体で庭師とは。少々……いや、かなり華やかすぎないだろうか。
(まさかこの顔でこんな幼い子を誑かしたんじゃないだろうな……?)
「その花もセオさんが育てたんですよ。セオさんを雇うことはジョアンナ様も了承済みです」
「お母様が……。……そう。優秀なのは確かみたいだ」
「ですから来年も再来年も、庭園に大好きな紫のバタフライローズが咲きますよ」
「!」
その言葉でエイベルは悟った。
彼女の言うもう一つのプレゼントとは『未来』なのだと。
(来年も、再来年も……)
彼女のいない季節が何度もやってくる。それを想像するだけで心が冷え冷えする。
でも、その度に彼女の瞳のような紫のバタフライローズが咲くのなら、それは小さな慰めになるような気がした。
エイベルは口付けを落とすように、花束にそっと顔をうずめる。そして、淡く微笑んだ。
「……ありがとう。ルマ」
***
その日の晩。
アルマは入浴を済ませネグリジェに着替えると、ごろんとベッドに横になった。
「はあ。今日は疲れたー」
セオは魔女なのではないかと疑っていたが、結果としてはそうではなかった。
……だけれど。
ふと、首元のペンダントが視界に入る。アルマはむくりと起き上がった。
「そういえば、今日……」
このペンダントが光って、その後に蕾が花開いた。見間違いなどではないはずだ。
あの光は、事故に巻き込まれる瞬間に見たものとよく似ていた。
(……もしかして、魔法?)
だとすればこのペンダントは一体何なのだろう。
アルマは琥珀色の宝石をつまみ、じっくりと観察した。ただの綺麗なアクセサリーにしか見えないが……。
そのとき、突如手の中でペンダントが光を放ち始める。
「――っ!」
アルマはあまりの眩しさに目を瞑った。昼よりもさらに強い光だ。
そして光が収まってきた頃にゆるゆると瞼を開く。
「……ん?」
足元にはビリビリに破けたネグリジェが落ちている。どうしてこんな有様なのだろう。
それを拾い上げようと手を伸ばす。しかしそのとき、ふと違和感を覚える。
……私の腕ってこんなに長かっただろうか。
いや、手足だけではなく、全身の感覚がいつもと違う。
(――まさか!?)
アルマは大慌てで姿見の前に立った。
何故か裸だったが、そんなことよりも。
「大人に戻ってるーーーーッ!?」
アルマは驚愕の表情で鏡を食い入るように見つめた。
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