第14話 再会

「どうして急に戻ったの!?」


丸っこい頬、短い手足、ぺったんこの胸は見る影もない。ほどよい肉付きで出るべきところは出ている完璧なプロポーションは元通りだ。


大人に戻ることをあれほど望んでいたが、今は戸惑いの方が勝ってしまう。


「と、とりあえず服を……」


ひとまず真っ白なシーツを羽織る。これからどうしようかと考えていたとき、突然ノックの音が聞こえた。


「ルマ。もう寝た?」


(この声は、エイベル!?)


アルマはオロオロと周囲を見回した。しかし隠れられる場所など見当たらない。

いっそのことベッドの下に潜り込もうかと考えついたとき、「入るよ?」という声がしてアルマは慌てた。


「だ! ダメ! 寝てる!」

「……起きてるじゃないか」


扉の向こうからフッ、と小さく笑い声が聞こえる。


「ちょっと、待っ……」


そのとき、ガチャリと音を立てて扉が開く。そして現れたエイベルは、部屋に足を踏み入れた途端にぴたりと足を止める。


「――え、」


エイベルは目を見開いたまま、呆然と立ち尽くした。


「あ、えっと、その、これは……」


どうにか弁明しようとしたが、まるで言葉が浮かんでこない。アルマはオロオロとするばかりだ。


「……」


エイベルの赤い瞳がゆらゆらと揺れる。


その声やその視線、仕草までもがあまりに記憶の通りで、エイベルはぐっと唇を引き結ぶ。

エイベルの心の中では、どうせまた幻覚だろうと疑う気持ちと、それでも現実だと信じたい気持ちがせめぎあっていた。


「えっと……。エイベル?」


少しも動かないエイベルを不審に思い、アルマは困ったように笑う。

自分の名を呼ぶその声と、その顔を目の当たりにした瞬間、考えるよりも先に身体が動いていた。


「アルマ……!」


エイベルは真っ直ぐに駆け出すと、アルマを強く抱き締めた。


「会いたかった……」

「えっ!?」


(な、何が起きてるの……!?)


アルマは驚きのあまり硬直した。

顔が熱い。心臓が痛い。『ルマ』として彼と触れ合うのとはまるで違う感覚だ。緊張でどうにかなってしまいそうだ。


「え、エイベル……?」

「ごめん。ごめんなアルマ。本当にごめん。一人にしてごめん。助けに行けなくてごめん。何もできないで……本当に、ごめん……」


エイベルはアルマには縋り付くように、心の内を吐露する。その声があまりに悲しげでアルマははっと息を呑む。

ぐすぐすと泣く声が聞こえてきて、アルマはあやすようにその背をポンポンと叩いた。


「……うん。許してあげるから、もう泣かないで」


エイベルは何も言わなかったが、腕の中のぬくもりを確かめるように、いつまでもアルマを抱き締めていた。


やがて鳴き声が止んだ頃、そっと身体が離れる。

潤んだ赤い瞳がアルマを捉える。

こちらに向けられる眼差しはあまりに強く切実で、アルマの心臓が跳ねた。


「ねえ、アルマ。本当はあの日、君に伝えたいことがあったんだ」

「私に?」

「うん」


エイベルの両手がアルマの腕に触れる。

赤い瞳がアルマを射抜く。


「アルマ。実は俺――」


そのとき、はらり、と白いものが視界の隅を動いた。


「ん?」

「えっ?」


何故かエイベルはぽかんとした顔をしている。

不審に思い、アルマはそっと視線を落とす。足元には白いシーツが落ちている。当然、肌を覆うものは何もない……。


「〜〜〜〜」


アルマは耳まで真っ赤になった。

目の前のエイベルも動揺したように目を泳がせた。


「あ、アルマ。その……」

「キャーーーーーーッ!!」


アルマは羞恥心に勝てず、生まれて初めて他人の頬に平手打ちを食らわせた。よもやその相手が大好きなエイベルになるとは思いもしなかった。


「うわっ!?」


不意打ちを食らい、エイベルはその勢いのまま額を棚のカドにぶつける。

ゴッ……と鈍い音がして、エイベルは床に倒れた。


「……あっ!?」


アルマは落ちていたシーツを羽織ると、エイベルの元へと駆け寄った。軽く揺すってもエイベルはびくともしない。どうやら脳震盪を起こしたらしい。


(私ったら、病み上がりの人間に何てことを!!)


「……とりあえず連れて帰りましょ」


アルマは渾身の力でエイベルを引き摺り、エイベルの自室まで運んだ。

身体をベッドに横たえてから様子を確認すると、ぶつけたときに切ったのか、エイベルの額からは血が流れていた。


「嫌ーッ! エイベルの綺麗な顔に傷が!」


止血できるものを探さなければ。この部屋のどこかに薬箱があったはずだ。

闇雲に机の引き出しを漁るうちに一枚のハンカチを見つけた。

それを広げ――アルマは首を捻った。


「……えっ? 何でこれがここに?」


それは、芸術的なドラゴン――ではなく、下手くそなバタフライローズの刺繍が施されたハンカチだ。

以前アルマがエイベルに贈り損ねたものである。


(アレって私が池に投げ捨てたわよね……。どうしてエイベルの引き出しに入ってるの?)


ちら、と視線を戻せば、エイベルの額を滴る血が目元まで垂れてきていた。大事だ。


「エイベルの死因が棚の角なんて不名誉すぎるわ! 絶対にダメ!」


ひとまずハンカチは元通りに仕舞い、エイベルの傍へと駆け寄る。

そして無駄と知りつつ額に手をかざしながら必死に念じる。


「なんかもの凄い都合のいい力が巻き起こってくれますようにっ。なおれ〜〜ッ」


傍から見るとかなり滑稽だが、アルマは真剣に祈り続けた。

すると祈りが通じたのか、ペンダントが光り、たちまち額の傷が塞がっていった。


「えっ!? わぁ! 本当に治った!」


ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだのも束の間、アルマの身体を妙な感覚が走る。

床が迫ってくる。……いや、目線がだんだん下がっているのだ。


「あれ? まさか……!?」


身体はみるみる縮んでいき――気が付けば、また子供の姿になっていた。


「え、ええーーッ!?」


***


まっさらな朝日に照らされ、エイベルは薄く目を開いた。


「……ん、」


見覚えのある天井が目に入る。ここが自室のベッドの上だと理解すると、エイベルはむくりと起き上がった。

しばらく身じろぎもせずに静止していたが、やがて絶望感に苛まれた。


「まさか亡くなった人間の裸を夢に見るなんて……」


人として終わっている。ここまで自分が最低な人間だとは思わなかった。


「でも、夢にしてはかなりリアルだったような」


夢の中のアルマは真っ白で綺麗な身体をしていた。普段は見えない胸元にはホクロがあって……。

そこまで思い出したところでエイベルは己に幻滅した。


(なんで妙なリアリティがあるんだ。本当に最悪だ……)


エイベルはそっと額に手を伸ばした。ここを強打した記憶があるが、触れても痛みは一切ない。……やはり、あれは夢だったようだ。


顔を洗って頭を冷やそう。そう決心してベッドから降り、鏡の前に立つ。

何気なく鏡を覗き込み、頬が赤くなっているのに気が付いた。


「……ん?」


左頬が赤く腫れている。

まるで誰かに平手打ちでも食らったかのようだ。


(……まさか)


エイベルは頬を見つめると、そっとその跡を指でなぞった。



「これ、どうしよう……」


一方のアルマはというと、ビリビリになったネグリジェを暗い顔で見つめていた。侯爵夫人からの贈り物を捨てるのは忍びない。

ひとまずタンスの奥に押し込んだとき、コンコン、とノック音が聞こえた。


「ルマ様。おはようございます」

「あ、チェルシーさん。おはようございます」


部屋に入るなり、チェルシーはアルマの服装に目を留めた。


「あら、おひとりで着替えたんですか?」

「はい。まあ」


侯爵夫人の選ぶ服は装飾が多いため、一人では着られないものもある。とはいえいつまでも裸でいる訳にもいかず、どうにか自力で着替えたのだ。


「リボンが解けてますよ。これからは私がお手伝いしますから、いつでも呼んでくださいね」

「ありがとうございます」


チェルシーはリボンを素早く結い、ヘアメイクも手伝ってくれた。身支度を終えると、チェルシーは思い出したように口を開く。


「そうだ。エイベル様がお呼びでしたよ」


***


エイベルの部屋に入ると、ロシュが朝食の配膳をしているところだった。テーブルの上の食事はきっかり二人分。

先に椅子に座っていたエイベルは、アルマの姿に気付くと軽く手招きした。


「ああ。来たんだね。そこに座って」

「失礼します……」


こうして向かい合うと昨晩の出来事が次々蘇り、急に緊張が止まらなくなる。

何を言われるかとハラハラしていたが、エイベルはなかなか話を切り出そうとしない。会話もなく、二人は料理を食べ進めていった。

そのまま何事もなく時が過ぎるかと思いきや、忘れた頃にエイベルが口を開く。


「ルマ、昨日の夜って何か変わったことはなかった?」


……きた。


アルマは緊張のあまり食べ物を喉に詰まらせそうになったが、紅茶ごと流し込むことで事なきを得た。


「い……いいえ? ぐっすり寝ていたので気付きませんでした」

「……。そう」


それ以上の追及はなく、エイベルは黙って食事を続けた。

ふう、と胸を撫で下ろしつつ、アルマは改めてエイベルの食事風景を観察した。


(エイベル、最近はちゃんと食事を摂るようになったのね。ほとんど残してないし)


近くに立つロシュも綺麗になった皿をみて満足げにしている。

食事を終えると、ロシュがエイベルの包帯を外し、傷の具合を確認した。


「怪我に関してはほとんど完治したと言っていいでしょう」

「よかったですね、エイベル様」

「ですがもっと体力をつけてください。お仕事もいいですけど身体を動かして……」


ロシュがくどくどと言うのを見て、エイベルは少し鬱陶しそうな顔になった。母親と思春期の息子みたいだ。

アルマはエイベルの手を掴むと、勢いよく走り出す。


「ルマ?」

「じゃあ、私と庭園でも散歩しましょう。行きましょう」


ロシュの小言から解放してくれるつもりなのだと悟ると、エイベルはにやりと笑って一緒に走った。


「うん!」


二人はあっという間に部屋を出ていき、最後にロシュだけが残される。

ロシュはしばらく呆気に取られていたが、二人のいたずらっ子みたいな笑顔を思い返し、小さく笑ったのだった。

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